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利用者‐会話:浜松屋

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ご質問について

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ご質問につきましては、タイトルを付し利用者‐会話:Tomzo#「クーデター」の件についてにて、ご回答致しましたので、ご確認ください。--Tomzo 2009年7月28日 (火) 07:11 (UTC)[返信]


永野修身について

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こんにちは、浜松屋さん。「8月15日、自宅で自決を図ろうとするが、駆けつけた親友の左近司政三に「生きることこそあなたの責任だ」と諭され自決を思いとどまった。」の出典をお教えいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

Re 永野修身について

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出典の開示をしていただきありがとうございます。さて浜松屋さんの参考にしている『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』南の風社によると永野修身の獄中手記と遺言は夫人である永野京子が盗難にあい紛失し、その心労もあり永野京子は夫の後を追うように亡くなったという記載があります。これは「武人らしく遺書や書簡も残さず」という記述に矛盾するのではないでしょうか。また永野修身獄中手記は後日発見され昭和32年に発行された「日本週報」第395号に掲載されております。 最後に『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』の著者である永野美紗子氏は永野修身の四女であるにもかかわらず、著作の中で長女と称してみたり、また同著作の中で次女という記載(終戦時生存した姉妹の二番目)があったりいい加減です。また永野美紗子氏は裁判当時小-中学生と幼かったこともあり同著作の内容の多くの部分が人からの伝聞で成り立っており信頼性に欠けます。 鳥居民氏の「乾坤一擲」の内容を参考にしている部分も、鳥居氏の推論による部分が多くここに掲載するのは不適切であると考えています。--Tops

  • 「鳥居によれば」で良いのではないですか?実際、記事の多くは吉田氏による推論「吉田によれば」で成り立っていますし。
  • 盗難にあった文書の中に「遺言」があったとは書かれていませんでした。--浜松屋

Re2 永野修身について

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早速のご回答ありがとうございます。 鳥居氏に関する件は了解いたしました。(「乾坤一擲」の当該部分には論理の飛躍が多々見られたため当方が違和感を持ち指摘させていただきました。)ただし副官であった吉田氏と永野修身と面識もない鳥居氏の言は同列に語れないと思っています。 さて、永野修身の遺書の件に関しましては『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』P106の9行目とP107の6行目に記載がございます。(獄中手記の掲載された雑誌も出版されています)また「自決を図ろうとするも、駆けつけた親友の左近司政三・・・」の浜松屋さんの記述に関しては『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』P172に「左近司政三を訪れた。(略)俺は死ぬぞと(略)説得されている。」との記載から左近司政三が「駆けつけた」のではありません。ご確認のほどよろしくお願いいたします。 (正直申しますと以下の理由により『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』は参考文献にするには信頼性が低すぎると思っています。同著作は実子による永野修身の名誉回復の手段である色合いが強く、都合よく書かれている部分が多く見受けられます。)--Tops--210.253.199.8 2010年10月29日 (金) 17:39 (UTC)[返信]

  • 遺書とされているのは、本人が書いたと見られるだけであって本人が書いたと断定されてないのではないですか?
  • ここは真実を導き出す場ではありません。色々な著作物に書かれている見解(○○によると~こう書いてある)を整理して記述する場です。特に永野修身のように生前に行った行為についての記録を詳しく書き記したり、周りに語ったらなかった人物の場合は、著作物を作成する人間の推論で書くしかなく、信頼がどうと言っても仕方ないのです。
    • 個人的な見解を申せば鳥居氏が述べているように海軍関係者が戦後証言していることをだけを、そのまま真に受けるのはどうかと思います。実際、東京裁判開廷前に、永野修身をはじめ、部下達(軍令部のスタッフ達)が集まって海軍の開戦理由や天皇を弁護することを目的に打ち合わせをしてますから、その時の打ち合わせに基づいて証言や書籍を作成されている可能性も否定はできません。本人が書いたとされる遺書も「遺書」ではなく、「アリバイづくり」のためのものかもしれません。

自決についての記述はご指摘された箇所以外にも記述があったと思います。実子の証言の部分など数箇所に自決の場面に関する記述があり、○○が止めにきてくれたという受動的な表現をみた覚えがあります。あなたのおっしゃるとおり『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』は編纂からして書籍としての質が悪く、表現の仕方も個人としてのイメージで述べているのか伝聞情報として正確に聞いた話なのか区別しずらい部分が多くあります。参考になる部分もありますが、良い書籍とはお世辞でも言えなのは確かです。公平さを出すために「左近司政三に説得され自決を思い止まった」と必要最低限の文字だけで書き直しても構いません。

Re3 永野修身について

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色々とご指摘くださいましてありがとうございます。 実は当方には複数のご遺族と面識があり、このあたりのことを詳しくお聞きしています。永野修身氏には母親の違う複数のご子息があると同時に、旧憲法下では嫡子が家督相続をしてしまうため、幼い子どもたちのために遺言を残していることを4名の親族から聴取しております。ところが京子夫人が盗難にあってしまったため旧憲法の下での家督相続が発生しています。(ご遺族所有の土地の登記簿を見れば明確です。またご存知通り日本国憲法は昭和22年5月3日に施行されています。) 『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』には多くの子息、親族および友人が執筆していますが、ユウ夫人のご子息関係者は健在であったにもかかわらず、著者にはまったく声をかけられなかったそうです。(実際に執筆に加わっていないことは著作を見れば明確です。)また獄中日記は前期著述の著者永野美紗子氏が所有しています。また「日本週報」第395号(国立国会図書館で閲覧可能)にも掲載されています。以前ある遺族(永野美紗子氏ではありません)に伺ったところ、海軍の人事記録簿をはじめ数多くの資料を今でも所有していらっしゃいます。表に出す気はないのかとお尋ねしたところ。「公には真実が語られなくても良い。それほど有名でもないし歴史上の一人物としてフェードアウトしてもらいたい。」と語っていらっしゃいました。(事実である証拠がお見せできないのが残念です)参考までに心にお留めいただければ幸いです。--Tops改めCampas

  • 一個人としては文章の内容からして第二復員省の意向が強く反映されている感じがして、永野氏個人としての遺書として扱っていいのかは疑問ですが、ここでは出版物として発表されている以上は認めるしかありません。
  • 白紙化して合意をはかりたいと考えます。如何ですか?--浜松屋

永野修身項目へのお願いと質問

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こんにちは。以前当項目に加筆をしたことがあります岩見と申します。さて、幾つか浜松屋さんに質問とお願いがございます。

  1. 永野修身の項目にかなりの加筆を行われたようですが、数箇所「鳥居によれば~」とあり、同氏の文章を参考に記述されていると思われるにも関わらず、参考文献に鳥居氏の名前の入ったものがございません。上述のやりとりから『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』に鳥居氏が何かを書かれていると推察しますが、大幅な加筆を行う際は、脚注で著書名と章名程度は明記していただきたい。現状では新しく加えられた脚注は説明に充てているだけの状態であり、読み手には鳥居氏が何処で書かれたことなのかが不明です。脚注は基本的には出典を明示する場所で、説明として使っている場合でもその説明内で提示する方が望ましいと考えます。是非出典の明確化をお願いいたします。
  2. また、人物欄が新設され、愛犬家で坂本竜馬ファンである旨を追記されているようですが、この出典についても脚注で明示をお願いします。

岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月14日 (金) 11:16 (UTC)[返信]