利用者‐会話:Nenepapa86
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[編集]Nenepapa86さんの一連の投稿はウィキペディアでは歓迎されない内容となっています。ウィキペディアは自説を披露する場ではありません。「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと」や「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」をお読みください。--Kagefumimaru(会話) 2014年6月21日 (土) 09:34 (UTC)
自説を披露する場所ではないという記述は英語の規約にはないようにおもいますが、original researchは書かないとありますし、既刊の印刷物などの情報に基づくように、検証可能性を明らかにして「メインページ」は記述するようにとあり、これには全く賛成でその通りです。ただ、英語版のtalkページでは、他人の中傷や無益な論争を避けるようにという事はありますが、意見を書くなというポリシーではないと思うのですが。なるべく中立的な立場で書くというのはneutralという英語です。意見を表明する場ではありませんという表現の英語はわかりませんが、「意見」の部分の訳は適切でしょうか? それと、日本語のノートを英語のtalkのように考えて書いたのが間違いなのでしょうか。私にとっては中立的な意見も意見なので、何か引っかかります。表の辞書の部分はもちろん、自説の披露ではいけませんが、裏のノートもいけないのでしょうか。それ以外の規約の意味はよく分かったと思っています。大変参考になると思いますが、ノートの部分は一種のサロン的な自由で活発な(相手を傷つけたり中傷したりせずに尊重しあって)ものであっても良いのではないかと思います。 私の書き方が断定的、だったり、するように受け止められたとしたら、その点、深く反省いたします。意見は意見であってもちろんこれが正しいといっているつもりで書いたわけではないのですが、そのように受け取られたのかもしれませんね。 ただ、一方的に消してはいけないと英語の規約にはありますが、日本では結構削除する人が多いようです。色々な見方や考え方もあって、特に英語の例にあるような1+1=2のようなことは少ないので、消さないで残しておけば参考にする人もいると思います。ページの作者は寛容であるべきだし、書かれているように消せと言われても消さないのはページの作者の当然の権利です。 当面、意見を書かないという意見に従って、これ以上書かないことにしますが、。。nenepapa86
- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんに書かれているとおり「ノートページは記事の主題に関する漠然とした議論をする場」ではありません。確かにWikipedia:独自研究は載せないに書かれているように、ノートページでは個人の意見を述べることが認められています、そうでなければいかなる議論も不可能でしょう。しかしそれを悪用して「ノートページで個人的な理論について議論することは、あまり歓迎されないでしょう」。なお日本語版ウィキペディアの方針やガイドラインは英語板のそれとは独立に改訂を重ねており、一方は他方に適用されません。方針やガイドラインの内容の変更を提案する場合は、各項目のノートページで提議を行ってください。そしてあなたがウィキペディアの方針を理解したと主張するならば、少なくともあなたはそれに説明されているとおりに正しく署名を行う必要があります。そうでなければ誰もあなたを信用しないでしょう。--Kagefumimaru(会話) 2014年7月8日 (火) 10:17 (UTC)