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利用者‐会話:Npzqkbzk

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趙雲別伝について

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こんにちは。先日はお返事ありがとうございました。だいぶ個人的な返信になってしまったので、こちらに投稿させていただきます。

先ほど趙雲別伝を中心にいろいろと加筆しました。説明が過剰な部分や内容的におかしい記述、気に入らない表現があれば削除・修正してもらえるとありがたいです。手元にある中国語文献を見た感じでは、以前書いたような美化偏向に留意する部分も見られましたが、別伝(趙雲に限らず)を全否定する論はありませんでした。門外漢が言うのもなんですが、別伝に限らず「書いてあることは本当か、そうでなければ全部嘘」という見方は極端であるため、歴史学では避けられているのだと思います。

今回いろいろと文献を読んでいて思ったのですが、別伝というジャンルの書物を退けるのではなく、趙雲の別伝だけ槍玉に挙げるというのも変な話ですね。三国志は有名なぶん、耳目を引くような珍説や雑語り、「演義とは違って〜」から始まる中傷めいた人物評価ばかり流布しがちなのが困ったところです。私事ではありますが、不正確な情報が広がってほしくない、インターネット上の俗説に反論したいという動機で私は編集を始めたので、Npzqkbzkさんの主張にとても共感を覚えました。こちらも全般的に素人なので、いろいろと教えていただけますと幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。--胡馬会話2024年6月11日 (火) 14:42 (UTC)[返信]

返信が遅くなってしまい申し訳ございません!こんばんは。先日はご丁寧な返信を本当にありがとうございました。あまりノートを見ている人がいなさそうだったので、直ぐに返信をいただけてとてもうれしかったです。
まだウィキペディアの機能がよく分かっておらず、注釈のつけ方なども分かっていなかったのと、拙い文章しか書けないので胡馬さんの編集してくださった内容、とても勉強になりました。ありがとうございます。知らない本ばかりなのと、中文はまだ勉強し始めたところなのでゆっくり翻訳して読んでいきたいと思います。
ここ数か月前から三国志を読みはじめ、趙雲はよくネットで正史では大したことがないとか、別伝は子孫が書いた嘘、などと批判している人を見かけていたので、てっきりそういう主張や見解が研究者の間でも主流なのかと思っておりました。ところが実際に正史やその他関連書籍を読んでもそういった批判などがなくって、あれ?と思ったのがこの人物に興味を持ったきっかけのひとつでもありました。一体いつ頃からこういった批判が広まったのだろう?と調べてみたのですが、10年前の時点でも「ここ10年くらい前から趙雲(別伝)批判が何故か増えた」と書かれている人を見つけましたが、結局何がきっかけでこうなったのかはわかりませんでした(笑)
そこでウィキペディアの趙雲のページを見てみたのですが、生年不詳なのに161年となっていたり、最初袁紹に仕えたと書かれていたりなど、演義と正史がごちゃまぜになって書かれており、間違いがとても多く酷い状態だなと思いました。趙雲別伝についても私が見た時点での記述では誤解を広めるような書き方に見えたので、もしかしてこのページがネット上に誤解を広めている原因のひとつになっているのでは?と思い、修正や加筆をはじめてみた次第です。どうも三国志系のウィキペディアのページは間違いや個人的な独自研究、根拠のないネット上の噂などを書かれる人がいるみたいですね。胡馬さんもそういった俗説に反論したいという気持ちで編集されていると知って私もうれしくなりました。
中国でも三国志を扱ったゲームがヒットしたことにより、それまで三国志を知らなかった人たちがネットで色々と調べるようになって、日本のネット上でもよく見られる煽り記事や動画を観たことで、残念なことに一部で趙雲批判が増えているみたいで、日本と同じことになっているのだな、とそれはそれで興味深いです(笑)昔から三国志が好きな方たちもこの状況には困惑しているようです。
長文になりましたが、この度は返信ありがとうございました!またお話出来る機会があると嬉しく思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。--Npzqkbzk会話2024年6月17日 (月) 16:03 (UTC)[返信]

直近の加筆について

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お疲れさまです。Npzqkbzkさんによる日々の更新により、趙雲のページは以前とは見違えるほど充実した記事になっていると思います。しかし最近加筆された「正史と演義の違い」節ですが、FAQ形式の記述はWikipediaの方針に反するようです(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。両者の違いについてはそれぞれの項目内で史書/小説においての事実を明確に書き(逐一「史実/演義とは違い〜」と書くのは余計な字数を増やすだけなので不要と思っています)、それを読者がきちんと把握してくれることを祈るしかないです。

加えて私見ながら、官職変化表、『演義』の登場回一覧表やあらすじの内容など、一部ファンサイトめいた過度に詳細な記述があるように見受けられます。さらに人物節についても、特に出自に関する趙春陽の主張はご自身でも記事内で注意を促しているとはいえ、推測に推測を重ねたり傍証から傍証を引き出したりしたような内容で、説得力のある論理的繋がりを見出しづらく、代表的な記事として載せるにはやや偏りがあります。もしこれを記載するならば、異同を問わず権威のある・信頼できる他の典拠や論者の見解を示すことで、節全体をより中立的なものにする必要性を感じます。宮城谷昌光は小説家であり、その著作もあくまで小説であるため、出典としてあまりふさわしくありません(彼の創作物内での人物造形として紹介する場合を除く)。個人的にはコーエーの本も「歴史読み物」の類です。

また些細な点ではありますが、何焯の「諸葛亮ではなく趙雲が国家経営に口出しするのは僭越」発言への注釈に関して、何焯の意見は趙雲個人への攻撃というよりも文官・武官の役割分担についてのものなので、趙雲(武官)の諫言を妥当とする根拠として秦宓(文官)の例を挙げるのは、あまり効果的ではないのではないでしょうか。

最後に、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすもご参照ください。大幅な加筆をしようとするときは特に、下書きページ(サンドボックス)に用いての記事の一時保存や、レイアウト・ケアレスミスなどの確認をおすすめします。長くなりましたが、以上ご検討いただけますと幸いです。これを書いているうちに自分の過去の編集にも看過できない問題点を発見したので、まさしく頓首死罪というほかありませんが、よろしくお願いいたします。--胡馬会話2024年7月31日 (水) 11:37 (UTC)[返信]

夜分遅くに失礼します。胡馬さんこんばんは。いつもお世話になっております。ご指摘ありがとうございます。
「正史と演義の違い」についてや「ファンサイトめいた内容」ですが、諸葛亮のページだったと思うのですが、違いについて書かれた節があり、試しに入れてみたのですがWikiの方針に反するとは気づいておりませんでした。ありがとうございます。後で削除したいと思います。ファンサイトっぽいのもそうですよね、いつも編集しながらこれはどう思われるだろうか?と考えながら書いているのですが、何か問題があればどなたかがすぐ削除されるだろうし試しに置いてみよう、とちょっと甘えた気持ちで書いていたと思います。注釈もたくさんつけないといけないと思って最近はいろんなものから引用しすぎていたかもしれません。こちらも削除していこうかと思います。宮城谷氏の本は小説の中に作者の推察や蘊蓄が都度入る歴史人物の紹介本という感じですね。突然小説のパートが止まって作者の指摘が都度入る感じで、同シリーズの魏編は読んでいないので比べてはいないのですが、魏は小説してるけど蜀は小説という感じがしないと感想を述べている方がいたのですが、個人的に私もあまり小説という感じがせず(小説だと思って手にしたので最初は戸惑いました)人物の事跡を追いながら作者の中国文化の豊富な蘊蓄と推察を語る本という感じでした(後半はマイナーな人物も取り上げているのですが、そちらは完全に小説の体裁をかなぐり棄てて人物の紹介に終始していました笑)。何焯の件ですが多数の人間が止めたという一例で上げてみた感じです。武官が主君に諫言した例として他の人物の発言も取り上げた時もあったのですが、ここはどのように書くか、あるいは削除するか一度検討したいと思います。
あと毎日のように投稿してる件なのですが、本当は一度にまとめてしたかったのですが、最近Wiki側のサーバーエラーで編集した部分が文章含め全て、あるいは編集した文章が一部消えていた、といったことが何度も起こるようになってしまっていたので、こまめに投稿して様子をみておりました。特定の場所を弄ると起こるのかどうか検証して、やっと何を弄ると起こるかが分かってきたのでそこを削除するか簡素にしようと思います(Wikiの標準設定の表を使っていない表を作成して設定を弄ると高確率で起こることが判りました。表を弄らなくても起こることもありますが)。サンドボックスで解決するかどうかも検証したいです。アドバイスありがとうございます(この会話文も一部消えたりしていなかったら良いのですが…)。今後は長文部分は徐々に削っていって簡素にするか別の節に移動、削除、調整用にいれた画像を減らしていく方向を予定しておりましたので、胡馬さんのご指摘やアドバイス参考になります。お忙しい中いつもありがとうございます。またこちらからご意見を伺うこともあるかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします。--Npzqkbzk会話2024年7月31日 (水) 18:02 (UTC)[返信]
Npzqkbzkさん、こんばんは。
改めて、先日は唐突にとやかく言いだして大変失礼しました。汗顔の至りです。かくいう自分はWikipediaの方針に則れているかというとそうでもなく、現に今、いつもいじっているページを全面的に改稿しようとしているところです。というのも、ある中国史系の記事のノートで体裁や叙述スタイルについて延々とダメ出しを食らっているのを見て、勝手に怖くなったという次第です。
単なるミスやひどい文章、無出典などの類ならともかく、内容それ自体に問題はなく分量の多い記述を本人以外が削除しようとする際は、ノートで提案するなどいくつか段階を踏まないといけないようです。それに、表を折りたたむことの是非についてかつて紛糾したこともあったようでした(「折りたためる=読まないでも平気な内容ならそもそも記載不要」という意見が強めの語調で書かれていた)。これを見て以降、自分は面倒くさがりなのもあって、表作成はやめておこうと決めました。
史実と小説の違いについて、諸葛亮か何かのページを参考に書いてみたとのことでしたが、両者の違いをあげるのがダメというわけではなく、「Q.趙雲の死因は? A.針で刺されたことによる失血死」というような「よくある質問」形式だったのがWikipedia的によろしくないということでした。宮城谷昌光は史実準拠であるというのはよく聞きますが、自分は人物の捉え方について解釈違いがあったので敬遠していました。比較的最近に連載されていた『諸葛亮』もあまりピンと来ませんでした。まともに読んでいない時点で口出しするのもなんですが、小説の体で歴史語りをするくらいなら、いっそ『三国志きらめく群像』みたいな本を書けばいいのにとも思います。
Wikipedia側の技術的問題については、自分は経験したことがなく、事情を知らないまま差し出がましいことを申し立ててしまいました。申し訳ないです。連投は1日に3回までなら許容されるらしいです。かつて諸葛亮のページで、妙なこだわりを見せつつ短期間に何度も連投し、さらに他の編集者に対しても文句をつけた人物がおり、自分も多少関与したのもあって、連投に対して多少身構えるようになっていたきらいはあります。ただ、その人のやったことといえば、内容にほとんど変化のないたかが数文字の変更でしかないので、当然ながらNpzqkbzkさんとは比べ物になりません。またしても失礼いたしました。
孫軟児と白馬(白龍駒)に関しては、目にするたびにどこから湧いてきたんだよと思っていたのですが、見たところ歴史がだいぶ新しくて拍子抜けしました。なぜそんなに(比較的)有名になったのかが気になりますね。自分は文化方面には特に疎いので、Npzqkbzkさんの情報収集力にはいつも驚くばかりです。それと、まともな助言をした記憶はあまりないです。そういうわけで、こちらこそよろしくお願いいたします。--胡馬会話2024年8月5日 (月) 13:39 (UTC)[返信]
胡馬さんこんばんは。返信がかなり遅くなり申し訳ございませんでした。他にすることがたくさんあり、今日久しぶりにログインしました。
唐突に~ですが、お気遣いこちらこそ痛み入ります。どうかお気になさらないでください。記述ルールですか。難しい問題ですね。個人的には統一するというのは、書き手が違う以上はある程度仕方がないことだと思うのですが、手厳しい方ってどこにでも居ますね。そんなに気になるならご自身で(全削除は別として)修正すればいいだけの事だと思うのですが。誰にでも書けるように開かれた場所ですし。しかし他のいろんな記事を読んでいると、こういった編集上でのトラブルってよくあるみたいですね。出典がないので何度削除してもなぜか巻き戻す人がいたりとか。胡馬さんも色々と嫌なご経験をされていたのですね。こだわりが強い人に中ったらもうこちらが折れて諦めるしかないのかもしれませんね…
折り畳み表は導入前にどこかのページで「最近はあまり推奨されていない」と書かれていたのを読みました。私はタブレット端末やスマホから読む人が増えていることを踏まえて、表示が長い表などは任意で折り畳み表示が出来るほうが画面の小さい端末で閲覧するのに便利じゃないかな?と思って使っておりました。一応スマホ端末からの閲覧では節ごとに折り畳みが出来るようにはなっていますが、節を沢山小分けするのもなんだかな、と思っていました。Q&Aは表を透明?にして文字を二列表示にする方法を試してみたいという実験的な意味で作ってみたのもありました。思っていたより綺麗に表示されないので今度削除するか、と考えていた所だったので丁度良かったです(笑)
宮城谷先生はかなり中国文化に精通していると思います。易の知識なんかもあるみたいで、劉備や趙雲の字の由来の考察(特に劉備)は面白かったです。先生は魏がお好きで蜀(劉備)が好きじゃないそうなので、そんな人が蜀の本を書いたら一体どんな内容になるんだろう?と手に取った次第でしたが、想像以上に小説ではなかったです(笑)。特に好きではない蜀についての本では先生の筆もあまり乗らなかったのかもしれません。『諸葛亮』は未読ですが、きっと『蜀』みたいな感じなのだろうと想像がつきます。私も先生には『きらめく群像』みたいな本を一冊書かれたらいいんじゃないかな?と思いました。個人的にはちょっと読んでみたいです。
連投の件、教えてくださりありがとうございます。サーバーエラーで保存が消える問題は、利用者が混む時間帯的な問題ではなく、やはり表の要素が原因みたいなので、良い方法がないかまた時間がある時に考えたいと思います。
白龍関係ですが、もうちょっと古い伝承かと思っていたのですが、かなり最近みたいで私も調べていて驚きました。地方の限られた家でひっそり語られていたのが最近になって知られることになったのかもしれませんが。白龍の伝承は正定県にもあるみたいで、まだ翻訳が出来ていないのですが(子龍池の方も完全に翻訳出来ているわけではなく、いくつかある伝承のひとつしか訳せていません)、正定の方は地元の景勝地由来らしく、なにやらかなり古くから言い伝えられていると地元の偉い人?が言っているみたいですが、研究者からは否定されているようです。この辺も要約して追加したいなと思っています。趙雲絡みの伝承は、どうも清代に流行った演義の影響だけでなく京劇の影響も想像以上に大きかったみたいなので京劇ももっと調べてみたいと思っています。映画(CG)が無い時代に洗練された衣装と迫力ある演技で物語の再現というのは相当人々の心に響くものがあったのかもしれませんね。主君の子を命懸けで救う話という所もポイントが高いと思いました。孫軟児は孫権の親戚みたいな話を聴いたことがあるので調べているのですが、手持ちの史料やネットでも見つからないので謎です(笑)。近いうちに三国の伝承に詳しい方にお話を聴いてみようかと思っています。
今回も長文失礼いたしました。暑さ厳しい折、お身体ご自愛ください。--Npzqkbzk会話2024年8月19日 (月) 11:19 (UTC)[返信]