利用者‐会話:Godsigma
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こんにちは、Godsigmaさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
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独自研究関する注意
[編集]こんにちは、はじめまして。貴方の編集履歴を見ますと、アニメ作品などの玩具などの売れ行きや評価などの記述の追記が多く見られます。まず、評価に関するものは、「どこの誰がいつどのような方法で評価を発表した論評」か検証できなければ「一部の人の個人的な意見や分析」となり、独自研究と呼ばれるものにあたりWikipediaには記載できません。
作品評価の場合、著名な人物や団体が著作物として公的に発表された文献や映像の中で発せられた評価ならば、「文献(番組)○○」などの出展が可能で、独自研究にはなりません。しかし、出展が無ければ「ただの一個人の主観による論評」とみなされ独自研究になるわけです。どんなに客観的から見てその情報が明白であるものでも、出展が無ければ独自研究で記載できないのです。例にだせば、パロディーネタの多い作品の元ネタが間違いなくアレだとわかるものでも、製作サイドから「元ネタは○○」などの公式アナウンスがなければ、情報の合成で独自研究となります。
貴方が加筆し私が先ほど差し戻させてもらった「グレートマジンガー」を例にあげると
- 永井豪が寝耳に水だったという情報源はどこか
- 日本初の玩具メーカー主導のテレビアニメの情報源はどこか
- 脚本家の藤川桂介が失敗と評した情報源はどこか
- 売り上げがグレンダイザーなどに負けたとわかる公的データはどこか
- 玩具販促アニメの漫画原作者の地位の下落の、それとわかるデータはどこか
などなど、要出展だらけの文章で検証ができず独自研究と判断させてもらいました。
この辺のことは、Wikipediaの掲げる3大基本方針であるWikipedia:独自研究は載せない・Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:中立的な観点をお読みいただければよくわかると思います。その他、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかやWikipedia:出典を明記するあたりも読んでおくことをお勧めします。
また、「~らしく」や「おそらく」など推論であるような書き方も、Wikipedia:言葉を濁さないから不適当です。
自身の投稿記録を見直し、出展が出来ない論評による独自研究にあたるものは削除しておき、出展が可能な記述に関しては、ちゃんと出展元を追記しておくことをお願いします。なされなければ、削除せざるを得ない文章は削除するのであしからず。
その他、Wikipedia:基本方針とガイドラインなどをよく読んでから、編集作業をすることをお勧めします。--ぽーるべあー 2008年7月14日 (月) 12:10 (UTC)
うーん。大体は情報源のあることですよ。例えば最初の質問に対しては『THE・超合金』という本の永井豪のインタビューにあります。出典を一々書くのが面倒だったというくらいです。だれかが求めてきたら書こうという方針でした。これからは出典を書くように努めます。
一応、ガイドラインも読みましたし、たしかに「らしく」とかの表現は自分も不適当かなと思っていましたがその一方でこのwikipediaでよく見る表現だったのでいいのかなとも思ってました。ガイドラインなんだしガッチリ守る規則のように思えなかったんです。特に醜聞だと文章に残らないことが多いので誰かが言い出す必要を感じてました。この「らしく」などに関しては異論が出るようだったら消すか、誰かが消したら無理に主張せず引っ込む方針でした。
- いちいち書くのが面倒では困ります。Wikipediaでは検証可能な情報を求められている以上、できる出展に関しては明記を必ずお願いします。最初から記載されていれば、いちいち出展を求めるよう要出展のタグを貼られたり、記述を除去するなどの編集によって無駄な版を増やさずにすみます。見づらくなるようであれば、<ref></ref>などをご活用ください。あと、会話やノートでの記述の際は、末尾に署名をお願いします。編集ボックスの上にあるボタンの、右から2番目のボタンを押せば署名のタグ(--~~~~)が自動で挿入されます。--ぽーるべあー 2008年7月14日 (月) 13:16 (UTC)
「努めます」とは言いましたけど「必ず」と言われると、いささか抵抗があります。なんでもかんでも書籍に書いていないと駄目では窮屈な気がします。「できる限り」か「努力」するくらいでは駄目でしょうか。実際、wikipediaの記事には出典が書いてないものが多いと思います。
refとかの文法に関しては何分、初心者なもので使い方がよく解らないんですよ。習うより慣れろという感じで追々おぼえるつもりでした。wikipediaの使い方を習熟している書き手以外は駄目という空気ではないように考えてました。
--Godsigma 2008年7月14日 (月) 14:28 (UTC)
- その後の出典の追記する編集履歴を拝見しますと、ご理解いただけたようで感謝します。一応補足しておきますと、「出典元があるのに面倒くさがって記述しない」のが、情報を持ってない人が検証しようが無いので問題となるであって、「Wikipediaに投稿するもの全てに出典を要求する」といってるわけではないので。漫画や書籍や映像作品などの作品の場合、その記事元の作品自体が出典とみなすような場合もあるので、作品を見れば容易に検証が可能なようなものは書いてない場合も結構ありますし、見過ごされているものもかなりあります(よく見ると間違いなく独自研究のものも・・・(苦笑))から。長編作品では、「○○の場面では」などの簡単な出典で記述されてる収められていることも多いです。言葉足らずで申し訳ない。以後の編集をがんばってください。--ぽーるべあー 2008年7月16日 (水) 02:37 (UTC)
こちらの意図もご理解して頂いて感謝します。出典元をどこにしまったとか、何ページだったかな、とかいうこともあって以前の記事よりも何倍も手間がかかりましたが…。まぁ頑張ります。
--Godsigma 2008年7月16日 (水) 03:46 (UTC)
- 最後に一つ。表記の際に括弧類は、括弧の中が半角のときは半角括弧を利用し、それ以外は基本全角をというのが主流です(全角の括弧に関しては、井戸端でも総論されていて、完全にこうだというわけではありませんが)。参照:WP:JPE。他にも、「の為」などの過度の漢字化はさけるだとか、波ダッシュは極力使わず「00~01」のような時には「00 - 01」といった表記を用い、正式名称などでどうしても使わなければならないときのみ「〜」(「~」とは違う。編集画面の下の方にボタンがあります)を用いるというような、表記の大まかな指針があります。必ず守らなければならないというような強制ではありませんが、できれば順守していただければと思います(新規項目が立てられた際には割りとすぐ修正が入ったりします。そういう修正作業を主としている人たちも少なからずいます)。少々口うるさくしてしまいましたが、よろしくお願いします^^。--ぽーるべあー 2008年7月16日 (水) 08:33 (UTC)
半角カッコや「~」は使っている記事を何度か見たことがあるので特にいけないようには思ってなかったです。そんな大きな問題でもないなら別にいいのでは。しかしまぁ「順守」というほどではないですが「意識する」くらいはします。
--Godsigma 2008年7月16日 (水) 12:07 (UTC)
プレビュー機能のお知らせ
[編集]こんにちは。ウィキペディアへのご寄稿ありがとうございます。Godsigmaさんが同じ記事に対して短時間に連続して投稿されているようでしたので、プレビュー機能のお知らせに参りました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。
これを使うことで
などをあらかじめチェックし、修正してから投稿していただくことにより、同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点については、同じ記事への連続投稿を減らすの項目に説明がありますので、よろしければお読みください。また、ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますので、あわせてお読みいただけると幸いです。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--Holic 629W<Talk∥Cont.> 2008年8月2日 (土) 16:08 (UTC)
うーん一応、連続投稿がよくないことも理解していますし、プレビュー機能も使ってはいるんですよ。でも保存してから急に思い出したり、プレビューでは気づかなかったり、出典元を読み直したら書き忘れてたりと色々ありまして。今後も連続投稿を減らすようには努めます。
--Godsigma 2008年8月2日 (土) 17:46 (UTC)
こんにちは。さて、Godsigmaさんの投稿履歴を拝見しましたが、未だ連続投稿が多い状況は変わらないように見受けられます。つきましては只今より投稿ブロックさせていただきますので、この間に連続投稿を減らす方法についてお考えいただきたく思います。なおブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。この件に関するお問い合わせや異議申し立てはメーリングリストで受け付けています。--Bellcricket 2008年8月29日 (金) 22:24 (UTC)
メーリングリストはなんかよく使い方が解らないのでここに書きますね。
連続投稿を減らす方法に関してですが、すでにプレビューや下書きも使っているし、今回増えた原因は上にも書いたとおり、勘違いによるものが主です。今回のように出典元が複数に渡って、それをまとめようとすると特に多くなります。注意していても出るものですし、正直、対策が思いつかないんですよ。上に「努めます」としか書けなかったのも有効な対策が思いつかなかったからなんです。だからすみませんが、今回も「減らすように努めます」としかお応えできないんですよ。何か有効な対策があったら御教授お願いします。
理解してほしいことは簡単な記事ほどミスが少なく、複雑な記事を頑張って書こうとするとミスが多くなるってことです。そうした書き手の熱意を削ってまで連続投稿を減らすのには個人的には異議アリですな。wikipediaが失敗に寛容であることを期待します。
--Godsigma 2008年8月31日 (日) 02:17 (UTC)
出典の示し方について
[編集]「出典」は検証可能性からキッチリと明記する必要があります。出典が書籍の場合、記述の仕方はガイドラインに沿ってください。特に
- 書籍名は『』で区切る
- 著者名を明記する
- 出版社名を明記する
- 掲載ページ数を明記する
をお願いします。
それと、本に載っているからと言って何でもかんでも記述に追加するのは避けてください。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」を参考に、情報の取捨選択を行って、特に必要だと思われる事に限って記述してください。 --寝ず見 2009年2月3日 (火) 03:13 (UTC)
出展の書き方をいいかげん覚えてください。ウィキペディアはあなた個人のファンページではないのですから、公式方針やガイドラインは守るように心掛けてください。それと、議論中の内容を含む記述を合意を得ないうちに書き換えない。--寝ず見 2009年2月24日 (火) 08:40 (UTC)
- 「大河原邦男」に貴殿が追加された記述は出典がきちんと示されていなかったので削除しました。何度も要請されておられるようですし、今一度ガイドラインを熟読されては?--Peachkiller 2009年2月24日 (火) 14:25 (UTC)
上の方の節では書き込みにレスしているのに、ここの書き込みは無視。会話を拒否している以外の何だと?--寝ず見 2009年3月7日 (土) 16:50 (UTC)
こんにちは、しろぼるです。今回の議論についての感想を述べさせていただきます。
Godsigma氏の議論での発言内容は、それほど問題なかったと思いますが、合意が形成されていない段階での編集と、これまでにも指摘されている出典の記述の仕方が非常に悪かったために、このような議論展開になったのだと思います。
まず、合意形成の結果が出るまでには時間がかかるものです。焦って編集をしないでください。Wikipediaで作業している人々は、時間を取れる人ばかりではありません。また、きちんとした議論用の資料収集をしているために時間がかかっている人もいます。相手の返答も1週間程度は待ってください。
あと、出典の示し方など、基本的なところで突っ込まれないように、自分の足元固めのための方針文書確認をお勧めします。これは補足ですが、方針関連の文書を色々読まれているようですが、そのすべてが同等ではないことも合わせて確認しておくと役に立つかもしれません。
とりあえず以上になります。お邪魔いたしました。--しろぼる 2009年3月7日 (土) 14:51 (UTC)
- 質問に簡単な回答を、議論で主張しない方が良い知識なのですが、例えば特筆性は、ガイドラインより下の草案です。三大方針>公式な方針>ガイドライン>草案 といった感じだった(詳細は調べてください)と思うんですが、ウィキペディアで当然のように使われている文書の中に、方針レベルに至っていないものがあります。利用しようとしている文書がコミュニティに浸透しているか注意してくださいということです。(特筆性は浸透してるようです。)--しろぼる 2009年3月9日 (月) 15:54 (UTC)
参加姿勢関連
[編集]- 『自分は黒田氏の発言に特筆性があると考えています。』→特筆性があると思うなら書けばいいのです。検証可能性を満たしていればWikipediaに記述する事は許されます。が、記述を許されているからと言って「除去されない」と勘違いしてはいけません。Wikipediaは百科事典ですから、「特筆性はない(=百科事典に必要ない)」と他の参加者が判断し、公式方針を根拠に貴方の記述を除去する事も許されています。それを「雑草とり」と言い、ウィキペディアには不可欠なメンテナンス作業です。検証可能だからと言って出典のある記述を何でもかんでも追記していったらどうなると思いますか?
- もしも、自分が書き込んだ記述が自分の意に反して除去されるのが嫌ならば、自分で作ったファンページでやればいいのです。
- 『Wikipedia:井戸端/subj/「ニュース速報ではありません」はどこから出てきた概念なのか?によると「単なる知識ベースではない」はWikipedia:特筆性のことを指しているようです。』→何で「単なる知識ベースではない」の概念を「ニュース速報ではありません」の井戸端会議から持ってくるのか理解できませんが、正確にはそれは違います。「Wikipedia:五本の柱」に『ウィキペディアは、総合百科・専門百科・年鑑の要素を取り入れた百科事典です。すべての項目は、独自の研究を認めない方針に従う必要があり、正確となるよう努力しなければなりません。ウィキペディアは、個人の意見・経験・議論を書き込み、自説を披露する演説台ではありません。また、単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません。』と具体的に「何ではないか」が明記されています。貴方はご自身で認めているように『本で読んだ情報を吟味もせずに嬉々として各ページに大量に書き込み続けている傾向』にあり(2009年3月1日(日)0356(UTC))、その行為が正に「雑学集やトリビアコレクション」です。
- 基本的に雑学やトリビアに特筆性はない(=除去してもいい)、という事です。また、井戸端会議やコメント依頼などは、参加者の意見にすぎません(そう思っている参加者がいるというだけの話)ので、貴方の主張を補完するための根拠には成り得ません。自説を補完するための根拠は公式方針やガイドラインを使ってください。
- 『自分はWikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事のどれにも当てはまっていないと思います。』→「記述の除去」と「ページの削除」は全く別のモノです。それ以前に、自分が当てはまらないと思っていても、他の参加者が当てはまると思えば、修正などの編集も、百科事典には不要として除去する事も、Wikipediaでは許されていることです。
- この辺の主張(自分はそうは思わないから除去は不当だ、という主張)を読む限り、貴方は百科事典の編纂に関わりたいのではなく、百科事典に自分の記述を入れる事だけが目的のように思えます。「Wikipedia:五本の柱」、「Wikipedia:基本方針とガイドライン」、「Wikipedia:編集方針」辺りを読み直す事をお奨めします。
--寝ず見 2009年3月8日 (日) 01:38 (UTC)
- 自分としては寝ず見さんの要望通りの編集をするようになれば、ここに書く必要はないかなと思ってました。相手の意図をくむことを対話拒否と言われるとは意外な感じです。
しろぼるさん、コメントありがとうございます。しろぼるさんのおっしゃる通り足元が甘かったかなとは思っていますが、その一方で「完璧さは要求されていません」と方針にありましたし、指摘されたら直せばいいだけとも思っていました。
しろぼるさんのおっしゃる「すべてが同等ではないこと」とは一体どういうことを指しているのでしょう?。五本の柱と公式な方針とガイドラインの違いくらいは解るのですが。
寝ず見さんの1-3からまでに一々反論します。
- 自分としては寝ず見さんの要望通りの編集をするようになれば、ここに書く必要はないかなと思ってました。相手の意図をくむことを対話拒否と言われるとは意外な感じです。
- 寝ず見さんが根拠としている公式な方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかには「努力目標」とあります。これに反しているからと言って議論や合意もなく勝手に除去していいとはありません。「公式方針を根拠に貴方の記述を除去する事も許されています」とはどこを根拠にしているのでしょう?。Wikipedia:編集方針には「最も大事なことは、それが直せる限りは直すと言うことです」や「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」とあります。方針でもガイドラインでもないのですがWikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#意味のある記述を除去してしまうこともあります。これらに反することをするからには相当の理由が必要だと思います。
- 寝ず見さんはWikipedia:井戸端/subj/「ニュース速報ではありません」はどこから出てきた概念なのか?を読んでいないのでは?。そこには「Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの『ウィキペディアは単なる知識ベースではありません』というのは、原文参照すると、文書構造的にも特筆性についての例示リストであり、実際そのとおり詳細は特筆性を参照と明示されている」とあります。
Wikipedia‐ノート:削除依頼/そらによると「単なる知識ベース」というのは英語版wikipediaの「general knowledge base」の訳だったらしいのです。英語版では自己否定ということで削除されたのに日本語版ではそれが残ってしまったということらしいです。
その後、英語版は「Wikipedia is not an indiscriminate collection of information」(ウィキペディアは無差別な情報の収集ではありません)になり、「Wikipedia:Notability」(特筆性)が追加されたようです。つまり日本語版の「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません」は単なる翻訳するのが遅れただけの古いルールではないかということです。
(日本語版wikipediaの方針やガイドラインが英語版の翻訳に基づくものが多いとはいえ、英語版に合わせる必要はないという意見ももちろんあります。自分としては日本語版の「単なる知識ベース」では意味がよく解らないので、最近の英語版の方が解りやすくていいと思います。まあここで論じることでもないと思いますが)。
新旧の英語版・日本語版いずれにせよ重要なのは「無差別な情報の収集」にしないということでしょう。寝ず見さんのご指摘の通りWikipedia:五本の柱にも「無差別に収集」をしないことが書かれています。
(これは上で出た「indiscriminate collection of information」の翻訳のようです。どうも「五本の柱」の翻訳は「単なる知識ベース」の後にやったようです)。
自分は「無差別」にはやっていないつもりです。自分が語ったのはたしか「ご指摘の通り自分には『本で読んだ情報を吟味もせずに嬉々として各ページに大量に書き込み続けている』のような傾向もあります」だったと思います。これは「吟味が不足気味である」という意味で使ったつもりで「無差別にやってる」ではなかったつもりです。むしろ何をもって「無差別」と寝ず見さんは考えているのでしょう。
雑学集やトリビアコレクションにしない=雑学やトリビアを全く書いてはいけない、ということではないと考えています。雑学およびトリビアのみで記事の大半を構成するのがよくないというだけだと思います。「集」や「コレクション」というからには、ある程度集まっていないといけないでしょう。例え『天地無用!』における自分の投稿がすべて雑学やトリビアだったとしても同記事を「雑学集」にするほどの量ではなかったと思います。
またWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるによると「ここで言うトリビアとは雑多な内容を指しており、決して無駄な知識という意味ではありません」とあります。トリビアであるかどうかは特筆性とは関係がないようです。「雑多な内容」が何なのかはっきりと書いてませんが、読んだ限りでは「系統だっていない箇条書き」ということのようです。自分としては「雑多な内容」にもなっていなかったと思います。また「雑多な内容」だからといって「安易に除去してはいけません」ともあります。
ちなみに「単なる知識ベース」同様、「五本の柱」の「トリビアコレクション」も英語版の「trivia collection」の翻訳で、かつ現在の英語版の方ではなくなっているもののようです。「雑学集」は当初「trivia」を「雑学(トリビア)」と翻訳した名残で日本語版独自のもののようです。
またWikipedia:特筆性によると「このような特筆性に関するガイドラインは、記事の主題が、百科事典においてそれ自身の単独の記事が作成されることが適切かどうかについて述べているものです。記事内容に対する直接的な制限を行なうものではありません」とあります。これからすると単独記事の主題に特筆性があればいいのであって、記述一つ一つに特筆性が要求されているわけではないようです。(Wikipedia:井戸端/subj/「ニュース速報ではありません」はどこから出てきた概念なのか?は主題のことを言っていたように見えませんでしたが)。 - ご指摘の通り「記事の削除」と「記述の除去」は別物のようです。Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいにある除去の理由は「重複」「関係のない内容」「無意味な記述」「著作権侵害」「検証不可能な内容」の五つです。自分はどれにも当てはまっていないと思います。寝ず見さんが当てはまると判断するのは勝手ですがWikipedia:説明責任がなくなるわけではないでしょう。前にも言いましたが「質問や根拠の明示」がなければ、投稿ブロックされてしまうらしいですよ。
Wikipedia:ページの編集は大胆にでは「ただし、『編集は大胆に行う』ことは、長かったり、複雑だったり、長い論争が続く主題のものを無条件に除去してよいという意味ではないことに注意してください」とあります。「もしあなたが、ある記事から何かを除去したいと思ったときには、まず除去したいと思った内容の正確性を確認してください」とあります。『天地無用!』の件に関しては寝ず見さんは『よくわかる天地無用!』以外は確認をしていないじゃないですか。『この人に話を聞きたい』はこちらの話を鵜呑みにしただけでしょう。寝ず見さんが記述を除去するためには、まずは確認が必要なのでは?。--Godsigma 2009年3月9日 (月) 15:28 (UTC)
- まず貴方は参加者が守るべき事は上位から順に「宣言(メインページ)」→「基本方針(五大原則=五本の柱)」→「公式方針」→「ガイドライン」→「その他」であると言う事を理解しなければなりません。ウィキペディアの方針やガイドラインは、一見すると矛盾するような内容が書かれている場合がありますが、その点を正しく理解していれば実は矛盾などしていない事が分かるはずです。
- 「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の本文にあるのは正しくは『一定の水準に達するための努力目標』です。つまり、「百科事典として一定水準の記事内容になるように努力しよう」という意味で、むしろ「何ではないか」に該当するモノはどんどん除去しろという事です。百科辞典的でない記述はどんどん除去して記事を一定水準のレベルにして百科事典としての水準を上げるように努力するのです。例によって自分に都合のいいように文章の一部を切り取って解釈しているようですが、私の努力(雑草とり)の邪魔をしないで下さい。別に貴方は努力しなくてもいいですから。/一部の記述を除去するのには議論や合意も必要ありません(「Wikipedia:編集方針#多様な参加姿勢が受け入れられます」→『記事の内容を何か変更する前には必ず前の著者に相談する必要があると考えている人はいませんし、そんなことをしていたら、執筆や推敲は遅々として進まないでしょう。』)。議論や合意が必要なのはページの大規模な編集をする場合のみです(「Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」→『記事内容の大規模な除去や置き換えは、元の著者がやる気をなくして投稿をやめてしまわないように、事前にノートで提案してください。』)。確かに「Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」には『他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください。記事の一部でも除去するときは、以下の理由に該当するものにしてください。』と書いてはありますが、「努める」というのは「なるべくそうする(ように努力する)」事であり「必ずそうする」事ではありませんし、他の方針と照らし合わせれば除去していいのが「以下の理由」以外にもある事は明白です。そして、他人の書いた部分を編集(記述を除去する事を含む)するのは「Wikipedia:著作権(公式方針:解説→『ウィキペディアに投稿するということは「自分の文章が他人によって自由に編集、配布されることに同意する」ことを意味しています。』)により許されています。/「どこを根拠にしているのでしょう?」→「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」です。何度も「天地」のノートで「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」を挙げたはずです。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」は基本方針を解説した「Wikipedia:五本の柱」の『ウィキペディアは、総合百科・専門百科・年鑑の要素を取り入れた百科事典です。』の説明です。つまり、そこに具体的に「ではない」と書いてないとしても、百科事典として相応しくない事は編集(除去含む)して良いのです。/公式方針で除去していい事になっているのですから、公式方針でもガイドラインでもない「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#意味のある記述を除去してしまうこと」を理由にクレームをつけられても困ります。公式方針は『相当の理由』です。
- 『Wikipedia:井戸端/subj/「ニュース速報ではありません」はどこから出てきた概念なのか?を読んでいないのでは?』→読んでません。参加者の個人的な意見でしかない井戸端会議には興味ありませんので。/よく「原文がどうの」と言う人がいるんですが、原文は原文に過ぎず、ウィキペディア日本語版には関係ありません。日本語版と原文の意味が違うというのであれば、ノートで提案して合意を得てから原文の意味と同じモノに本文を書き換える必要があります。書き換えられていない以上、原文は原文以上の意味はなく、日本語版に影響を与えません。日本語版で従う必要があるのは日本語版のルールで、原文ではありません。/『「単なる知識ベース」では意味がよく解らないので、』→その点については認めますが、Wikipedia:五本の柱に日本語で具体的に『単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません。』と書いてある以上、原文を優先する理由は存在しません。/『自分は「無差別」にはやっていないつもりです。』→自分に「そのつもり」がなくても他人が見れば「そのもの」である事も珍しい事ではありません。他人に指摘された事により「そのつもり」がなくても「そうなっている」ことがあるという事を理解するべきです。また、貴方の編集履歴の差分を見れば、追加した記述のほとんどが「無差別」に収集した情報(雑学、裏話、豆知識の類)でしかない事がわかります。「大河原邦男」は特に酷かったですね。「悪魔くん」の平山が怒られた話も「悪魔くん」のページではなく「平山亨」のページに書くべき事です。/『雑学集やトリビアコレクションにしない=雑学やトリビアを全く書いてはいけない、ということではないと考えています。』→その通りです。しかし勘違いしてはいけません。「全く書いてはいけない」わけではないからと言って、「書く必要のない」雑学・トリビアまで書く必要はありません。また、記述する場所・位置も重要です。問題になっている「天地」の黒田発言は、「プリサミ」に関する問いに対しての答え(の一部を切り取ったモノ)であるので、記述するのであれば『黒田は、OVA『プリティサミー』の設定に関するインタビューで「『天地無用!』は梶島さんの実家のパロディなので、「じゃ、オレが言い出したんだから、オレの実家のパロディじゃ〜」とプリティサミーが天地無用!のパロディである事を語った』と正確な内容を記述する必要があり、『黒田洋介は「『天地無用!』は梶島さんの実家のパロディ」と述べている』と「述べている」と記述すれば不正確な内容の記述が許される訳ではありません(ついでに、書くべき場所は『プリサミ』のページです)。そして、注釈を付けなければ意味が通じない事であるのならば、注釈を付けずに意味の通じる同じ内容の事を記述すればいいだけです。重要な位置にいる人物の発言であれば、その発言自体が重要な意味を持つので注釈付きで書くべきではあると思いますが、中途参加で別段重要な位置にいる訳でもない人の、別作品のインタビューでの発言なんか、わざわざ書く必要はありません。要するに「書くべき内容」「書くべき場所」などを考慮しろ、と言う事です。黒田発言をプリサミに書くのは問題ないと私は言ったはずです。/『Wikipedia:特筆性によると』→ウィキペディアは「百科事典」です。百科事典に収録される「項目(ページタイトル部分)」には特筆性が必要です。そして、項目の「内容(記事部分)」にも「特筆すべき内容」を書くべきで、特筆すべき理由のない記述は極力避けるべきです。つまり、項目の事項を知る上で役に立つ記述をしなければならず、役に立たない記述は(雑多になるので)「(なるべく)しないほうがいい」のです。
- 『除去の理由は「重複」「関係のない内容」「無意味な記述」「著作権侵害」「検証不可能な内容」の五つです』→他の参加者の意見や解釈なんかどうでもいいという立場の私が言うのも何ですが、その「五つのみ」に関しては以前別のページで議論になった事があります(私が「除去は不当だ」という立場で相手が「除去は相当である」という立場でしたが)。相手側は例によって原文を以て「相当」な理由を説明していましたが、(ちゃんとウィキペディアが百科事典である事を理解すればその辺に関係なく)基本方針を説明した「五本の柱」にその「五つ」以外の事も書いてあるので、上位の指針が優先される以上、その「五つ」以外は除去できない、と解釈するのは無理があることが分かります。/『自分はどれにも当てはまっていないと思います。』→自身が思っている事だけが「正しい」と思うのでしたら、自分でレンタルウィキ借りて自分のウィキを作ってやってください。貴方が「当てはまってないと思う」と主張を繰り返したところで何の意味はありません(「Wikipedia:五本の柱」→『あなたが投稿したどんな文章も容赦なく編集される可能性がありますし、コミュニティによる再配布をとがめることもできません。』)。また、貴方の解釈と違っているからと言って「説明責任を果たしていない」とか言われても困ります。私は何度も「何ではないか」を根拠に除去したと言っています。自分がそれを受け入れられないからと言ってだだをこねられてもどうしようもありません。/『確認をしていない』→現物は手元にない、地元図書館にも置いてない、新刊書店にも古本屋にも在庫がない。そういう状況で私自身にどうやって確認しろと?/『鵜呑みにしただけでしょう』→つまり、貴方は信用してはいけない人である、とご自身で主張する、と。確認のために引用してくれと要請したのに、私が直で確認できないのをいい事にデタラメを書いた訳ですか。最低ですね。/『記述を除去するためには、まずは確認が必要なのでは?』→記述の正確性を問題にしている訳ではないので、私自身が確認しなければ記述を除去できないというのは言い掛かりのようなものです。貴方は引用した振りをしてデタラメを書いたらしいですが、私は貴方の引用を信用して「述べている」と書くなら問題ないと書いて(2009年2月15日(日)0727(UTC))います。引用がデタラメかどうか(=私が自分で確認するかどうか)に関係なく、「記述自体には問題ない」が「記述する事(記述する場所含む)に問題がある」という話なことが全く理解できていない事が貴方の主張により確認できました。やはり貴方はもう少し正しく議論を理解する必要があります。読解力・理解力を高める努力をしてください。--寝ず見 2009年3月10日 (火) 01:43 (UTC)/追記:書く必要ないと思ったが一応。「Wikipedia:ページの編集は大胆に」に『まず除去したいと思った内容の正確性を確認してください。』と書いてあるのは確かですが、それは「最初にやるべき事」であり、貴方が引用しなかった部分に『真実であることが実証されていたり出典が明示されている記述を除去するときには、より慎重になってください。』と明記されているように「正確性を確認しなければ除去してはいけない」ではありません。実際、私は貴方の記述を「正確性がある」と認めた上で除去しているわけですが。--寝ず見 2009年3月10日 (火) 03:00 (UTC)
- どうもまた議論が拡散してきたようなので、問題点を自分なりにまとめてみました。
- 雑学集やトリビアコレクションとはなにか。
- なにが「無差別に収集」になるのか。どうしたら「無差別じゃない収集」になるのか。
- 努力目標であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを記述の一つ一つまで守らせる必要があるのかどうか。
- 正確性の検証の方が先なのかどうか。ノートページの記述を確認の根拠にしてよいのか。(おっしゃる通り正確性があるからといって除去してはいけないということはありません)。
- まとめて感じたことは「どれも特に決まっていない」ということです。何が雑学かどうかは特に決まっていないし、雑学だからといって書いていいともいけないともないのです。トリビアは雑多な内容と解りましたが、雑多な内容が何なのかもいまいちよく解らない。「無差別」も何を持ってそうなるのか決まっていません。
どうもこれは意見の衝突というよりはルールの不備ではないかと感じます。単なる訳の問題で我々が議論していたというなら馬鹿らしい話です。特に「単なる知識ベース」は寝ず見さんにも解りづらいもののようです。「Wikipedia:五本の柱」や「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」のノートで英語版のように解りやすくなるように提案しようかと思います。--Godsigma 2009年3月10日 (火) 09:38 (UTC)- 「どれも特に決まっていない」と思うのでしたらどうぞ好きなように雑多な雑学を好きなだけ記述してください。別に止めません。その記述が百科辞典的でないと私が判断したら容赦なく刈りますが。/会話に応ずるみたいだから来てみれば、結局は自分(の解釈)が正しい事を認めさせようとしているだけでしたね。無意味かつ無駄な時間をこれ以上取りたくないので、後は好きにしてください。/命題の事なんか俺の知った事か。--寝ず見 2009年3月11日 (水) 07:13 (UTC)
- どうもまた議論が拡散してきたようなので、問題点を自分なりにまとめてみました。
- 寝ず見さんが勝手に「百科事典的でない」と決めていいはずがないでしょう。ウィキペディアは共同作業のはず。何が「百科事典的でない」かは議論で決めるべきですよ。--Godsigma 2009年3月11日 (水) 10:11 (UTC)
- 横から失礼します。天地無用!のノートページ及びそこからこちらの議論を拝見しましたが、少し私見を述べさせていただきます。まず、議論の対象である黒田発言については、確かに出典を明確にして文章を正確にすればルール違反ではないと思いますが、寝ず見さんの言われるとおり「百科事典的でない」、というか「特筆性がない」と私も思います。それはなぜ?ということについても寝ず見さんは明確にしておられます(様々な議論に埋没してしまってますが)。Godsigmaさんにはそれが理解できない、というのが現状ですよね。で、それについて互いに「説明不足」「読解力不足」と罵り合っても不毛なだけです。そこで提案なのですが、確かに理解・納得はできないのかもしれません。しれませんが、私も天地無用!の概要に例の黒田発言はふさわしくないと思いますし(理由も寝ず見さんの挙げられた理由に同感です)、しろぼるさんの黒田洋介#人物への記述だったらより意味を持つというご提案にももっともだと思います。私やしろぼるさんの意を汲んでいただいて、黒田洋介#人物への記述にしてはいかがでしょうか。そして、寝ず見さん(もしくは他の方でもいいのですが)は「梶島の実家がある倉敷市が舞台となっている」という事実を黒田発言以外の、例えば寝ず見さんが言われるような梶島、林などの発言をもとに(あるいはより信頼の置ける資料をもとに)改めて記述するというのはいかがでしょうか。つまり、黒田発言をもとに記述するのが「いけない」のではなく、黒田発言は天地無用!について直接語った言葉ではないので、天地無用!という作品について調べたいと思う読者にとって「あまりふさわしくない」というだけの話なのです。梶島本人や作品に深くかかわったスタッフの証言の方がどちらかといえばふさわしいよ、ということだと思います。寝ず見さんはそのように、百科事典としてよりよい方向に記事を整理する努力をされているわけですから、私も寝ず見さんのそうした活動には敬意を払いますし、今回の件についても寝ず見さんのおっしゃるような方向に記述が直れば天地無用!という記事がよりよくなると思います。ただし、Godsigmaさんに対する寝ず見さんの態度は明らかによくないです(正直気持ちはわかるんですが、でも他の参加者にとっても寝ず見さんの態度は不快なだけです)。というわけで、痛みわけというわけでもないのですが上記のようなことで双方矛を収めてはいかがでしょうか。で、Godsigmaさんは本に書いてある情報の吟味を(今よりももう少し冷静に、丁寧に)して、本当に意味のある記述になるのかどうか(今よりももう少し冷静に、丁寧に)考えてから記述したほうが、ご自分にとっても不快な思いをされずにすむのではないでしょうか。「そんなこといってもどれが意味のある記述なのか自分にはわからない」とGodsigmaさんはおっしゃるでしょう。そのときは、虚心に他の編集者の意見を聞いて、かたくなに除去を拒むような態度をなさらないことをおすすめします。偉そうなことを言って申し訳ありませんでしたが、参考にしていただければ幸いです。--ふくたろう 2009年3月11日 (水) 12:35 (UTC)
- ふくたろうさんが寝ず見さんを支持しているのは解りましたが、それでも理由が不可解なままでは納得がいきません。そこでふくたろうさんが寝ず見さんの説明を自分にも理解できるよう詳しく解説していただけるとありがたいです。--Godsigma 2009年3月14日 (土) 05:31 (UTC)
- 自分としては上の記述でできるだけ簡潔にご説明したつもりです。それでもご理解いただけないと仰るなら、あなたが私に言葉の定義を再三求めたときと一緒で、Godsigmaさんご自身の問題だと思われます。私は議論の当事者ではありませんし、不毛な議論を見かねてこれ以上続くならこうしたほうが、とおすすめしているにすぎません。ただし寝ず見さんとの議論は一応沈静化しているようなので、私自身はこれ以上発言する意志を持ちません。悪しからずご了承ください。--ふくたろう 2009年3月14日 (土) 10:08 (UTC)
- ふくたろうさんが寝ず見さんを支持しているのは解りましたが、それでも理由が不可解なままでは納得がいきません。そこでふくたろうさんが寝ず見さんの説明を自分にも理解できるよう詳しく解説していただけるとありがたいです。--Godsigma 2009年3月14日 (土) 05:31 (UTC)
申し訳ないがGodsigmaさんには日本語が通じないとしか思えないので質問に対する回答は遠慮させていただく。これは「議論拒否」ではなく「(日本語が通じないので)議論自体が成立しない」からだ。例によって具体的に書いてある事すら分からんのだから、そう判断せざるを得ない。もうGodsigmaさんの話には、付き合うだけ無駄であると考える。--寝ず見 2009年3月23日 (月) 15:50 (UTC)
- 「書いてはいけない」ではなく「ふさわしくない」だと何度も何度もあなたに言ったつもりなのですが、どうして無視するのですか?いくら禁じられていないからと言って、ふさわしくないとわかっている記述をする道理はありません。よりふさわしい記述にするにはどうしたらいいかを皆で話し合っているところに、「書いてはいけないという決まりはないから書かせろ」と駄々をこねられても困ります。くどいようですがあの節は「どこに書くのがふさわしいか、どう記述するのがふさわしいか、意見を出し合う」節です。それ以外の不毛な議論は御免こうむります。--ふくたろう 2009年3月23日 (月) 16:06 (UTC)
- 寝ず見さんへ。それは対話拒否というものでしょう。
ふくたろうさんへ。ではふくたろうさんがおっしゃった「条件」とは「記述するための条件」ではなく「ふさわしいものになるための条件」だったということですか。
それと何か誤解があると思います。自分が言ったのは「検証済みでなければ書いちゃいけないという決まりはありません」だったと思います。「書かせろ」とは言っていません。議論中のことは書かないつもりです。--Godsigma 2009年3月23日 (月) 17:32 (UTC)- もちろん記述するための条件です。ですが、その条件を満たさなければ「記述してはならない」ではなく「記述にふさわしくない」ということです。だからガイドラインや方針の類をいくら持ち出しても「禁じられていない」ことが「記述にふさわしい」ことにはなりません。そういう意味では「ふさわしいものになる条件」でもあります(両者は対立する概念ではありません)。どうしたらいい記述が書けるか意見を出し合う場であなたが反論したら、自動的に「書く意志がある」と判断されても文句は言えません。(あなたに書く意志がないのならあの節で意見を表明する意味がないのですから)要するにあなたはあの節がどういう場であるかちゃんと認識していなかったということです。--ふくたろう 2009年3月23日 (月) 23:32 (UTC)
- 寝ず見さんへ。それは対話拒否というものでしょう。
- じゃあ「記述にふさわしいものを記述するための条件」だったということでいいのでしょうか。ふくたろうさんが「記述にふさわしくないから記述してはいけない」と言ってるように思っていましたが、そうではないということでしょうか。あくまでふくたろうさんの考える「記述にふさわしいもの」になるための条件を述べただけだったということでしょうか。「ふさわしくない」というのは「書いてはいけないわけじゃないが良くないことだよ」というニュアンスだったということでしょうか。
よりよい記述にするための相談の中で、「こうしたらいいですよ」という意見に、自分が「こうしないと駄目なんだ!」と言い出したということなら良くなかったと思います。もしそうなら謝ります。--Godsigma 2009年3月28日 (土) 10:17 (UTC)- すべて私なり皆さんのこれまでの発言の中に書いてあります。相手に訊くばかりでなく、ご自分でじっくりお考えになることをお勧めします。それでわからないなら、くどいようですがご自身の問題だと思います。--ふくたろう 2009年3月30日 (月) 01:51 (UTC)
- じゃあ「記述にふさわしいものを記述するための条件」だったということでいいのでしょうか。ふくたろうさんが「記述にふさわしくないから記述してはいけない」と言ってるように思っていましたが、そうではないということでしょうか。あくまでふくたろうさんの考える「記述にふさわしいもの」になるための条件を述べただけだったということでしょうか。「ふさわしくない」というのは「書いてはいけないわけじゃないが良くないことだよ」というニュアンスだったということでしょうか。
コメント依頼について
[編集]こんばんは、しろぼるです。以前Godsigma氏が出した、天地無用!のコメント依頼ですが、そろそろ消してもいいのかなと思います。依頼されたGodsigma氏に消してもらった方がいいと思いますので、よろしくお願いいたします。--しろぼる 2009年4月10日 (金) 18:59 (UTC)
- たしかにもう必要ないかもしれません。じゃあやっときます。--Godsigma 2009年4月11日 (土) 07:17 (UTC)