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内藤政又

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
内藤政又
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政6年4月13日1823年5月23日
死没 明治6年(1873年8月20日
三河挙母藩世嗣
氏族 内藤氏
父母 内藤政成
兄弟 政正政又政和政就政共
内藤政優養女、鶴子ら
政敏、増子、牧野忠泰継々室
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内藤 政又(ないとう まさまた)は、江戸時代後期の三河挙母藩の世嗣。

略歴

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4代藩主・内藤政成の次男として誕生。子は内藤政敏、増子(寛寿院、内藤政成養女、内藤政文正室)、娘(牧野忠泰継々室)。

兄・政正文政7年(1824年)に3歳で早世したため嫡子となるが、のち廃嫡された。代わって父の生家である彦根藩井伊家から、父の弟である政優が養子として迎えられ、嫡子となった。これは養子の際の持参金目的であったとされる。