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利用者‐会話:Pixan/arg01

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議論:日本語版ウィキペディアの記事を書く方、読む方への注意点と要望 - (書類チューン記事から始まる問題提起)のノートです。ご意見ご感想はこちらにお書きください。ご記入の際は署名を忘れずにお願いします。


私個人の意見としてはノート:過酸化アセトンで「製造法とマニュアルを混同としてはいけません。」と述べた問題と同根の問題と考えます。「法律条文で明示されていないことを根拠に申請書類を意図的に曖昧に解釈しうるように作成して法律のがれをしているという社会問題」というのは百科事典にふさわしい記述とは考えますが、個々の手口を列挙するというのは、あるいみ"余談"の対極で「過ぎたるは及ばざるが如し」だと考えます。(書類チューンの現状が個々の手口を列挙になっているとは申しませんが)今以上に詳細に手口が列挙されるようでは百科事典の目的とは別のところに読者を誘導するので望ましい状況とは考ええません。「できることをする」と「するべきことをする」を履き違えないことは筆者に求められる留意点です。自分の興味・知っていることを書きあらわすることは筆者の知的満足を満たしますが、単に「できることをしている」という隘路に陥る危険性が大です。「できること」というのは筆者の主観にたった価値観であり、「するべきこと」というのは他者(読者)を考慮しないと成立しない価値観です。「できること」に最適化した記述は、状況によっては第三者に、独自の意見や自己中心的執筆行動と誤解される懸念もあります。また「できることを追求した」結果は必ずしも「するべきことが十分みたされている」状態になるとは限りません。「するべきことが十分みたされいない」とか「本来の意図が読者に伝わりにくくなっている」のであれば、いくら詳しく書いても「余談」と大差がありません。これはWikiにかかわらず、仕事でも、生活でもよくある話です。(念のため書きますが、「書類チューン」の現状が。「できることを追求しているだけ」、とか「するべきことが十分みたされていない」と論評しているわけではありません。あくまでも執筆方針に関する個人的な見解です)。あら金 2006年8月21日 (月) 17:35 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。今のところ過酸化アセトンのノートなど関連するトピックを読んで物を考えています。これを内面化するには時間がかかりそうです。まず喜ばしいと考えることは、ひとつの事象において複数の観点があり、それについて対話がもたらされていることです。このように対話が繰り返されて、内容が変わっていくことはよいことだと思います。--pixan 2006年8月22日 (火) 13:10 (UTC)[返信]