利用者‐会話:Nekosuki600/俳句引用

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俳句がらみ[編集]

当初、関係者のノートに個別に書いてまわっていましたが、これをやると議論が錯綜したときに厄介なことになりそうなので、サブページにしてまとめました。--Nekosuki600 2006年9月19日 (火) 13:46 (UTC)[返信]


どーも。俳句の掲載(全文引用)がらみ。関係者それぞれのノートにマルチポストします。

おれの見解では、俳人の紹介目的でその者の俳句の全文引用を行うのは基本的に可なのだが、大量に並べるとなるとどんどん無断転載との境界に近づいていくこともまた確かだろうと思う。Wikipediaの俳人項目にその俳人の作品を網羅する必要はなく、代表作を羅列する必要もなく、サンプルとして提示すれば充分でしょう。せいぜい2~3句程度におさめりゃとにかく、それ以上並べるのはトラブルを引き起こす以上の結果をもたらさない(しかも、数多く並べたからといってその俳人への理解が深まるというようなものでもあるまい)。

一方で、著作権についての誤解に基づく教条主義にとしか思えぬ削除依頼には同意できない。しかしもう一方で、大量に俳句を並べるという手法にも賛成はできない。代表句を掲載するという道をふさがぬためにも、代表句を掲載するのだったら、厳選してごく少数のものの掲載にとどめる必要があるのではないかと思う。少なくとも、「俳句界の慣習としてこれはOK」というような理由付けでは説得力が足らないので、ごく普通の著作権解釈でもOKな範囲にとどめるべきであると考えます。

以上、おれが考えるところの落としどころとして、いちおうお知らせをしておきます。--Nekosuki600 2006年9月19日 (火) 03:52 (UTC)[返信]

2日ほど待ちましたが、いまのところリアクションがありません。まず速やかなリアクションがないことについて残念に思うということを表明させていただきます。

さて、今回の俳句の選句をめぐるトラブルですが、一方に「選句だけを掲載することに問題はない」とする、少なくとも通常の著作権理解においてはかなり問題がある考え方が表明されています。もう一方で、それを指弾する余り通常の著作権理解においては問題がないものについても削除要請が出されるという行き過ぎた反作用も引き起こされています。おれはある程度著作権についてもお勉強をしてきた者ですが、そのおれの知見から判断するに、これは両者ともに間違っており、どちらの見解が通ってもまずいということになります。そこで落としどころをさぐろうと考えて出てきたわけですが。

俳句の引用があるというだけの理由で削除要請が出されるということは間違っているのでそれは阻止したいと考えておりますが、同時にそういった行き過ぎた反作用を引き起こした「選句の掲載」についても、選句を掲載した方々に見直していただかなければなりません。たとえば俳人単位で選句を掲載したいのであれば、最低限その俳人についての説明を記述し、選句は従として引用の範囲におさめられるようにする必要があるでしょう。おれの観点から別の言い方をすれば、「俳人についての説明を記載せず、選句だけを掲載するというのは、手抜きである。説明の記載を怠けたいのならば、そもそもそんな項目を立てるな」とでも言えばいいでしょうか。もうちょっと挑発的な言い方をしてみれば、「もし本当に俳句について造詣が深いのであれば、解説くらいちょちょいのちょいで書いて見せろ」という感じです。解説すら書けない方による選定に信頼性があるとは思えませんし、そんなものには価値がないのじゃないだろうかと。

では、引き続き、ご意見をお待ち申し上げます。--Nekosuki600 2006年9月21日 (木) 09:45 (UTC)[返信]

excl-zoo です。おおむね Nekosuki600 さんの意見に賛同します。というか、井戸端の議論の落しどころは上記だと思っていたのですが、私の見当違いだったようですね。公正な引用による選句は和歌の記事を成立させるために認めるべきだと感じます。同時に、俳句界ではない Wikipedia では俳句界の慣例による際限の無い選句は認めるべきではないと考えます。(この「慣例」は真実か否かが検証不能なので、非常に怪しいですが ... 。)
選句に解説を載せないのは手抜きとの意見ですが、私は選句が「先発句集のリミックス」と言えると感じています。リミックスに原曲の解説を載せないのと同じように、選句に解説を載せないのは「選句」としては問題ないのではないでしょうか? ただ、Wikipedia はリミックスのような芸術活動をする場ではないので、著作権の話を抜きにしても「選句」のみでは「Wikipediaの記事」として問題があると思います。--excl-zoo (会話/履歴) 2006年9月21日 (木) 15:56 (UTC)[返信]
excl-zoo さんどうも。
ああ、リミックスねえ。説明の意図がなく、表現者のそういう意図のみで選句が載せられたのだとすると、それはWikipediaの目的の範囲外ですねえ。そんな発表行為の場としてWikipediaを使うという発想がおれにはなかったので、なんかよくわからないでいたのだが。選句の発表の場という意図のみであるなら「それをやりたいんだったら自分のサイトでやってくれ」ということで早々に決着をつけちゃっていい話のように思います。削除依頼の方も著作権侵害とかなんとかいうややこしく先例になりかねない理由を持ち出さずに「明らかに異質な記事」ということで処理が可能だし、どちらかというとその方が楽かもしれない。
ま、いずれにせよ、へたな方向に話が行ってしまって「俳句・短歌の掲載は一切まかりならん」みたいな結論になってしまったら厄介なんで、そうはさせないように努力せにゃならんとは思うわけですけど。--Nekosuki600 2006年9月21日 (木) 16:33 (UTC)[返信]
そうですね。それは避けたいです。しかし、周辺が穏やかでなくなってきているのが心配です。皆さんには安易な排斤ではなく冷静な議論を望みます。
ところで、上記のリミックスの例えですが、趣味の発表行為というより「歌人、○○○○の業績を示すために、Wikipedia に選句を捧げます。」のような感じで投稿しているのではないかと私は感じています。解説がつかない限り投稿者の創作活動の域を出ないので Wikipedia では除去対象なのですが、投稿者は善意なので余計にもめるのかな? と思ったりします。
以上は私の素人感想なので、当事者の方に選句を投稿する真意をぜひ聞きたいですね。興味があります。--excl-zoo (会話/履歴) 2006年9月21日 (木) 17:40 (UTC)[返信]
nekosuki600さん、ありがとうございます。当該のページで最近の私の発言を載せてあります。「選は創作なり」という虚子の言葉もあります。それを紹介すると、今度はWikiは創作の場所ではないという反論が帰ってきますが、これでは際限がありません。虚子のいう「創作」は大切なことだといった意味合いです。百科辞典あるいは「現代俳句大事典」(三省堂)で、なんにんかの俳人を調べてみてください。必ずといっていいほど代表句があります。削除派のmiyaさんなどは、すでに人身攻撃とも見られる言動があります。--時の旅彦 2006年9月21日 (木) 18:27 (UTC)[返信]
時の旅彦さん、いらっしゃいませ&ご説明ありがとうございます。
とりあえず現段階でぼくが理解したところによると、「選句は、創作である」ということのようです。えーとしかしなんだ、やっぱりそういうことであれば、Wikipediaにとっては場違いであると考えざるを得ません。
たとえばWikipediaに自作の短編小説を掲載したひとがいたとしたらそれは受け入れられるか。受け入れられないです。たとえばWikipediaに自作の詩を掲載したひとがいたらそれは受け入れられるか。受け入れられないです。Wikipediaは「百科事典を作ろう」というプロジェクトであるからです。
それと同じ理由で、選句が創作としての価値を持っていたとしても、Wikipediaは創作発表の場ではないのですから、やはり受け入れがたいと言わざるを得ません。
Wikipediaは、「百科事典を作ろう」というプロジェクトです。ですから、特定の俳人・俳句の流派・なんらかの文化などの事象を説明する上で、俳句の引用が充分な意味を持つのであれば、引用することは可能です(「引用は原則としてまかりならん(大意)」という意見の方もおいでになるようですが、ぼくはその意見には全くもって同意しません)。しかしながら「百科事典にふさわしい説明を行うため」という目的は、執筆者の共通基盤でなければなりません。衝突が起きていたのは、著作権がどーのというところではなく、その目的の部分ではないかという印象が強まっています。このあたりは、おれの印象が正しいかどうか、確認をしていただけると幸いです。
なお、特定の俳人・俳句の流派・なんらかの文化などの事象を説明する上での俳句の引用につきましては、ぼくは引用は可能であるという立場におります(引用の要件を満たすだけの充実した説明が必要であるというのは前提とした上で、ですが)。「選句だけを放り出すように掲載する」のではなく「充実した説明とともに代表句を掲載する」といったスタイルで執筆していただけるのであれば歓迎しますし、ちゃんとした引用として成立しているものに対して「引用はけしからん」といった攻撃が加えられるようであれば、それについては時間の許す限り議論に参加しようと思っております。
--Nekosuki600 2006年9月21日 (木) 18:41 (UTC)[返信]
俳句(短歌を含む)は小説や詩とは異なります。これまでの判例でも「俳句」が例示されています。代表句の選出もすでに述べたように歴史的に行われていることです。「添削」問題でも俳句の慣行が認められたように、俳句の引用には紹介、参照を含められます。明らかに引用の範囲と思われる柳原極堂でも、削除されましたが、こうした強行削除はWIKIの自殺行為に思えます。--Ryu1694 2006年9月22日 (金) 14:34 (UTC)[返信]
お聞きします。ではその選句をWikipediaに掲載する理由・目的は、どのようなものでしょうか。Wikipediaに選句を掲載することによって、Wikipediaはどのような利益を受け、Wikipediaはどのように充実するとお考えになっているのかをお聞かせください。--Nekosuki600 2006年9月22日 (金) 14:52 (UTC)[返信]
ご指摘の「Wikipediaは、「百科事典を作ろう」というプロジェクトです」まったくそのとおりです。私が延々と述べてきたことは、そのための論議です。没後50年経ってないからといって、一句も俳句・短歌の載っていない百科事典(私の場合は俳句事典ですが)はありません。(もちろん私は相当数の代表句の掲出は可の立場ですが、少なくとも一句はなんの問題もないでしょう)どうかご理解ください。--時の旅彦 2006年9月22日 (金) 23:58 (UTC)[返信]
禅問答に持ち込まれるのは好みません。
せっかくですので、時の旅彦さんも、選句をWikipediaに掲載する理由・目的は、どのようなものでしょうか。Wikipediaに選句を掲載することによって、Wikipediaはどのような利益を受け、Wikipediaはどのように充実するとお考えになっているのかをお聞かせください。
この部分に明確な回答がないということは、「選句の掲載によってWikipediaがどのように充実するのかについて、明確なヴィジョンはない」ということになってしまうかと存じます。なんでもそうですけど、リスクとメリットの比較考量というのがありまして、メリットが大きければリスクを甘受すべき範囲が広がります。メリットが提示されなければ、ごくわずかなリスクであっても、「それはやめておけ」という結論になる可能性もあるわけです。リスクが指摘されている以上、逆に「どのようなメリットがあるのか」の説明をしなければ、掲載への同意は得らないのではないでしょうか。
--Nekosuki600 2006年9月23日 (土) 03:22 (UTC)[返信]

確認:選句掲載の目的[編集]

確認をしたいので、章を分けました。

選句をWikipediaに掲載する方に伺います。選句をWikipediaに掲載する理由・目的は、どのようなものでしょうか。Wikipediaに選句を掲載することによって、Wikipediaはどのような利益を受け、Wikipediaはどのように充実するとお考えになっているのかをお聞かせください。

すでに述べましたが、選句の掲載にはリスクを伴います。そのリスクを上回るメリットがあれば掲載を許すべきという方向に世論は流れるでしょうし、そのリスクを上回るメリットがないということになれば掲載は拒否すべきという方向に世論が流れるでしょう。つきましては、掲載をしたいということであれば、「どのような目的があるのか」「どのようなメリットがあるのか」のご説明をいただきたいと思う次第です。

なお、Wikipediaは「言論の自由の場」ではありませんから、「掲載したいという個人的な思い」とか「掲載する権利がある」とか、そういう主張ではあまり説得力がないと思います。そういう主観的な理由ではなく、「選句を認めればWikipediaはこのような利益がある」「選句を認めればWikipediaはこのように充実する」といった方向でご説明をいただければと思います。よろしくお願い申し上げます。--Nekosuki600 2006年9月24日 (日) 13:05 (UTC)[返信]

時の旅彦さんが23日03:14から一週間ブロックを受けていたため、確認作業が止まっていました。そろそろブロックは明けたものと思いますので、返事をよろしくお願いします。説得力のある「選句を掲載することでWikipediaはこのように充実する」といった理由の説明をいただければ、選句の掲載について、わたしは賛成することになります。いただけなければ、反対することになります(わたしだけではなく、この一連を見ている多くの方が同じ判断をするものと思います)。では、正念場ということで、よろしくどうぞ。--Nekosuki600 2006年9月29日 (金) 05:15 (UTC)[返信]

更に二日ほど経過しました。念のために催促を入れておきます。--Nekosuki600 2006年10月1日 (日) 09:07 (UTC)[返信]

10日以上が経過し、時の旅彦さんのブロック明けからも一週間が経過しましたが、「選句をWikipediaに掲載するとWikipediaにとってどういうメリットがあるのか」についての説明はいただけませんでした。とりあえず「説明は、いただけなかった」ということで話を進めさせてもらいます。--Nekosuki600 2006年10月5日 (木) 06:24 (UTC)[返信]

ウィキペディア内における引用の扱い[編集]

こんにちは、Koba-chanです。少しだけ話題に参加します。
Nekosuki600さん以外の多くの方たちの共通点はNekosuki600さんが意図している落とし所を探そうとする主旨を理解していないのではないかといった印象を受けます。時の旅彦さんに提案します。まず引用・転載ありきの立ち位置を検めて見直してください。Ryu1694さん、強行削除のような貴方自身の考えに基づく言動は大抵が混乱の元になります。常に加除編集が可能なGFDLに縛られたウィキペディアに於ける引用の位置付けを見直してください。
百科事典が扱う多数のジャンルから見れば俳句は一つのジャンルでしかありません。例えば「引用」という行為について、特定ジャンルに例外を設けて引用行為を可能とした場合、他のジャンルにも波及することの是非論があります。引用の点からGFDLを簡単に解説しますと、ウィキペディアは「常に編集・加筆・削除を保証する」という契約に合意した寄稿者によって記事が発展していってます。例えば、時の旅彦さんやRyu1694さんが主張する著作権法で保証されている「適正引用」はある時点では適法なものになるでしょう。しかし、引用した部分が常に引用状態で維持できるとは限らないという危険性に対する考慮がなされていません。幸いにしてウィキペディアは各ページごとがGFDLで公開されていますので、引用した部分の主従関係が崩れたとしても、その項目ページのみを削除すれば他の記事に影響は与えない作りになっています。対して、特定記事のみに着目した場合、初版が特定の俳句のみが記述されていて適正引用を満たさないような解説の場合は、一見して引用にみえたとしても、その抜き出した俳句単体の著作権許諾の問題が発生しますし、場合によっては転載の状態になりそうです。また、初版以降の版はすべて初版からの派生物になります。初版で適法性のある記事は白紙化されるか、記事削除の対象になります。先日のポケモン記事の削除も同様の理由で行なわれました。
「載せたいから載せる」という状況がまかり通るほどウィキペディア日本語版は寛容な場所ではないことに気を回してください。
百科事典に代表句の一つでも載せて本文解説に深みを与えたいという気持ちは殆どの方が共通して持っていると思いますが、引用を未来永劫に渡って保証するシステムは現在のウィキペディアには存在しないという点について再度考慮した上でのRyo1694さん、時の旅彦さんのご意見をお待ちします。Koba-chan 2006年9月23日 (土) 11:35 (UTC)[返信]

先に時の旅彦さんが「百科辞典あるいは「現代俳句大事典」(三省堂)で、なんにんかの俳人を調べてみてください。必ずといっていいほど代表句があります。」と書かれていましたので、実家に戻り百科事典(グランドナポレオン・講談社1972年刊・・ちょっと古いですが)を調べてみました。代表句を掲載していたのは松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句のみでした。小林一茶にしても与謝蕪村正岡子規、問題となった高浜虚子いずれも句など掲載されていませんでした。短歌も然りです。つまり、百科事典においては代表句を掲載しなくとも、その人物について解説することが出来るということなのではないですか?ですから、敢えて著作権問題を孕ませつつ記事を書くべきではなく、記事を書く方法は他に幾らでもあるという事でしょう。Reggaeman 2006年9月23日 (土) 13:14 (UTC)[返信]
私の見た百科事典には必ず代表句があります。ちょうど発行が同じ頃の手元の『万有大百科事典1文学』(小学館1973年)の高浜虚子には個別の批評、字の文なしに6句が掲載されています。同じく高浜年尾(発刊時点では現存者)にも1句が掲載されています。その他列挙できないほど多くあります。ご確認ください。--緑はるか 2006年9月23日 (土) 13:39 (UTC)[返信]
Reggaeman さんは「代表句の掲載有無」を言いたいのではなく、「代表句の掲載なしで、歌人・俳人を説明することは可能」と言いたいのだと思います。
選句だけでなく引用に関してもWikipedia の記事として内容を精査する必要があるのではないかと私は考えます。もちろん有用な引用であれば記述を残すべきです。--excl-zoo (会話/履歴) 2006年9月23日 (土) 20:30 (UTC)[返信]
excl-zooさん、ご説明ありがとうございます。私の言わんとするところはそこです。しかし、「引用」は著作権に抵触しないと言うことになっている以上は、解説付きで代表句を掲載することは可なのでしょう。excl-zooさんの仰るとおり必要性があれば客観的な解説(その作品が作られた時期であるとか、作者の置かれた状況であるとか、どの点が一般的に支持されたのか等)を付けて必要最低限掲載可だと思います。正直、中村草田男の記事を書いた際、「万緑」の季語についての解説に句も掲載すべきではないかと迷いましたが、草田男の句にはまだ著作権が存在しており結局、句は掲載せず記事を書きました。しかし、句を掲載しなかったので具体性に欠ける記事となっています(後に代表句が列記されましたが)。この様に新季語が出されたようなケースでは掲載可でしょうね。Reggaeman 2006年9月24日 (日) 0:38 (UTC)

現段階における合意形成の提案[編集]

なんか白紙化破壊が行われたことから、こういう議論があったのだということを思い出しました。白紙化破壊をしたひと、やぶへびだったね(ふっ)。

さて、これまでの議論をふまえて、現段階における合意形成の提案。

  1. 引用の絶対禁止という主張については、合意に達していない。
  2. しかしながら、引用の要件を満たさぬ「著作物の掲載」がWikipedia上では許されないということについても、異論はない。もし俳句業界などでは異なる慣習があるとしても、それはWikipediaでは基準とはできない。
  3. 選句を、「選ぶことの創作性」という観点から重視するという立場は、Wikipediaでは容認されない。また、選句を「オマージュ」などとして取り扱うことも、同様に容認されない。

ということでいいでしょうか。--Nekosuki600 2007年3月22日 (木) 11:08 (UTC)[返信]

懐かしい議論ですね。合意でよろしいのではないでしょうか。--スのG 2007年3月24日 (土) 15:23 (UTC)[返信]
そういえば、議論途中で中断していましたね。Nekosuki600さんの提案を支持します。--Reggaeman 2007年3月25日 (日) 2:30 (UTC)
支持します。Uryah 2007年3月25日 (日) 13:24 (UTC)[返信]
支持しますが、合意形成というからにはもう少し広い範囲に告知したほうがよいのではないかしら。いうことで文学ポータルにここへのリンクを出しておきます。Wikipedia名前空間への移動もそのうちしたほうがいいのかな。--Aphaia 2007年3月26日 (月) 10:08 (UTC)[返信]
リンク張りどうもありがとうございます。いやあ、当初ここまで混迷するとは思わなかったんでこんなことになっていますが、ちょっと見通しが甘かったですね・・・コメント依頼かなんかにページを作って展開すべきだったかも。まあ、とりあえずここで合意形成をした上で、更にモメることがあったらそのときには改めてもっとわかりやすいところにページを作ってやろうと思います。あるいは、念押し的文書を作ってどこか目立つところに貼っておくか。--Nekosuki600 2007年3月26日 (月) 10:25 (UTC)[返信]
3.選句に相当の創作性が見られる場合は、作者の著作権と選者の編集著作権の双方について権利処理が必要であり、選句に創作性があるからといって作者の権利処理が必要でないという意見は受け入れられない。
じゃないかな。--Ks aka 98 2007年3月26日 (月) 10:14 (UTC)[返信]
いや、それ以前に「Wikipediaは創作発表の場ではないから」でいいんじゃないかな。--Nekosuki600 2007年3月26日 (月) 10:25 (UTC)[返信]
ああ、だとすると、「4.投稿者による創作的な「選句」は、許されない。」じゃないかな。--Ks aka 98 2007年3月26日 (月) 10:29 (UTC)[返信]
cf.Wikipedia‐ノート:削除依頼/俳句の掲示#異質な記事?より
選句が創作的表現手段であるということについては異論はありません(たとえばおれ、歌詞カードを作るときに、漢字表記や改行を原詩とは違うものにすることがあり、その書き換えたものは原詩をふまえたおれの作品だと考えております。そういう意味で、同じく選句もまた、創作的表現手段であると考えます。もちろん、だからといってそれを独自の著作物と主張することはできないとも考えていますが)。しかしながら、それが創作的表現手段であるのならば、 Wikipediaは創作の発表の場ではないのだから、そんなもんを持って来られても困りますってことです。
選句単独では百科事典的解説としては成立しません。また、解説のための補強のために代表句を並べるといった場合でも、それは「解説対象者の代表句」であるべきで「選者の創作性」は邪魔な要素とならざるを得ないでしょう。いずれにせよ選句が創作的表現手段であるということならば、それは「Wikipediaにとっては利益がない投稿」という結論になるのではなかろうかと考えております。
--Nekosuki600 2006年9月23日 (土) 03:49 (UTC)
おれの感覚だと、この「創作発表の場じゃねーから」の方が、選句をWikipediaに登録しようとするベクトルへの抑止効果が高いんですよね。でもまあ構成はいろいろあっていいようにも思います。--Nekosuki600 2007年3月26日 (月) 10:36 (UTC)[返信]
「引用だけならウィキクォートへ」という手もあります。でも「創作の場でないので」と合わせ技にしておくのが吉かな。ウィキクォートの場合でも、NPOVという大枠が外れるわけではないので、行動な創作性を主張される方にはあまり向かないように思います。--Aphaia 2007年3月26日 (月) 10:39 (UTC)[返信]
んーと、Nekosuki600 さんの言わんとするところは、たぶん把握してる。記憶では、投稿者による選句には創作性があるから作者の著作権が及ばない的な理屈だったと思うです。普通に「選句」と出てくると、誰かの選句も投稿者の選句も区別つかないと思うですよ。百科事典で取り上げるに足る俳人なり評論家なりが、百科事典で取り上げるに足る独創的な選句をしている場合まで含んでしまうのは避けよう、と。「創作発表の場じゃねーから」というのも、作句(っていうのかな)というのが最初に思い浮かびます。かつての議論も参加してたけど、かなり間が空いてて、当時の流れに乗り切れずに読んでしまうところもあったので、ちょっと表現改めてみた、くらいのことと御理解ください。--Ks aka 98 2007年3月26日 (月) 10:56 (UTC)[返信]
了解ですー。
念のための復習でつ。アンソロジーとかの場合、選択や配列に「著作権」があるのは当然ですが、しかし個々の作品の著作権が消滅するわけではありません(たとえば複数の作家の小説をまとめたアンソロジー本の場合、そのアンソロジー本の上には選択や配列に基づく新たな著作権が生じますが、個々の小説の著作権が消滅するわけではありません)。この俳句選句をめぐる争いでは、「俳句業界では、この場合、元の俳句の著作権を尊重する必要はないという慣行がある(大意)」という主張がなされ、それに対して「そんな業界内のローカルルールなんか知らん。検証もできん」ということで、ひとつの争点となっていました(合意事項(2)後段がここについての判断を示すもの。その後調べていないんですが、ほんとにそんな慣行があるんでしょうかねー)。--Nekosuki600 2007年3月26日 (月) 11:09 (UTC)[返信]

議論破壊の記録[編集]

なんかあいついで白紙化による議論破壊が行われています。いちおう記録しておきます。

緑はるかさんんは申しわけないんだが、続くようならば対処を考えます。--Nekosuki600 2007年3月25日 (日) 03:53 (UTC)[返信]

ノートはそれぞれの「利用者」のものと思っていましたが、違っていたようでお詫びします。私にとっては、まってく不要な書込みがあまりにも多く、これを消したかっただけです。これを消すにはどうすればいいのでしょうか。お教えいただければ幸いです。--緑はるか 2007年3月26日 (月) 16:10 (UTC)[返信]
第一。ノートは「それぞれの利用者のもの」ではなく、「その利用者との連絡・交渉などを行うことを目的とした、全ユーザに開かれたもの」です。ある程度の自治は認められているにせよ、他者からの苦言などを白紙化することは、「対話拒否」などとしてブロックの対象となる可能性があります。
第二。この問題についてあなたは、削除依頼などにおいて「選句の掲載は認めるべき」という強い主張をなさいました。ゆえにこの問題の当事者であり、第三者ではないのだということを思い出していただきたく思います。
第三。最初の白紙化についてはまだなんらかの誤認があるのかもしれないと思いましたし、復帰で対処することで十分と考えました。しかし、二度目の白紙化については、合意形成手順が動き始めたあとであり、これは容認しがたいものです。おれの警告も、二回目の白紙化を待って行っています。
Wikipediaの参加者に求められる合意形成への参加という観点から鑑みて、現状であなたがこの議論から離脱することは歓迎できません。--Nekosuki600 2007年3月27日 (火) 03:26 (UTC)[返信]

引用問題[編集]

これまでの論議は著作権法で当然みとめれている「引用」さえも、Wikiでは認めないという論議になってしまったようです。もう少し原点に戻って、論議をしなおす必要があるのではないでしょうか。 これまでの論議で明らかになったように各種の市販の「百科事典」でも、俳句の全文引用(もちろん死後50年以前)は多数あります。そうした常識さえも否定する論議の流れは残念でした。--Ryu1694 2007年3月28日 (水) 02:37 (UTC)[返信]

これは「引用問題」ではあり得ません。俳句の全文引用が可能かどうかなんていう論点で議論をしているひとは、あなた以外には誰もいません。
明記してありますが、「引用の絶対禁止という主張については、合意に達していない」というのは合意の前提です。念のためにもうちょっと詳しく書いておくなら「要件を満たす引用は合法である」「その引用をWikipediaにおいて禁止すべきか否かについては両方の意見があるが、この合意形成ではそこには踏み込まない」ということです。
問題となったのは、一部編集者が行った「通常の法的判断では引用とは言えず、合法的とも言えないもの」でした。その行為を行った一部編集者が「これは引用だ」と主張していたことは存じておりますが、それは通常の法的判断で引用と呼べるものではなく、違法性が強いものでした。であるにもかかわらず、その違法性の認識をお持ちいただけなかったことから、この議論がはじまったのであります。
少なくとも、選句を掲載したがる方々からは、「選句のWikipediaへの掲載を認めるとWikipediaにどういうメリットがあるのか」といった質問への説得力のある回答が得られませんでした(というか、説得力のない回答すら得られず、全く回答がありませんでした)。選句の掲載を認めるべきである、という説明が全くなされていない以上、この合意事項は極めて合理的・常識的なものであると考えます。この合意内容を「常識を否定するもの」とお考えになるのならば、ご自身の常識なるものを見直されることを強くお勧めしたいと思います。--Nekosuki600 2007年3月28日 (水) 09:34 (UTC)[返信]
残念ながらNekosuki600さんの「問題整理」は恣意的なもので、賛同できません。そもそも一句でも「引用」があれば削除するという、誤った運用から問題がおきたのではなかったのではないでしょうか。「ご自身の常識なるもの」云々はそっくりお返しします。--Ryu1694 2007年3月28日 (水) 15:09 (UTC)[返信]
いいえ。もともと「一句でも『引用』があれば削除する」なんていう基準はどこにもありませんでした。説明もなんもないままに俳句をいくつか並べるという、引用として成立しないような編集をするやつがいたから問題になっただけで。「俳人なり流派なりの説明があり、その説明に寄与するかたちでいくつかの俳句が紹介されている」というかたちならば削除依頼に説得力はなかっただろうし削除もなされなかっただろうという話は、上のほうに大量に書かれています。そうではなく、「説明もなんもないままに、いくつかの俳句をそのまま投げ出すような編集が、多数の項目でなされた」ということが問題の発端だったのです。
常識がどうのという以前に、Ryu1694さんは、事態の把握がおかしい。「法的に許容される引用とはならないような様態」だったことが、そもそもの問題なんでありましてね。--Nekosuki600 2007年3月28日 (水) 15:35 (UTC)[返信]
とゆーかな。真面目に言っておくのだが。
あたかも「引用否定論」ででもあるかのように言ってみたり(2007年3月28日 (水) 02:37 (UTC)のRyu1694さんのコメントのことだ)、事実無根な「一句の引用も許さないという削除基準」を提示して否定してみたり(2007年3月28日 (水) 15:09 (UTC)のRyu1694さんのコメントのことだ)、そういうこざかしい真似をしても、いまさら信頼回復にはつながらないと思うんですよね。
あなたがたがやるべきだったのは、だいぶ昔の段階で、「選句掲載を認めたらWikipediaにとってどのようなメリットがあるのか」の説明を求められたときに説得力のある回答をすることだった。その回答に説得力があれば、リスクを上回るメリットがあると認識され、選句掲載への賛成派が増えて世論形勢につながることだって期待できた。あなた方がやるべきだったのは、そういうことだ。そういう根本的なところでの説明義務や意見表明をちゃんとやらず、揚げ足取りや事実無根の主張への攻撃を展開したって、いまさら信頼回復はできないと思うんですよ。
おれは、今からでも、あなたがたがそこまで遡ってきっちり主張をし議論を展開するのであれば、耳を傾ける用意がある(他のひとがどうだかは知らんがね)。しかし、そういう努力をせず、揚げ足取りや事実無根の主張への攻撃などでお茶を濁そうという姿勢ならば、俳句の掲載に対する削除要請などに対して、これまで以上に慎重な(つまりは、削除寄りの)姿勢を表明することにしようと思ったりします。そういうわけだから、もうちょっと真面目にやれ。--Nekosuki600 2007年3月28日 (水) 15:47 (UTC)[返信]
[選句掲載を認めたらWikipediaにとってどのようなメリットがあるのか」の説明を求められたときに説得力のある回答をすることだった。]これは、なんら本質的な問題ではありません。引用を認めないというスタンスが問題です。なおnekosuki600さんは脅迫的な言動が多いので、無期限のブロックを依頼するほうがいいのかとも思っています。--Ryu1694 2007年3月29日 (木) 03:16 (UTC)[返信]
要件を満たしていないものは「引用」とは呼ばないし、合法でもないから。--Nekosuki600 2007年3月29日 (木) 04:18 (UTC)[返信]
[選句掲載を認めたらWikipediaにとってどのようなメリットがあるのか」の説明を求められたときに説得力のある回答をすることだった。] これが、いちばん本質的な問題だと思います。
選句掲載が必要なことだとお考えなら、どうか、それを説得してください。この「利用者‐会話:Nekosuki600/俳句引用」(2006年9月19日 (火) -)は、選句掲載の是非が議論になった中での、是とする考えへの出口あるいは入り口を示したものだと理解しています。その意味では、是とする考えへの助け舟だったと理解しています。道は閉ざされてはいなく、2007年3月28日 (水) にも、閉ざされてはいない旨の意見表明があります。必要なら、説得してください。
これら(Goldenv825さんの1Goldenv825さんの2Green3558さんの1)は、時が経って、もうそこ(選句の掲載)から離れたい、という趣旨であったのなら、ご自身の会話ページを過去ログ化するのがベストだったと思います。どんな議論にどんな風に参加していても、スネに傷みたいなものです。でもきれいさっぱり忘れたい・離れたいという場合もあるでしょうから、この「利用者‐会話:Nekosuki600/俳句引用」を白紙化したのは自身の会話ページから除きたいためのミスだった、とこの場で表明してはいかがでしょうか。いまからでも、理解・納得し合えるかもしれません。
もし、選句掲載が必要だ、とまた思い立ったら、選句掲載の是非は議論になっているので、そこを説得してください(場所は、Portal:文学の意見募集にも出たのでこの場か、2007年3月26日 (月) 10:08 (UTC)・10:25 (UTC)にも触れられているように改めて検討されるどこか)。説得しきれなかったらあきらめて、何か説得力のある切り口が見つかったらまた説得を試みる、それでいいではありませんか、と思います。Uryah 2007年3月29日 (木) 11:04 (UTC)[返信]
せっかくだから、なんか屋上屋を重ねてる気もするけど、こちらでも説明を加えておきます。
他者著作物の再利用が引用として認められる(=無断でやってよい)とされる範囲は以下の通り。
  • 条文上の要件(and)
    • 公正な慣行に合致すること。
    • 報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内であること。
  • 判例上の要件(and)
    • 必然性があること。
    • 引用部が従であること(判例からは「量的な主従関係」であることは明確ではないが、引用部と、それとセットになる新たに書き起こされた部分との関係とで、後者が主で前者が従であることが求められると解されている)。
    • 引用部が区分できること/被引用部が既公表著作物であること/出展明記があること。
で、他者著作物の再利用について。「それがWikipediaにとってどういうメリットがあるのか」の明示というのは、上記要件のうち条文が求める要件の「報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内であること」に関係してきます。メリットが明示されれば目的上正当な範囲内であるということになれば「無断でやってよい引用」と解釈される可能性が出てきます。メリットが明示されなければ、目的上正当な範囲内であるとは解されなくなり、「無断でやったら無断転載という違法行為」になる公算が強まります。だから、「どういうメリットがあるのか」は、その再利用を「引用(=権利処理をせずに無断でやってよい範囲)」とできるかどうかについて、重要な影響を与えるポイントになってくるわけです。
その説明ができれば「引用(=無断でやってよい範囲)」になる可能性はある。あるから、おれは説明を待った。その説明ができなければ「無断転載(=無断でやったら違法行為)」にならざるを得ない。そこが、本質的な問題ではないというRyu1694さんの主張には、おれは依然として、納得できません。--Nekosuki600 2007年3月29日 (木) 15:26 (UTC)[返信]
同意です。Nekosuki600さんの 2007年3月29日 (木) 15:26 (UTC) にも「明確ではないが~と解されている」とあるとおり、“量的に地の文 > 引用部分”については、異を唱える主張が存在します。『Q&A 引用・転載の実務と著作権法』北村行夫、雪丸真吾編 中央経済社 2005年 ISBN 4-502-92680-9 P177 - 182 「主従関係」の要件で躓くのはなぜか をご参照。いちおう、付記します。Uryah 2007年3月30日 (金) 11:24 (UTC)[返信]

Ryu1694さんたちは明らかに著作権概念をよく知らず、引用についても間違えて覚えているのだが、間違えているわりにたいへん自信満々であり、かつどこを間違えているかの調査にも非協力的なんで、たいへん頭が痛い。頭が痛いのだが、まあそれなりに想像はできるので、仮説レベルではあるが「どこでどう間違えている可能性があるか」について記しておく。とりあえず思いついた可能性は2つ。

  • 「引用」の定義を知らない
引用がどういうもののことを言うのか詳しくは当該項目を見て欲しいんだが、引用というのは「一定の条件下で許される他者著作物の再利用」のことだ。
一般論として、他者の著作物を勝手に利用することはできない。これは普通「転載」などと呼び、無断でやった場合には「無断転載」となって著作権侵害行為となる。
しかしながら、要件を満たせば、原著作者の許諾なく使える範囲がある。この「自由に使っていい範囲」のことを「引用」と呼ぶ。転載と引用とは異なる(というか「転載」の中の一部特殊なケースを「引用」と呼んで区別している)。
引用は、その条件を満たす必要がある。やった本人がいくら「これは引用だ」と言い張っても、条件を満たしていない場合にはそれは「転載」となってしまい、無断でやったら「無断転載」という著作権侵害行為・違法行為となる。引用がどのような条件下で可能なのかなどを熟知せずに他者著作物を勝手に利用すると、それは「無断転載」という著作権侵害行為・違法行為となる虞が強く、また実際これまでに出された選句についてはその虞が無視できない程度に達しているものが含まれていた。
  • 「俳句の引用」に関する判例などを間違えて理解している
旧著作権法では、引用は「原作品の一部に限る」とされており、従って俳句・短歌など短い文学作品については事実上引用ができなかった。現著作権法では、この「原作品の一部に限る」という制限がはずされたことから、俳句・短歌などについても引用ができるようになった。
ただし、勘違いしてもらっちゃ困るんだが、これは「小説や評論などの他の文学作品と比べて、俳句の場合はより広い範囲で引用ができるようになった」ということではない。「旧法下では、小説や評論などは引用ができたが、俳句は事実上引用できなかった。新法下では、小説・評論などと同じように引用ができるようになった」というだけのことである。従って、「引用」として扱うためには、他の要件を満たす必要があることには何の違いもない。
この法改正に伴う変化を、「俳句は広い範囲で引用ができる」と誤認しているのではないか。

いずれにせよ、選句などをそのままWikipedia上に放り投げることは、引用ではなく無断転載となる。それは著作権侵害行為であり違法行為である。誰も「引用があかん」なんてことは言っていないが、そもそもRyu1694さんが言っているようなものは「引用ですらない無断転載行為」なのである、ということだ。--Nekosuki600 2007年3月29日 (木) 09:53 (UTC)[返信]

CheckUser依頼の提案[編集]

以下のユーザのCheckUserを依頼しようかと思いますが、いかがでしょうか。

この方々は、俳句の選句のWikipediaへの掲載に際して類似したスタンスであり、また前2者はこの問題をめぐる議論からほぼ同時に離脱するという意思表示をしています。また、Green3558氏に関しては、以前にもCheckUserが行われておりAlladin1938氏との一致が検出されています[1](この時には、一致という結果が出たけれども、「別人である」という抗弁がなされ、ブロックなどの対処は行われていません)。

この一連の「選句の掲載積極派」の方々の著作権理解は明らかに間違っているのですが、この間違い方はかなり特異なものです(編集著作権は原著作権を吸収しないのだが、吸収するものと誤認している可能性が強い))。特異な間違い方をする方が、複数・同じ分野に・同時に登場するという偶然は、率直なところ考えにくいということがあります。また、議論からの離脱(自分のノートからのこの議論のテンプレート組み込みの削除)が連続して行われたということも疑わしい理由のひとつであると言えます(Goldenv825氏の離脱は2007年3月28日16:55[2]、Green3558氏の離脱は2007年3月28日17:20[3])。

この一連の著作権侵害は継続的かつ確信犯的なものであり(確信犯というか、誤解に基づき自己の行為を正当なものだと思い込んでいるのだとは思うが)、そろそろ議論も長くなり膠着状態となっていますし、いつまでも放置しておけるようなものではないというのがおれの判断です。

対処としては、「一致があった場合には、確信犯的な著作権侵害の遂行のためのソックパペットによる議事妨害」として中長期のブロックということでいかがでしょうか。--Nekosuki600 2007年3月29日 (木) 02:59 (UTC)[返信]

nekosuki600さんの脅迫的な言動のほうが問題です。--Ryu1694 2007年3月29日 (木) 03:21 (UTC)[返信]
そもそもここはCU依頼のページですか。CU依頼のページを見ましたが、そこには無いようですが。例によって脅しですか。--Ryu1694 2007年3月29日 (木) 04:12 (UTC)[返信]
  • 賛成
  1. Nekosuki600 2007年3月29日 (木) 02:59 (UTC)[返信]
  2. N yotarou 2007年3月29日 (木) 09:40 (UTC)[返信]
  • 反対
  1. Ryu1694 2007年3月29日 (木) 03:21 (UTC)[返信]
  • 中立
コメント

手続き上「中長期のブロックということでいかがでしょうか。」というようなことは利用者ページでの意見調査にそぐわないものと考えます。この限りで、このような調査の妥当性には疑問を持たざるをえません。この部分については撤回されることを希望します。 「CU依頼をすることの是非」を他の方に問うことについてこの事例そのものについて意見はとくにありませんが、以前に、自分の投稿を削除依頼に出されることに「事前に投稿者たる自分に相談もなくそういうことをするのは非礼である」と主張される方がいて、「CU依頼の前に依頼を行うこと自体の合意が必要だ」というような世論がこれを通じて形成されていくようだと、歓迎できないなあ、と思っています。--Aphaia 2007年3月29日 (木) 11:17 (UTC)[返信]

質問なんですけど、CU依頼の際に「先行議論」を書く項目がありますよね。で、先行議論というのはCU依頼をすることについての議論だと思っていたんですが、そうではなくて、あの項目には「ソックパペットによる議論妨害があるように思われる議論」を書いておけばいいんですか? そうだとすると、いきなりCU依頼を出し、そこにこのページを明記しておけば良いということになるわけで、個人的にはその方が時間も節約できるしうれしいわけですが。--Nekosuki600 2007年3月29日 (木) 11:26 (UTC)[返信]
「先行議論」は「なぜこれらの利用者アカウントにCUが必要なのか」についての先行議論だと理解しています。具体的には、多重アカウント使用の現場や、あれば同一性判定の根拠やCUが必要な事例であるという論拠なのだろうと。うんと踏み込んでいえば、jawp のようにCU依頼ページ自体に投票があるところで、先行投票を依頼しても意味ないんじゃないかと思います。他プロジェクトでは、管理者数人の合意でCU頼んでも即時執行して結果を教えてくれるんですが、まあよそはよそ、うちはうちなのでそれはおいといて。
この事例の場合、ページの中段にある同一性/類似の推論で十分ではないかと個人的には思うのですが、実際にCUをかける方がどう思われるかは保障できません。個人の意見としてお聴きいただければ幸いです。--Aphaia 2007年3月29日 (木) 11:52 (UTC)[返信]
あ、そういうことだったんですか。ちょっと慎重側に倒しすぎていたようで。では、ここに書いたことを多少手直ししてCU依頼を出してしまうことにします。--Nekosuki600 2007年3月29日 (木) 12:09 (UTC)[返信]

CheckUser依頼を提出しました[編集]

CheckUser依頼を提出しました。主旨は上記とほぼ同じです。投票所はWikipedia:CheckUser依頼/Temp#俳句選句の掲載を可とすべきと主張する一群のユーザですので、意思表明をお願い申し上げます。--Nekosuki600 2007年3月29日 (木) 12:27 (UTC)[返信]

CheckUserの結果報告[編集]

以下、報告がなされました([出典])。

  • Goldenv825さんとGreen3558さんは、同時期(数分間の間)に同一のIPアドレス(アットネットホーム)を使用しています。
  • Ryu1694さんは、上記2名とは異なるIPアドレス(WAKWAKネット)を使用しております。
  • あえて名前は伏せますが、上記の3名とまったく同じIPアドレスを使用していた方を1名発見しました。編集時間の重複といえるものではないですか、その利用者の過去の投稿履歴から、これら3人と同一人物と考えられます。
以上、回答とさせていただきます。--ちゃたま会話|投稿記録2007年4月3日 (火) 12:01 (UTC)[返信]

この一連は、やはり同一人物による強弁であったようです。つきましては、「著作権侵害を繰り返すこと」「ソックパペットを使っての議論誘導を行ったこと」などを理由として、無期限のブロック依頼を出すことを考えます。なお、釈明がありましたら、一両日中にどうぞ>当事者 --Nekosuki600 2007年4月3日 (火) 14:19 (UTC)[返信]

改めて、Goldenv825さん・Green3558さん・Ryu1694さんに、釈明を要求しておきます。釈明がない場合、無期限の投稿ブロック依頼を提出することになります(釈明があり、おれがそれに納得した場合には、ブロック依頼は提出しません)。--Nekosuki600 2007年4月4日 (水) 14:31 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼を提出します[編集]

だいぶ待ちましたが、全く釈明がありませんでした。これ以上待ってもあまり意味があるとは思いませんので、投稿ブロック依頼を出します。理由は「著作権侵害の常習」「ソックパペットによる議論撹乱」「対話拒否」あたり。また、管理者に対しては新たなソックパペットについての即時ブロックも同時に要請します。

Goldenv825さん・Green3558さん・Ryu1694さんには、失望いたしました。あなたがたは(あるいは、あなたは)、Wikipediaにとって有害無益であり、いていただく必要のない人であると考えます。二度と来ないでいただきたい。--Nekosuki600 2007年4月7日 (土) 11:05 (UTC)[返信]

ブロック依頼を提出しました。Wikipedia:投稿ブロック依頼/通称「俳句衆」のみなさまです。ご意見の表明をお願い申し上げます。--Nekosuki600 2007年4月7日 (土) 11:20 (UTC)[返信]

改めて、合意形成の確認[編集]

そういうわけで、どうもこの問題についても、「選句を掲載させろ」と主張していた方はおひとかただけであった、ということで決着のようです。

合意形成については、#現段階における合意形成の提案で進行中でしたが、CheckUserおよびブロック関連でちょっと間があいてしまいました。引き続きそちらへのご意見をよろしくお願いします。って、もうだいぶ時間が経過していますし、異論も出ておりませんし(問題の一名は除きますが)、そろそろ合意成立としてしまっていいような気がしますけれども。--Nekosuki600 2007年4月12日 (木) 09:47 (UTC)[返信]