利用者‐会話:柴崎力栄/過去ログ2

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過去ログ「1

  1. 新規の書き込みは、このページの一番下にお願いいたします。
  2. 過去ログには書き込まないでください。
  3. 署名をお願いします。


海軍兵学校卒業生一覧 (日本)[編集]

--2010年6月21日 (月) 07:01 (UTC)。--藤原朝臣二川藤太郎光綱

藤原朝臣二川藤太郎光綱さん。まず、Wikipedia:チュートリアル リンクをお読みください。そこに書いてある通り「パイプ付きリンク」で存在する別項目へ直接リンクを張るのが通常の用法です。ですから、Wikipedia:雑草とり#適切でないリンクを直すに「曖昧さ回避のページやリダイレクトページへのリンクを適切なものに変えるのもいいことです」と説明されることになります。また、Wikipedia:リダイレクト#リダイレクトの解消に「リダイレクトに対してリンクされている記事を見つけた場合、編集して直接リダイレクト先の記事を参照するように修正」しないほうがいい場合と、したほうがいい場合とかが示されています。上記案件は修正した方がいい場合に当たります。--rshiba 2010年6月21日 (月) 07:23 (UTC)[返信]
柴崎力榮殿」の「投稿履歴」を見ましたら、
賀陽宮治憲王殿下樣」を、『「賀陽宮治憲王」』に、「編集した理由」が、「分かりました」。
「轉送無」での「閲覧可能」な「状態」に「編集」していた事が、「分かりました」。
賀陽宮治憲王殿下樣ダケ」の「編集」でしたので、「編集理由」が、「分から無かった」です。
--2010年6月21日 (月) 08:30 (UTC)。--藤原朝臣二川藤太郎光綱

枢密顧問官なのに項目がない人物[編集]

柴崎力榮殿」の「利用者ページ」の、 「枢密顧問官なのに項目がない人物」の「細川潤二郎」は、もしかして、「細川潤次郎」の事ですか?。 --2010年6月21日 (月) 09:11 (UTC)。--藤原朝臣二川藤太郎光綱[返信]

確かにそのようです。遠山茂樹・安達淑子著『近代日本政治史必携』(岩波書店、1961年)の誤植をそのまま書き込んだのが原因のようです。『樞密院高等官履歴 第4巻 大正ノ二』(東京大学出版会、1997年)には、国立公文書館が所蔵する履歴書の写真版に「細川潤次郎」となっています。--rshiba 2010年6月21日 (月) 09:22 (UTC)[返信]
柴崎力榮殿」に、「ビックリ」して行ます。
国立公文書館所蔵」の「履歴書の写真版」の「細川潤次郎」は、「普通の人」は、「見れ無い」です。
サッキ、「柴崎力栄」と「検索」をしましたら、「柴崎力栄(日本近現代史専攻)」と、「検索結果」が出ました。
柴崎力榮殿」と、「柴崎力栄(日本近現代史専攻)殿」は、「同一人物では?」と思えて仕舞いました。
--2010年6月21日 (月) 09:56 (UTC)。--藤原朝臣二川藤太郎光綱
コメントする際にはインデントを整えてください(これにコメントする際には行頭に「::::」と書いてから文章を書く。「*」ではなく「:」を用いたほうがきれいです)。さて、いちおう本職ですから、上記刊行物『樞密院高等官履歴』はリファレンスとして手元にあります。しかし今の時代、ネット経由で一般の方も同じ情報を見ることができます。国立公文書館アジア歴史資料センターのサイト[1]において簡易検索窓に「細川潤次郎」と入力し検索すると、93件ヒットします。丹念に見て行くと、レファレンスコード Ref.A06051174800に同じ文書があります。同サイトのレファレンスコード検索に「A06051174800」と入れると、ダイレクトでその文書に飛ぶこともできます。--rshiba 2010年6月21日 (月) 10:22 (UTC)[返信]

竹田宮家[編集]

竹田宮恒徳王』の「記載事項」を「見ましたら」、

竹田宮恒徳王殿下樣」の「配偶者の氏名」が、「母の氏名」に成って居ました。

竹田宮恒徳王殿下樣」の「配偶者」を「知ら無い」ですので、「訂正」が「無理」でした。
柴崎力榮殿」は、「日本近現代史専攻」との事ですので、

竹田宮恒徳王殿下樣」の「配偶者の氏名」の「訂正」を、ヨロシク御願します。

竹田宮恒正王』・『竹田宮恒治王』・『竹田宮恒和王』・『竹田宮恒泰王』に付いては、

「検討」した「結果」、「即時削除申請」は「出来無」との「結論」に成りましたので、「御連絡」します。

--2010年6月23日 (水) 04:50 (UTC)。--藤原朝臣二川藤太郎光綱
「ワシ」は、シバラクの間は、「日本帝國ユアペディア」に、「戻ります」。
柴崎力榮殿」に、

教えていただきました「文章の作成の仕方」を、「日本帝國ユアペディア」で、「活かしたい」と思います。

--2010年6月23日 (水) 17:41 (UTC)。--藤原朝臣二川藤太郎光綱

皇族軍人[編集]

(質問状):「皇族軍人」は、「元帥」・「大将」・「中将」・「少将」ダケですか?。
(質問状):「北白川宮輝久王」は、「皇族軍人」ですか?。
「日本陸海軍人名辞典」を「所持」していますので、「元帥」・「大将」・「中将」・「少将」の「投稿記載」が「可能」ですが、
「ワシ」が、「投稿記載」しますと、「揉事」が「起きる可能性」が「在ります」ので、「質問」します。
--2010年8月22日 (日) 09:40 (UTC)。--藤原朝臣二川藤太郎光綱

リダイレクトの即時削除依頼について[編集]

柴崎力栄さん、はじめまして。Penn Stationと申します。記事移動後のリダイレクトである板橋区立稚竹幼稚園について即時削除を依頼されていますが、この場合、即時削除可能なリダイレクトは「事前に改名の議論を経て合意を得た移動により発生した、項目名に曖昧さ回避の括弧を含むリダイレクト」となります(WP:CSD#リダイレクト3をご確認ください)。当該リダイレクトはこれに適合しないため、削除を希望される場合は、お手数ですがWikipedia:リダイレクトの削除依頼をご利用ください。また、記事間のリンク切れを防ぐため、依頼提出時にリンク元がないかどうか確認していただき、もしあれば予めリンク元修正をお願いいたします。なお、ノートにつきましてはWP:CSD#リダイレクト5が適用可能なため、即時削除させていただきました。以上、よろしくお願いいたします。--Penn Station 2010年10月5日 (火) 09:18 (UTC)[返信]

了解しました。--rshiba 2010年10月5日 (火) 10:19 (UTC)[返信]

Category:水交社につきまして[編集]

はじめまして。いつもお世話になっております。「Category:水交社の人物」についてですが、収録範囲に異存はございません。「Category:水交会の人物」が立ち上げられたときに、私も収録範囲はどうなるんだろう?と疑問に感じていたのですが、まぁ柴崎力栄さんが何とかしてくれるだろうと思っておりました。ホントです。予想通りの展開となりましたので安堵しております。恐らく下村忠助につき疑問に思われたかと存じますが、水交社の機関誌投稿者に該当いたしますのでカテゴリに加えました。機関誌投稿者が部外者を想定されているのであれば除外しなければなりませんが、その場合には収録要件に「部外者に限る」と明記する必要があるかと思います。ただ要件の「社員であっただけの人物を含まない」から考えますと社員かつ投稿者は該当すると考慮した次第です。投稿の事実は[2]の2/78で確認できます。

「Category-ノート:水交社の人物」へ書き込むようお誘いを受けましたが、収録範囲には全く同意ですのでこちらに書き込ませていただきました。ついでなのですが、清瀬一郎迫水久常を「Category:水交会の人物」に加えております。名誉会員でかつ寄稿歴ありを「水交会編『回想の日本海軍』原書房」にて確認しております。清瀬は東京裁判、迫水は2・26事件、終戦活動と特に重要な出来事に関わっていることを考慮しました。ただ役員ではありませんので除外しても構いません。

以上になります。何かご不明な点がございましたら私のノートの方へお願いいたします。それでは柴崎様に敬意を表しつつよいクリスマスを。--Stingfield 2010年12月25日 (土) 05:57 (UTC)[返信]

本文に記載するのが理想ですが、それがやりにくい場合にはコメントアウトで「[[Category:水交社の人物]]<!-- 水交会編『回想の日本海軍』〇〇頁 -->」などと記入しておいて頂くと、後で他の方々が参照する際に便利かと考えます。--rshiba 2010年12月25日 (土) 06:27 (UTC)[返信]

お願い[編集]

こんにちは、DRKAWAです。皆様のお陰をもちまして、Category:日本の高等教育の教員のカテゴリ付与が完成に近づきつつあります。しかし、日本以外のCategory:高等教育の教員の編集がペースダウンしています。作業履歴を概観しますと、参加メンバーのそれぞれの都合がつかず、パワーが全体に不足しているようです。可能ならば日本に関係の深い主要大学(あと30校くらいです!)だけでも年度内(2011年3月中)に仕上げたいのですが、Category:XX国の高等教育の教員付与されたままの人物が増加してきており、下位のカテゴリ作成およびカテゴリ付与が追いつかない状態です。ご興味のある範囲で結構ですので、気の向いた時にお力添えをお願いできれば幸いです。このお願いに、失礼があればお許しください。--DRKAWA 2011年1月17日 (月) 03:16 (UTC)[返信]

了解しました。断片的な時間にやります。--rshiba 2011年1月17日 (月) 06:22 (UTC)[返信]
上と関係ないですが、お知らせです。カッコつきのノートの即時削除を戻しているみたいですが、ノートページでもカッコつきの場合は即時削除の方針「リダイレクト3-1」が適用されますので以後はリダイレクト3-1を理由としてのsdを貼っているものを戻さないようにお願いします。--219.105.45.147 2012年6月23日 (土) 18:20 (UTC)[返信]
ノートページであっても、カッコつきのリダイレクトは有用ではありませんのでこの点の理解のほうをよろしくお願いします。--219.105.45.147 2012年6月23日 (土) 18:28 (UTC)[返信]
この場合は例外です。(スループ)を(巡洋艦)に改名提案→合意なしで書き替えたIPアドレスの方が、昨年11月に存在したのが発端です。今回はそれを元に戻すとともに、周辺を整えたわけです。将来の同様の編集を防止するために存在した方がいいでしょう。--rshiba会話2012年6月24日 (日) 01:10 (UTC)[返信]
参考のためにWikipedia:リダイレクトの削除依頼/2012年6月をウォッチしておきましょう。--rshiba会話2012年6月26日 (火) 01:50 (UTC)[返信]

常陸丸事件について[編集]

こんにちは、Kkkunです。自分のノートにも書いたのですが、素人で良くわからないので、こちらにも書きますね。 常陸丸殉難事件でのジョンキャンベル以下の英国人の合祀について回答致します。私の情報ソースですが、ずばり靖国神社です。これは靖国神社で確認済みでして、今手元にないのではっきり書けませんが、靖国神社百年史にも掲載されていたと思います(うろ覚えで申し訳ない)。それが証拠に記念碑前で何故慰霊祭をするかと言う事です。つまりジョンキャンベル以下、遭難者全員が合祀されていれば、靖国神社の本殿で祭典をすれば良いのであって、わざわざ記念碑前で祭典をする必要はありません。またこの祭典の名称は「常陸丸殉難者霊祭」で「殉難者」となっています。この言葉からもわかると思います。ちなみに、この祭典の4日後に本殿で斎行される蛤御門での戦没者の慰霊祭は「甲子殉難御祭神霊祭」で「御祭神」となっています。 読売新聞の記事は、おそらく英国人船長も含めて丁重に慰霊祭をした事から、英国人も合祀をされたとの思い込みからの記事ではないかと思います。 で、脚注に示す件ですが、靖国神社に確認済みと書くのは変だと思われるのでそのままの掲載にさせて戴きます。百年史の記載がはっきりしましたら、ソースを脚注にかかせて戴きます。--Kkkun 2011年2月18日(金)16:33(UTC)


この件に付、さらなるご意見、ありがとうございました。 私のノートを更新し、解説しましたので、御参照戴ければと思います。--Kkkun 2011年2月19日(土)13:31(UTC)

Category:日本の外交史について[編集]

こんにちは。どんどんと申します。さて、柴崎さんが作成され、直後に「未使用のカテゴリ」タグを貼られたCategory:日本の外交史に関してです。もし、このカテゴリを今後とも使用する予定が無い場合には、お手数ですが、即時削除手続きをお願いできませんでしょうか?やり方としては、Category:日本の外交史に対して、

{{即時削除2|全般8}}

という文言を貼りつけて頂ければOKです。すると、

このページは即時削除の方針に従い、まもなく削除される予定です。
即時削除基準: WP:CSD#全般8 投稿者希望または初版立項者による白紙化

というテンプレートが張り付けられ、(しばらく待てば、管理者さんにより)削除されるはずです。この手続きは、初版作成者のみが可能ですので、お手数ですがよろしくお願いいたします。--どんどん 2011年2月26日 (土) 20:53 (UTC)[返信]

了解。--rshiba 2011年2月27日 (日) 04:17 (UTC)[返信]
ご対応いただき、ありがとうございました。! --どんどん 2011年3月4日 (金) 17:01 (UTC)[返信]

柴崎先生に対する発言の謝罪につきまして[編集]

  • 突然に失礼申し上げます。2010年6月~数カ月程、皆さまに多大なご迷惑をかけておりましたLTA:AJAXという者でございます。その時期に非常に議論に熱中し、不適切な表現を使用し、柴崎先生のご名誉を大変に傷付けるような発言を繰り返してしまったことが、大変に気がかりになっておりました。思い返せば柴崎先生の仰ることがまったくもって正しく、私の発言が間違ったものであることを猛省した次第でございます。

この場をお借りいたしまして、昨年の私の発言を深くお詫び申し上げます。本当にすみませんでした。--114.157.63.69 2011年6月23日 (木) 14:34 (UTC)[返信]

カテゴリ付け替えについて[編集]

本文に当該県出身である文を書き加え、検証可能な出典を明記されるのであれば問題ありませんが、無出典・独自研究にて独善的に出身地カテゴリを付け替えるのはおやめください。--119.107.230.218 2011年8月26日 (金) 12:50 (UTC)[返信]

『秋田人名大事典』(秋田魁新報社)など、如何でしょうか。なお、カテゴリ体系がどういう仕組みで人名に付与されるのかを、ご理解いただけていないようです。「無出典・独自研究」以前の問題で、それぞれの人物の基本的な履歴情報から、「秋田県出身の人物」であることは明白です。--rshiba 2011年8月26日 (金) 15:21 (UTC)[返信]

お茶をどうぞ![編集]

「日本大学」と「山田顕義」の編集にかんして、フォローをありがとうございました。 さんしろ 2011年11月19日 (土) 06:54 (UTC)[返信]

Hisao Kimura[編集]

Hello, is there any possible interwiki for fr:Hisao Kimura, any existing article or one to create ? All best wishes, --Rédacteur Tibet 2012年2月7日 (火) 18:20 (UTC)[返信]

沢田允茂の加筆・修正、大変に助かりました。[編集]

  • 加筆修正の方、ありがとうございました。御鞭撻賜りましたことお礼申し上げます。また、非常におこがましい事ではあるのですが、少し柴崎先生の手の空いた時に拝見して欲しいのですが、フレデリック・イーストレイクの項目です。イーストレイクが慶應義塾の講師であった事は明らかで、書籍検索をしてみても、[3]この通り、「木曜日一イーストレイク氏による英文学の講義」と出ます。お雇い外国人のカテゴリに入れるのは少し尚早と思うのですが、一見していただければ非常にありがたい所存です。--114.154.94.143 2012年2月17日 (金) 18:39 (UTC)[返信]

編集合戦はやめてください[編集]

編集合戦はやめてください。編集合戦はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。タグを剥すのも荒らし。大量に貼るのも荒らしです。復旧したところで意味や表記が変わるわけではないので無駄な編集です。無駄な版を重ねるのは荒らし同等です。--219.121.25.104 2012年3月2日 (金) 02:40 (UTC)[返信]

お気遣いありがとうございます。--rshiba (会話) 2012年3月2日 (金) 02:48 (UTC)[返信]

東邦協会につきまして[編集]

度々、お世話になっております。無礼ながら「東邦協会」について先生に少しご意見申し上げたいのですが、先生が差し戻しなさった[4]の文章ですが、黒龍会が編纂した 『東亜先覚志士記伝(上)』に、独立して東邦協会について書いてある項目があります。そこから引用しましたので削ってしまうのはいささかもったいないと思います。

もう一点ですが、東邦協会の人物からCategory:東邦協会の人物からアジア主義の人物を差し引いてしまうと、大量の人物にCategory:日本のアジア主義の人物を付与せねばならず、これもどうかと思う次第であります。一応、黒龍会が編纂した著書にも詳しく書いてある組織ですから、アジア主義的であるのは疑いようが無いと思います。以上の点について先生の御見解を覗いたく存じます。失礼致しました。--114.154.62.222 2012年3月14日 (水) 02:25 (UTC)[返信]

手持ちの同書で、『東亜先覚志士記伝 上』の記述の存在を確認しました。昨日、日清戦争前の『東亜協会報告』を国会図書館で通覧した直後なので、随分と印象が異なるのが気になります。『東亜先覚志士記伝 上』は、妙に書き流した雰囲気があります。『東亜協会報告』各号の「会報」欄のコピーを持ち帰りましたので、これを見ながら、手を加えて行きます。
戦前の黒龍会の記述に依拠して記述するのは、黒龍会史観をそのまま本文に採用することになり、違うのではないでしょうか。一方、いま現在の研究者である安岡 昭男さんは、近著『副島種臣』や、以前の論文でどのように書いているでしょうか(どちらも部屋のなかにあるのだが、とっさに探し出せない)。安岡さんの東邦協会についての記述に「アジア主義」とあるのならば、ウィキペディア的にはそれを根拠に「アジア主義」と記述するのが正しいことになります。--rshiba会話2012年3月14日 (水) 08:29 (UTC)[返信]
また、そもそも、"『東亜先覚志士記伝 上』は、東邦協会をアジア主義的運動の一つとして記述している"という表現ならば、それも問題ありません。--rshiba会話2012年3月14日 (水) 08:33 (UTC)[返信]
  • コメント御見解ありがとうございますm(__)m。私は『東亜先覚志士記伝』の旧字体の上巻を基にして「東邦協会」の記事を立ち上げました。確かにおっしゃる通り、『東亜先覚志士記伝』には「妙に書き流した雰囲気」・「黒龍会史観」があるようには思いました。当時の新聞における条約改正反対運動と東邦協会を結びつけているあたりは、編纂に際して黒龍会が時局も考慮して盛り込んだものと思われます。一応、その部分はその点も考慮してコメントアウトしておくことにします。どちらかというと「日本新聞社」の方に転記したほうが自然かもしれないと思っております。

また、先日は利用者:上州力によって荒らされておりましたイーストレイクの修正、誠にありがとうございました。--124.99.185.236 2012年3月14日 (水) 13:01 (UTC)[返信]

早速勝三について[編集]

柴崎力栄さん。初めまして。Taisyoです。早速勝三について色々加筆していただきありがとうございます。と、言いますのも地元の人間の割には資料が余り無い人物で、本当に正しいのかなと疑心暗示の部分もありました。調べてみたら、面白い人間だとは思うのですけど、現在の主流派の流れではないです。もっとも、触れ切れてない部分がありましたら申し訳ないですし、また別の資料があるのでしたら、聞いてみたい部分でもあります。改めてお礼を申し上げます。--Taisyo会話2012年4月22日 (日) 07:06 (UTC)[返信]

琉球征伐について[編集]

いつもお世話になってます。ところであなた様は、『「従って根本的原因としては」という「情報やデータの一般化、分析、総合、解釈、評価」を編集者であるNeoairwolfさんが行なった内容であることを明示したことばにつづいて』などと述べていましたが、どこから「編者自身が」という主語が湧き出てきたのですか?ちなみに大辞林によれば、「従って=必然的に」とはっきり書いてあります。つまり大辞林によれば「喜安日記にはこう書いてある。必然的に事実はこうである」という意味にしかなりません。出典を明記してお答えください。答えられなければ謝罪を要求します。返事は議論ページでお願いします。『大辞林 (国語辞書) したがって【従って】 (接続) 〔補説〕 「したがひて」の転。前に述べたことからの必然的な結果として以下のことが起こることを表す。』--Neoairwolf会話2012年8月16日 (木) 13:53 (UTC)[返信]


Category:日本の神 (人物神)について[編集]

間違えた私が修正を行わなければいけないところをrshibaさんに修正していただき有難うございました。ご迷惑をお掛け致しました。--大江夏樹会話2012年10月26日 (金) 13:27 (UTC)[返信]

御礼[編集]

細川武稔」の執筆者です。この度は「存続」に一票ありがとうございました。日本中世史(特に宗教史、都市史)研究者なら誰でも知っているであろう人物について項目を設けたところ、最初は要出典ということで削除対象となりました。そこで全ての文章に典拠を註釈として付けたところ、今度は「(細川氏に)百科事典としての特筆性がない(から削除)」「(『日本歴史』の書評について)〝高く評価している〟という要約の言葉は主観的だ」「単著が学位論文を元にしたもの一冊程度の人物では(項目の)存続は難しい」など、次から次へと難詰されてしまいました。そのような批判を浴びせている人物は、研究歴16年で間もなく40歳になりなんとする細川氏を指して「研究者になって日が浅い」などという程度の認識しかない“素人”さんなのですが(自らが学界には疎い素人であることを別のページでご本人も認めました)、どうやったら、細川氏の研究の価値を彼らは認めてくれるのだろうか?と頭を抱えていました。細川氏本人でもなく何の利害関係にもない私が、氏に成り代わって氏の研究意義を説くのは何だか申し訳ないような気にも苛まれました。『日本歴史』の編集のこともよくご存じな柴崎様にご助力頂いて大変助かりました。これからもよろしくお願い致します。--122.30.214.49 2013年1月30日 (水) 08:23 (UTC)[返信]

偶然ながら、同じ号に、わたくしも「書評と紹介」を書いていました。確認していて気づいたことです。--rshiba会話2013年1月30日 (水) 08:26 (UTC)[返信]

ご質問[編集]

※当方義母の祖父にあたりますが、表題の「石阪」は正しくは「石坂」です。新参で「表題修正の方法」が不明のため、戸籍謄本等をUPして置きますので、お手数でなければご訂正頂ければ幸いです。...m(_)m ①親族図 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4d/%E7%9F%B3%E5%9D%82%E5%AE%B6%E8%BF%91%E4%B8%96.jpg ②戸籍謄本 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b8/%E7%9F%B3%E5%9D%82%E5%AE%B60001.jpg --籾山俊幸会話2013年2月27日 (水) 12:17 (UTC)籾山俊幸[返信]

★御礼[編集]

★遅くなりましたが、「石坂惟寛」の案件、御礼申し上げます。当方「系図調査」が趣味で、謄本や、古文献、郷土資料などはかなり、揃っていますが、「公刊的文献」は不足気味のため、勉強になりました。他にも「親族関係の資料」(wiki上の既出親族は12人程度)がありますが、「国会図書館」などの公刊資料に「照合」の上、改めて補完編集に参加できるようになりたいとは思います。有難うございました。--籾山俊幸会話2013年3月9日 (土) 08:41 (UTC)[返信]

★ご連絡[編集]

日本海海戦における連合艦隊幹部の記事中、亡父の友人(旧制松山中学同期)であった「武田維幸」(海軍少将)氏(須磨乗組み)の名前が「維章」と"誤表記"になっております。「下記資料」で訂正可かどうかご検討下さい。松山中学の方は「未表記」ですが、OKならば補完致します。 ★旧制松山中学卒業写真:亡父の一段左下「武田維幸」 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e3/039-1%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E5%8D%92%E6%A5%AD%E5%BC%8F%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%86%99%E7%9C%9F%28%E8%A3%8F%E9%9D%A2%E5%90%8D%E7%B0%BF%29.jpg ★又はご連絡等を戴くだけでも結構です。 --籾山俊幸会話2013年3月10日 (日) 02:10 (UTC)[返信]

曖昧さ回避が絡んだ複数ページの改名について[編集]

Don-hide と申します。標記の件ですが、佐藤信 (曖昧さ回避)中村太郎 (曖昧さ回避)川口浩 (曖昧さ回避)中野実 (曖昧さ回避)中村正雄 (曖昧さ回避)中村昇 (曖昧さ回避)中野二郎 (曖昧さ回避) に対し、それぞれ括弧無しへの改名を告知していないことを発見いたしました。そのため、当方でこの7ページに改名提案テンプレを貼付させていただきました。一部は改名提案から1週間が経過し、異論が出ていないものがございますが、告知不十分と取られるおそれを考慮し、「当方の投票から1週間後に改名すること」という条件付賛成票を投じさせていただきました。以上よろしくお願いいたします。--Don-hide会話2013年3月24日 (日) 09:40 (UTC)[返信]

あ、どうもありがとうございます。厳密に言えば、確かにそういう手続きが必要ですね。1週間待ちます。--rshiba会話2013年3月24日 (日) 15:45 (UTC)[返信]

地震の記事名称の議論 ガイドライン案提起のお知らせ[編集]

こんにちは。突然で申し訳ありませんが、このお知らせは以前プロジェクト‐ノート:災害にコメントされている方へのものです。プロジェクト‐ノート:災害#地震の記事名称の規則の方針についての議論に途中から参加させて頂いているPekaと申します。このページ論点整理節で、いまある課題を概ねカバーする事を念頭に、全ての地震記事を対象としたガイドライン案Ver.1を作成し、いくつかご意見を頂いています。もしご興味ありましたら、お時間のあるときで構いませんので、ご意見をくださると幸いです。なお、特にこのお知らせに返答はなさらなくて構いません。以上、失礼しました。--Peka会話2013年5月18日 (土) 07:23 (UTC)[返信]

御礼[編集]

いつもご苦労様です。巨文島の仮リンクの修正を有り難うございます。巨文島へのリダイレクトより巨文島事件への仮リンクの方があとあと良さそうな気もしますが、将来的に「巨文島事件」や「パンジェ紛争」は、日本の開国やグレートゲームとも密接な関係があるので、ちゃんと項目を立てるべきでしょうね。--119.83.199.19 2013年5月19日 (日) 05:12 (UTC)[返信]

後藤道夫の改名提案について[編集]

こんにちは、ぱたごんです。後藤道夫記事の改名提案に賛同くださりありがとうございます。しかしながらノート:後藤道夫にて異議がつきました。たしかに朝日新聞では「科学ジャーナリスト」と紹介されています。なので改名提案内容を変更したくお願いに上がりました。ご異議がなければ後藤道夫 (科学ジャーナリスト)への改名提案とさせていただきたいとおもいます。--ぱたごん会話2013年6月5日 (水) 11:06 (UTC)[返信]

扶桑の移動差し戻しの件[編集]

扶桑の移動を差し戻されましたが、移動に反対なのでしょうか。記事名は明らかに軍艦の記事名の慣例から外れており、事前に改名提案が必要とは思えません。--三日月会話2013年6月24日 (月) 04:49 (UTC)[返信]

まずは、改名提案を提出してください。「(初代)」に落ち着く前の試行錯誤を確認なさいましたか。この艦の位置づけについては『日本海軍史』の艦艇一覧も苦心しているところで、いろいろな事情をすべて並べて確認した上で、どういう名称の括弧書きが相応しいのかを議論すべきです。第一歩として、Category:日本のコルベットを貼付している艦なのに「扶桑 (コルベット)」としていないのはなぜかを考えてみてください。--rshiba会話2013年6月24日 (月) 08:10 (UTC)[返信]
要するに、「扶桑 (装甲艦)」への移動には反対、ということですか?--三日月会話2013年6月24日 (月) 15:51 (UTC)[返信]
どの類別を艦種とみなすかという問題を議論した上でなければ、判断すべきではないでしょう。事態を整理するために、まず、Category:日本の装甲艦というカテゴリ(en:Category:Ironclad warships of the Imperial Japanese Navyen:Template:Ironclads of Japanに対応)を作ってみたら如何でしょうか。なお金剛型コルベットも装甲艦であるわけで、この辺にどう対処すべきかを議論しないと手を付けられない事例です。--rshiba会話2013年6月25日 (火) 01:28 (UTC)[返信]
とりあえず改名提案をおこなったのでノート:扶桑 (初代)へコメントお願いします。--三日月会話2013年6月25日 (火) 04:08 (UTC)[返信]