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利用者‐会話:とおりすがりの猫

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--とおりすがりの猫会話2018年7月16日 (月) 06:30 (UTC)[返信]

「戦艦大和ノ最期」における改変について[編集]

こんにちは。あなたは出典内容と全く異なる意味合いに改竄していたり(林房雄は三島に一読を勧めてから読んでいるので、あなたの編集方法は虚偽情報となります)、正確な引用を理由もなく消していたりするので、差し戻させていただきました。これ以上またルール違反のおかしな編集を繰り返えすようであれば、先日の「吉田満」でのおかしな冒頭の定義文の改変のこともあるため、あなたに対する本格的な対処を考えさせていただきます。--みしまるもも会話2021年7月10日 (土) 00:13 (UTC)[返信]

三島由紀夫の本書への跋文全文の掲載は、違法でしょう。--とおりすがりの猫会話2021年7月10日 (土) 03:13 (UTC)[返信]


>林房雄は三島に一読を勧めてから読んでいるので、あなたの編集方法は虚偽情報となります。

ご指摘いただき、ありがとうございます。これは本書初版の中の跋文の中での、三島と林の文章についての対比についての記述であり、時系列的には三島が読んでのち林が読んだことに関しては触れていませんが、そのことは踏まえて書いています。文章が誤って理解される恐れがあることは理解しました。以後注意します。---とおりすがりの猫会話

  • あなたは、三島が林房雄に一読を勧めていた、という私の説明部分を故意に削除しているので、その言い訳は通りません。そして、その説明を理解していれば、三島が林房雄に伝えている言葉の前に、林房雄の言葉が来るような全くおかしな時系列にしないはずです。また、あなたは「本書初版の中の跋文の中での、三島と林の文章についての対比についての記述」と言ってますが、あなた自身が三島の跋文を全文削除しているので、何の対比にもなっておらず、これも全くのでたらめな言い訳です。
  • 著作権については、特に長くもない文章ですし、きちんと引用符をつけて、その発言者名と出典元をきちんと明記していれば著作権違反とはなりません。
  • むしろ、あなたが林房雄の言葉として引用しているように、「(イエス・キリスト)」という文言を入れ込んだりして、ところどころ改竄しながら省いて引用する方が、故意に偏向・改竄しており著作権違反となります。あの林房雄の言葉の出典名が書かれていませんが、ちゃんと明記してください。直に私の目で確認させていただいてから、もしも「(イエス・キリスト)」という文言が無かった場合、ルール違反行為(内容改竄)として、何らかの対処をさせていただきます。--みしまるもも会話2021年7月10日 (土) 05:51 (UTC)[返信]


ご指摘いただき、ありがとうございます。みしまるももさんのご指摘の点は改善しています。またお気づきのことがあれば教えて下さい。ところで、「戦艦大和ノ最期」で数人いる作家を無視して、なぜ三島由紀夫だけの跋文を全文載せるのか当該書籍での記事での必要性を、ノート:戦艦大和ノ最期に書いてください。---とおりすがりの猫会話2021年7月10日 (土) 11:26 (UTC)[返信]

とりあえずお答えを書いておきます。

>あなたは、三島が林房雄に一読を勧めていた、という私の説明部分を故意に削除しているので、その言い訳は通りません。

ここで一番問題になるのは、三島が林に、書下ろしの写筆を薦めたのか?幻の初版の版下を薦めたのか?それとも、刊行された初版の版下を薦めたのか?です。あなたが書いた文ではどの時点で三島が林に薦めたのかが、全く不明なのです。これらは微妙に内容が違い、だから消さざるを得ませんでした。ただし、三島の批評に関しては「検閲まえの書下ろし作品について」と言葉を換えて載せています。

>そして、その説明を理解していれば、三島が林房雄に伝えている言葉の前に、林房雄の言葉が来るような全くおかしな時系列にしないはずです。

これは「跋文」の対比です。だから時系列は跋文の出版時で同時で評価は跋文のみです。跋文の順序は林が先で川上の次に三島となっています。そして三島と林だけが「テルモピレーの戦い」を別の意味で書いていますが、林の文は三島の文と対立しています。

>三島の跋文の要約はまた、あなたは「本書初版の中の跋文の中での、三島と林の文章についての対比についての記述」と言ってますが、あなた自身が三島の跋文を全文削除しているので、何の対比にもなっておらず、これも全くのでたらめな言い訳です。

跋文の要約として「1952年(昭和27年)の刊行本の三島由紀夫の跋文は、短い簡潔な文章ながらも、いつの時代も青年が抱く「生」の意義、「絶対」との邂逅の希求から、戦艦大和の戦いの持つ哲学的な意味を綴っている(三島由紀夫「一読者として」(吉田満著『戦艦大和ノ最期』創元社、1952年8月)。とあります。これは作文ではなく跋文の要約ではないのですか?

とにかく、本書を読んでから、本書について投稿してくださるようにお願いします。これは吉田満の「戦艦大和ノ最期」で、三島由紀夫の「戦艦大和ノ最期の批評」の記事ではありません。賞賛と言うなら阿川弘之も絶賛しています。三島だけにこだわり三島との関係を中心にする記事にしないでください。---とおりすがりの猫会話2021年7月10日 (土) 12:18 (UTC)[返信]

  • あなたのいう「書下ろしの写筆を薦めた」「幻の初版の版下を薦めた」のどちらか解らないという言い訳こそ、全くの意味不明です。そもそもこの作品は書き下ろしではないです。書き下ろしの意味さえも知らないなら、文学系の記事をいじらないでください。そして、私はちゃんと、「改定稿が「細川宗吉」名義で1947年(昭和22年)に『新潮』に掲載された際、三島は直接吉田に会って検閲前の初稿を読ませてもらっており」と明記し、その原文に対する三島の感想と共に「林房雄に伝えて一読を勧めていた」ときちんと書いています。出典にも三島が林に一読を勧めた日付がちゃんと書いています。それでも、三島がいつ何を読んでどうしたかが解りませんか? その程度の読解力しかないのであれば、記事編集に関わらないでください。あなたのその言い訳は、私の説明書きを全部削除した理由にはなりえません。
  • 三島にこだわり、三島の言葉や、三島が吉田と親交を持っていたことを目の敵にして削除しているのは、あなたではないですか? キリスト教信者のあなたが三島のことを大嫌いなことは、これまでの発言などから承知しておりますが、だからといってそういう個人的な感情で、三島と吉田が親交を持っていたという客観的事実や、三島の作品評価まで削除するのは異常です。ウィキペディアの編集上からも、特別な宗教の目線から編集を改竄したりすることは、れっきとした違反行為となります
  • そして、三島の跋文はもうだいぶ昔に私が加筆したものですが、私はこの作品の評価の一つとして、私が専門的に知っていた三島の跋文を書いただけであり、他の作家の作品評価も分ればちゃんと加筆しますよ。三島の跋文だけがあるからといって、別に記事全体が三島中心になっているわけもなく、そういう見方をするのは、あなたの三島に対する反感からではないですか。吉田満の記事でも、吉田が帝大法学部で三島の2年先輩にあたるという文言を、黙って恣意的に削除していたのを私はちゃんと見ていましたよ。今も三島との親交に関するところを執拗に削除していますが、あなたが吉田の出典を知っているのに(あなたは吉田の文章を全て読破しているのでしょう?)、故意にそれを削除しているとすれば、これもれっきとした違反行為となります。--みしまるもも会話2021年7月11日 (日) 01:20 (UTC)[返信]


>書き下ろしの意味さえも知らないなら、文学系の記事をいじらないでください。< 先ず暴言は謹んで下さい。

>私はちゃんと、「改定稿が「細川宗吉」名義で1947年(昭和22年)に『新潮』に掲載された際<  本篇は当初吉田が個人の記録として昭和20年の秋に書いたもの(A稿)です。次に他人が読むことを意識して手を入れています(B稿)。評判となり写筆本が流通しました(C稿=書下ろし)。おそらくC稿を大学時代に三島は読んでいます。林に薦めたのもこれでしょう。次に昭和22年に「創元」での出版に向けて手を入れたが、検閲でボツとなった原稿と版下(D稿)があります。昭和22年に検閲で口語体にさせられた新潮掲載の「戦艦大和」(E稿)。つまりあなたは、「戦艦大和ノ最期」の記事の中で、口語体の「戦艦大和」の記事を書いているのです。文体の違いだけでも別の作品です。あなたの文章ではどの稿か特定できません。読解力云々をいうなら誰もが誤りなく理解するように書いてください。

>専門的に知っていた三島の跋文を書いただけであり、他の作家の作品評価も分ればちゃんと加筆しますよ。< 知っていたから書いただけとかだけは勘弁してください。普通に図書館にある本で、非専門的でよいから調べてから投稿してください。なんどもお願いしていますが、せめて本篇を読んでから投稿してください。お読みになって頂けてますか?

>キリスト教信者のあなたが三島のことを大嫌いなことは< このように相手の宗教を勝手に推察して個人攻撃を書くのはウイキペディアに限らず、今の世界では重大なルール違反です。三島嫌いとクリスチャンには、どのような関係があるのでしょうか?謝罪を要求します。

ギリシャ文化はキリスト教と共通するヨーロッパ精神文化の神髄です。キリスト教との対立はありません。キリスト教を知るのはヨーロッパ文化を理解するためには必要不可欠で、三島も当然理解しています。それゆえ日本的なものを求める彼は、彼はキリスト教の根源のギリシャ文化へと飛躍してその影響から脱しようとしたのです。これはいわば定石です。

>吉田満の記事でも、吉田が帝大法学部で三島の2年先輩にあたるという文言を< 三島は東京大学法学部卒です。このままでは三島が旧東京帝大卒となるから、消しています。例えば横溝正史は阪大ですが、司馬遼太郎も阪大でしょうか?そもそも帝大は日本に一つなのでしょうか?

>今も三島との親交に関するところを執拗に削除していますが< 言いがかりはやめてください。妻に死期迫る中、口述筆記を頼んで仕上げた絶筆を三島との思い出話にしたうえ、わたしをあらし呼ばわりしたとをお忘れなきよう。

繰り返しになりますが、なぜ三島由紀夫だけの跋文を全文載せるのか当該書籍での記事での必要性を、ノート:戦艦大和ノ最期に書いてください。なぜ全文なんですか?---とおりすがりの猫会話2021年7月11日 (日) 21:17 (UTC)[返信]

  • なにか、様々に言い訳じみたことばかり述べていらっしゃいますが、結局は私の説明書きを故意に恣意的に削除したことに対する納得できる明確なお答えは全くありませんね。
  • 三島由紀夫の跋文は、たったの3文ですよ? それのどこを省けというのですか? たったあれだけの短文のどこかを省いたら、逆に意味が正確に伝わらなくなりますし、あなたが林房雄の跋文でやったような恣意的な抜粋のような感じでよく分らなくなります。
  • 三島が卒業した時は東京大学という名称だから、みたいな言い訳も見苦しすぎます。2人とも同じ東京帝国大学法学部で吉田が三島の2年先輩なのは事実でしょうに。
  • 吉田がニューヨークでの三島との思い出を書いていたという注釈に関しても、その随筆が所収されている本の名前(『戦中派の死生観』)であっても、出典明記として十分に通用するのに、あなたは恣意的な理由付けでばっさり全文削除していましたが、そのルール違反についても全く反省がみられませんでした。
  • これ以上、あなたが私の説明書きや、元からどなたかが加筆されていたものを恣意的・故意的に削除したことに対する何の反省もみられない場合、あなたに対する本格的な対処を考えさせていただきます。--みしまるもも会話) 2021年7月12日 (月) 01:10 (UTC) 補記--みしまるもも会話2021年7月12日 (月) 01:31 (UTC)[返信]
    言い訳?侮辱的言辞を慎まれるよう再度お願いします。
    不法行為の疑いがあると当初より申し上げています。
    あなたの投稿は、「著作権法上保護の対象となる著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものであることを要し、これをもって足りる。」
    また、「本件各手紙は、いずれも、被告福島との往復書簡であり、特定の者に宛てられ、特定の者を読み手として書かれたものであって、不特定多数の読者を想定した文芸作品とは性格を異にする。しかし、「本件各手紙には、単に時候の挨拶、返事、謝礼、依頼、指示などの
    事務的な内容のみが記載されているのではなく、三島由紀夫の自己の作品に対する感慨、抱負、被告福島の作品に対する感想、意見、折々の心情、人生観、世界観等が、文芸作品とは異なり、飾らない言葉を用いて述べられている。本件各手紙は、いずれも、三島由紀夫の思想又は感情を、個性的に表現したものであることは明らかである。」
    以上のとおり、本件各手紙には著作物性がある。よって、三島由紀夫は、本件各手紙の著作者として、本件各手紙に係る公表権及び複製権を有していた。」ー東京地判平成11年10月18日 (判時1697号114頁)および(仮処分:東京地決平成10年3月31日、控訴審:東京高判平成12年5月23日、上告審:最判平成12年11月9日)ーより、あなたに複製権がないなら不法行為となる可能性があります。
    どこかの国の役所の奇妙な見解など、上記文章の前には無味です(昭和60(あ)457 最判小 昭和62年7月16日刑集第41巻5号237頁)。要約がわからないら、わかるように要約なさることです。あなたがそれを出来ないなら手を出さぬより方はありません。--とおりすがりの猫会話2024年3月15日 (金) 12:33 (UTC)[返信]