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冨上芳秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

冨上 芳秀(とかみ よしひで、1948年6月2日 - )は、日本の詩人

「詩遊」発行人。日本現代詩人会会員。大阪文学学校・詩部門講師。[1]

経歴

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1948年6月2日、和歌山県和歌山市で出生。

和歌山県立桐蔭高等学校卒業。1971年和歌山大学教育学部卒業。[2]

1974年、松村信人、波多野真志と同人誌「位相」創刊、十号まで刊行。[2]

1975年、沢木進、原冬木子、雨森安雄と「仮称・同世代アンソロジィの会」を結成。以後、「交流詩」と「ANTHOLOGY'82」に詩作品、評論を発表。毎月一冊現代詩文庫を読み、作品を批評し合う現代詩研究会を中之島中央公会堂で行う。第十冊を刊行して解散。[2]

1980年2月、「詩的現代」(黒田喜夫、石毛拓郎、永井孝史、ねじめ正一、坂井信夫、麻生直子、根石吉久、川岸則夫、高木秋尾、中森美方、村島正浩ら)創刊号に参加。[2]

1980年9月、大阪文学学校の講師となる[3]

1983年5月、沢木進、原冬木子と「GEN詩KEN」を創刊。[2]

1984年3月、大阪文学学校の機関誌「文学学校」(後に「樹林」と改題)第229号に「詩誌評」を初めて書く。「樹林」第248号(1986.1)以降、詩誌評と「安西冬衛論ノート」とを隔月交代で連載。

1991年3月、当時、経済的危機にあった大阪文学学校を再建するため、一年間の約束で、松本衆司と共に、「樹林」の活性化を目指し、編集長に就任。 1992年2月、全十冊の「樹林」を編集し、大幅な購読者獲得と、特集による話題提供により、文学学校はようやく再建の兆しを見せたので、予定通り「樹林」編集長を辞任。

1996年4月、大阪文学学校の昼の詩の講座を詩話と一行詩の実作により、月一回担当する。「樹林」の詩書評を担当。 1998年4月、大阪文学学校の通信教育部のチューターに復帰、現在に至る。[1]

2004年1月、季刊「詩遊」創刊。[2]

2008年10月、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.で開催された「日米韓と音楽交流会」に参加(日本からは、他に高良留美子)、詩「書物」を朗読。[2]

2010年10月、韓国の首都ソウルで開催された「日韓詩と音楽交流会」に以倉紘平と参加。詩「仮面」を朗読。[2]

著書

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詩集

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  • 『トマト』位相出版社 1977年
  • 『聖母の月』紫陽社 1980年
  • 『大和川幻想』七月堂 1984年
  • 『馬氏の鳥』イオ・ブックス 1987年
  • 『熊楠のスカラベ』詩遊社 1996年
  • 『アジアの青いアネモネ』 詩遊社(2007年 第四回関西詩人協会賞 受賞)
  • 『言霊料理』詩遊社 2008年
  • 『祝福の城』詩遊社 2011年
  • 『真言の座』詩遊社 2014年
  • 『かなしみのかごめかごめ』詩遊社 2015年
  • 『蕪村との対話』詩遊社 2016年
  • 『恥ずかしい建築』詩遊社 2017年
  • 『白豚の尻』詩遊社 2018年
  • 『芭蕉の猿の面』詩遊社 2020年[2]
  • 『言葉遊びの猟場』詩遊社 2022年

評論集

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出典

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  1. ^ a b 担当科目:本科・専科。担当部門:通信教育部(夜・詩の連続講座講師を兼任)
  2. ^ a b c d e f g h i j 『芭蕉の猿の面』巻末「自筆年譜」より
  3. ^ 1954年7月、小野十三郎らが発起人となり創立。1973年一般社団法人・大阪文学協会が設立され、その傘下に入る。卒業生からは芥川賞田辺聖子玄月など)や直木賞朝井まかて)の受賞者を出している。他に「詩人賞」など多数。校長は2001年から長谷川龍生2014年から細見和之

関連項目

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外部リンク

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