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三浦梅園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三浦 梅園
人物情報
別名 三浦晋、三浦安貞、三浦晋安貞
生誕 (1723-09-01) 1723年9月1日
死没 (1789-04-09) 1789年4月9日(65歳没)
学問
時代 江戸時代
特筆すべき概念 条理学
主要な作品 『玄語』『贅語』『敢語』(梅園三語)
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三浦 梅園(みうら ばいえん、享保8年8月1日1723年9月1日[1] - 寛政元年3月14日1789年4月9日[1])は、日本江戸時代思想家、自然哲学者、本職は医者。豊後国大分県国東市安岐町富清)の出身。名は晋(すすむ)[1]、字は安貞[1]帆足万里広瀬淡窓と並んで「豊後の三賢人」と称される[2]

人物

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遠祖は相模国三浦の人で鎌倉幕府に仕えたが[1]、わけあって豊後国国東に移り住んだとされる[1]。祖父の代から医術を家業とした[1]。16歳のころ、綾部絅斎藤田敬所に師事する[1]。23歳で長崎・太宰府方面を遊学し[1]、28歳で伊勢神宮に参拝し、晩年長崎を再び旅する[1]。それ以外は郷里の国東で過ごし、再三にわたる諸侯の招聘も断り続けた[1]

特定の学派に属さず、独自の学問大系である条理学を築き『玄語』『贅語』『敢語』を著した[1]。これらは、梅園自身によって「梅園三語」と命名された[1]この三著作が梅園の思想の骨格をなすのである。このうち『贅語』と『敢語』は完成したが、『玄語』は37年の歳月を費やして、ついに完成できなかった。[要出典]

「梅園三語」以外の著書には、詩学概論『詩轍(してつ)』、経世論『価原』、医学書『身生餘譚』『造物餘譚』などがある。『価原』は社会経済史からも注目される文献である[1]

また、読書日記『浦子手記』には、道家の系譜の哲学概論『淮南子』、西洋天文学説『天経或問』をはじめ、『荘子』『列子』、宋学、朱子学仏教書などの数多くの書名も記されており、三浦梅園の思考はこれら漢籍の教養の上に成立していた。また、中国の陶弘景韓康伯の人となりを慕っていたという。[要出典]

没後

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明治30年代(1900年前後)頃、内藤湖南富永仲基山片蟠桃と合わせて再評価したのをきっかけに、全国的に有名になった[3]

明治45年(1912年)、従四位を追贈された[4]

21世紀現在では、地元安岐町に旧宅や墓(国史跡)があり[5]、近くには宿泊施設、キャンプ場、天文台、園などからなる複合施設「梅園の里」や、膨大な自筆稿本類すべてが保管されている「三浦梅園資料館」(2006年設置[6])がある。保管物にはメルカトル図法で描かれた世界地図(梅園自身の筆写)や南天図・北天図(南半球・北半球の星図。同前)などもある。

校訂本

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  • 「三浦梅園書簡集」小野精一編 第一書房 1943
  • 『三浦梅園集』三枝博音編 岩波文庫 1953、復刊1991ほか
  • 「多賀墨郷君にこたふる書」『日本哲学思想全書 第2巻 (思想 思索篇)』三枝博音・清水幾太郎編 平凡社 1955
  • 「道徳」『日本哲学思想全書 第19巻 (歴史・社会 歴史論篇・社会篇)』平凡社 1956
  • 「戯示学徒」『日本哲学思想全書 第7巻 (科学 学問篇)』平凡社 1956
  • 「玄語」『日本哲学思想全書 第1巻 (思想 哲学篇)』平凡社 1957
  • 「敢語」『日本哲学思想全書 第14巻 (道徳 儒教篇・道徳論一般篇)』平凡社 1957
  • 「価原」『日本哲学思想全書 第18巻』平凡社 1957
  • 『医学古典集 第3 造物余譚』日本医史学会編 医歯薬出版 1958
  • 『梅園全集』梅園会編 名著刊行会 1970
  • 「玄語本宗」『日本の思想 18 三浦梅園ほか』中村幸彦編 筑摩書房 1971
  • 「梅園拾葉」『日本随筆大成 5』第2期、吉川弘文館 1974
  • 『玄語図全影 三浦梅園手蹟依據』辛島詢士編 梅園研究所 1975
  • 『三浦梅園 日本教育思想大系』日本図書センター 1979
  • 日本思想大系 41 三浦梅園』島田虔次田口正治校注 岩波書店 1982。「玄語」ほか
  • 日本の名著 20 三浦梅園』山田慶児責任編集[7] 中央公論社 1982、新版・中公バックス 1984
玄語(抄) ほか現代語訳。訳者は他に吉田忠(東北大学教員)
  • 『近世儒家資料集成 第1・2巻 三浦梅園資料集』高橋正和・五郎丸延編 ぺりかん社 1989
  • 『三浦梅園遺墨撰集』三浦梅園研究会 1993
  • 『三浦梅園自然哲学論集』尾形純男・島田虔次編注訳 岩波文庫 1998
  • 『玄語 現代語訳』狹間久訳 大分合同新聞社 2009

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第5巻』岩波書店、1984年10月、587頁。 
  2. ^ 三浦梅園資料館 | 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト”. www.visit-oita.jp. 公益社団法人 ツーリズムおおいた. 2022年10月23日閲覧。
  3. ^ 島田虔次三浦梅園の哲學 : 極東儒學思想史の見地から」『東洋史研究』38-5、東洋史研究會、1979年。2頁。
  4. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.30
  5. ^ 三浦梅園旧宅』 - コトバンク
  6. ^ 国東市三浦梅園資料館条例”. www1.g-reiki.net. 2023年4月15日閲覧。
  7. ^ 解説著作は『黒い言葉の空間』(中央公論社 1988年)で新版再刊

参考文献

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  • 『三浦梅園自然哲学論集』岩波文庫 1998

関連文献

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  • 三枝博音『三浦梅園の哲学』第一書房 1941
    • 『三枝博音著作集 第5巻 三浦梅園・日本文化論』中央公論社 1972
  • 田口正治『三浦梅園』吉川弘文館・人物叢書 1967、新版1989
  • 田口正治『三浦梅園の研究』創文社 1978
  • 三浦頼義『三浦梅園伝』草土文化 1981
  • 高橋正和『三浦梅園の思想』ぺりかん社 1981
  • 橋尾四郎『三浦梅園の教育思想研究』吉川弘文館 1983
  • 山田慶児『黒い言葉の空間 三浦梅園の自然哲学』中央公論社 1988
  • 小川晴久『三浦梅園の世界 空間論と自然哲学』花伝社 1989
  • 岩見輝彦『三浦梅園の聲主の学 『玄語』初期稿本の研究』汲古書院 1990
  • 高橋正和『三浦梅園 叢書・日本の思想家 23』明徳出版社 1991
  • 壺井秀生『三浦梅園の思想体系 自然と道徳』全道舎 1993
  • 浜松昭二朗『現代に生きる三浦梅園の思想』光陽出版社 1999
  • 狹間久『「三浦梅園」は「三浦安貞」に改めよう』大分合同新聞社 2010
  • 松尾龍之介『鎖国の地球儀』弦書房、2017

外部リンク

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