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利用者‐会話:ラッパラー

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ラッパラーさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Tribot 2011年1月14日 (金) 17:07 (UTC)[返信]

朝日新聞についての記述 

[編集]
  • ラッパーさんはソースを要求する一方で、ソースにつながる記述を削除していて一貫しません。ちょっと頭冷やされた方がいいと思います。なお、ソースについては[要出典]というマークを貼っておく方がベターです。
  • また、アサヒる問題も関連事例を簡単に削除される方向で編集されていて情報隠蔽を疑われます。すこし冷却期間をおいて議論した方がいいと思います。Nakata88 2011年1月16日 (日) 10:26 (UTC)[返信]
  • 不利だとかかかれてますがしばらく安定していた記述をラッパラーさんが大規模削除したわけですし、改変したのはラッパラーさんなわけですから、なるべくソースを要求するのがそれ以前の編集者に対する礼儀だと思いますよ。とりあえず、興奮されているみたいですし、3RRでもう編集しばらくできないので、議論もしばらく時間をおいた方がいいと思います。Nakata88 2011年1月16日 (日) 11:05 (UTC)[返信]
これ以降、Nakata88さんと会話ページで議論することはないでしょう。該当ページのノートでお会いしましょう。
改めて申し上げますが、第三者が記述した内容ならここまでこじれません。問題なのは、Nakata88さんが記述した張本人にもかかわらず、ソースを提示できないということです。即ち、あなたの記述は個人的な感想・妄想(と判断されても仕方がない)ということです。そのような記述は維持不可能ですから、削除が妥当です。あなたが自身の記述の根拠を提示しない限り、第三者も交えたノートの議論では相手にされないと思いますが、どうするおつもりですか?そのあたり、ノートでのご活躍に期待します。--ラッパラー 2011年1月16日 (日) 11:20 (UTC)[返信]
  • ご返答しておきました。ラッパラーさんは興奮しやすい方みたいですが、議論と関係ないことについて長々と書き込むのは感心できません。そのような行為は無用な混乱を生みます。焦点を絞って、議論してください。Nakata88 2011年1月18日 (火) 01:02 (UTC)[返信]
自分に不利な事柄について無視する、また論点をずらして誤魔化す姿勢の徹底はさすがです。まるで朝日新聞のようですね。あまりに予想通りの展開で呆れますが、Nakata88さんのメンタリティを表わしているのだと理解しています。--ラッパラー 2011年1月18日 (火) 17:20 (UTC)[返信]
  • ラッパラーさんはWP:NPAを一度読まれることをお勧めします。論争の当事者が自分の責任を捨象してその一方を攻撃できるようにはウィキペディアのルールはラッパーらさんに都合良くありません。
  • 朝日新聞社員の問題は一当事者の問題であり朝日新聞社の問題ではないと簡単に書いておきながら、論点をごまかすのは朝日新聞社のようですねと書けるあなたはちょっと、論理的に整合性がないと思います。この場合の朝日新聞社というのはなんなんでしょうか?構成員をはなれて独立した人格があるんですか?かなり不思議な表現ですね。Nakata88 2011年1月19日 (水) 09:52 (UTC)[返信]

個人攻撃はやめてください。個人攻撃はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。ラッパラーさん。[1]これは、つきまとい行為でもあり、個人攻撃でもあります。WP:NPAを読んでください。また、つきまとい行為はしないでください。その記事に関係ない問題をあげて議論するのはウィキペディアでは推奨されません。これは最終警告です。 Nakata88 2011年1月19日 (水) 10:15 (UTC)[返信]

そろそろ名前の間違えを指摘するのも飽きてきました。
ちゃんと問題の経緯を読んで意見しているのですから、つきまとい行為というレッテルを張るのは感心しませんね。Nakata88さんが現在渦中にある論争の全てに顔を出しているわけではなく、個人的にあなたの方に非があると考えたページにだけ意見を述べました。私に対して、頭を冷やすよう促した当人が興奮しちゃまずいでしょう。ミイラ取りが何とやらです。
それでは、該当記事のノートでまたお会いしましょう。--ラッパラー 2011年1月19日 (水) 19:08 (UTC)[返信]
  • この書き込みは当該記事の編集の議論を超えて、私に対する攻撃になっているため、つきまとい行為、かつ、個人攻撃です。[2]。上記の警告は最終的なものです。同様の行為をくり返すなら、次回は警告なく対処します。Nakata88 2011年1月19日 (水) 23:01 (UTC)[返信]
Nakata88さんがつきまとい行為・個人攻撃だと感じるなら仕方が無いですね。ブロック依頼を提出されても面倒なだけです。当該ノートで議論しましょう。--ラッパラー 2011年1月20日 (木) 06:37 (UTC)[返信]
  • 当該ノートで「当該記事に関係ある範囲での」批判でお願いします。なお、同様の行為をくり返すなら、対処すると宣言しているだけです。そのようなことされなければ問題ありません。Nakata88 2011年1月20日 (木) 07:11 (UTC)[返信]

白虹事件の記述について 

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こちらはちゃんと文献を見ながら編集しているのに、ソースもないのに思い付きで書き換えないで下さい。他人にはソースを要求し、自分はそうしないというのは、他人に厳しく自分に甘いダブルスタンダードです。--Webster 2011年5月18日 (水) 12:12 (UTC)[返信]

具体的にどの部分でしょう?--ラッパラー 2011年5月18日 (水) 16:06 (UTC)[返信]
2011年5月17日 (火) 15:54の版での書き換えです。--Webster 2011年5月19日 (木) 11:54 (UTC)[返信]
見直しましたが、間違っているようには思いませんでした。
「三井銀行は創刊期の朝日新聞社に対して政府と共に経営資金を援助しており、当時の朝日新聞は御用新聞化していた」のではないですか?
注書きで「当時」としたら、それは注がついた本文で扱われている当時、ここで言えば鈴木商店焼き打ち事件当時としか読めません。少なくとも、私にはそうとしか受け取れませんでした。--Webster 2011年5月20日 (金) 11:14 (UTC)[返信]
そうだろうなと思って、わざわざあなたのコメント「有山輝雄の論文によれば、朝日が正式に政府・三井銀行の御用新聞だったのは1894年まで。」の通りに修正したら、「2011年5月20日 (金) 11:15」の編集であなたは全リバートしました。現在の「系列の三井銀行は創刊期の朝日新聞社に対して、政府と共に経営資金の援助をし、御用新聞化していた。」では、鈴木商店焼き打ち事件当時も朝日新聞は御用新聞だったという印象を持ちます。--ラッパラー 2011年5月20日 (金) 12:06 (UTC)[返信]
それより、朝日が政府・三井の御用新聞だった時代からの「阿吽の呼吸」を引き摺っていた可能性は大いにある。というあなたの考え方は問題だと思います。白虹事件は1918年、御用新聞だったのは1894年までなら、ソースがなければ両者を結び付けるのは独自研究になります。有山輝雄の論文にそう書いているなら問題ありませんが、そうでないなら、あなた自身が「可能性は大いにある」と考えることに何の価値もありません。--ラッパラー 2011年5月19日 (木) 12:06 (UTC)[返信]
あなたも思い込みの激しい、白黒二元論者ですね。物事にはグレーゾーンがあるのですよ。しかもあなたは、私が白虹事件のページからリンクを貼った上野理一の項目を読んでいないでしょう。上野理一は実兄豊田善右衛門が三井財閥系列企業のトップという三井財閥関係者であり、上野の朝日に対する出資は当初極秘にされ、しかも三井糸店当主である実兄が保証人となって上野の資金を調達したといわれていると、朝日の社史類である『上野理一伝』と『朝日新聞社史 明治編』が認めています。上野理一は、三井財閥から朝日に送り込まれたお目付役のような存在だったのでしょう。したがって、鈴木商店焼き打ち事件・白虹事件当時の朝日が政府・三井の御用新聞だと書けば間違いですが、三井財閥関係者である上野理一が朝日の№2ですから、三井と朝日の間には何も関係がなかったとするのも間違いです。それでは、三井と朝日の関係はどの程度だったかというと、グレーゾーンではっきりしません。その先に踏み込めば独自研究です。しかし城山三郎のいう「三井と朝日の『共同謀議』」が成り立つ下地は、社史類の記述からして十分にあったといってよいでしょう。だからここの注の記述は、グレーゾーンを残した余韻のあるものにする必要があるのです。
文献も読まずに書き換えないで下さい。読んで編集している人間に失礼です。--Webster 2011年5月20日 (金) 11:14 (UTC)[返信]
「系列の三井銀行は創刊期の朝日新聞社に対して、政府と共に経営資金の援助をし、御用新聞化していた。」がグレーゾーンを残した余韻のあるものなのですか?私には理解できません。「系列の三井銀行は創刊期の朝日新聞社に対して、政府と共に経営資金を援助していた。そのため、朝日新聞は1894年まで、政府・三井の御用新聞だった。」の方が、ソース付きで100%正確な書き方だと思います。グレーゾーンや余韻はウィキペディアには必要ないと思います。重要なのは「検証可能性」ですからね。--ラッパラー 2011年5月20日 (金) 12:06 (UTC)[返信]
三井と朝日の関係が、御用新聞の契約が切れた後も続いていたのは、三井財閥関係者の上野理一が朝日幹部としていることから言って確実です。これは推測ではなく、社史類が認めていることです。1894年で三井と朝日の関係が切れてしまったように書くことは、事実に反します。--Webster 2011年5月20日 (金) 12:17 (UTC)[返信]
それなら、以下の書き方でどうでしょう?
系列の三井銀行は創刊期の朝日新聞社に対して、政府と共に経営資金を援助していた。そのため、朝日新聞は1894年まで、政府・三井の御用新聞だった。また、三井財閥関係者の上野理一は、村山龍平と共に当時の朝日新聞社の経営を担っており、白虹事件の後は村山に代わって上野が社長職に就いた。
あと、「文献も読まずに書き換えないで下さい。読んで編集している人間に失礼です。」とのことですが、明らかな虚偽を書いたのならまだしも、「当時」という単語の受け取り方を取り上げてその言い方は頂けませんね。もっとはっきりと「私の癇に障ったことを謝れ」と言った方が良いのでは?--ラッパラー 2011年5月21日 (土) 14:45 (UTC)[返信]
そもそも、あなたが付けた注1と注3自体が不必要だと考えます。あなたは、大阪朝日が鈴木商店を「攻撃」したという記述を毎度「報道」にリバートし、朝日の社史にもそう書いてあると指摘したらリバートをやめましたが、城山三郎の『鼠』を読んでいれば、そんな発想は起きなかったはず。また城山が「三井」と書いているのをそのまま「三井」と書いたら、「三井財閥」と書き直し、城山が単に「三井」と書いていると指摘したら、「三井」に戻しています。こういったことから言って、朝日の社史類や研究書・論文だけでなく、文庫本で読める『鼠』さえ読んでいないことが明らかです。そして注1は、『鼠』の本の内容について語っているのに、注を『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』から付けたら、「私は『鼠』も読んでいない無教養な人間です」と白状しているようなものです。したがって、注1は不要です。
注3については、朝日が明治14年政変の翌年から政府・三井の経営資金援助を受ける御用新聞社となったということは、白虹事件の項目のリード内にある朝日新聞の項目に書かれており、上野理一は、実兄が三井糸店当主で三井財閥につながる人物であることは、白虹事件の項目の本記に付け加えた上野理一の項目に書かれています。それを注の中でゴチャゴチャ書かれることは、くどいだけで、ウィキペディアのリンク機能の有効性を無視しています。だから基本的に注3もいらないと思います。
必ずしも一般書とは言えない朝日の社史類や研究書・論文だけでなく、通俗書の『鼠』さえも読まないで、読み込んでいる人間の記述をリバートしたりするのは、百年早いと思いませんか?--Webster 2011年5月22日 (日) 14:49 (UTC)[返信]
注1は「攻撃」のソースとして必要です。注3は、なぜ三井と朝日が共謀する必要があったのかというソースとして必要です。本記事の記述のソースは基本的に本記事内で完結すべきであり、リンク機能を過大評価してはなりません。本記事を閲覧したユーザが、朝日新聞や上野理一の記事を必ず閲覧するとでも?
「百年早い」ですか。なかなか素直な表現になってきましたね。良いことです。--ラッパラー 2011年5月22日 (日) 15:15 (UTC)[返信]
なんで一番肝心な『鼠』を頑なに読もうとしないんですかね。さして分厚くもない文庫本なのに。読めば、自分の付けた注が、いかにみっともないものであるか分かるはず。言われて読むのはプライドが傷付く? それとも「ゆとり」で本なんか読めないとか?--Webster 2011年5月24日 (火) 12:36 (UTC)[返信]
大丈夫ですか?素直を通り越して暴走気味ですよ。
現状の記述では、白虹事件当時(鈴木商店焼き打ち事件当時)も朝日新聞は御用新聞だったようなニュアンスを含んでいるのはお分かりですか?あなたもそれは違うと言っているのですから、そのようなニュアンスの無い記述に直そうというだけのことです。あなたが拘っていらっしゃる「グレーゾーンを残した余韻のあるもの」は、得てして独自研究を含有する危険をはらんでいます。そして、ウィキペディアに必要なのは検証可能性であり、グレーゾーンや余韻ではありません。これは理解できていますか?
あと、再度述べますが、本記事の記述のソースは基本的に本記事内で完結すべきであり、リンク機能を過大評価してはなりません。本記事を閲覧したユーザが、朝日新聞や上野理一の記事を必ず閲覧するとでも?--ラッパラー 2011年5月24日 (火) 15:52 (UTC)[返信]
このまま反応がなければ、系列の三井銀行は創刊期の朝日新聞社に対して、政府と共に経営資金を援助していた。そのため、朝日新聞は1894年まで、政府・三井の御用新聞だった。また、三井財閥関係者の上野理一は、村山龍平と共に当時の朝日新聞社の経営を担っており、白虹事件の後は村山に代わって上野が社長職に就いた。とします。--ラッパラー 2011年5月28日 (土) 14:48 (UTC)[返信]
白虹事件時の上野理一が朝日新聞社の経営を担っていたと言えるかは、甚だ微妙。以前は村山と1年交替で社長を務めていたのが、上野は高血圧のため2年間、社長から遠ざかっており、白虹事件で1918年10月に社長に復帰した後、1年も経たない1919年8月の株式会社化で社長を退き、同年12月に脳血栓で死去しています。つまり白虹事件後の社長復帰がかなり無理をしており、肉体的に村山龍平との共同経営と言える状態だったのか、疑問の余地があります。
>素直を通り越して暴走気味ですよ。
暴走しているのはあなたでしょう。城山三郎が『鼠』の中で「三井と朝日の『共同謀議』」という仮説を立てているのは事実ですが、そもそもその仮説は事実かどうか分からないグレーゾーンです。したがって、そのグレーゾーンである城山三郎の仮説を、白虹事件時の上野理一の社内的位置も知らないようなあなたが、より三井と朝日の関係を強調しようとする編集は、独自研究でさえない、思い込みです。あなたに城山三郎ほどのネームバリューがあればともかく、全く無名の一市井人なのですから。しかも、城山三郎が朝日と三井の特殊な関係を知っていたならまだしも、『鼠』を読む限り、そんな気配は微塵も感じませんから。――ああ、あなたは『鼠』を読んでいないから、それに基づいた議論をしてもムダなのでしたね。
>本記事を閲覧したユーザが、朝日新聞や上野理一の記事を必ず閲覧するとでも?
ああいう書き方をしたら、少なくとも上野理一は、普通は一度は閲覧するのではないですか?
>現状の記述では、白虹事件当時(鈴木商店焼き打ち事件当時)も朝日新聞は御用新聞だったようなニュアンスを含んでいるのはお分かりですか?あなたもそれは違うと言っているのですから、
白虹事件時に朝日が政府の御用新聞でなかったのは自明でしょう。
なお、あなたがやたらとこだわっていた注1は不要です。『鼠』について説明している段落ですから。
この事件に関する記述で私に文句をつけたければ、最低限、『鼠』、『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』を読んでからにして下さい。思い付きで人に食って掛かるのは、非常に無礼です。--Webster 2011年5月29日 (日) 04:50 (UTC)[返信]
お久しぶりです。しばらくかまってくれなかったので寂しかったですよ。相変わらずお元気そうで何よりです。
「白虹事件時に朝日が政府(と三井?)の御用新聞でなかったのは自明でしょう」とのことですが、そう読み取れない記述だから書き直したのに、あなたがリバートしたのをお忘れですか?その理由は「グレーゾーン」とのことですが、それは得てして独自研究を含有するから駄目だというのが私の考えです。該当文献を読むよう促されていますが、今回の個所に限ってはその必要はありません。それ以前の、日本語能力の問題ですからね。
とりあえず、本文を微修正しました。注は全て必要です。不満は残りますが、これでお互い許容できるなら妥協案としても良いです。--ラッパラー 2011年5月29日 (日) 10:51 (UTC)[返信]
>そう読み取れない記述だから書き直したのに、
そもそも、政府からの言論弾圧事件に関する項目のサブ項目なのだから、政府の御用新聞でないのは自明です。そう読み取れないとすれば、あなたの頭が悪いからです。
>独自研究を含有するから駄目だというのが私の考えです。
独自研究を持ち込んでいるのは、あなたの方です。ここの項目で注3をつけ、三井の資金援助の話を持ち込んだのは、あなたであることをお忘れなく。城山三郎説のグレーゾーンは、城山三郎というビッグネームに担保されており、文庫本にもなっていますから、かなり広く社会にも行き渡っています。しかも城山三郎は元大学の研究者だった人で、本名で論文も発表しています。ただの小説家ではありません。
個別の論点に移れば、注4は鈴木商店焼き打ち事件の第1段落すべてにかかる注で、あの位置に動かしたら意味が違ってしまいます。したがって、あなたが注1をつけて『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』を出店とした部分も、当然ながら『鼠』が出典であり、注1は削除します。鈴木商店焼き打ち事件・白虹事件当時の、上野理一が半ば引退した朝日新聞社の村山龍平社長-鳥居素川大阪朝日編集局長のラインが三井系という心証も取れないので、注3も削除します。城山三郎も証明できていませんから、『鼠』を出典とするこの段落に入れるのは不適当です。
>該当文献を読むよう促されていますが、今回の個所に限ってはその必要はありません。
大ありです。現にあなたは『鼠』の内容を知らないから、注4の位置を動かして、意味を変えてしまっています。
とにかく、文庫本1冊でも読めば、最低限の共通の土俵ができるのに、それさえも拒否されるようでは、あなたの知的誠実さを疑わざるを得ません。--Webster 2011年5月31日 (火) 11:56 (UTC)[返信]
>政府からの言論弾圧事件に関する項目のサブ項目なのだから、政府の御用新聞でないのは自明です。
「御用新聞化していた」だけでは、その期間が不明瞭に受け取られることに気付かないのですか?それがあなたの言うところの「グレーゾーン」なら、お互いの主張が交り合うことはないでしょうね。それに、三井をお忘れですよ。なぜ朝日が三井と組んだ(と城山三郎が考えた)のか説明するところなんですから。それが読み取れないようなら、もしかすると、あなたは頭が悪いのかもしれませんね。
せっかくのソースが削除されてしまいました。残念ですね。ということで、ソースの無い記述を修正しました。「注4は鈴木商店焼き打ち事件の第1段落すべてにかかる注」という主張ですが、ビッグネームであっても所詮は個人の調査・見解、しかも小説がソースでは「攻撃」と断定することはできません。よって、より中立性のある「報道」に直しました。--ラッパラー 2011年5月31日 (火) 17:28 (UTC)[返信]
>その期間が不明瞭に受け取られる
「創刊期」とはっきり書きましたよ。それを、あなたが「当時」なんて付け加えて、鈴木商店焼き打ち事件・白虹事件当時もそうだったかのように書き換えたのをお忘れなく。
>なぜ朝日が三井と組んだ(と城山三郎が考えた)のか説明するところなんですから。
あなたは「因果律」を理解することができない人ですね。有山輝雄が、創刊期の朝日が三井の御用新聞だったという論文を書いたのも、朝日が社史でそれを認めたのも、城山三郎が『鼠』を出版した後です。後から起きたことは、前に起きたことの原因にはなりません。創刊期の朝日が政府の御用新聞だったという証拠は、戦前に伊藤博文編『秘書類纂』で明らかにされていますが。「朝日が三井と組んだ(と城山三郎が考えた)」ことと有山輝雄論文、朝日社史は全く無関係です。城山三郎は、自分の調査から、そういう仮説を立てたのです(と言っても、『鼠』を読んでいないし、読む気もないというあなたにはムダですが)。
>せっかくのソースが削除されてしまいました。
段落全体の出典が『鼠』だと書いたでしょう。
>所詮は個人の調査・見解
あなたの論法だと、学者の研究も「所詮は個人の調査・見解」となりますね。ウィキペディア全体の秩序が崩壊するでしょう。
>しかも小説がソースでは
私は小説とは書いていませんよ。私がノンフィクションとしたのを、あなたが小説と付け加えたんじゃないですか。ヨタモンが街を歩いていて自分から肩を誰かにぶつけ、因縁を付けるのと同じ論法です。それに『鼠』は、アカデミズムの世界でもそれなりの評価を受けていますよ。高知工科大学が博士号を授与した博士論文
http://kutarr.lib.kochi-tech.ac.jp/dspace/bitstream/10173/216/1/1046007216.pdf
の注で、『鼠』を出典とした注が、数多く見られます。これは、同大学の教授会が、『鼠』を注とすることが、博士号を出す論文として恥ずかしくない(しかもインターネットで世界中に公開しても)ことを認めたことになります。
『鼠』を読んだこともないし、読むつもりもないというあなたが、読んでいる私の編集を書き直すことがどれほど恥知らずなことであるか、ちょうど似たようなことがあったときのブログの記述を見付けたので、リンク先を貼っておきましょう。
「「恥を知る」と謳う捏造社説の「恥」」
おっと署名を忘れた。--Webster 2011年6月1日 (水) 12:22 (UTC)[返信]
活き活きしてきましたね。そう来なくては。
>「創刊期」とはっきり書きましたよ。それを、あなたが「当時」なんて付け加えて、鈴木商店焼き打ち事件・白虹事件当時もそうだったかのように書き換えたのをお忘れなく。
もちろん忘れていませんよ。私は「創刊当時」の意味で書きました。ただ、「鈴木商店焼き打ち事件・白虹事件当時もそうだった」という意味で取れるようだったので、あなたの主張通りに「1894年まで」と書いたら、あなたがリバートしました。そこで、あなたの大好きな「グレーゾーン」の登場ですね。まぁ、これに関しては、お互いの合意は不可能でしょう。全く考え方が違うようですから。
>私は小説とは書いていませんよ。私がノンフィクションとしたのを、あなたが小説と付け加えたんじゃないですか。
こちらをご参照ください。何と言いますか・・・あなたは「因果律」を理解することができない人ですね。と言ってほしいのですか?
>段落全体の出典が『鼠』だと書いたでしょう。
「米騒動の際に大阪朝日新聞は、戦時特需を利用して急成長した新興財閥(成金)の鈴木商店は米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃(報道)し、鈴木商店は焼き打ちにあった。」は淡々とした事実の部分。「この事件を再調査した城山三郎は、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き打ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「風評被害」であり、鈴木商店と対立していた三井と朝日新聞の「共同謀議」という仮説を立てている。」は城山三郎の調査・意見に関する部分です。ふつうに見れば、出典が『鼠』なのは後者でしょう。そう思いませんか?「攻撃」かどうかは城山三郎個人の見解であり、揺るぎない事実のように書くことは独自研究です。あなたは勘違いしているようですが、私は『鼠』をソースとして認めていないわけではありません。もし認めていないなら、そもそも『鼠』をソースとしている記述は全部削除します。ウィキペディアの方針として、一つの見方・個人の考えを100%の事実として記述してはならないので、中立性の高い「報道」としました。「攻撃」と断定して書くなら、裁判の判決や朝日新聞の「自白」(削除された朝日新聞社史)等が必要不可欠です。お分かりですか?--ラッパラー 2011年6月1日 (水) 13:07 (UTC)[返信]
>こちらをご参照ください。
鬼の首を取ったつもりなんでしょうが、私がもともと書いたのは、IPユーザー時代の2006年3月30日 (木) 14:37の版なんですよ。だから何の痛痒も感じませんね。『「みんなの意見」は案外正しい』というのがウィキペディアを運用する基本理念だから、IPユーザーがバッサリ削った記述を、他の人が付け加えた贅肉も尊重して、そのまま復活させただけで。「米騒動を煽り」というのがどこかで削られてしまいましたが、城山三郎の本の内容通りなので復活させておきましょう。ついでに原文は「三井と朝日」で新聞は付いていないので、これも原文通りに戻しておきましょう。「朝日」と書けば、新聞なのか新聞社なのか、ぼやけますから(城山三郎が鈴木商店と対立する三井の企業として挙げているのは三井物産と三井銀行で、それに対応するものとしては、朝日新聞ではなく、朝日新聞社でないとおかしいでしょう)。
>ふつうに見れば、出典が『鼠』なのは後者でしょう。
段落の最後に付いている注が段落全体にかかるのは、論文ではよくあることです。そもそも「攻撃」の出典を朝日の社史にすれば、この段落の前段については、あなたが社史を読んで独自に書き、後段は『鼠』を読んで書いた独自研究ということになりますよ。朝日の社史も『鼠』も読んでいないのに、それだけの責任をあなたは取れるんですか?
>城山三郎個人の見解であり、揺るぎない事実のように書くことは独自研究です。
Wikipedia:独自研究は載せない」を読みましたか? 「『独自研究(original research)』とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです」とあります。すでに1966年に大手出版社である文藝春秋社から単行本として刊行され、1975年には文庫化までされている『鼠』は、そのどこにも当てはまりません。そして文庫版の「解説」(小松伸六)では、白虹事件との関係も匂わされています。そして『鼠』がアカデミズムの世界でも、学術書に準じた扱いを受けていることは、昨日書いた通りです。あなたの論法だと、研究室単位でやる理系の研究はともかく、文系の学者の論文はすべて独自研究になります。別の人が先に証明した事柄を、そのまま跡づける論文など、研究者としてのオリジナリティのかけらもないわけで、独創性が要求される学問の世界では、ひとつの命題について、一人しか論文を書いていないケースなどザラです。
「「恥を知る」と謳う捏造社説の「恥」」のブログ主も「当時の大阪朝日新聞による鈴木攻撃」と書いているように、この本のサマライズとしては、「攻撃」でないとおかしいのですが。それとも、どうしても「攻撃」の出典を朝日の社史にとって、あなたの独自研究にしたいですか?--Webster 2011年6月2日 (木) 11:30 (UTC)[返信]
>鬼の首を取ったつもりなんでしょうが、私がもともと書いたのは、IPユーザー時代の2006年3月30日 (木) 14:37の版なんですよ。だから何の痛痒も感じませんね。
あなたは本当に愉快な人ですね。「私は小説とは書いていませんよ。私がノンフィクションとしたのを、あなたが小説と付け加えたんじゃないですか」と仰いますが、私の編集は、「この事件を調査して小説化した城山三郎は」を「この事件を調査した城山三郎は」とし、逆に「ノンフィクションとして発表している」を「ノンフィクション小説として発表している」と言い換えただけで、小説というキーワードは不変です。そんなに大騒ぎすることですか?誰が見ても意味合いは同じだと思いますが。
確認したところ、あなたの初版では「ノンフィクション」という単語はありませんね。「ノンフィクション」と「小説」を最初に、しかも同時に付け加えたのは利用者:ハイゼンさん[3]のようです。一応申し上げておきますが、彼と私は別人ですよ。もちろん、あなたは全くの別人に対して靴下行為を疑うような失礼な物言いをする人ではありません。
そもそも、利用者:210.162.128.188があなたと同一人物だと、私が知っている訳ないでしょう。今さら得意気に言われても呆れるだけです。そういうことはもう少し早く言っておかないと意味を成しません。「何の痛痒も感じませんね」だなんて、可愛らしいですねぇ。
>そもそも「攻撃」の出典を朝日の社史にすれば、この段落の前段については、あなたが社史を読んで独自に書き、後段は『鼠』を読んで書いた独自研究ということになりますよ。
独自の世界観をお持ちのようですね。出典というものは、一文すべてにかかるものとは限りません。また、『鼠』は立派な出典なのですから、独自研究にはあたりません。それだけをもって断定調で書くのは不適切だというだけです。上記の私の言葉をちゃんと理解できていますか?
>「Wikipedia:独自研究は載せない」を読みましたか?
「中立的な観点」の間違いですね。いずれにせよ、『鼠』をソースとして「断定調で書くこと」は否定されます。「そのような意見もある」という書き方はOKです。
>独創性が要求される学問の世界では、ひとつの命題について、一人しか論文を書いていないケースなどザラです。
事件記事に独創性を求めちゃいますか。しかも断定調で書くソースとして個人の調査・ノンフィクション小説を持ってきて違和感を感じないとはねぇ。--ラッパラー 2011年6月2日 (木) 17:18 (UTC)[返信]
とりあえず、あなたが『鼠』を大切に思っている気持は痛いほど伝わりました。その意に沿って、「城山三郎が独自調査してノンフィクション(小説)として発表した『鼠』」をソースとした、本の内容通りの記述に書き換えてみました。朝日新聞社自身が認めている100%事実として見て差し支えない部分と、城山三郎の見解は分離させています。--ラッパラー 2011年6月2日 (木) 17:18 (UTC)[返信]
山岡淳一郎「海運大不況が鈴木商店に落日を呼ぶ」の出典は、100%確実に『鼠』ですよ。鈴木商店の業務を引き継いだ日商(現双日)の社史や金子直吉の正伝ではない(ウィキペディアの金子直吉の項目にも、金子直吉の正伝は挙げられていない)。そもそも、インターネット上に出回っている鈴木商店、金子直吉のイメージは、ほとんど全部『鼠』に負っていると言っても過言ではありません。それほどよく読まれている本で、読んでいないあなたが無知無教養なのだということをお忘れなく。これであなたも実質的に、鈴木商店焼き打ち事件に関する、あなたが改悪する前の第1段落の前段の出典を、『鼠』だと認めたことになります。しかも孫引きという見苦しい形で。史料批判、文献批判のできない人ですね、あなたは。あと、今回の改悪ではやたらと注を沢山付けていますが、そんなことをすればするほど、独自研究の泥沼に入っていくだけですよ。だいたい「ノンフィクション小説」のところに注を3つも付けるなんて、異常だと思いませんか? さらりと流せるでしょ、その程度の記述。
また「鈴木商店が当時、米を買い占めていた事実はなく、焼き打ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行い米騒動を煽ったことによる風評被害であり、鈴木商店と対立していた三井と朝日の共同謀議」なんていう文章、『鼠』のどこに書いてあります? あなたはカギカッコの使い方ひとつ知らない人のようですね。よくウィキペディアの編集に手を出そうなんて考えるもんだ。
>『鼠』は立派な出典なのですから、独自研究にはあたりません。
独自研究だという主張は撤回するわけですね。
そして「中立的な観点」云々ですが、文庫化までされて、これだけ広く読まれて普及していれば(それが証拠に、Webで『鼠』に依拠したページは多数あっても、日商の社史や金子直吉の正伝に依拠したページは見たことがない)、それが現在の日本では一般的で中立的な見方と言えます。この本で批判されている朝日の社史でさえ、『鼠』に対する反論をしようなどという大それた真似はしていない、文句は言えないのですから。したがって『鼠』で使われている「攻撃」は中立的ではないというなら、あなたにその証明を行う義務がありますが、それこそ独自研究です。自縄自縛ですな。結局、『鼠』を読んでいないからですよ。
また鈴木商店の方の記述で、金子直吉の首に10万円の賞金云々のところで、「金子直吉――鼠と呼ばれた名番頭(3)」を出典としていますが、これも99%以上の確率で『鼠』が出典です。『鼠』に書いてありますから。だから『鼠』の注を後ろに移すだけで見苦しい孫引きが避けられます。
>事件記事に独創性を求めちゃいますか。
『鼠』は事件記事だとでも言うおつもりですか? 私は論文一般について書いたのですが。--Webster 2011年6月3日 (金) 03:50 (UTC)[返信]
山岡淳一郎「海運大不況が鈴木商店に落日を呼ぶ」の出典は、100%確実に『鼠』ですよ。
そう思うのはあなたの自由です。そして実際そうかもしれません。しかし、そうだと主張するにはソースが必要です。そのページの執筆者(山岡淳一郎さん)にコンタクトを取ってみてはいかがですか?
>あなたが改悪する前の第1段落の前段の出典を、『鼠』だと認めたことになります。
改悪というご指摘にはもちろんNoと言っておきます。一方、現状の第1段落の前段の出典は『鼠』で問題ありません。
やはりあなたは思い違いをしたままのようですね。いいですか、できるだけ分かりやすく説明するよう努力しますから、以降の記述をよく読んで理解してくださいね。
まず、「米騒動の際に大阪朝日新聞は、戦時特需を利用して急成長した新興財閥(成金)の鈴木商店は米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して米騒動を煽り、鈴木商店は焼き打ちにあった。」という記述の出典が『鼠』であること自体には何の異論もありません。
ただし、『鼠』を出典とした場合、その記述の中で「攻撃」と「米騒動を煽り」は中立性の観点から不適切です。なぜなら、城山三郎という個人のノンフィクション小説がソースであり、客観的事実として断定調で記載することは不適切だからです。あなたは城山三郎がビッグネームであること、論文に採用されるほど広く普及していることなどをもって、「一般的」という単語でその正当性を主張しますが、一般的=中立的ではありません。Wikipedia:中立的な観点には次のように書かれています。
偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。
問題は「断定調」なのです。「攻撃」については朝日新聞社史に書かれており、いわば「自白」なので、それをソースとするなら断定調で書いても問題ありません。これはあなたの会話ページで述べたとおりです。もし朝日新聞社史の中に「米騒動を煽り」という記述があるなら、現状の記述内容に全く異論ありません。
大事なことなのでもう一度言います。私は現状の第1段落の前段の出典が『鼠』であることを認めていますが、現状のように『鼠』を出典として断定調で書くことは中立的でないので、ソースを入れ替えたり、記述場所を「この事件を再調査した城山三郎は~」以降に変えたりしていたのです。
>だいたい「ノンフィクション小説」のところに注を3つも付けるなんて、異常だと思いませんか? さらりと流せるでしょ、その程度の記述。
普通はそうです。その「さらりと流せる」程度の記述をあなたが削除するので、仕方なくソースを追加したのです。その結果、全リバートされました。理解しかねますね。とりあえず、ソースなしで記述を復帰しました。あなたは、『鼠』はノンフィクション小説ではないと考えているのですか?もしそうならソースを提示してください。
>あなたはカギカッコの使い方ひとつ知らない人のようですね。
『鼠』からの引用という意味ではなく、城山三郎の調査結果・見解部分の抽出という意味で括弧を付けたのですが、原文の引用として捉えられてしまう危険性が高いようなので、ここは撤回します。
>独自研究だという主張は撤回するわけですね。
再三述べているように、『鼠』自体が独自研究、もしくは『鼠』を出典とした記述が独自研究なのではなく、『鼠』のみをもって「攻撃」とか「米騒動を煽り」など、扇情的な書き方を「断定調」ですることが中立性(独自研究というウィキペディア用語は不適切でした)に反しているのです。
>『鼠』で使われている「攻撃」は中立的ではないというなら、あなたにその証明を行う義務がありますが、それこそ独自研究です。
Wikipedia:中立的な観点に書かれているように、偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。そのため、「誰それはこう見る」という書き方はOKですが、「断定調」はNGです。
>『鼠』は事件記事だとでも言うおつもりですか?
いや、違います。事件記事(白虹事件)に断定調で記述する際のソースに独創性は不要だという意味です。
第1段落の前段の出典を『鼠』と『朝日新聞社史』とし、『鼠』のみをソースとする「米騒動を煽り」という記述を第1段落の後段の「この事件を再調査した城山三郎は~」の後ろに移動しました。第1段落の後段の出典は、これまで通り『鼠』としました。これならお互いの主張が共に生きる形だと思います。まだ文句がおありでしたら、いつでもお受けしますよ。--ラッパラー 2011年6月3日 (金) 16:52 (UTC)[返信]
もうあなたを相手にするのはうんざりしてきました。日本ジャーナリスト会議の項目といい、あなたは私のストーカーですか?
朝日の社史では大朝の攻撃のせいで鈴木商店が焼き打ちにあったとまでは認めていませんから、注の順序として、当然『鼠』が先です。また因果関係として、鈴木商店は、単に大朝によって攻撃されたから焼き打ちにあったのではなく、大朝が米騒動を煽ったから、大衆の憎悪を買って焼き打ちに遭っているのですから、大朝が米騒動を煽ったことは、第1文に戻しました。また「攻撃」も、朝日の社史が出典に入れば、あなたも文句はないでしょうから、余計な印象を与えるのでカギカッコは外しました。
読んでもいない本の内容について、読んでいる人間に対して延々とイチャモンをつけてくるあなたの厚顔無恥ぶりには、呆れるばかりです。心臓に毛が生えているのでしょうね。--Webster 2011年6月4日 (土) 03:38 (UTC)[返信]
>もうあなたを相手にするのはうんざりしてきました。日本ジャーナリスト会議の項目といい、あなたは私のストーカーですか?
「日本ジャーナリスト会議」における私の編集におかしなところがありましたか?あなたが編集した記事を私が編集してはいけないようなルールはありませんし、白虹事件、朝日新聞、鈴木商店の3つは同じ記述を巡る争いであり、あなたの編集した記事・内容に対して無差別に修正を加えているわけではありません。うんざりなさっているのはお可哀そうです。心から同情します。
>朝日の社史では大朝の攻撃のせいで鈴木商店が焼き打ちにあったとまでは認めていませんから、注の順序として、当然『鼠』が先です。
了解しました。ご対処いただきありがとうございます。
>また因果関係として、鈴木商店は、単に大朝によって攻撃されたから焼き打ちにあったのではなく、大朝が米騒動を煽ったから、大衆の憎悪を買って焼き打ちに遭っているのですから、大朝が米騒動を煽ったことは、第1文に戻しました。
焼き打ちを実際に行った人たちが、その行動理由を「大阪朝日新聞の記事を読んで、鈴木商店が許せないと思ったから」と答えていたなら、あなたの言うとおりだと思います。朝日の社史と『鼠』のどちらかに、そのような記述はあるのですか?ソースが無いのでしたら、差し戻します。「この事件を再調査した城山三郎は~」の後ろにあるなら、城山三郎の見解ということでOKです。
城山三郎の本は、「朝日新聞が書くからそう思った」といった当時の焼き打ち参加者などに対する聴き取りのオンパレードですよ。ここには書ききれないほどあるので、何度も言うけど、自分で本を読んでくれませんかね。--Webster 2011年6月5日 (日) 14:45 (UTC)[返信]
>また「攻撃」も、朝日の社史が出典に入れば、あなたも文句はないでしょうから、余計な印象を与えるのでカギカッコは外しました。
同様に、「風評被害」と「共同謀議」も余計な印象を与えるのでカギカッコを外しました。
>読んでもいない本の内容について、読んでいる人間に対して延々とイチャモンをつけてくるあなたの厚顔無恥ぶりには、呆れるばかりです。心臓に毛が生えているのでしょうね。
せっかく一生懸命説明したのに、やっぱり理解できていないようですね。『鼠』を出典とした記述自体は、維持するに足るものです。あなたの表現方法が、ウィキペディアのルールであるWikipedia:中立的な観点に則っていないのです。そろそろ理解できませんか?他人に対して「頭が悪い」と言い放つような御仁ですから、もう少しデキル人かと思っていましたが、見込み違いのようですね。--ラッパラー 2011年6月4日 (土) 16:41 (UTC)[返信]
最初は、城山三郎の本は独自研究だ!と騒いでいた人が、ウィキペディアの独自研究の定義がそのようなものではない、と「敗北」が確認されたのに、引っ込みがつかなくなってWikipedia:中立的な観点とか持ち出しているだけじゃないですか。100人の人間中、99人が「カラスは白い」と言い、1人だけが「カラスは黒い」と言ったとしたら、後者は正しいのではなく、異常者ですよ。そして「カラスは黒い」が真実だとしても、そのようなごく一部の人間だけが言う主張はウィキペディアには書き込むなと、それこそWikipedia:中立的な観点が言っている。99対1なら、両論併記ですら中立性を欠いている。あなたの主張は、それと全く同じなのが分からないようですね。バカは論争で無敵だ。
>同様に、「風評被害」と「共同謀議」も余計な印象を与えるのでカギカッコを外しました。
それは地の文じゃない。キモの引用句です。繰り返しになりますが、カギカッコの使い方も知らないのですね。--Webster 2011年6月5日 (日) 14:30 (UTC)[返信]
原文通りに書けば、「三井と朝日の、当世風に言って〈共同謀議〉という仮説も成り立つ」と、城山三郎自身がカッコに入れて書いているくらいですよ。--Webster 2011年6月5日 (日) 15:28 (UTC)[返信]
>城山三郎の本は、「朝日新聞が書くからそう思った」といった当時の焼き打ち参加者などに対する聴き取りのオンパレードですよ。
そのように文章を修正しました。
>最初は、城山三郎の本は独自研究だ!と騒いでいた人が、ウィキペディアの独自研究の定義がそのようなものではない、と「敗北」が確認されたのに、引っ込みがつかなくなってWikipedia:中立的な観点とか持ち出しているだけじゃないですか。
私が問題視しているのは、最初からずっと同じことで、社史や裁判の判決でもないのに扇情的な記述を「断定調」で書くことです。繰り返しますが、もし私が『鼠』自体を独自研究だと判断していたとしたら、全削除の対象となっていたでしょう。やはりあなたには私の意図が伝わっていないようですね。『鼠』を出典としてあなたが書いた文章の表現方法が問題だと言っているのです。この問題を一度、独自研究と表現し、その後すぐに中立的な観点の間違いだと訂正していますが、そこがまだひっかかっているのですか?
>ごく一部の人間だけが言う主張はウィキペディアには書き込むなと、それこそWikipedia:中立的な観点が言っている。
検証可能性の満たされたソースがある場合、一部にそのような意見もあるという書き方なら許容されます。あなたのその主張はどこに書いていますか?そもそも、今回のケースでは、「ごく一部の人間だけが言う主張」は本文のどこにも書かれていないと思います。「ごく一部の人間だけが言う主張」とは、本文中の具体的にどこですか?
>バカは論争で無敵だ。
丁寧な自己紹介ありがとうございます。最初は知的なイメージだったあなたが、だんだん素直になっていく様子はおもしろ・・・じゃない、興味深かったですよ。
>それは地の文じゃない。キモの引用句です。
「共同謀議」は同意します。「風評被害」は・・・まぁ重要なキーワードなのは間違いないですし、題目の一部でもあるので許容範囲とします。
非合意事項が少なくなってきたので、一旦置いておいた三井の注釈の話も復帰させます。最初、私は「当時の朝日新聞社のスポンサーである三井銀行の系列企業」と注釈で書きました。その次の編集では、「創刊期の朝日新聞社のスポンサーである三井銀行と並ぶ三井財閥の中核企業」というより正確な文章に修正されました。なお、修正してくれたのは、あなたと同様に長らくウィキペディア編集から遠ざかっており、奇遇にも同じ5月14日に復帰し、「ストーカー」の私に匹敵する程あなたの編集する記事に顔を出し、偶然にも編集方針まであなたとよく似ている利用者:220.215.160.167さんです。あなたがその後、「三井銀行は創刊期の朝日新聞社に対して政府と共に経営資金の援助をし、御用新聞化していた。」と書いて以降はグダグダです。注釈自体が全削除されていましたが、突拍子もなく出てくる「三井」という単語の解説として、朝日との関係性に触れる注釈は必要だと考えています。そこで「三井銀行は創業期の朝日新聞社に対して経営資金を援助していた。」というシンプルな記述を注釈で復帰させました。「政府」や「御用新聞」や「1894年」や「上野理一」といった単語を書く気はありません。
3つの記事を同時に編集するのはナンセンスなので、本丸の白虹事件にだけ修正を加えました。落ち着いたところで朝日新聞と鈴木商店にも反映させる予定です。--ラッパラー 2011年6月5日 (日) 19:06 (UTC)[返信]
あなたは5月31日の時点で、城山三郎の本を「所詮は個人の調査・見解」、6月1日には「独自研究」と断言しているのですよ。それを私が「独自研究」には当たらないことを、ウィキペディアの定義に照らして証明したら、今度は中立性云々と防衛線を張り直そうとしているのではないですか。話になりませんね。
私がなぜ腹を立てているのかも、一向に理解できていないようですね。あなたが読んでもいない、読むつもりもないと言っている本の内容についてイチャモンを付けてくるからですよ。イチャモンを付けるなら、まずはその本を読んでからというのが、最低限の礼儀でしょうが。少なくともあなた以前に、そんな無礼な編集をする人間はいなかった。これは読んでいるから内容を理解しているか、読んでいないから文句を付ける資格はないと、あなた以前の人は思ったからでしょう。
>検証可能性の満たされたソースがある場合、一部にそのような意見もあるという書き方なら許容されます。あなたのその主張はどこに書いていますか?
『鼠』に書かれ、多くの人がその通りだと受け止めていることは、あなたが散々行ったと思われるネット検索で分かりませんでしたか? 99対1の1はあなたですよ。
>そのように文章を修正しました。
新聞が米騒動を煽ったために焼き打ちにあったのは、何も鈴木商店だけではありません。あの書き方では、鈴木商店だけのように読めますから、元に戻します。
>突拍子もなく出てくる「三井」という単語の解説として、朝日との関係性に触れる注釈は必要だと考えています。
それを書こうとしたら、朝日新聞の項目の歴史に書かれているように、明治14年政変にまでさかのぼらないと説明できないの。あなた明治14年政変って知ってるんですか? 今までのやり取りからして、極めて怪しいんですが。朝日への経営資金援助も、三井銀行が単独で行ったわけではなく、伊藤博文らの政府と三井でやったことなの。朝日に対する政府の援助については、伊藤博文編『秘書類纂 財政資料・中巻』(1935年)にはっきり書いてあります。伊藤博文と三井財閥との関係について調べたければ、日本近代史の常識だから、明治14年政変について調べなさい。あらかじめ言っておくと、ウィキペディアの説明は正しくありません。背景にあった三井と三菱の対立が書かれていませんから。
それに
>突拍子もなく出てくる「三井」
と言いますが、「鈴木商店と対立していた」と書いてあるでしょうが。三井物産、三井銀行が鈴木商店といかに対立していたかという『鼠』での事例は、ウィキペディアくらいの簡潔な記述だと書ききれません。
それに、鈴木商店焼き打ち事件・白虹事件当時の朝日と三井の関係については、あなたよりよほど朝日について調べている私でも、心証が取れないの。事件時の大朝は村山龍平社長-鳥居素川編集局長ラインで動いていて、上野理一-西村天囚という三井に近いラインは、編集に口を出せなかったの。しかも白虹事件後に社長になってからも上野理一は、とうてい毎日出社できる体調ではなく、自宅療養してたの。分かる? 政府・三井の経営資金援助に際して、三井財閥のお目付役的な存在として朝日の経営陣に送り込まれた可能性がある上野理一は、社長になる前の鈴木商店焼き打ち事件・白虹事件当時、朝日の経営にそれほど口出し出来る状態ではなかったの。だから城山三郎が独自の調査から得た心証で「三井と朝日の〈共同謀議〉」と書いている以上に踏み込むことは、私の良心が許さないの。
> 偶然にも編集方針まであなたとよく似ている
ログイン忘れただけですよ。--Webster 2011年6月6日 (月) 15:12 (UTC)[返信]
鈴木商店焼き打ちの日が間違っているじゃないですか。何見て書いたんですか?--Webster 2011年6月6日 (月) 15:48 (UTC)[返信]
>あなたは5月31日の時点で、城山三郎の本を「所詮は個人の調査・見解」、6月1日には「独自研究」と断言しているのですよ。それを私が「独自研究」には当たらないことを、ウィキペディアの定義に照らして証明したら、今度は中立性云々と防衛線を張り直そうとしているのではないですか。話になりませんね。
まだ理解できませんか。では、あなたが理解できるまで何度でも繰り返し説明します。一年でも二年でもお付き合いしますよ。
5月31日に『鼠』を「所詮は個人の調査・見解」と表現したことについては、「攻撃」と断定調で記述するソースとしては不適切だという意味です。そう述べているでしょう?なお、現在は社史がソースに加えられているので問題ありません。『鼠』を出典とする他の記述を削除していない時点で、私が『鼠』それ自体を否定しているわけではないことくらい分かりそうなものですが、あなたには難しいのですか?
6月1日の「独自研究」については、これが上述している勘違いで訂正したところですね。私はこの会話ページの議論以前の、あなたの会話ページの議論の時から、中立性を最大の問題点として挙げています。あなたの会話ページの「白虹事件」では、「攻撃」は朝日の社史があれば問題なしと述べました。「続・白虹事件」では、あなたが表現方法を断定調から変えてくれたことで、記述自体の存続に同意しました。重要視していることは首尾一貫していて、中立性の問題です。お分かりですか?
>私がなぜ腹を立てているのかも、一向に理解できていないようですね。あなたが読んでもいない、読むつもりもないと言っている本の内容についてイチャモンを付けてくるからですよ。イチャモンを付けるなら、まずはその本を読んでからというのが、最低限の礼儀でしょうが。少なくともあなた以前に、そんな無礼な編集をする人間はいなかった。これは読んでいるから内容を理解しているか、読んでいないから文句を付ける資格はないと、あなた以前の人は思ったからでしょう。
本の内容や、あなたの記述内容を全否定しているわけではないことにまだ気付かないですか?「表現方法」の問題を述べるのに、ソースを全て読む必要はありません。日本語能力の問題ですからね。
>『鼠』に書かれ、多くの人がその通りだと受け止めていることは、あなたが散々行ったと思われるネット検索で分かりませんでしたか? 99対1の1はあなたですよ。
ごく少数の意見でも、もし検証可能性の満たされたソースがある場合、「一部にそのような意見もある」という書き方なら許容されます。記述すること自体を否定するようなルールはウィキペディアの方針のどこに書いていますか?と聞いています。
再度質問しますが、そもそも今回のケースでは、「ごく一部の人間だけが言う主張」は本文のどこにも書かれていないと思います。「ごく一部の人間だけが言う主張」とは、本文中の具体的にどこですか?
>新聞が米騒動を煽ったために焼き打ちにあったのは、何も鈴木商店だけではありません。あの書き方では、鈴木商店だけのように読めますから、元に戻します。
微修正しました。あなたには鈴木商店だけのように読めますか。現状の記述方法でもそうでしたら、具体的に詳細に説明してください。そのように何度でも修正します。
>だから城山三郎が独自の調査から得た心証で「三井と朝日の〈共同謀議〉」と書いている以上に踏み込むことは、私の良心が許さないの。
あなたの良心には興味ありませんし、ウィキペディアの編集において無価値です。白虹事件の記事で本筋とは異なることを明治14年政変までさかのぼって長々と書くことには私も反対ですが、「三井銀行は創業期の朝日新聞社に対して経営資金を援助していた。」という100%事実の短文を脚注で追加することがそこまで大問題ですか?まぁ、この脚注についてはあなたの大好きな「グレーゾーン」にも触れるところなので、無しでも良いでしょう。
>鈴木商店焼き打ちの日が間違っているじゃないですか。
これは失礼しました。--ラッパラー 2011年6月6日 (月) 19:08 (UTC)[返信]
>これは失礼しました。
で済む話ではありません。何を見て書いているのか尋ねているのです。あなたは戦前の夕刊が、発行日の翌日付で発行されていたことも知らなかったようですし。そういう基礎的知識に欠けるあなたが、私の編集にイチャモンを付けてくることに強い不快感を感じているのです。
>ソースを全て読む必要はありません。日本語能力の問題ですからね。
上のようなミスをしておいて、よく言いますね。
>一年でも二年でもお付き合いしますよ。
私は御免ですね。もううんざりしている。
>私が『鼠』それ自体を否定しているわけではない
それは私に、『鼠』が独自研究には当たらないことを指摘された後じゃないですか。その前日には
>所詮は個人の調査・見解
と蔑んでいたのをお忘れですか? 私は、これは文系の研究者全てに対する侮辱である旨、抗議していますよ。
>これが上述している勘違いで訂正したところですね。
私に指摘されて、慌てて訂正したんでしょう。
>社史や裁判の判決でもないのに扇情的な記述を「断定調」で書くことです。
今でも、「朝日が安倍内閣を攻撃している」、「産経が民主党政権を攻撃している」と普通に書くでしょう。『鼠』程度の実証性があれば十分というのが私の意見です。『鼠』の内容は、世間でも、それで通用している。大朝の鈴木商店叩きが「攻撃」じゃないという人は、あなた以前にいなかったのですよ。
>あなたの良心には興味ありませんし、ウィキペディアの編集において無価値です。
ふーん。それじゃあ、あなたは自分の良心に反する編集もするわけだ。
>明治14年政変までさかのぼって長々と書くことには私も反対ですが、「三井銀行は創業期の朝日新聞社に対して経営資金を援助していた。」という100%事実の短文を脚注で追加することがそこまで大問題ですか?
すでに三井の朝日に対する経営資金援助に触れたブログの中には、朝日に対する援助が三井単独によるものだったかのような誤解をしているものがありますからね。明治14年政変後の政府・三井による経営資金援助を受けていたとするから価値があるのであって、
>「三井銀行は創業期の朝日新聞社に対して経営資金を援助していた。」
では、すでに発生している誤解を助長します。大阪毎日と合併する前の東京日日が三菱財閥の直営だったのとは違うのですから。
もともと今日の最初に挙げたあなたの間違い・無知に由来すると思われる注4は削除します。本文を読めば自明です。注は少ない方がいい。--Webster 2011年6月7日 (火) 12:47 (UTC)[返信]
>(これは失礼しました)で済む話ではありません。何を見て書いているのか尋ねているのです。あなたは戦前の夕刊が、発行日の翌日付で発行されていたことも知らなかったようですし。そういう基礎的知識に欠けるあなたが、私の編集にイチャモンを付けてくることに強い不快感を感じているのです。
"「ごく一部の人間だけが言う主張」とは、本文中の具体的にどこですか?"という私の質問に答えてくれたら、本件もご回答しましょう。
>(ソースを全て読む必要はありません。日本語能力の問題ですからね)上のようなミスをしておいて、よく言いますね。
争っている記述の「表現方法」を議論する場合はそうでしょう。そう上述していますが、目に入りませんでしたか?
夕刊の発行日の件はまた別問題であり、そちらの非は私にあります。よってお詫び申し上げます。
>(一年でも二年でもお付き合いしますよ)私は御免ですね。もううんざりしている。
そうですか。それは残念です。あなたとの議論はとても面白かった(interestingかつfunny)です。
(私が『鼠』それ自体を否定しているわけではない)それは私に、『鼠』が独自研究には当たらないことを指摘された後じゃないですか。その前日には
>所詮は個人の調査・見解
と蔑んでいたのをお忘れですか? 私は、これは文系の研究者全てに対する侮辱である旨、抗議していますよ。
また同じことを繰り返しましょう。『鼠』は「断定調」で100%事実のように記述するソースとしては不足であり、「城山三郎の調査によると~」のような表現方法で記述するソースとして充分です。あなたの会話ページを読み返せば、私がそのような行動を取っていることが分かるでしょう。私が、あなたのこの編集を支持している意味を再考してみると良いでしょう。私が『鼠』を否定していたとしたら、その編集に同意するわけないでしょう。そろそろ理解してくれないと、私も「うんざり」しそうです。
(これが上述している勘違いで訂正したところですね)私に指摘されて、慌てて訂正したんでしょう。
私が「独自研究」という単語を使っている場面は、『鼠』をソースとして「断定調」で記述ことに異議を唱えているものです。これは本来「中立性」の問題であり、「独自研究」という単語を使用したことに関しては私に非があります。慌てて訂正したのはその通りです。「あぁしまった。自分が主張しているのは独自研究ではなく中立性の問題だったのに、使用する単語を勘違いしていた」と気付いたわけですから。ただ、あなたにとって残念なのは、それが私を批判する攻め手としてもう一つ足りないということですね。
>今でも、「朝日が安倍内閣を攻撃している」、「産経が民主党政権を攻撃している」と普通に書くでしょう。『鼠』程度の実証性があれば十分というのが私の意見です。『鼠』の内容は、世間でも、それで通用している。大朝の鈴木商店叩きが「攻撃」じゃないという人は、あなた以前にいなかったのですよ。
朝日新聞における安倍元首相に関する記述例では、「安倍晋三に対する朝日新聞の報道がネガティブ・キャンペーンであると批判された」「東海新報では~とし」「古森義久は~と指摘した」など、いずれも私がOKだと言っている「この事件を再調査した城山三郎は~として発表している」という類の表現方法です。どこにも「断定調」はありません。
産経新聞に関しては、該当箇所を修正し、論評を求める編集を行いました。
>ふーん。それじゃあ、あなたは自分の良心に反する編集もするわけだ。
自分の良心に反する編集は行いません。しかし、ウィキペディアの編集において、あなたの良心に価値がないのと同じように、私の良心にも価値はありません。良心に沿った編集にも、良心に反する編集にも、それだけでは価値がありません。重要なのは「検証可能性」や「中立性」といった方針に沿うことです。他のユーザーがどのような気持で編集を行っているかなど、周りからは推測しかできないのですから、全ては記述の結果を見て判断されます。今回もそのケースです。
>すでに三井の朝日に対する経営資金援助に触れたブログの中には、朝日に対する援助が三井単独によるものだったかのような誤解をしているものがありますからね。明治14年政変後の政府・三井による経営資金援助を受けていたとするから価値があるのであって、
>「三井銀行は創業期の朝日新聞社に対して経営資金を援助していた。」
では、すでに発生している誤解を助長します。大阪毎日と合併する前の東京日日が三菱財閥の直営だったのとは違うのですから。
もともと今日の最初に挙げたあなたの間違い・無知に由来すると思われる注4は削除します。本文を読めば自明です。注は少ない方がいい。
注釈は少ない方が良いという考えには同意します。確かに本文を読めば自明なので、ここは問題ありません。
やっと、と表現して良いと思いますが、「白虹事件」の現状の記述には私も異論ありません。この記述を「朝日新聞」と「鈴木商店」にも移植しました。
上記の私の回答にあなたが納得すれば、これにて一件落着となります。--ラッパラー 2011年6月7日 (火) 16:47 (UTC)[返信]
>"「ごく一部の人間だけが言う主張」とは、本文中の具体的にどこですか?"
この4年間で初めて、あなたが「攻撃」という言葉にイチャモンをつけてきたことです。さあ、あなたは何を見て鈴木商店の焼き打ち日を書いたのですか? 戦前の夕刊が翌日付で発行されていたのを知っていましたか?
>産経新聞に関しては、該当箇所を修正し、論評を求める編集を行いました。
これも、あなた以前には誰も疑問に感じなかったことのようですね。あなたの受け止め方が異常と考えた方がいいでしょう。そもそも産経にはTwitter事件があるのに。
>やっと、と表現して良いと思いますが、「白虹事件」の現状の記述には私も異論ありません。
記述が冗長になりましたね。--Webster 2011年6月9日 (木) 11:50 (UTC)[返信]
>この4年間で初めて、あなたが「攻撃」という言葉にイチャモンをつけてきたことです。
あぁ、なるほど。本文中の具体的な記述というわけではないのですか。
>あなたは何を見て鈴木商店の焼き打ち日を書いたのですか?
ウィキペディアの新聞関係の記事を見ていた際、たまたま神戸新聞社の記事にたどり着き、「歴史」で鈴木商店の文字を見つけ、神戸新聞社の公式ページで確認していました。その時は12日だと認識していたような気もするのですが、その時はウィキペディアに書く気がなかったため、軽く流し見する程度でした。数日後に書き込む際、おそらく神戸新聞創刊の11日と勘違いしていたのだと思いますが、誤って11日としてしまいました。間の悪いことにその際、1918年米騒動の記事で、「8月11日に神戸で起きた騒動によって焼き払われた鈴木商店本社」という解説文を見つけ(この説明自体は、少々まぎらわしい表現ですが、間違いではない)、日付が正しいという認識をさらに強くしていました。
>戦前の夕刊が翌日付で発行されていたのを知っていましたか?
これは知っていました。「朝日新聞」でも「1918年8月25日 大阪朝日新聞で白虹事件の発端となる記事を掲載」と書かれています。(本当は12日だけど)11日に焼き打ち、25日に記事掲載なので、差し引き14日なら半月と表現しても差し支えないだろう、と考えていました。最初から約半月とすれば良かったかもしれません。
>これも、あなた以前には誰も疑問に感じなかったことのようですね。あなたの受け止め方が異常と考えた方がいいでしょう。そもそも産経にはTwitter事件があるのに。
Twitter事件は、「そういう考えの一人の社員がいて、そうつぶやいた」というものです。産経新聞として、産業経済新聞社としてこう考える、こういう思想で報道している、と「断定調」で記述するにはもう一つ足りないですね。事件後に会社として謝罪し、誤解を与える表現だったという趣旨で弁解しており、社史のように会社が正式に認めているソースではありません。
>記述が冗長になりましたね。
あなたはそう思う、私はそう思わない、で終了です。--ラッパラー 2011年6月9日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

ご質問の件について

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  • 1点目について:非常に広く一般的に批判と嘲笑の対象になったことを示す、何よりのソースです。
  • 2点目につて:あなたも6月15日までは、反日ファシズムの記述を前に置くことに異議を唱えていないではないですか。私も、その方がいいと思います。--護国防共団 2011年6月18日 (土) 11:34 (UTC)[返信]
  • ご回答ありがとうございます。ただ、私の質問内容をご理解いただけていないようですので、もう一度、少し言葉を変えて質問させていただきます。
  • 「一発だけなら誤射」の件ですが、検証可能性の「信頼性に乏しい情報源」と「自主公表された情報源」、独自研究の「信頼できる媒体において未だ発表されたことがない」に該当すると私は考えます。あなたはこれらに該当しないとお考えのようですので、どのような理由で該当しないのかお答えください。「示すだけ」のソースなら、まとめwikiや掲示板の書き込みもOKになってしまいます。
  • 6月14日に、利用者:219.116.182.107さんによって批判節が設けられたため、批判はそこに書けば文章的にきれいだからです。再度質問しますが、社会主義陣営に対する報道について、あなたは「過去は過去、今は今」とコメントして差し戻しましたが、批判節の記述は過去に限りません。実際、最初の4項目は現在進行形です。事実関係を淡々と述べる部分と、論調に対する批判を明確に分けることは中立性の観点から優れていますが、「理由になっていない」とはどういう意味ですか?--ラッパラー 2011年6月18日 (土) 11:49 (UTC)[返信]
今までのここのページを見ても、あなたは朝日に相当こだわりのある人のようですね。利害関係者、もっと言えば社員でしょうか?
  • >検証可能性の「信頼性に乏しい情報源」と「自主公表された情報源」、独自研究の「信頼できる媒体において未だ発表されたことがない」に該当すると私は考えます。
私は考えません。で、終了です。(あなたも同じ論法を、過去に使っていますね)
  • >中立性の観点から優れていますが、
私はそうは考えません。「反日ファシズム」は、今の朝日を特徴付けるキーワードのひとつです。だからリード部分に当たる「近年」に入れるのが適当です。「朝日は日本のプラウダか?」とは違います。--護国防共団 2011年6月18日 (土) 12:10 (UTC)[返信]
  • 朝日新聞は嫌われ者ですから、扇情的な書き方がされたり、ソースの不十分な記述が追加されることも多いですからね。編集を初めた当初は「もう少し書き方があるだろう」くらいの気持ちで、そこまで深入りするつもりもなかったのですが、逐一対応していたらごらんの有様です。なんだか引くに引けない状況になってしまって、今では一種の趣味みたいなものになってしまいました。
  • 私の「私はそう思わない」は、該当記述に関する議論が終了した後の感想を述べる雑談部分です。ちゃんと文脈を理解しないと、意味合いが変わってくるので注意した方が良いですよ。今はまさに議論の最中であり、私があなたに質問しているのですから、そのような態度を取るのは議論放棄と受け取られます。これが最後ですが、「一発だけなら誤射」の件で、検証可能性の「信頼性に乏しい情報源」と「自主公表された情報源」、独自研究の「信頼できる媒体において未だ発表されたことがない」に該当すると私は考えます。あなたはこれらに該当しないとお考えなのですから、どのような理由で該当しないのかお答えください。お答えがなければ、議論放棄と見なして差し戻します。
  • 通信用語の基礎知識がどのようなものか確認しましたが、そもそも編集方針が中立ではないと自認しているようで、ウィキペディアのWikipedia:中立的な観点とも異なる考えのようです。ウィキペディアの三大方針全てに問題のあるソースというのは・・・これはひどいですね。
  • やはり質問に全てお答えいただけませんね。これが最後です。社会主義陣営に対する報道について、あなたは「過去は過去、今は今」とコメントして差し戻しましたが、その後、私が批判節は現在進行形の問題も含まれてることを指摘して差し戻しました。それに対するあなたの差し戻しのコメントの「理由になっていない」とはどういう意味ですか?
  • 「反日ファシズム」が今の朝日を特徴付けるキーワードとお考えになる時点で、中立性に問題があるということに気付きませんか?100%近い客観的事実は紙面・論調の近年節と歴史節に、批判は批判節に書くことのどこに問題があるのですか?それに、現状の記述では、社会主義陣営に対する報道における現在最もホットな批判である対中国報道の今について、批判節で触れられていません。
  • 過去、反日ファシズムという単語にこだわっていた人がいました。今は無期限ブロック中ですが、同様の思想をお持ちの人は多いようです。もしかしたらあなたと同一人物かもしれませんが、私が利害関係者や社員なのかどうかと同様に、ここで問うのは無意味でしょう(一応主張しておきますが、もちろん違います)。これに関しては、先日議論した相手に失礼なことをしたので、個人的に反省しているところです。--ラッパラー 2011年6月18日 (土) 12:42 (UTC)[返信]
  • >独自研究の「信頼できる媒体において未だ発表されたことがない」
サブカルの媒体は認めないという訳ですか? そもそもサブカルの世界で広まった批判、嘲笑ですよ。
他のサブカル辞典も加えておけば済む話です。
  • 「反日ファシズム」が今の朝日を特徴付けるキーワードとお考えになる時点で、中立性に問題があるということに気付きませんか?
一方で、そうであるという人間が多数いる語句を、移動ないし削除する行為自体、中立的ではないことに気付きませんか?
  • >それに、現状の記述では、社会主義陣営に対する報道における現在最もホットな批判である対中国報道の今について、批判節で触れられていません。
それじゃあ、好きなように書き加えて下さい。なお、すでに経済政策面でマルクス・レーニン主義ないし毛沢東主義を放棄した現在の中国は、経済は日本以上に資本主義的な格差社会ですし(弱者救済政策など、日本の方がむしろ社会主義的政策を採っている)、社会主義国と言えるのかどうか、疑問に思っています。ソ連崩壊で、国際政治的には社会主義は終わったと言っていいでしょう。あえて中国を入れる意義を感じません。入れるとすれば北朝鮮でしょう。あるいは冷戦崩壊後も日本国内でのうのうと生き残っている社会主義者、共産主義者たちでしょうか。--護国防共団 2011年6月18日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
>サブカルの媒体は認めないという訳ですか? そもそもサブカルの世界で広まった批判、嘲笑ですよ。
>他のサブカル辞典も加えておけば済む話です。
サブカルの媒体だから認めないのではなく、その媒体がウィキペディアのソースとして不足しているから認めていないのです。
あなたの挙げたソースは、誰でも編集に参加できること、新聞や論文や書籍といった検証可能性を満たす媒体で発表されていないこと、管理人が標榜する非中立方針など、ウィキペディアの三大方針に全てひっかかります。私が削除している記述と削除していない記述の違いを良く観察すればお分かりだと思いますが、きちんとしたソースがあり記述方法も妥当な記述なら、朝日新聞にとってネガティブなことでも削除していないことに気付くでしょう。
>一方で、そうであるという人間が多数いる語句を、移動ないし削除する行為自体、中立的ではないことに気付きませんか?
「誤射」は三大方針を満たすソースがあるなら、記述OKだと既に述べています。
「反日ファシズム」は批判なので批判節に移動しただけです。批判節がない時は論調の部分に記述されていることを認めていましたし、ソースが充分なので削除もしていません。
「そうであるという人間が多数いる」と仰いますが、それを証明できるソースはありません。ネットの書き込みは自作自演可能で、掲示板やブログはソース足り得ません。もちろん、朝日新聞の報道姿勢について、反日、ファシズム、売国などと感じている人は多いでしょう。これは間違いないと思います。というより、私自身もそう思うことが多々あります。日本で最もアンチの多い新聞であることも間違いないでしょう。ただ、ウィキペディアの編集方針は、記述して良いのは「事実に基づく文章」ではなく、「三大方針を満たす文章」なのです。そこを理解しないと、ウィキペディアンとしては存在できません。
>社会主義国と言えるのかどうか、疑問に思っています。
なるほど、そういう考えだったのですか。ただ、「社会主義国」の定義から考えると、社会主義とはかけ離れていても中国は社会主義国です。この議論が終了した後、編集に取り掛かります。--ラッパラー 2011年6月18日 (土) 14:01 (UTC)[返信]
>「そうであるという人間が多数いる」と仰いますが、それを証明できるソースはありません。
Googleで「朝日 反日ファシズム」を検索すると、約307,000件ヒットします。これはとうてい、自作自演の域を超えた数でしょう。
>「社会主義国」の定義から考えると、社会主義とはかけ離れていても中国は社会主義国です。
それでは社会主義国の定義とは何ですか? ただの膨脹主義的帝国主義国にしか見えないのですが。--護国防共団 2011年6月18日 (土) 14:16 (UTC)[返信]
ウィキペディアの社会主義国の定義によれば、「狭義にはソ連型社会主義の国家」となっていますが、これは明白に当てはまりませんし、「広義には社会主義的諸政策を推進している国家」も、日本以上の格差社会ぶりを見れば当てはまらないでしょう。--護国防共団 2011年6月18日 (土) 14:35 (UTC)[返信]
>Googleで「朝日 反日ファシズム」を検索すると、約307,000件ヒットします。これはとうてい、自作自演の域を超えた数でしょう。
私が上で「朝日新聞の報道姿勢について、反日、ファシズム、売国などと感じている人は多いでしょう。これは間違いないと思います。というより、私自身もそう思うことが多々あります。日本で最もアンチの多い新聞であることも間違いないでしょう。」と述べている理由をよくお考えください。私もネットを利用して長い人間ですから、アンチ朝日の言説なんて珍しくもなんともありません(むしろ、デファクトスタンダードです)。しかし、ウィキペディアにおいて、Googleのヒット数自体はソースとして認められません。また、ネットの掲示板やブログなども、ウィキペディアのソースとして認められていません。今回などは、誰でも編集に参加できること、新聞や論文や書籍といった検証可能性を満たす媒体で発表されていないこと、管理人自身が非中立方針を標榜するなど、三大方針全てに反しているのですから、大いに問題ありです。繰り返しますが、ウィキペディアに記述して良いのは「事実に基づく文章」ではなく、「三大方針を満たすソースに基づく文章」なのです。それに納得できなければ、ウィキペディアのルールを変えるよう提唱するか、ウィキペディアを去るかどちらかです。ウィキペディアにおいてルールに反する行動をとってはいけません。
>それでは社会主義国の定義とは何ですか? ただの膨脹主義的帝国主義国にしか見えないのですが。
社会主義国は憲法レベルで社会主義をうたう国だと認識しています。確かに、現在の中国は実態として社会主義とは言えませんし、膨脹主義的帝国主義国という表現はごもっともです。私の手元に、今現在の中国が社会主義国だと規定しているようなタイムリーな文献はありませんので、「中国は社会主義国ではない」という最近のソースがあるなら、あなたの主張を受け入れる用意があります。もっとも、現状の記述は「社会主義国」ではなく「社会主義陣営」であり、うまい具合にぼかしてるな、という印象は持ちます。これでは不満ですか?--ラッパラー 2011年6月18日 (土) 14:48 (UTC)[返信]
>社会主義国は憲法レベルで社会主義をうたう国だと認識しています。
共産党の1党独裁国家を社会主義国と呼ぶのでしたら、同意します。私の言う「防共」もそれに反対する意味です。しかし経済制度理念としての社会主義は、すでに死んでいます。--護国防共団 2011年6月18日 (土) 15:46 (UTC)[返信]
>しかし経済制度理念としての社会主義は、すでに死んでいます。
そうだと思います。現実問題として社会主義は失敗しています。
さて、本来の話題に戻りますが、「誤射」と「反日ファシズム」は差し戻しても良いでしょうか。理由は上記のとおりです。--ラッパラー 2011年6月18日 (土) 15:54 (UTC)[返信]
最後のやり取りは社会主義国の定義に関するもので、本来の議題については言及されていません。ご回答もないようなので、記事を修正しました。--ラッパラー 2011年6月18日 (土) 17:25 (UTC)[返信]
深夜まで、朝日の弁護、ご苦労様です。
>ご回答もないようなので、
床に入っただけです。
「誤射」については、インターネットの世界で批判と嘲笑の的になったことを実証するには、サブカル辞典が3つも入っていれば十分と考えるので、復活させました。
朝日の項目にあなたが書かれた社会主義国の定義の出典は何ですか? あなた独自の定義であるなら無価値、それこそ独自研究であり、中国は社会主義国ではないと考えるので、「反日ファシズム」を前に戻します。「共産党の1党独裁国家を社会主義国と呼ぶのでしたら、同意します」と書いたのも、この場限りの同意であって、とうてい一般的な定義とは言えません。冷戦後の中国は資本主義国家で、社会主義国と言い張るのは冷戦思考に凝り固まった人間だとは、朝日OBの田岡俊次でさえ、テレビで再三にわたって言っていることです。--護国防共団 2011年6月19日 (日) 04:36 (UTC)[返信]
護国防共クラブの活動お疲れ様です。
完全に議論は平行線ですね。これ以上、二人だけの議論で事を進めるのは難しそうなので、朝日新聞のノートに議論を移し、第三者の意見も交えてみましょう。無期限ブロックになった某氏を思い出します。--ラッパラー 2011年6月19日 (日) 15:51 (UTC)[返信]
恫喝上等。「朝日人」らしくなってきましたね。朝4時近くまでの朝日弁護、ご苦労様です。しかし、朝日のノートに、自分に都合の悪いことを伏せることはやめて下さいね。--護国防共団 2011年6月20日 (月) 11:26 (UTC)[返信]
自分に都合の悪いことを伏せた事実はありません。あなたは「反日ファシズム」を「近年」節に移すべきという主張の理由として、「今の朝日を特徴付けるキーワードのひとつ」「そうであるという人間が多数いる」と仰っています。その根拠を問うと、Googleのヒット数を挙げられました。「中国は社会主義ではないので、ソ連と一緒に書くことに異論あり」なら、先ほどあなたが朝日新聞のノートで主張されたように、中国とソ連の記述を分け、両方とも「批判」節に書けば良いのです。その記述方法なら、私も異論ありません。書くべき場所にあり、ふさわしい記載内容で、ソースもしっかりしているからです。
無期限ブロックになった某氏と私は、今回と同じように議論が平行線になり、個人の会話ノートから記事のノートに議論を移したことがありました。そのことを彷彿とさせる展開だなぁという感想です。恫喝だと感じられたのなら真意ではありません。--ラッパラー 2011年6月20日 (月) 12:29 (UTC)[返信]
1週間あまり静観しましたが、あなたを支持する意見は1件もなかったので、元に戻させていただきます。--護国防共団 2011年6月29日 (水) 11:36 (UTC)[返信]
あなたを支持する意見もありません。よって、差し戻しました。--ラッパラー 2011年6月29日 (水) 12:21 (UTC)[返信]

忠言

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新聞、それも五大全国紙に関して精力的に編集しておいでですが、それならウィキペディア日本語版のような狭い世界でやらずに、新聞学や社会情報学を本格的に修められてはいかがですか? 今のままでは言いたい事を書き散らしているだけの自己満足で終わると思いますよ。--220.100.58.10 2011年7月25日 (月) 07:02 (UTC)[返信]

ご忠言を頂き恐縮ですが、220.100.58.10さんの真意について測りかねています。私の編集姿勢に問題があるのでしたら、もう少し詳しく説明して頂けないでしょうか?--ラッパラー 2011年7月25日 (月) 11:52 (UTC)[返信]

ご注意

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朝日新聞#番組表の記述が受け容れられないからと言って、一文ごとに「要出典」を貼りまくらないで下さい。{{出典の明記|section=1|date=XXXX年X月}}を当該節のトップに貼ればいいだけの話でしょう。あなたほどの方がこの書式を知らないとは言わせませんよ。--220.100.59.42 2011年8月18日 (木) 08:49 (UTC)[返信]

「一文ごとに」に貼っているのではなく、「出典が必要な部分」に貼っています。文全てのこともあれば、文章の一部のこともあります。「要出典」と「要出典範囲」を併用しているのはそのためです。当該節のトップに貼ってしまうと、「番組表」節のどの部分に出典が必要なのか判別することが困難ではないでしょうか。--ラッパラー 2011年8月19日 (金) 11:15 (UTC)[返信]

他人の書き込みには色々と難癖をつけていながら、自分では、読んでもいない本でテキトーな注をつけないように。--222.150.253.155 2011年9月8日 (木) 08:32 (UTC)[返信]