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利用者‐会話:Jindaira

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出典を提示してください

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Jindairaさん、こんにちは。あなたが投稿された内容はどのような資料を根拠にされたものでしょうか?ウィキペディアの内容は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が重視されており、「Wikipedia:検証可能性」が基本方針の一つとして定められていますので、出所不明な情報を投稿することはできません。また、「Wikipedia:独自研究は載せない」に明記されているとおり、個人的な見解に基づいた記述はウィキペディアでは歓迎されません。

投稿される際には「Wikipedia:出典を明記する」を参照し、信頼可能な解釈・評価・分析などの根拠となる出典を示してください。あわせて「Wikipedia:信頼できる情報源」もよくお読みいただき、適切な編集投稿をしていただきますようお願いいたします。--以上の署名のないコメントは、Estranged999会話投稿記録)さんが 2019年2月2日 (土) 19:33‎ (UTC) に投稿したものです(静葉会話)による付記)。

すでに、地球上に正確な原典がぞんざいしていないので、無理です。 --Jindaira会話2019年2月4日 (月) 12:05 (UTC)[返信]

横から失礼します。必要なのは、「原点」ではなく、「出典」です。Estranged999さんがお伝えしているのは、Wikipediaにて記事を執筆する際には、執筆のルールを守ってくださいというだけのことなのです。また、「原点」を根拠として編集される場合、指摘されているように独自研究と見なされる可能性もあります。執筆された内容が真実であったとしてもです。ご注意下さい。--静葉会話2019年2月4日 (月) 12:24 (UTC)[返信]

もし、私が、仏教のことを、中村元氏のように、本を自費出版して、それを出典の根拠とすれば、良いのですか?。信頼する人がいますか? 有名な、中村元氏でさえ、完璧に仏教のことを理解しているとは思いません。仏教は、理解するものや研究するものできありません。実際に人として、生きて行くための実践法です。真剣なのです。必死なのです。ゆえにいい加減な出典。いくら多人数の指示を集めている本や出典でも、真実でないものは、根拠にするべきではないと思います。--Jindaira会話) 2019年2月4日 (月) 14:03 (UTC)--Jindaira会話) 2019年2月4日 (月) 14:03 (UTC) --Jindaira会話2019年2月4日 (月) 14:04 (UTC)[返信]

あなたが自費出版されたものをあなた自身がそれを執筆する際の根拠、つまり出典として編集された場合は、当然独自研究となります。また、執筆する際の根拠として提示する出典についても、信頼できる情報源であることが求められます。仮に、あなたが自費出版されたものを他の執筆社が出典として提示しても、それが出典として相応しくないとコミュニティが判断した場合は、その出版物を根拠として編集された内容はすべて否定されるとお考えください。なお、ウィキペディアは何ではないかというWikipediaの方針もご一読下さい。--静葉会話2019年2月4日 (月) 14:24 (UTC)[返信]

こんばんは。Wikiepediaで活動するにあたっては、あなた独自の行動理念よりもWikipediaの方針にそった活動をおこなっていただけないでしょうか。ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。Jindairaさんはすでに複数の利用者から同様の指摘を受けているはずです。にもかかわらず最近の編集をみても、ルールを理解されているようにはみえません。うえで提示されたリンク先の方針文章には目をとおされましたか?もし通されているのであればありえない編集が多数見られます。一部の記事で出典つき記述を不明瞭な理由で除去したかとおもえば、GoogleやLINEにかんしては無出典で独自研究を加筆され、このようにテレビ番組の自身の目撃談をもとに加筆もされています。これらはすべて適切とはいえないものです。宗教関連記事においても、提示されている文献にもとづいた内容の書き換えでなく、独自見解にもとづく加筆をおこなっておられるようですがこれは不適切であり、これまでのものもふくめ残念ながらJindairaさんによる編集は信用できる内容ではありません。よっていくつかを差し戻しさせていただきました。今後もご理解いただけないまま編集を継続される場合は強制的に手をとめていただくことも考えねばなりませんので、なにとぞ、これまで会話ページによせられた指摘および各種方針に目を通したうえで参加していただけないでしょうか。よろしくお願いします。--Aiwokusai会話2019年5月28日 (火) 17:28 (UTC)[返信]

ウィキペディアには、残念ながら、出典があっても虚偽や間違っている記述が多く、信用出来るものではないということがよくわかりました。私は、ウィキペディアを信頼できるインターネット上の辞典と理解していましたが、橋田壽賀子さんのウィキペディアの記述が、ご本人が雑誌で間違いの多いことに、びっくりという記述かあり、私は唖然としたのを覚えています。国会図書館に行って調べるとか、普通の人には、編集は無理ではないですか。嘘やどこかの組織の都合の良いように、出典を明記してウィキペディアに載せる人もいます。そのことを指摘し、なるべく正確なことを記述するには、出典元を探すだけでも時間がかかり途方に暮れます。グーグルもLINEも実際に、起きている問題です。困ったものですね。裁判沙汰になっていても、新聞や週刊誌の記事にでもならなければ、載せられないということですね。仕方ないですね。検証可能かどうかということですから。やりたい人は、勝手な、都合の良い出典をづらりと明記して、やりたい放題ですね。以上--Jindaira会話2019年5月28日 (火) 18:32 (UTC)[返信]

コメント 免責事項をお読み頂くとお分かりになると思われますように、Wikipediaに記載されている内容は、その内容が正しいかどうかについては一切保証されておりません。もちろんコミュニティの大半は、可能な限り正しい情報源を模索しそれを元に執筆しております。ですが、Wikipedia:検証可能性にもあるように、「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」が重要です。…正直言えば、私もこの点については頭の痛いところでして、執筆する根拠として使用した出典の内容が間違っていた、なんてことも少なくないですし、また、現地で調査した結果をもって執筆してもいいじゃないかとも思うことも多々あります。そうした事に関しては、Jindairaさんの仰るとおりなんです。でも、Wikipediaには執筆するためのルールが設定されているため、それが正しい情報であったとしても出典、それも二次資料を元に執筆することが推奨されているため、Jindairaさんの執筆に待ったをかけざるを得ないんです。そして特例を設けることもよほどのことがない限りできないんですよ。人物に関するWikipedaiの掲載内容が間違っていた話では、私も南海キャンディーズ山里亮太さんが、その旨をテレビ番組で話していたことも知っています。Wikipedaで記載されていた出身地が間違っていた為に仕事でトラブルになったことがあると。でも、Wikipediaって、残念な事に、所詮そんなもんなんです。中国茶関連の記事を必死こいて執筆してた私からして、そう思ってます。--静葉会話2019年5月31日 (金) 07:57 (UTC)[返信]

静葉さん、ありがとうございます。ウィキペディアの方針はもちろんのこと、記事を載せるにおいても、信用性や、議論になったり、反論や反証をするのに、感情的とか論理的とか、中立・公平的な立場を保つにおいて、出典とかいうものを記述するとかいうのは理解出来るのですが、インターネットの記事を読んでいると、どの分野においても、その記事の内容の信頼性を保つために、「ウィキペディア」を出典にしている人が多いです。実際。ということは、やはりウィキペディアという辞典は、大方信頼されているといって良いと思います。  ですが、ウィキペディアも、もしかしたら、医学や物理学と、似ているところがあるのかもしれません。医学も、進歩すれば、今までの常識が覆されることも多いですし、物理学もそうです。信頼される情報源に当てはまらないといわれる、西暦2019年5月5日・12日と連続放送されたテレビ番組 NHKスペシャル「シリーズ人体Ⅱ 遺伝子」第1集・2集での、山中伸弥教授が、番組内で発言していましたが、たしか、研究の際には「私を信用するな」とか言っていました。過去の理論や理屈・権威にこだわっていて、それを疑うことを全くしなければ、医学も物理学も進歩はないでしょう。  ウィキペディアも進化しているということでしょうか。出典元の提示で、Aiwokusaiさんにも、指摘され注意もされましたが、私が編集した橋田壽賀子さんの件と、追記した、聖徳太子の件では、出典元を提示しました。が、それすら、探すのに時間がかかりました。また、創価学会のページを流れで、拝見したところ、学会を批判する他の宗教団体を批判するためには、職業が本当はアナウンサーなのに、お笑い芸人とかプロレスラーとか、これは、わざと陥れるために、引用したり書いてあるのですね。あきれました。その批判している団体の出版物を取り寄せればわかります。創価学会の発行する「聖教新聞は」仕事上の付き合いで、何ヶ月か読んだこともありますが、そういうことを踏まえての発言です。他の編集も、訂正したところは、出典が提示していなくとも、間違いではなく、正式な記述をしたはずなのですが・・・。出典を探せといっても、なくて無理なものも存在します。創価学会も、社会奉仕的な活動とか良い面も多々あると思いますし、信じている人は悪い人とかいう主張をするつもりもないです。

 あと、間違って記述したものがありますので、あえて書いておきます。仏教のところで、生活苦だったかの記述で「宗教法人税は、異カん」と書きましたが、これは、「悪戯やいたずら」という名目で、削除されましたが、本当は「宗教法人税は、優遇税制で、異カん」と書くところ、間違いでした。全ての宗教法人の存在を否定するわけではないのですが・・・、日本国憲法に、思想や信教の自由、集会や結社の自由が保障されているから、日本は平和なのかもしれません。国教というのが存在するこは、とても不幸で残虐で、今の日本の宗教間や、右翼や左翼と呼ばれるような団体同士のいざこざは、ささいなことでしかないのかもしれませんね。  でも極一部のかな宗教団体で、宗教法人を名乗ることにより税金を優遇され、多くの国民の利益を損ねているというデメリットもあると指摘したかったのであります。  当然、すぐに削除されるであろうとは思いましたが。--Jindaira会話2019年6月9日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

コメント 検索エンジンの検索上位に必ずといっていいほどWikipediaの記事が表示されておりますが、その内容についての正確さは一切保証されてはおりません。ですが、一般の利用者の方々は、記事の内容が絶対的に正しいと考えてしまうものです。そもそも免責事項を、検索エンジンを用いて記事を閲覧した方は見ることはほとんどありませんし、また、インターネット上の「百科事典」だから信頼していいとも思ってしまうものです。第一、記事の内容が間違っていると常に疑っている方は、リアルタイムで履歴を追っている場合はともかく、通常であれば執筆者の中でもほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。実際、エイプリルフールという記事にエイプリルフールに記載されたでたらめな記事が真実だとして長年放置されていた事例があったりもしました(→ノート:エイプリルフール#「エイプリルフールの起源」)。こちらはエイプリルフールに書いたネタが、善意の編集により真実だと誤解された為ではありますが、このように、誰も虚偽記載に気づかないことも多くあります。もちろん、この時点でも、そうした虚偽記載がそのまま誰も気づかず放置されているものもあると思われます。こうした虚偽の情報流布は、それが善意、悪意どちらの意思に基づくか関係なく、それこそインターネットが普及する以前からあったことでもあります。
出典を用いて編集を行うことの大変さについても、こちらも私も同じくそうは思います。しかしながら、こちらも記事の信用性を高めるために必要な事です。いちいち出典を記載するのも、編集するにはすごく面倒な作業です。ですが、その作業も、(出典そのものの正確さはともかく)記事の信頼性を高めるために必要ですし、また、記事を閲覧した方が、その編集の根拠となっている出典を確認することで、さらに見識を得る事にも繋がりもします。実際に私もそのような経験が多くあります。
そして、それ以上に大切なのが、コミュニティの合意です。コミュニティの合意を得る事ができなければ、その内容が正しかったとしても、執筆した内容が否定さかねません。ですが誰にでも確認できる出典があれば(→Wikipedia:検証可能性)、ある一定の合意を得ることはできると思われます。
ですが、それでも、各執筆者の、記事執筆の考え方の違いにより、意見の対立や編集合戦に繋がることも多く見うけられます。この傾向は、宗教や政治、存命中の人物、現在進行形の出来事に、より多く見うけられると思われます。
Wikipediaは、リアルタイムで執筆されているプロジェクトです。今記事を閲覧している方に不便がないようという思いは、私も持ってはいます。しかしながら、それを今すぐ絶対に行わなければならないとは実のところ考えてはいません。そもそも、必死に編集しても、何の見返りもないのですし、編集する責務もそもそも負ってはいません。なので、もし記事の中に間違いを見つけたとしても、知らんぷりを決め込んでもいいんです。Wikipediaって、そんなもんなんです。今でなくとも、数年後、数十年後に、出典を持って正しい情報に訂正されていればそれでいい、という感じで、気長にお考えいただければと思います。
ちなみに、こうして文字によりコミュニケーションを行っているものですから、発音のイントネーションが含まれていないこともあり、その文面から攻撃的であると受け止められることもあるやも知れません。ですが、この会話ページでJindairaさんにコメントをされている方々は、いずれも善意によるものです(→Wikipedia:善意にとる)。言葉はそれぞれきついと思われるでしょうが、その点ご理解いただければと思います。--静葉会話2019年6月9日 (日) 13:55 (UTC)[返信]

まだ、ここにコメントできるようでしたら、ブロック依頼者のAiwokusaiに対して、宗教関係者というレッテルを貼っているわけではなく、疑いをもってしまった・・・・・ということでございます。不愉快な思いをしていられるなら反省致します。よろしくお願いします。--Jindaira会話) 2020年3月27日 (金) 13:41 (UTC) 今は、私自身もこんな投稿をしている場合できないのですが、前回の発言に、ブロック依頼者のAiwokusaiさんに対して、さんをつけることなく、呼び捨てになったことに対してお詫び致します。また、ブロック依頼に対して、「滑稽である」と書いてしまいましたが、私の記憶違いや錯覚かなにかなのでしょう。コメントに、「敵対する?だったかの組織に対して、投稿されている・・・」とかいう趣旨の発言を読んだ記憶があったからなんです。私の勘違いだたのでしょう。 滑稽です。という発言は、Aiwokusaiさんを、からかっている、バカにしたような発言だと思いますので、このことに対しても謝罪したいと思います。 2月の投稿は、仕方がありませんでした。2月末に、困ったことがストレスになりまして、某団体を、からかうとか馬鹿にするつもりはありませんが、このままでは、某団体で活動している人は、とても不幸になりますので、思い切った発言・強めの発言をついうっかりしてしまいました。この発言は、辞書作成の目的とは、全く別ものの発言ですから、ブロック依頼は当然のことでありましょう。ここでの実績は、橋田壽賀子さんの、間違いを訂正出来た・・・だけでした。 著名の時間が、いつからか、何時間もずれています。訂正の仕方もわかりません。ご容赦下さい。--Jindaira会話2020年4月8日 (水) 14:57 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼が提出されております

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こんにちは。早速ではございますがAiwokusaiさんからあなたに対する投稿ブロック依頼が提出されております。あなたは被依頼者ですので賛否を投ずることはできませんが、コメントは可能ですので当該依頼にてコメント頂ければ幸いです。まずは報告まで。--Mee-san会話) 2020年3月18日 (水) 22:41 (UTC) こんばんは。しばらくログインしていませんでしたが、もちろん、以前から指摘されていたように、出典なしのコメントは、一切ダメであるということについて、違反をしておりますので、皆様の意見には従います。規約違反にあたりますから仕方がありません。昨月某宗教団体より、とても迷惑な訪問がありまして、ついついコメントをしてしまいました。でもなんで、投稿ブロック依頼の方は、私なんぞの投稿を追跡しているのか・・・理解出来ません。昨年末ですか・・・ウィキペディアで、なんとかキャンペーンをやっていましたね。追記じゃなくてなんだったかな・・・。ブロック依頼の方も、私はあまり気にしていませんが、その人でさえ、出典なして、記述していますよね。昔、奇跡というところを修正したら、すぐにその方が、より、懇切丁寧に修正して下さいましたが、出典なしです。私は、最近いくつか発言しましたが、たった1日で、自ら削除致しました。奇跡なんて、ホントは、「異常なこと」「不自然・おかなこと」ぐらいなことは、記述したかったですが、常識の範囲内で辞めました。信じている方には申し訳ないですから・・・。 なんで、出典必須、出典必須という方が、私はその方をずっと追跡などしていませんが、出典なしでも、修正とかよりわかりやすい表現の仕方とか・追記とかをやっているのではないかと、私なりに感じております。 今は、国難であり、世界の大問題が発生しています。それはそれとして、「百億の昼と千億の夜」でしたが、これは、私自身が削除する前に、他の方により削除されましたので、なにも致しませんでした。 一番最初に、編集致しましたのが、仏教でしたので、それについては、ブッダとか日蓮さんとか親鸞さんとかもそうですが、過去に特別に聖人とか呼ばれている人も、皆等しく、ただの人であったわけで、後に多くの人は、そういう人たちを伝説化し、聖人とか完璧な人とかしたら、本当はよくないと思っているのです。なにかの宗教を信じている人は、皆、「宗祖」は、特別で偉大な人だったと聖人化しますが、それは自分の信仰だけは、特別だとかという・・・のに利用しているようなものだとおもいます。日本で、特定の宗教を信じている人など、せいぜい1割ぐらいなものだとは思いますが・・・。私も、過去のトラウマや宗教関係の後遺症がまだ結構残っているので困っていますが・・・。私は、宗教は嫌いなのです。 今は、日本で起きていて、世界でも同時に起きている問題に真剣に取り組んだ方が良いと思います。 当然、皆様の意見は尊重し従います。--Jindaira会話) 2020年3月25日 (水) 15:12 (UTC) 先ほど、Aiwokusaiさんの削除依頼をコメントを拝見致しました。確かに私はウィキペディアの編集員としては相応しくないと思います。しかし、ウィキペディアの編集に、いまさら意欲などもっていません。また、悪戯やいたずら目的での発言の意図は、全くありません。ほとんどのコメントが、Aiwokusaiさんの邪推とかいうか、なんでこんなことを感じるのか、コメントを読んでいて、とても滑稽です。こういう人たちが編集員のベテランなんですかね。お仲間が多いのでしょうか。賛成票が多いようですね。やっぱりそういう方々だったのか・・・というのが正直な感想です。--Jindaira会話) 2020年3月25日 (水) 16:53 (UTC) 追記なのですが、Aiwokusaiさんは、誤解というか勘違いされていますが、私は、ここには頻繁にログインしてはおりません。約1年前の発言から、Aiwokusaiさんだけが、私のことを熱心にに追跡されていたようだったので、宗教関係者なんではないかと...勘ぐりましてたまたま久しぶりにログインしたのが、確か8月ごろで、Aiwokusaiさんが、他の人とバトルみたいのをしていただけです。偶然に発言が重なっただけで、Aiwokusaiさんのことなど、いちいち追跡 などなんかしてはいませんので誤解なきようお願いします。あまり、警察官の一時停止の取り締まりとか免許不携帯の取り締まりみたいのに熱心にならなくても良いのではないかと思います。昨年の12月は、加筆大会をしていましたね。どうぞ、加筆でも訂正でも、Aiwokusaiさんは、必ず「出典の明記」をして下さい。 よろしくお願いいたします。そもそも私には、参考にする本自体がありません。仕事の本だけです。--Jindaira会話) 2020年3月25日 (水) 22:29 (UTC) お久しぶりです。最初にウィキペディアの仏教について編集を致しましたが、全く規約を読んでいない状態での投稿でした。すぐに削除さけるであろうとは思いましたが、記録に残ってしまうとは思いもよりませんでした。私は、ブッダ及び日蓮さんなど尊敬しておりますが、一宗派だけを特別視することはありません。シッダルタについて、ごく普通の人が悩み・老い・死んだ、ただそれたけ。というような記述に対して、私自身増上慢だったが故の発言だったと思います。懺悔し反省をし、罪障消滅につとめたいと思います。--Jindaira会話2021年3月26日 (金) 10:35 (UTC)[返信]

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