内藤就幸
表示
時代 | 江戸時代初期 |
---|---|
生誕 | 元和7年(1621年) |
死没 | 元禄14年1月26日(1701年3月5日) |
改名 | 伝弥(幼名)→内藤就幸 |
別名 | 通称:左源太→又左衛門 |
主君 | 毛利秀就→綱広→吉就→吉広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤姓内藤氏 |
父母 | 父:内藤元幸 |
兄弟 | 就玄、就幸、就貫 |
子 | 幸茂 |
内藤 就幸(ないとう なりゆき)は、江戸時代初期の長州藩士。父は内藤元幸。
生涯
[編集]元和7年(1621年)、内藤元幸の次男として生まれる。毛利秀就の加冠により元服し、「就」の偏諱を与えられて就幸と名乗った[1]。
以後は長州藩士として毛利秀就・綱広・吉就・吉広に仕え、元禄14年(1701年)1月26日に81歳で死去した。
脚注
[編集]- ^ 『萩藩閥閲録』巻131「内藤作兵衛」には2種類の加冠状が収録されており、一方は寛永6年11月15日(1629年12月29日)付で宛名は「内藤傳彌」、もう一方は寛永12年1月11日(1635年2月28日)付で宛名は「内藤左源太」。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻131「内藤作兵衛」