利用者‐会話:仁倫庵
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こんにちは、仁倫庵さん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
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コピー&ペーストによる新規記事作成の中止のお願い
[編集]こんにちは、仁倫庵さん。記事名を変更する際に、新しい記事を作ってそのまま内容をコピー・アンド・ペーストされているようですが、履歴保存の都合上、ページ名の改名を使うことが強く推奨されています。
また、そのような移動はWikipedia:ウィキペディア内でのコピーをお読み頂きますとお解りの通り、GFDLおよびCC-BY-SA違反となり削除対象となりますので、Wikipedia:ページの改名をお読みのうえ、移動を行っていただくようお願いします。
ただし、この機能は「自動承認された利用者」でなければ使えません。機能が利用できない場合は移動してほしい旨をその記事のノートページに書いて他のログインユーザに移動をお願いしてください。以上、よろしくお願いします。 --HODA(会話) 2016年2月22日 (月) 01:15 (UTC)
「ノースポール」の記事を、改名提案という手続きを経るべきことを知らず、「カンシロギク」というページを作成して記事を移動させてしまった仁倫庵と申します。大変失礼をいたしました。HODAさんにお教えいただきました通り、先ほど、「ノースポール」の記事にて改名提案を行ないました。記事の改名にあたってはしかるべき手続きが要ることをお教えくださり、本当にありがとうございました。--仁倫庵(会話)
ノースポールの改名提案について
[編集]議題名でノートを新規作成せず、ノート:ノースポールに書き加える形で改名提案をお願い致します。--K-iczn(会話) 2016年2月22日 (月) 08:58 (UTC)
初めまして。仁倫庵と申します。お教えいただきました通り「ノースポール」の改名の議論については「ノート:ノースポール」で行なうようにいたしました。ご指摘いただきましてありがとうございました。--仁倫庵(会話) 2016年2月22日 (月) 09:13 (UTC)
- 横から失礼します。仁倫庵氏が同意されていますので、仁倫庵氏ご自身によりノート:「ノースポール」の記事名の改名についてにおける仁倫庵氏の発言を除去した上で{{即時削除|全般8}}を貼って頂けないでしょうか? そうすれば即時削除されます。--124.108.255.250 2016年2月22日 (月) 12:54 (UTC)
オウレンなど
[編集]ふりがななど不要です。ふりがなの不要な書き方を工夫すべきです。そのふりがなも1年を(ひととせ)と読ませるなど全く無意味な独りよがりです。今後このようなまねはやめていただきたい。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 01:15 (UTC)
- 書き直しを見ましたが、勘弁してください。あのレベルの文字にふりがななど不要です。それから概要を肥大化するのもやめてください。後ろに形の特徴や薬草としての話があるのは分かりませんか?加筆するならそこへ願います。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 02:35 (UTC)
- あと、無駄な文が多すぎます。「冬になっても葉が枯れること無く1年の間ずっと葉が緑のままである常緑の草である。また、1年で枯れることは無く、それより長く生き続けることがよく出来る多年草でもある」こんなの『常緑の多年草』ですべて言い尽くされているんですよ。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 02:39 (UTC)
こんにちは。「オウレン」の記事においてふり仮名を振る編集を行ない、Keisotyoさんから貴重なご指摘をいただきました仁倫庵と申します。
まことにKeisotyoさんのおっしゃる通り、Wikipediaのような事典においては出来るだけふりがなの不要な書き方を工夫すべきだったと深く反省しております。
また、出来るだけ外来語(漢語)を避けようとして、「ひととせ」など今の世では一般的でない言葉を使い、記事を分かりにくくしてしまったことについても深く反省しております。
「オウレン」の記事についてもそうした方針に基づいて改めて編集しなおさせていただきました。
これからはこのような事の無いように努めますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
このたびは貴重なご指摘をいただき、誠にありがとうございました。--仁倫庵(会話) 2016年2月24日 (水) 02:40 (UTC)
改めてKeisotyoさんから貴重なご指摘をいただきました仁倫庵でございます。
「あのレベルの文字にふりがななど不要です」とのご指摘を受け、「オウレン」を一切のふりがなを用いない書き方にて改めて編集をし直しました。
また、「概要を肥大化するのもやめてください」とのご指摘を受け、花期などについての記述はあとの「特徴」のところに、薬草としての話は「生薬」のところにのみ加筆することにいたしました。
たび重なるご指摘をいただきましたことをまことに恐縮に思っています。
このたびは本当にありがとうございました。--仁倫庵(会話) 2016年2月24日 (水) 04:02 (UTC)
- 「日本の公共放送である」なども無駄ですね。それと、「とある番組で選んだ」程度の話を取り上げる必要はないと思います。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 04:33 (UTC)
- ご指摘、確かに了解いたしました。いろいろとお手数をおかけし、申し訳ございませんでした。--仁倫庵(会話) 2016年2月24日 (水) 05:10 (UTC)
誕生日の花だかなんだか
[編集]そんなある番組で決まっただけのことをあちこちの記事に書きまくるのは止めてください。何の重要性もありませんよ。そしてそのたびに柱にあれこれ曰わくを書くのも無意味です。それのための記事があるのでしょう?書きたかったらそこに書いて、そこから出てこないでください。--Keisotyo(会話) 2016年2月25日 (木) 10:19 (UTC)
- 誕生花についての記載は何の重要性もないとのKeisotyoさんのご指摘、確かに了解いたしました。
- これからはウィキペディアの個々の植物の項目に誕生日の花についての記載を行なうことは取りやめることにいたします。
- 記事の修正についてKeisotyoさんにお手数をおかけいたしましたことを心からお詫び申し上げます。
- このたびは誠に申し訳ございませんでした。--仁倫庵(会話) 2016年2月25日 (木) 19:26 (UTC)
アホか
[編集]多年草を「一年や二年では枯れず」と書くのは間違いです。総称を「○○属すべてを指す言葉」と書いてもわかりやすくはなりません。ふりがなを付けないでください。というか、もうWikipediaには何も書かないでください。--Keisotyo(会話) 2016年2月28日 (日) 22:03 (UTC)
- あと、フリージアにいくつリダイレクトを作る気ですか?あんなの全部、フリージアの記事に別名として書けばいいだけ。それを更に漢字名にするなど、もはや狂気の沙汰です。早々に削除依頼を出して撤収してください。--Keisotyo(会話) 2016年2月28日 (日) 22:32 (UTC)
- Keisotyoさん、こんにちは。
- わたくしの昨日、2月28日の、おそらく「フリージア」の項目(わたくしの編集した最終版は「こちら」)における編集活動が、Keisotyoさんに著しい不快感を与えてしまいましたようで、この上なく申し訳なく思うばかりです。わたくしのやった事が、これまで長らくこちらWikipediaで活動されてきたKeisotyoさんをして、「アホか」あるいは「というもうWikipediaには何も書かないでください」などという言葉を使わざるを得ないほど激しい不快感を与えてしまったことについては、わたくしは ただただ申し訳なく、心からお詫びするしかございません。本当にすみませんでした。
- 「多年草を『一年や二年では枯れず』と書くのは間違いで」あるというご指摘、「総称を『○○属すべてを指す言葉』と書いてもわかりやすくはな」らないというご指摘、そして「ふりがなを付けないでください」とのご要請、すべて確かに了解いたしました。
- とりわけ ふりがなについては、これからはWikipediaにおいては一切使用しないという事をはっきりと ここにお誓い申し上げます。
- Wikipediaにおけるわたくしの不適切なふるまいについて、再三にわたって利用者ページで指摘して、改めるように注意をうながしていただくなど、多大なるご面倒をおかけいたしておりますことにも重ねてお詫びを申し上げます。
- Keisotyoさんのお言葉を拝察するに、お許しが いただけるかどうかに つきましては大変 心もとない限りではございますが、今後は心を入れ替え、以上の方針を確かに守ってWikipediaでの活動をまじめに続けていきたいと存じますので、何とぞご了承いただきたく、伏してよろしくお願い申し上げます。--仁倫庵(会話) 2016年2月28日 (日) 23:04 (UTC)
- 「フリージア」という記事へのリダイレクトの作成につきましても、「あんなの全部、フリージアの記事に別名として書けばいいだけ。それを更に漢字名にするなど、もはや狂気の沙汰です」とのご指摘、確かに了解いたしました。
- これからただちに昨日作成いたしましたへのリダイレクト記事について、「削除依頼を出して撤収」するようお願いいたしたいと存じております。
- このたびは本当に、申し訳ございませんでした。--仁倫庵(会話) 2016年2月28日 (日) 23:10 (UTC)
- 種とか内とかつまらない漢字にまでふりがな打ってますよね?スギでは常緑樹をあえて『ときわ木』と読ませてますよね?すべて私が上の方で指摘して、あなたが謝罪したことですよね? それらを見ると、あなたの謝罪がうわべだけで指摘を反省する気がないか、あるいはそれらの指摘を理解することが出来ないか、そのどちらかだと考えられるわけです。であれば、ここはこの場から手を引いてほしい、私はそう考えます。--Keisotyo(会話) 2016年2月28日 (日) 23:29 (UTC)
- わたくしの考え無しの行ないがKeisotyoさんに多大な不快感を与えてしまった事実はかき消すことのできない厳然たる事実でありますので、本来、言い訳がましいことは申し上げるべきではないかもしれないとも存じます。ただ、もしもKeisotyoさんがわたくしについて、「謝罪がうわべだけで指摘を反省する気がない」などという認識を持っていらっしゃるのであれば、それだけは違うのだということを わかっていただけない限り、Keisotyoさんも不快の念が収まらないのではないかと存じますので、Keisotyoさんがこのたび ご指摘くださった事柄についてのみ、どうしてそうした行ないに出たのかという見苦しい弁解をさせていただくことにいたします(ただしこれは、「今でもそう考えている」ということでも、「そうしたふるまいには真っ当な理由が有ったのだ」とかいったことを言い立てるためではなく、あくまで ただ、「『当時は』このように考えてしまったのであって、Keisotyoさんへの「謝罪がうわべだけで指摘を反省する気がな」かったなどというわけでは断じて無かったのだということのみをお伝え申し上げるためのものであることをご理解いただきたく存じます。
- まず「種とか内とかつまらない漢字にまでふりがな打って」いるとのご指摘についてお答え申し上げます。
- このうち「種」につきましては、それが植物についての記事の中で言及しなければならない言葉でありましたため、一定以上の前提知識を持ち合わせていなければ、誤って「タネ」と読み間違えてしまわれるのではないかと わたくしが勝手な恐れを抱いたからであります。(動物についての記事を書くのであれば、「種」に ふりがななど打たなかったと思います)。Keisotyoさんはこのことについて、「私が上の方で指摘して、あなたが謝罪したことで」あるとおっしゃっています。そこで改めてこのページの「上の方」を読み返すに、おそらく具体的には、「オウレンなど」の章にある、「ふりがなの不要な書き方を工夫すべきです。そのふりがなも1年を(ひととせ)と読ませるなど全く無意味な独りよがりです」及び、「あのレベルの文字にふりがななど不要です」とのご指摘がそれに当たるのかと存じます。
- わたくしが「種」という言葉への ふりがなが「不要」ではなく「有要」だと考えてしまった理由は上に述べた通りです。もちろん わたくしも、「ふりがなの不要な書き方を工夫」しようと、「種」などという漢字を使わないでこれを言い換えることが出来ないかについて、かなり一生懸命 努力はしました。しかし、浅学菲才の身の上にして、わたくしは この言葉を「種」以外のどういった言葉でも言い換える事が結局出来ませんでした。かといってこれを「しゅ」と ひらがなで書いたり「シュ」とカタカナで書いたりする事にもやはり違和感が残り、そうした事を色々と考え合わせた上で、「種」という漢字を使いつつ、そこに「しゅ」という ふりがなを打つというやり方を選んでしまったわけであります。これは「1年を(ひととせ)と読ませるなど」の「全く無意味な独りよがり」とは違い、上に述べたようなしっかりとした「意味」のある、そして自らのことだけを考える「独りよがり」な態度とは対極にある、「利用者のため・読者のため」の選択であるので、Keisotyoさんが「上の方で指摘して、」わたくし「が謝罪したこと」とは全く違うものである、と、当時の私は考えました。
- 次に「内」につきましては、わたくしも本当は漢字で書いてルビを振る、といったことは出来れば避けたいと考えていました。ただ、(これはKeisotyoさんを非難して言うのではなく、あくまで当時の わたくしがそう考えた、という事情としてのみ ご理解いただきたいのですが、)Keisotyoさんが「オウレンなど」におけるご指摘の中で、「概要を肥大化するのもやめてください」と おっしゃった事に何とか従わなければならない、という強迫観念が そうさせたものだったのです。
- 「肥大化するのもやめてください」と言われたものの、「概要」は どれほどの量が適切なのか、どれほどを超えたら「肥大化」なのか、こちらのWikipediaでは具体的な指針を特に見付けることが出来ませんでしたので、さまざまなWiki系サイトを閲覧して回ってみたところ、「定義節(概要)は250字以内で」と書いてあるところがあったのです。
- 「~などのうち」などという場合の形式名詞的な「うち」(つまり、空間的な「内」ではない、概念としての「うち」)は本来、形式名詞の「こと」や「とき」と同じく、漢字で書いてしまっては具体的な、つまり実質名詞としての意味を持ってしまいかねませんので、なるべくならカナ書きが望ましいと 以前から わたくしは思っていました。ですので、最初は「内」に ふりがなを打つなどということはせず、あくまで ひらがなで「うち」と書こうとしておりました。しかし、文章力の無さからか、概要を250字以内でまとめきることが出来なくなったとき、何とか一字でも減らして250字以内に収めなければならないと試行錯誤するうちに、「うち」を「内」にして一字分減らした上で、それが実質名詞としての(、つまり空間的な意味での)「内」ではないのだと言い訳をするために「うち」と ふりがなを打つ、という安易な方向に走ってしまったわけであります。こうした「意味」があり、読んでいただく人に少しでも誤解を少なくしていただきたいとの意図から出た利他的な行ないでありましたため、これもまた、「1年を(ひととせ)と読ませるなど」の「全く無意味な独りよがり」とは異なるものだと わたくしは一方的に判断してしまいました。
- しかし、わたくしが そう考えて行なった こうした ふるまいを、Keisotyoさんが、「私が上の方で指摘して、あなたが謝罪したこと」だとおっしゃる以上、わたくしはKeisotyoさん「の指摘を理解することが出来な」かったのだと言わざるをえません。残念ですが、Keisotyoさんのご指摘の内容はKeisotyoさんご自身がお考えになる内容であるに決まっているのですから、わたくしが それを どういう理由でどう とらえたかなどということは、わたくしがKeisotyoさん「の指摘を理解することが出来な」かった正当な理由にはなりえないのであります。
- 最後に、「常緑樹をあえて『ときわ木』と読ませ」た件について申し述べます。この件についてもKeisotyoさんは、「私が上の方で指摘して、あなたが謝罪したこと」だとおっしゃっています。具体的にはおそらく、「オウレンの件」の章にある、「1年を(ひととせ)と読ませるなど全く無意味な独りよがりです」とのご指摘に対し、わたくしが「『ひととせ』など今の世では一般的でない言葉を使い、記事を分かりにくくしてしまったことについても深く反省しております」と謝罪したことを おっしゃっているのだと思われます。
- 当時、わたくしは「1年を(ひととせ)と読ませるなど全く無意味な独りよがりです」とのご指摘をお受けしたとき、慌てて国語辞典で「ひととせ」という言葉を調べました。すると その結果、「ひととせ」は「雅語」、つまり、「日常のくだけた会話や文章には常用されず、短歌・俳句などの詩的表現や文語文に多く用いられるヤマトコトバ」であるという事を知りました。そこでわたくしは「『ひととせ』など今の世では一般的でない言葉を使い、記事を分かりにくくしてしまったこと」を「深く反省し」たのです。また、一部の国語辞典においては、「ひととせ」という言葉は、ただ単に「一年」という意味ではなく、「以前のある年・一か年」という意味であると記しているものもありました。「ひととせ」が単に「一年」という意味でなく、「以前の」という意味を含んでいたとすれば、現在、及び未来の事についても述べなければならない文脈において「ひととせ」という言葉を用いたことは「全く無意味」で「独りよがり」だったということになります。Keisotyoさんのご指摘は全く正しく、わたくしは全く間違っていたのです。そのことに気付かされた わたくしは心から反省し、謝罪申し上げたわけであります。このことに一片のウソもなかったことだけは何とぞご理解いただきたいのです。
- 以上の反省に基づき わたくしは、言うまでも無く「ときわ木」という言葉を用いることが「全く無意味な独りよがり」に当たらないか どうか、具体的には「ときわ木」という言葉が現代では完全にすたれた古語や、短歌や俳句・文語文にのみ用いられる「雅語」に当たらないかという事と、「ときわ木」という言葉が文脈とズレた別の意味を持っていないかということを国語辞典で調べました。わたくしが この時に用いた国語辞典は『新明解国語辞典』の第六版です。すると「ときわぎ」の項目にははっきりと、「一年じゅう、緑色の葉の見られる木。常緑樹」とあり、古語である旨の記述も雅語である旨の記述も一切 有りませんでした。(『新明解国語辞典』では古語には「〔古〕」、雅語には「〔雅〕」というマークが付いているのですが、「ときわぎ」にはそれが有りませんでした。
- 「今の世では一般的でない言葉を使い、記事を分かりにくくしてしまったこと」を「深く反省し」ていた わたくしは、こうした調べ事をした上で、「ときわ木」という表現を用いました。それは、Keisotyoさんのご指摘とも、わたくしの反省とも矛盾しない行ないであると勝手な解釈をしてしまいました。もしかしたら こうした態度そのものが、Keisotyoさんの目には「独りよがり」だと映ったのかもしれません。そう言われれば言い訳のしようもございません。
- いずれにせよ、わたくしが どのように考えたのであれ、Keisotyoさんが「私が上の方で指摘して、あなたが謝罪したこと」だとおっしゃる以上、わたくしはKeisotyoさん「の指摘を理解することが出来な」かったのだと言わざるをえません。Keisotyoさん「の指摘」の内容はKeisotyoさんの「理解」するところのものが正しいに決まっているのであって、わたくしがご指摘に対して反省して謝罪するとはっきりと言明しておきながら、またも、Keisotyoさんが「私が上の方で指摘して、あなたが謝罪したこと」だと おっしゃる事を わたくしが繰り返したのだとすると、わたくしの態度は まことに不誠実なものであると映るのが当然だと思います。
- そこで わたくしは先ほどの記述において、わたくしが どう考えるかにかかわらず、今後 一切 Wikipediaにおいて ふりがなは打たないとお誓い申し上げました。
- しかし それでもKeisotyoさんは わたくしに、「ここはこの場から手を引いてほしい」と おっしゃいます。Keisotyoさんの目には どうも わたくしの ふるまいが、何か、よほど悪意を持ったものであると映ってしまっているのかもしれないとただただ反省させられるばかりです。
- わたくしといたしましても決して、Keisotyoさんに これ以上 不快な思いをさせてしまうことは全く本意ではありません。特に、「アホか」とか「物言いウザイ」などといった言葉をわたくしに投げつけられるに至っているのを拝する限り、もはや わたくしの存在そのものがKeisotyoさんを いらだたせているのかもしれないとさえ思われ、悲しくてなりません。ここは取りあえず、お互いにクールダウンし、冷静になる期間が必要で有るのではないかと思われます。
- そこで具体的なご提案ですが、Keisotyoさんの おっしゃる通り、ここはひとまず、わたくしが ここから手を引くことで何とぞご勘弁いただけないものでありましょうか。
- もちろん ここで、未来永劫Wikipediaにはタッチしないとまでお約束することは さすがに わたくしも出来かねますが、本日2016年2月29日から最低でも1年間、Wikipediaの編集には一切タッチしないことをお誓い申し上げるということでいかがでしょうか。(さまざまなインターネットサイトにおいても、明らかに最初からいたずら目的の、悪意を持った参加者以外が何らかの問題を起こしているという場合には、「1年間の出入り禁止」ということにしてお互いに距離を置き、頭を冷やすということで、「1年間」という期間は一つの目安になっていることが多いと存じます)。
- それでもご納得いただけない、と言われてしまえば、わたくしとしてはこれ以上は途方に暮れてしまうしかなく、Wikipediaの規則なり慣習なりに従い、処分が下るのであれば受け入れる、ということを申し上げる事しか現時点では出来ないのですが、上記の処置で一つご勘弁いただけないものでしょうか。
- とりあえず、Keisotyoさんからご依頼のあった「フリージア」の項目へのリダイレクト記事の削除依頼(やり方が よく分からなくて現在調査中ですので今しばらくご猶予を下さい)を最後にして、今後1年間は記事の編集・更新などはいたしません。Keisotyoさんのご理解がいただけます事を ただただ祈るばかりです。以上--仁倫庵(会話) 2016年2月29日 (月) 02:21 (UTC)
- わたくしの考え無しの行ないがKeisotyoさんに多大な不快感を与えてしまった事実はかき消すことのできない厳然たる事実でありますので、本来、言い訳がましいことは申し上げるべきではないかもしれないとも存じます。ただ、もしもKeisotyoさんがわたくしについて、「謝罪がうわべだけで指摘を反省する気がない」などという認識を持っていらっしゃるのであれば、それだけは違うのだということを わかっていただけない限り、Keisotyoさんも不快の念が収まらないのではないかと存じますので、Keisotyoさんがこのたび ご指摘くださった事柄についてのみ、どうしてそうした行ないに出たのかという見苦しい弁解をさせていただくことにいたします(ただしこれは、「今でもそう考えている」ということでも、「そうしたふるまいには真っ当な理由が有ったのだ」とかいったことを言い立てるためではなく、あくまで ただ、「『当時は』このように考えてしまったのであって、Keisotyoさんへの「謝罪がうわべだけで指摘を反省する気がな」かったなどというわけでは断じて無かったのだということのみをお伝え申し上げるためのものであることをご理解いただきたく存じます。
- 種とか内とかつまらない漢字にまでふりがな打ってますよね?スギでは常緑樹をあえて『ときわ木』と読ませてますよね?すべて私が上の方で指摘して、あなたが謝罪したことですよね? それらを見ると、あなたの謝罪がうわべだけで指摘を反省する気がないか、あるいはそれらの指摘を理解することが出来ないか、そのどちらかだと考えられるわけです。であれば、ここはこの場から手を引いてほしい、私はそう考えます。--Keisotyo(会話) 2016年2月28日 (日) 23:29 (UTC)
リダイレクト削除審議のお知らせ 2016年2月
[編集]リダイレクト削除依頼からのお知らせです。仁倫庵さんが作成したリダイレクト(または作成後にリダイレクト化されたページ)に対して削除依頼が提出されております。つきましては、審議への参加をお願いいたします。対象リダイレクトの審議場所:Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2016年2月#RFDアサギスイセン
ご注意:※仁倫庵さん作成のリダイレクトのうち、複数が追加で依頼される場合があります。しかし当月分に関しては再び通知されることはありませんのでご注意ください。当月の審議ページを「ウォッチリストに追加」して、チェックすることを強く推奨します。※このお知らせを翌月7日までに過去ログ処置などで消去した場合、仕組み上、同じ文章が再度投稿されますのであらかじめご了承願います。※このお知らせはBotにより自動投稿されています。この下にメッセージを書き加えても、返答が付くことはありません。自動投稿に関する問い合わせは「Bot運用者の会話ページ」にお願いします。--AltoBot(会話) 2016年3月1日 (火) 15:19 (UTC)