凝然
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凝然(ぎょうねん、仁治元年3月6日(1240年3月30日)- 元亨元年9月5日(1321年9月26日))は、鎌倉時代後期の東大寺の学僧。インド・中国・日本にまたがる仏教史を研究してその編述をおこない、日本仏教の包括的理解を追究して多くの著作をのこした[1][注釈 1]。
人物略歴
[編集]建長7年(1255年)に比叡山で菩薩戒を受け[2]、東大寺戒壇院の円照に師事して通受戒を受けたほか、華厳を宗性に、律を唐招提寺の証玄に、密教と天台教を聖守に、真言教を木幡観音院の真空に、浄土教学を長西に学ぶなど博学であった[3]。とりわけ華厳教学に通じており各所で講義を行っている。円照のあとを受けて東大寺戒壇院に住し、法隆寺や唐招提寺など南都寺院を管轄した。徳治2年(1307年)に後宇多上皇が出家した際に戒師を務めた[4]。
著書『八宗綱要』は日本仏教史研究に不可欠の文献である。「八宗」とは、法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・律宗の南都六宗および天台宗・真言宗の平安二宗のことである。また、凝然は禅宗・浄土宗の鎌倉二宗を加えると「十宗」になるとも説明しており、鎌倉時代のいわゆる「新仏教」にも一定の評価を与えていた[5]。
著作(訳注)
[編集]- 『八宗綱要』 鎌田茂雄訳著、講談社学術文庫、1981年
- 『律宗綱要』 佐藤達玄訳著、大蔵出版、1994年
- 『華厳法界義鏡』 北畠典生訳著、永田文昌堂、1990年 (上巻のみ)
- 『華厳宗要義講読』 藤丸要、永田文昌堂、2014年
- 『華厳五教章通路記』- 『大日本仏教全書 仏書刊行会第9・10』 復刻:名著普及会、1977年/大法輪閣、2007年
- 『維摩経疏菴羅記』- 『大日本仏教全書 仏書刊行会 第5』 復刻:同上
- 『勝鬘経疏詳玄記』[6] - 『大日本仏教全書 仏書刊行会 第4巻』
- 『法華疏慧光記』、『浄土法門源流章』、『華厳孔目章発悟記』
- 『三国仏法伝通縁起』、『内典十宗秀句』、『内典塵露章』ほか - 『大日本仏教全書』に収む
- 『円照上人行状記』- 東大寺図書館刊、和装復刻1977年
- 『与州新居系図』、重要文化財
資料文献
[編集]- (東大寺 ザ・グレイトブッダ・シンポジウム第12号、法蔵館、2014年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 凝然の著述は、鎌倉時代のいわゆる「旧仏教」の僧侶たちが、「日本にとって仏教とは何であったか」を追究しようとした意思の現れのひとつととらえることができる。大隅(1989)p.210
参照
[編集]参考文献
[編集]- 大隅和雄「南都北嶺-旧仏教の自己変革」-『朝日百科日本の歴史 4 中世Ⅰ』野上毅編、朝日新聞社、1989年4月。ISBN 4-02-380007-4
- 細川涼一「中世律宗と国家」『日本史研究』295号、日本史研究会、1987年3月。のち著書『日本中世の社会と寺社』思文閣出版、2013年3月。ISBN 978-4-7842-1670-3
- 岡本一平「凝然『勝鬘経疏詳玄記』の研究 -成実教学を中心として-」『駒澤大学佛教学部論集』第29巻、駒澤大学仏教学部、1998年、346-358頁。
- 大谷由香「凝然の浄土教理解─『大乗起信論』三心の解釈を中心に─」『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第28巻、龍谷大学大学院文学研究科紀要編集委員会、2006年、82-94頁。