利用者‐会話:T-maru

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは、T-maruさん、はじめまして!Suisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Suisui 2006年9月26日 (火) 18:29 (UTC)[返信]

食の安全[編集]

まず、記述には出典をつけて下さい(Wikipedia:検証可能性)。出典なき独自研究など「WP:NORの一言」でRvされても文句は言えないところを(Wikipedia:独自研究)、私は貴方の記述が間違っているという根拠となるURLまで要約欄に提示しました。まさかこれをRvするとは夢にも思いませんでしたが、要約欄は見ていなかったと判断し、ノート:食の安全にURLを提示しました。なお、反論があればノートでどうぞ。--JapaneseA会話2018年10月12日 (金) 07:22 (UTC)[返信]

シービュー号の履歴[編集]

原子力潜水艦シービュー号 の編集履歴をみました。同じ記事への連続投稿を減らす のような手引きもありますので、出来るだけ手元で編集してから、またはプレビュー機能を生かして投稿いただければと思います。 By 健ちゃん会話2019年6月22日 (土) 03:47 (UTC)[返信]

健ちゃんさん: 連続投稿が多すぎるということですが、私が編集を始める前と後で文字数で言えば6倍以上に増えております。この増やした分の情報は一気に入手した訳ではなく、色々なリソースを参照しながら(中古雑誌の購入、国会図書館の検索での調査、英語版DVDの見直し、各種英語ページのチェックなど)、段階的に増やしてきています。そして新しく得られた情報は後でまとめてアップするよりも、その場で追加した方が見る人にとっての利便になると考えています。 また、投稿数が増えた理由としては「全話リスト」を表にした時のエラーを除くのに手間がかかったことも理由の一つです。表編集時のプレビュー機能は利用しましたが、プレビューで問題なくても、最終的に確定したら表示がおかしい、ということが頻繁に起きました。そのためプレビュー機能は途中から使わなくなりました。 これから、全110話の内容の簡単な紹介を全話リストに追加します。それが終了すれば、ほぼ編集作業としては完了すると思います。しかしながら、私は一度投稿した記事でも何度も見直し、少しでも良い表現があれば変えていきます。それはつまりは記事の質を上げているのであり、連続投稿のデメリットで挙げられていることより、メリットの方が大きいと思っています。 --T-maru会話2019年6月22日 (土) 05:12 (UTC)[返信]

なるほど、表の編集だとプレビューが正しくないことがあるのですね。「同じ記事への連続投稿を減らす」という手引きやプレビューの機能があると知らずに編集されているかと思っていたもので失礼しました。私も『海底科学作戦』『タイムトンネル』『宇宙大作戦』など当時の海外TV作品は好きなので、T-maruさんのお陰で「原子力潜水艦シービュー号」が充実して嬉しく思っています。 By 健ちゃん会話2019年6月22日 (土) 05:58 (UTC)[返信]

革砥での編集について[編集]

T-maruさん、こんにちは。申し訳ありませんが編集の手を止め、今一度、Wikipedia:検証可能性及びWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:出典を明記するの全文を確認願います。革砥の出典が誰もが出品できるeBayであったりamazonであったり、また、誰もが編集できるウィキペディア自身を情報源にしたり、第三者の査読を受けていないような個人サイトや個人ブログが情報源になっていたりと、信頼しきれないあやしい情報源がたくさんあります。これではウィキペディアの信頼性を損ねる結果になりかねません。どのような情報源を出典として扱っていいのか方針・ガイドラインを参照し、情報源の整理をお願いします。また出典についてもURLがそのまま表示されるような提示の仕方は推奨されていないため、ガイドラインを確認してウェブサイトを出典とする場合の適切な形への修正をお願いします。--Haetenai会話2019年8月21日 (水) 23:50 (UTC)[返信]

申し訳ありませんが、仰るような厳格な検証可能な出典主義を適用するのであれば、そもそも「革砥」のような項目で見た人に有用な記事を書くのは不可能です。またそちらがこのルールを厳格に守られているとも思えません。例えば「つけまつげ」の項で出典に昭和9年の婦人雑誌を挙げられています。私は大衆文学を趣味で調べていますので、この頃の雑誌を50冊程度古書店で買って保有していますが、その当時の記事の内容については、常に眉唾と思っています。 私はこの項を書くにあたり、日本語で貝印の創業者の自伝、日本で安全剃刀の販売をしていた人の書いた書籍などを読みましたが、革砥に関する情報はほとんどありませんでした。ましてや革砥に関する論文や学術雑誌の記事などはまず存在しません。 この「革砥」の項は9割方私が書いており、そのような厳密な意味での出典が存在しない状況で苦労して書いています。そういう地道なボランティアとしての貢献に対し、杓子定規でかつWikipediaの現状とも大きく乖離している理想論を振りかざすのであれば、申し訳ありませんが、この項での私の加筆分及び写真(多種多様な革砥を自分で購入しています)はすべて削除し、私の個人ブログでの発表に切り替えます。

私見ですがWikipediaの既存の百科事典にはない大きな魅力はそういった百科事典が扱わないサブカル系や雑多な項目が扱われていることだと思います。パリサイ派的な厳格なルールの適用は結果的にそういう記事の投稿を困難にするでしょう。例えば昔のTV番組の記事に、気易く「要出典」タグを貼り付ける人を日頃苦々しく思っています。

T-maru 2019年8月22日

  • ああ、尚智庵/知鳥楽の方でしたか。革砥を軽く調べていたときに拝見させていただきました。独自に研究、検証されていてとても参考になりました。
  • ノート(会話)ページにも署名にもルールがあります。手打ちで署名は推奨されません。あと、同じ文章を複数の場所に記述しないでください。会話や議論する場所が分散してしまいます。これらはコミュニケーションを円滑にするために必要なルールです。
  • 現在、ウィキペディア日本語版では記事を作成する際は3大方針の一つである検証可能性を必ず満たすようにお願いしています。ですので、執筆の際に出典がついていることはとてもありがたいのです。ですが、それが誰ともわからぬ身元が保証できない人物が出版社のような査読のある機関を通ってない信頼できる情報源を満たせない情報を元に執筆するのはダメです。もちろん、私もあなたも信頼できる情報源たり得ませんので、自身が一時情報源から分析・合成・解釈・評価などをした内容を記述してはいけません。 私も昔はあなたのようなスタンス(厳密にはもっと稚拙ですが)でやっていましたが、方針・ガイドラインを読み込んでからは、それらを守る努力をしながら執筆しています。
  • 文献が眉唾であると判断するのはあなたの勝手ですが、ウィキペディア上でそれを判断するのはあなたではなく、他の文献です。ですので現状はつけまつげのに加筆時に吹きした出典『主婦之友 昭和6年4月號 美人になる方法號』に関しては方針に沿って記述したものになります。
  • 「昔のTV番組の記事に、気易く「要出典」タグを貼り付ける人を日頃苦々しく思っています。」苦々しく思うのは勝手ですが、3大方針である検証可能性を満たせない記事はウィキペディア日本語版では歓迎されません。もちろん他の言語であってもテレビで見たからなどというのはNGなのです。ではどうすればいいのか。検証可能性が満たせないならウィキペディアに書かなければいいんです。収録されるだけの特筆性を持っているのならば、何かしら文献が残っていることでしょう。「ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです。--ラリー・サンガー」(方針とガイドラインより)という目的から量の方は満たしてきていますが、質のほうが追いついていないのが現状です。一人ひとりが意識して執筆いかなければ成るものも成りません。もちろんウィキペディア強制ではありませんので執筆するのもしないのも去るのも自由です。
  • なお、ウィキペディアに投稿した時点で利用規約に同意し、自身の投稿をクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス 3.0およびGFDLの元に公開することに同意したことになります。著作権記事の所有権などもお読みください。--Haetenai会話2019年8月22日 (木) 05:47 (UTC)[返信]

どうでもいいですが、一々ルールを振りかざさないでください。私はあなたが仰るような出典基準では記事の作成は出来ないので、これまで書いた記事を取り消すと言っています。ルール違反を言うならさっさと全部削除されたらどうですか。(ただ私が見る限りあなたはWikipediaの管理者でも削除権を持っている人にも見えませんが。)私は2004年くらいから、Wikipediaに記事を書いていますが(IPでの投稿の時代を含めて)、最近あなたのようなルールを振りかざす人が増えて来て辟易しています。署名を手動にしたのはスマホからの投稿だと署名アイコンが出て来ないからです。

大体、記事の質の向上を目指すんだったら、最近見かけるようになった何かの機械翻訳で英文記事を日本語に翻訳してそのままデタラメな日本語のページにしている事例はどうなんですか?理想と現実に大きな乖離があり、それを無視したルールの押しつけには賛同出来かねます。

それから、Wikipediaが一方的に宣言している著作権についての内容は、いわゆるソフトウェア会社のシュリンクラップ契約と同種で、未だに判例で確定した認められたものではまったくないことを念のため申し上げておきます。 経産相が出しているシュリンクラップ契約に関するガイドラインでも「ウェブサイト中の目立たない場所にサイト利用規約が掲載されているだけで、ウェブサイトの利用につきサイト利用規約への同意クリックも要求されていない場合 」は契約そのものが無効と記載されています。これまでWikipediaに1000回以上投稿していますが、規約の全文を表示した上で、著作権を放棄します、よろしいですか?等の問い合わせ画面が出たことは一度もありません。 また、Wikipediaが何を勝手に決めようと、日本の著作権法では著作人格権は譲渡出来ません。元の著作者の著作物の同一性保持が出来ないのであれば、公開を取り消す権利は元々の著作権者にあります。

また、「クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス 3.0およびGFDL」については、単に利用者の規約が定められているだけであり、投稿者の著作権に関する記述はありません。また著作人格権はこの規約によって影響を受けないとも明記されています。更にはこの規約のオリジナルは英語のものしかなく、日本語訳は「非公式」 とはっきり記載されています。このことから、Wikipedia側が日本での編集者に対して利用規約をきちんと説明しているとはとても言えないのは明らかです。更には日本の著作権法を理解している内容とも思えません。Wikipediaのルールを引用するのは、まずご自身できちんと内容を理解されてからにしてください。さらにそちらの主張に関しては、単なるガイダンスと規約の混同が見受けられます。最近日本だけのローカルなガイダンスがいくつか出来、それをルールであるかのように主張する人にうんざりしています。

--T-maru会話2019年8月22日 (木) 12:56 (UTC)[返信]

  • ある程度のルールがなければあなたのように(多分、あなた以上に)好き勝手に書く人が増えていきます。方針とガイドラインは日々、参加者の合意によって変わっていきます。そんなに初期の頃から参加しているというのであれば、日本語版ウィキペディアの方針とガイドラインを決めるときに声たかだかに宣言すればよかったでしょう。今からでもあなたの理想とするものに変更するよう提案することが可能です。あなたの提言がウィキペディアをより良いものにしていけると同意を取り付けることができれば、三大方針(議論の余地がないものであり、参加者の合意で覆せないもの)に抵触しない限り、変わっていくでしょう。なお、三大方針は(細かな差異はあるものの)全ウィキペディア共通です。
  • 翻訳に関してはそのとおりです。が、そのようなページは見つかり次第削除依頼にかけられて削除されています。あとはでたらめな翻訳かどうかを判断するだけの知識がない人が大半ですので残ってしまうのでしょう。問題であるというページを見つけたのであれば、削除依頼などへ依頼してください。で、このような発言をしているということは、機械翻訳の投稿を制限する議論に参加も閲覧もされていないのですね。
  • いや、ほんとに読んでますか? ウィキペディアは著作権の放棄は求めてないからそんな問い合わせ出るわけないじゃないですか。ライセンスに関しては簡易に要約すれば「著作権を保持したまま投稿された記述の「共有と翻案(BB-CY-SA 3.0)」「利用・再配布・改変(GFDL)」を適切なライセンス表示の元に利用していいですよ」っていうものなんですから。
  • 翻訳が非公式な理由は本家があらゆる言語への翻訳を認めてないからですよ。もちろん費用の問題もありますが(二か国の言語を習熟した弁護士が必要)、その訳文に誤りがあった場合でも翻訳者に責任を負わせないためという理由があるのです。それを本家から理解の一助になるようにリンクされている翻訳者の訳文にもかかわらず非公式だからという一点だけで説明しているとは言えないというのは暴論です。投稿するまでに幾度もエディタとほぼ同じ大きさの文字で表示されている文章を無視するのはユーザーの責任でしょう。
  • ええ、ここは日本語版ウィキペディアであり、他言語版とは詳細が異なる方針とガイドラインが定められています。その言語版で運用されている方針とガイドラインに反しないよう活動してください。それらに問題があるとするのであれば提言して他者と議論の上で合意を取り付けて、変えていってください。--Haetenai会話2019年8月22日 (木) 17:14 (UTC)[返信]

どうでもいいが、「上から目線」的な押しつけの議論は止めなさい。大きなお世話としかいいようがないです。 私は「機械翻訳」に関する議論を一々読むほど暇ではありません。たまたまある項目を見たら意味不明の日本語が書いてあり、それをチェックしてWikipediaが機械翻訳を導入しているということを知ったまでです。 それから人の書いた記事を修正するなら十分確認した上で行ってください。例:理容師法の施行規則→私は自分が確認できた版でその記載があるという意味で平成29年版を挙げたのに、あなたは勝手にその時点で法令にその記載が加わったという間違った記載に変えました。 --T-maru会話2019年8月22日 (木) 22:52 (UTC)[返信]

  • 上から目線に見えるのであれば、それはあなたが日本語版ウィキペディアの方針とガイドラインを無視した行動を続けるからでしょう。
  • 暇ではないから管理や運営についての議論や文章を読まない、と。であればあなたは多数の参加者が長大な時間を割いて日本語版ウィキペディア良くしていくために議論を重ねて構築してきた方針とガイドラインに文句を言える立場にないでしょう。
  • 理容師法の記述ついてはこちらのミスです。申し訳ありません。--Haetenai会話2019年8月23日 (金) 00:40 (UTC)[返信]

上から目線という言葉がお気に召さないなら、いわゆるWikipedia自警団でしょう。 私が書いた記事内容が根本的に間違っているとかであれば批判は受け付けますが、あなたが指摘しているのは微細な粗探し的なものばかりです。 私は私の出来る範囲で、お金もかけ入手出来るリーソースは入手して、情報量の多い記事を作成しています。 それに対して感謝の言葉もなく、また生産的な情報の追加もなく、重箱の隅を突くような超形式主義的な指摘ばかりでうんざりしています。 以下、紀田順一郎氏のエッセイの一部を引用します。


(前略) ■活字の世界の情報型への変容と、いわゆる文化人の消滅とは符節が合っている。気がつくと、私たちの周囲には長い知識教養のスパンを備えた、人生を語ることができる個性が姿を消し、かわって有能だが限定的な専門家や職人で溢れ返るようになってしまった。 ■このような状況は、執筆者や読者の意識にも微妙な影響をもたらした。研究・執筆テーマが部分化、細分化するのは当然だが、その上で目先の効率化が優先され、時間をかけた体系的、包括的テーマへの志向が殺がれる。一人の著者が「通史」に取り組むなどは、夢のまた夢となった。これに経済不況や大学の経営化が拍車をかける。読者も部分志向となり、読者カードなどにも重箱の隅をほじくるような指摘が目立つようになった。(後略) (紀田順一郎氏のHPに掲載された2006年9月20日付のエッセイ「読者の不在」より。現在このHPは閉鎖されている。) --T-maru会話2019年8月23日 (金) 02:12 (UTC)[返信]

  • 自警団、大いに結構。そのように認識していただけるのであれば(実態がどうであれ)注意した甲斐があったものです。こんのようなやり取りなんてしないにこしたことはありませんが、あなたの編集態度は目に余るためこうして注意に来るのです。
  • 根本的に間違ってる云々じゃないんですよ。その記述が信頼できないって言ってるんですよ。ウィキペディア信頼性の担保はどこの誰だかわからないあなた自身ではなく、情報源に委ねるんですから。こんな執筆者の推測があちこちに挟まった状態で全面的な感謝など出来るわけもありません。
  • お金をかけるのも労力をかけるのもその人の勝手です。ウィキペディアの執筆にはそんなものは勘案されません。あなたが知らないだけで私もお金をかけているかもしれないでしょう。そんなものはどうでもいいことです。
  • エッセイ(私論)の内容にはなるほどと頷けます。が、ウィキペディアの執筆は同じものではありません。ここは共同で百科事典を作っていく場です。一人で記事を作っていく場ではありません。
  • ところでその人物にしか書けない著作物と言える文章の引用は著作権的に本当に大丈夫ですか? 引用の要件満たしていますか? 引用部分のほうが「主」になっていませんか? 目的上正当な範囲の引用ですか?--Haetenai会話2019年8月23日 (金) 02:56 (UTC)[返信]

コメントT-maruさんは2004年からWikipediaに参加なさっているのですね。投稿歴の長さでいうと大ベテランの部類です。

私がWikipediaに参加した2006年当時の編集方針は、今とは全く違いました。当時は、「各人が詳しく知っていることを自分の見識に基づいて書け」というのが基本方針でした。もし間違っていれば、別の詳しい人が修正する、それが繰り返されることに拠って記事の品質が高まっていく、という理念でした。

が、今は根本的なところから理念が違います。変わったのです。今は「信頼できる情報源に書いてあることを書け、各人の知っていることは書くな」です。なぜそのように変わったのかは、まあいろいろあったのでしょう。各人の見識は、今でもやっぱり必要なのですが、それは専ら「信頼できる情報源を探してくる」ことに発揮されるでしょう。詳しい人ならば適切な文献のありかを知っている、ということです。

こうした観点で、今はもう、T-maruさんのようなやり方はWikipediaでは受け入れられないです。15年やってきた習慣を急に変えるのはむつかしいところがあるのはわかりますが、変えていく必要があります。私もかつては自分の見識に基づいて書いていましたが、何年かかけてやり方を変え、今は情報源を示して書くやり方に変えました。その結果として、「書けない」こともありますがそれはしかたがないです。「書く」ためには入念な調べ物をする必要があり、また自分が書いた文と出典を対照していくと、ビミョーな差異があって直さなければいけないこともあり、それはそれで自分自身の勉強にもなるし、意外な発見もあって楽しいですよ。T-maruさんの見識がおありならば、きちんとした出典を示しながら書くことで、さらにWikipediaに貢献できるはずです。

まずは、堅い出典にのみ基づいて書くとどんな感じになるか、試してみてはいかがでしょう?--柒月例祭会話2019年8月23日 (金) 04:19 (UTC)[返信]

㭍月例祭さん どういう方か存じ上げませんが、コメント拝見しました。 私としてはそのような馬鹿げた方針には賛同出来ません。大体その方針変更(それが事実かどうかも未確認ですが)前に書かれた膨大な記事が存在し、それに対してその方針に合わせた改訂がほとんど行われていない状況で、何でそんな方針に従わなければならないのでしょうか。また一度変わった方針なら将来また変わることも十分予想され、そんな馬鹿げた変更に一々お付き合いすいる気はさらさらありません。というかそのような方針を強行するなら、その内Wikipediaは止めて別のオンライン百科事典を作ろうという動きが出てくると予想します。オープンソースでは非常に良くある話です。 Wikipediaの「出典主義」はきわめて形式的なものであり、本来必要なその中味の検証はほとんど行われず、単に形式としてもっともらしい文献などの情報が付いていればOK、ということを他の項目の編集で経験しております。馬鹿げたルール至上主義としか思っておりません。そもそも「正しさ」の判定などすべて相対的なものに過ぎず、すべてのソースは何らかの意味での「独自研究」であり、100%客観的なソースなど存在しません。そういう中で可能な限り正確性を保つ努力は、Wikipediaのような単に情報源を書くということではなく、複数のソースを比較するとか、あるいはGoogleが検索順位の決定に使っているようなリンク数のチェックとか、色々な方法がある筈です。大体誰もチェック出来ない昭和6年の雑誌などを出典に上げるよりも、すぐにチェック可能なインターネット上の個人サイトの方がはるかにマシと思います。(個人サイトにももちろんピンからキリまでありますが、個人サイトだから全面的に信頼性不明とするのは教条主義に他なりません。) あるサイトで、「要出典」のタグがうざかったので、適当な出典を仮に入れておいたら、驚くべきことにその適切さに関して指摘したり修正したりした人は誰もいませんでした。その後私の方でより適切な出典に変更しましたが、そんな単なる形だけの出典主義がWikipediaの質を向上するのに役立つとはとても思えません。 またこの「革砥」の項もそうですが、海外の英語の記事等を紹介しても、それがほとんど読まれない、ということも良く経験しております。 この「革砥」の中で電子顕微鏡で革砥で処理する前と後の剃刀の表面の2万倍の写真を撮って、それを元に分析している英語のページを紹介しています。 このページはインターネットの中では革砥の効果に関して最高レベルの情報を提供しています。故に英語のWikipediaでもドイツ語のWikipediaでも、このサイトが単なる出典ではなく、リンク項目の中で紹介されています。そんなサイトをHaetenai氏は中味もろくに見ないで「個人サイトなので信頼性不明」と斬り捨てます。 アメリカでは個人が電子顕微鏡を自由に使えるのでしょうか?そんなことも分からない方に一々記事に文句を付けられたくないです。 この「革砥」の項については更新をストップし、私の自分のブログで今後続けることにし、既に移設を完了しました。 https://shochian2.com/archives/34305 大人げないし、またWikipediaと著作権に関する法廷闘争をするほど暇でもないので、これまで書いたものを削除することはしません。 今後Wikipediaについては付き合い方を変えます。

p.s. 前述の紀田順一郎氏のエッセイの一部はご本人から利用OKという許可をもらっています。紀田氏とは以前仕事で交流がありました。 --T-maru会話2019年8月23日 (金) 13:26 (UTC)[返信]

今回のWikipedia自警団による馬鹿げた「検閲」に対して、下記の通り反論しておきます。

(1)Packwoodのストレートレザーの普及への貢献について 最初のストレートレザーの量産がイギリスのSheffield社によってであることは、ストレートレザーを使っている人には常識です。また、"Packwood Sheffield"でGoogle検索した場合、極めて多数のPackwoodブランドのストレートレザーが検索でき、Packwoodがストレートレザーを自分で作っていた訳ではなくSheffieldと組んでいたことも確認出来ます。そういうことの典拠の一つとして、私はeBayの販売ページを挙げました。この理由は、ヴィンテージレザーの取引ではeBayが一番多いという経験による知識(実際に私自身もeBayからヴィンテージレザーを何本か購入しています)と、eBayに限らずオークションサイトには、評価システムがあり、虚偽の取引を行った場合には低い評価が付けられ、そうした出品者は自然と排除されます。そういう意味でオークションサイトの出品はある程度の信頼性があると考えられ、また写真も付けられており、Packwoodブランドであることも確認可能です。18世紀末のヴィンテージレザーがこれだけ多数検索で見つかるというのは、ある意味非常に珍しいことであり、いかにPackwoodがストレートレザーの普及に関わったかということの一つの証拠です。

(2)革砥の材質について Sharpologistのサイトは確かに個人サイトかもしれませんが、その信頼性はそこで記載されていた全ての材質の革砥(コードバン、ブライドルレザー、ラティーゴ、カンガルー革、牛革、水牛皮、合成皮革)を実際に私がすべて海外サイトで購入しているので、この時点で検証は終了しています。また様々な材質の革砥の写真も紹介しており、これ以上典拠は必要ないと考えます。ちなみにすべての種類の革砥はGoogle検索で比較的容易に見つかり、簡単に入手可能でした。(カンガルー革の革砥だけは、ワシントン条約の関係で通関に時間がかかり手間取りましたが。)

(3)革砥のストロッピングの効果について そもそもこのページの履歴を分かっておられないようですが、最初は極めて限られた記述のみで、そこに「剃刀の切れ味が低下しても革砥で数回ストロッピングすれば切れ味が戻る」と書かれており、私が「そんなことはありえない」と反論したことから始まっています。それで色々調べた結果、革砥の英語とドイツ語のページで、LINK項目に"What does stropping do?"が挙げられていました。このページは電子顕微鏡で2万倍の倍率で剃刀の表面(先端部と側面)をそれぞれストロッピングの前と、一定回数の処理の後で比較したもので、多数の電子顕微鏡写真が挙げられています。日本では、日本剃刀などの写真を「光学顕微鏡」で撮影してWebで紹介している人はいますが、電子顕微鏡を使った人は一人もいません。このページは全世界のWebページの中で革砥のストロッピングについては最高レベルの情報を与えてくれるサイトです。そのサイトを「個人サイト」と決めつけ、「信頼性要検証」などとするのは、要するに英語を読めないのだとかしか思えません。また英語とドイツ語のサイトが信頼性のあるサイトとしてLINK項目で紹介しているのを、何故日本語のWikipediaだけが「要信頼性検証」とするのかその根拠も不明です。

(4)OEDの参照について この記事で、私は2回OEDの記述を参照しました。最初はstropの意味が広いということの典拠として。2回目はstropの用例がPackwood以前にもあることの典拠として。OEDはオンライン版を使用し、そのリンクを最初の記事に付けました。しかるにWikipedia自警団の人は2回目の記述に「要出典」タグを貼り付けました。 この方はOEDを引いたことがあるのでしょうか?OEDについては意味の記述の後に、必ずそれが過去使われてきた用例情報が付いているというのは常識です。なお、私はOEDのCD-ROM版を所有していましたが、過去Winodwsのアップデートによりそれが動作しなくなり(現在はCD-ROM版は販売されておりません)、オンライン版をやむを得ず使っています。

上記(1)~(4)のすべてで分かることが、Wikipedia自警団が極めて自分勝手な低レベルの判断基準で、信頼性に関する疑問を投げかけていることです。しかし、上記の説明を読んでいただければ、それらが全て根拠の無い言いがかりに近いものであることが分かります。 私は先にも書いたように、Wikipediaの形式的出典主義は信用していません。自分なりに色々な手を尽くして信頼性を調べた上で記事を書いています。 なお、私はナカニシヤ出版から出版された「日本マックス・ウェーバー論争」https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E8%AB%96%E4%BA%89%E2%80%95%E3%80%8C%E3%83%97%E3%83%AD%E5%80%AB%E3%80%8D%E8%AA%AD%E8%A7%A3%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%9C%A8-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E5%8A%AA/dp/477950273X という本の中に「羽入式疑似文献学の解剖」という論文を寄稿しております。それに対し中央大学の矢野氏が「市井の文献学者」という表現で高く評価してくれています。何が言いたいのかというと、私は文献情報の真偽の判定については、セミプロレベルであるということです。

--T-maru会話2019年8月26日 (月) 02:57 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼を提出しました[編集]

上の発言やその後の活動内容を見てWikipedia:投稿ブロック依頼/T-maruを提出させていただきました。--Aiwokusai会話2019年8月24日 (土) 02:36 (UTC)[返信]

こちらはもうページを更新しないと言っているのに何故投稿ブロックを申請されるのでしょうか? こちらの判断としては、私が意見を述べるのを封鎖しようとしているとしか解釈出来ません。 15年間日本語版のWikipediaに1000回以上の編集を行ってコンテンツの増加に貢献してきた人間に対して、何故このような一方的なことをされるのでしょうか? --T-maru会話2019年8月24日 (土) 11:04 (UTC)[返信]

返信 申し遅れましたが、私はWikipedia日本語版で管理者をしております。(「管理者」と言いますが、実態はsysopです)
T-maruさんが、見識をお持ちの方なのであろうことはわかります。ですが、WikipediaにはWikipediaのルールがあります。
根本理念として、Wikipediaは多数のボランティア執筆者による共同作業を行います。そこには共同作業を円滑に行うための「行動のルール」と、Wikipedia記事執筆のための「編集のルール」があります。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないはその根幹をなします。これらのルールは全ての利用者が同意する基本方針です。
T-maruさんはこれらWikipediaの基本理念を一方的に「馬鹿げた」ものとし、遵守しない意思を表明し、その意思に基づいた編集を行っています。Wikipediaではこれを「編集強行(うでづくで押し通る行為)」とし、重大な違反・妨害行為のひとつと認めています。Wikipediaは無秩序なフリースペースではありません。残念ですが、基本方針に賛同いただけない以上、強制力をもって速やかにご退出いただくことになります。
私としては、T-maruさんがWikipediaの基本方針に賛同いただき、その方針に基づいて貢献いただくことを望みます。--柒月例祭会話2019年8月27日 (火) 04:56 (UTC)[返信]
返信 Wikipediaの現行のルールが馬鹿げたものであると考えている人は、私の他にも非常に多く存在しています。この機会に色々調べました。

私はWikipediaの出典形式主義が、記事の信頼性の担保にはほとんど貢献していないと主張しており、別の方法で信頼性の確保に努めています。 Wikipedia自警団と呼ばれている人が、多くはほとんど記事を書いたことがない人達であることに大きな危惧を感じます。 そもそもどんなルールであっても、現実の様々なケースと照らし合わせていくと、単純な適用は不可能であって、どのように適用すべきかという慎重な議論(いわゆる決疑論)が必要と思います。 それを考える上では具体的に自分で記事を書いてみるのが一番と思います。しかるに現在のWikipediaでは記事執筆経験の無い人が管理者を僭称し、他人の記事に「要出典」「独自研究」タグを張りまくっています。 私はこのようなWikipedia日本語版の現状に対してはあくまでも異論を唱えますし、それを理由にして編集ブロックを受けるのであれば、これ以上Wikipediaに情報を提供することは止めます。 しかも、今日は今年6月に書いた記事約69,000バイトを何の連絡もコメントもなくIPアドレス利用者によって全部削除されるという暴挙を経験しました。このようなことはWikipedia利用の15年の中で始めてであり、現在Wikipedia自警団の方々と議論していることとの関連を疑わずにはいられません。 このような陰湿な嫌がらせがまかり通るような閉鎖空間に、これ以上関わる気はありません。 私が過去にWikipediaに記載した記事の一部を私の個人ブログに移すことを既に開始しております。Wikipedia自警団の人から、記事を一旦書いたらその著作権はWikipediaに移るというご意見をいただきましたが、Wikipediaの規約にそのような規定は見当たらず、仮にあったとしても正当な対価もなく著作権が書いた人以外に移転することはないというのは日本の著作権では常識です。(そもそも正式な日本語の規約も存在せず、ソフトウェアのシュリンクラップ契約と同じで、裁判になったら規約の有効性が疑問視されるでしょう。) 私はこれで日本語Wikipediani関わるのは止めますが、一日も早くWikipediaが正常な姿に戻ることを願ってやみません。 ご意見をいただいたことには感謝します。それでは。 --T-maru会話2019年8月27日 (火) 05:21 (UTC)[返信]

ぱたごんと申します。wikipediaをお止めになるとのことで残念ですがルールに賛同してくださらない限りこのサイトへの参加をご遠慮いただくことは止むを得ません。投稿するときに「以上の記述を完全に理解し同意した上で投稿する」ボタンを押すのです。「以上の記述」のなか検証可能性が含まれている以上、あなたは検証可能性に同意して投稿しているのであって、上記のあなたの言は矛盾しています。著作権についてはあなたの理解で正しい。著作権はあくまで書いた人のものでありwikipediaには移動しません。CCのルールは他者の再利用についての付記ルールです。ただし、あなたが書いたものを個人ブログに転記する場合、wikipeiaでT-maruと名乗っている方との同一性が証明できなければ(自分が書いたものでありながら)著作権侵害を疑われてしまうというばかばかしいことになってしまいますので、wikipeiaでT-maruと名乗っている方とブログでのあなたの名乗りの同一性の証明については気を付けていただきたいと思います。--ぱたごん会話2019年8月27日 (火) 05:44 (UTC)[返信]
追記、あなたの著作権は失われませんがCCによってあなたの著作物を再利用する権利は他者に与えられていますので、あなたの著作物だから消す権利があって復帰させてはならないということにはなりません。CCのルールで投稿した以上、第三者の再利用を妨げることはできません。--ぱたごん会話2019年8月27日 (火) 06:26 (UTC)[返信]
返信 原子力潜水艦シービュー号でのIPによる編集除去について確認しました。当該IPは過去の編集履歴もありませんし、除去理由も述べていませんね。おっしゃるように、いまT-maruさんをめぐって議論が行われていますので、それをみた愉快犯による嫌がらせ、とみるのは妥当でしょう。もちろんそのような行為はルール違反であり、当該IPについては、私の判断で1週間の投稿ブロックを行いました。
ただし、今後、「検証可能性」「独自研究は乗せない」などに基づいて、T-maruさんの加筆内容が修正されたり、除去される可能性はあります。(常に、誰でも。)これはルール違反ではありません。
Wikipediaの投稿画面には、「あなたは利用規約に同意し、自身の投稿をクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス 3.0およびGFDLの下で公開することに同意したことになります。」などと表示されています。詳しくは各文書(GNU Free Documentation LicenseWikipedia:著作権など)を参照していただきたいのですが、正確には、T-maruさんが投稿なさった文章の著作権そのものはT-maruさんに帰属します、が、その著作物を営利・非営利に関わらず「無断で複製・改変・頒布・販売してもよい」とT-maruさんが了承している、ということになります。(T-maruさんが、そんなものは無効だ、とまで主張されるのであれば、私の手には負えなくなります。)--柒月例祭会話2019年8月27日 (火) 05:57 (UTC)[返信]

もう書かないつもりでしたが、2件コメントをいただいたので再返信しておきます。 私に著作権が帰属するものを私がどう改変しようと自由です。Wikipediaには利用権を許諾しているだけです。 もちろん他の人が編集に参加しているものをすべて私の著作物として利用し改変したらそれは著作権の侵害になります。 しかし、私の個人ブログに移しているのは、100%私が作成した部分だけです。 また私がWikipedia上のT-maruと同一かどうかはきわめて簡単に証明出来ます。 (1)私は固定IPを取った上で個人サイトを運営しており、そこでのwhois情報で個人名・住所他を公開している。 (2)大衆作家「白井喬二」のページの文献情報は、大半が私以外作成し得ないもので、白井喬二自身の著作(自伝・評論集)に載っている文献情報より更に詳しいものです。そうした書籍には無い文献情報の分の実際の書籍をすべて私は古書店やヤフオクで購入して所持しています。中には大変な稀覯本も含まれていて、他の人がこうした文献情報を書くのは不可能です。雑誌掲載のもの(単行本未刊行)については、大半が国会図書館の検索でも出てきません。 また、私は過去にソフトウェア会社に9年勤務しており、ソフトウェアの契約はよく理解しているつもりです。Wikipediaの「~同意したことになります。」表示は最低限のレベルであり、この画面で実際の規約が表示されることもなく、またそもそも日本語での正式な規約が存在しないということになれば、いわゆるシュリンクラップ契約として法的な有効性はかなり疑わしくなります。一般的にソフトウェアのインストーラーでは、利用許諾契約の文面が表示され、それに対しOKボタンをクリックすることで契約に同意したと見なされます。Wikipediaはこの作業をはしょっています。また「クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス 3.0およびGFDL」自体が一般に広く知られているものではないため、ますますWikipediaは不利になります。疑うのであれば、以前私が勤務していたソフトウェア会社の法律顧問であった、寺本振透氏にでも問い合わせてみてください。回答が得られるかどうかは保証出来かねますが。氏はインターネット普及期からネット上の著作権のおそらく日本で一番の専門家です。(また、私とは大学のサークル仲間でもあります。)(https://shuwa.net/partner/teramoto_shinto.html) --T-maru会話2019年8月27日 (火) 06:42 (UTC)[返信]

そして、それと同時に一度Wikipediaに投稿した内容はT-maruさんに著作権が帰属するものを他人がどう改変しようと構わないと認めた訳だから他人がどうしようと自由ですね(記事の全てをT-maruさんが書いた訳ではないのだからblogへの転載はくれぐれもご注意を)。Wikipediaの方針に沿ってさえいれば。それが納得出来ないなら今すぐお引き取りを。T-maruさんのもう○○しないは聴衆も聞きあきており正直うんざりです。ブロック依頼から明日で丁度一週だがWP:NPAWP:NOTADVERTISINGで会話ページまで塞がれたら目も当てられませんよ。誰も困らないでしょうが。--Owstn会話2019年8月27日 (火) 07:40 (UTC)[返信]

いい加減に馬鹿げた議論は止めていただけませんか。Wikipediaに書き込んだ時点でその記事の(あくまでもWikipedia中での)同一性保持権は放棄していることぐらい承知しています。 それから、ブログに移すのは何度も「私が書いた部分」と限定していると言っています。幸いなことに私が書いた記事の多くは、ほぼ私が投稿したままとなっているケースが多くなっています。 それにWikipediaの書き込みテキストに適用される規約は「GNU フリー文書利用許諾 (“GFDL”)」でも良い、となっており、元々Copyleftを提唱するGNUの規約を使いながら、その権利を主張するのはきわめてナンセンスです。このやりとりで分かったのはWikipedia自警団や管理者の方ですら、著作権についての正しい理解が無いということです。 アカウントを削除されようと構わないと言っているのですから、さっさとそうされたら如何ですか。 --T-maru会話2019年8月27日 (火) 07:49 (UTC)[返信]

そう言いつつ御自分からは絶対消えないのは奇妙ですが。それにしてもおかしいですね。著作権は理解している、なのにWikipediaの方針に無い理由で方針に即した注意書きは執拗に消そうとする。これは口ではそう言いつつも放棄したつもりは無い事と何処が違うんですかね。自分の文章が信頼性に欠けると記すのは許せないし我慢出来ないと記事が保護されるまで止まらなかった人が「さぁトドメを刺してみろ」とばかりに腹を見せたとしても信用する人がどれだけいるでしょうか。他人の行動を善意に取るという観点を放棄され、自分は自警や管理者から不当な扱いを受けていてると完全に被害者の立場をアピールされているのは他ならぬT-maruさんなのです。--Owstn会話2019年8月27日 (火) 09:47 (UTC)[返信]

別にここに見に来ている訳ではなく、お節介なWikipediaがメールで通知してくるから見ているだけです。 ところであなたは一体どなたですか?何故私一人に対して複数の知らない人間が次から次にコメントを寄せてくるのですか? なるほど「Wikipedia自警『団』」だなと納得しました。 私の過去記事を大量に消した犯人もこの中にいると確信しています。 (どこの他の暇人がわざわざ私の個人ページに来てそこの議論を読んで嫌がらせをするのか、あり得ないです。) ここでのやり取りは全てログを取っております。 将来、Wikipediaの中でいかに陰湿なイジメ、ハラスメントが横行しているのかについて何かに発表するときに、貴重な資料とさせていただきます。 --T-maru会話2019年8月27日 (火) 13:35 (UTC)[返信]

コメント なぜ多くの方がコメントをお寄せくださるかというと、Wikipedia:管理者伝言板という全利用者へ公開された場所で、「T-maruさんという問題利用者がいるのでなんとかしてくれ」と多数に向けて告知公開されているからですよ。--柒月例祭会話2019年8月27日 (火) 13:46 (UTC)[返信]

それがフェアな処置だと思われているのであれば、もう論外です。そもそも何で「革砥」のノートで議論するのではなく、この「会話」に書込んでくるのかの理由も不明です。以前もこのように良質の記事を提供してきた編集者がよってたかってハラスメントを受けて、Wikipediaを去って行ったんでしょう。根拠もないタグ付けを取り消すのは著作権の侵害にはなりません。大体「英語・ドイツ語のWikipediaでLINKで紹介されたサイトを典拠として使ってなんで信頼性不明とされなければならないのか」という根本的な指摘について未だに回答がないままです。 --T-maru会話2019年8月27日 (火) 14:04 (UTC)[返信]

もう書かないつもりでした、からこれで何度目でしょうね。見事なまでに中身のない主張を繰り返しているだけのようですが、ログなど心配しなくてもここの履歴から消える事は基本的にはありませんよ。陰謀論を唱える人には言っても仕方ないでしょうが。大した発信力を持たない貴方(ご自分ではそうは思っていないようですが)御一人がそういう皮肉を言っても何の力もない。せいぜい身近な人間にある事無い事を都合良く触れ回って自分は不当な扱いを受けたんだ慰めてくれと訴える程度であり、クラス会議やドラエもんに虐められたと訴える事と何ら変わりません。世の中にはただ事実として不適切な行為、方針を理解しない事から貴方がブロックされた事実が残るのみです。--Owstn会話2019年8月28日 (水) 03:07 (UTC)[返信]

「原子力潜水艦シービュー号」記事の削除について[編集]

私が2019年6月に、元々11,148バイトだった記事を80,082バイトまで68,934バイトの大幅な記事の加筆を行いました。 ところが、8月27日にIPアドレスでの利用者が、この内容の全てを理由も示さずに削除しています。 すぐに戻しましたが、私としては最近のWikipedia自警団とのやりとりが影響していると考えざるを得ません。 --T-maru会話2019年8月27日 (火) 02:41 (UTC)[返信]

はじめまして[編集]

みっちと申します。ブロック依頼からこちらの会話ページのやり取りを拝見しました。

もしウィキペディア日本語版の歴史の中でこの数年を見るなら、あるいは「不寛容の時代」として振り返ることになるのかもしれません。かくいう私も記事など書いて損したと思ったことがありますし、嫌気が差していったんは足も洗いました。しかし、そのたびに私を惜しんでくれる方がおられて、こうしてときどきはウィキペディアをのぞき、記事が書けたら復帰したりなどしている状態です。そういう立場としては、T-maruさんがこのままウィキペディアに絶望され、コミュニティーに対して嫌悪感を持たれたまま去ってしまわれるのはとても残念です。T-maruさんは、無条件とはいえないかもしれませんが貴重な書き手だし、ウィキペディアでもとくに必要なのは記事の書き手であるという認識はお互いに一致していると思います。記事を書く人がいなければ、百科事典のコンテンツはあり得ませんから。また、ご主張には共感できるところもあります。ウィキペディアは社会を映していますから、いろんな人(リスク回避のためにこんな風に言葉を濁すこともあります)がいます。IPによる心ない仕打ちに傷つかれたこととも思います。捨てアカウントの挑発には放置がいちばんです。

しかし、ウィキペディアといえども他所様のサイトですから、そこで遊ばせてもらう以上は、全面的に支持できないルールであっても、そこをなんとか折り合いをつけてうまくやっていくことは必要ではないしょうか? 考え方次第で、そうやって対応力があるところを見せつける(自分でいうとイヤラシイですが)のも一興かと。ちなみに私は、かなり昔に脚注などはむしろ積極的にこなしていく方向に舵を切りました。そのあたりのことは利用者:みっち/記事の書き方#「検証可能性」と著作権保護のはざまでに少し触れていますので、もしご興味がありましたらご一読ください。

今回、仮に無期限ブロックになったとしても、書き手が求められていることに変わりはありません。ルールを尊重される意思表明をなされば、状況は変わるでしょう。もちろん、ご自分のなさりたいことができるならウィキペディアでなくとも全然いいわけですが。ネットのどこかでお会いすることがありましたら、またよろしくお願いします。--みっち会話2019年8月29日 (木) 06:07 (UTC)[返信]

みっちさんの御意見は概ね正しいものであると思われます。但し、内容としては捨てアカを含めた他の利用者が書いた内容とは似たり寄っにも見えます。ならば何故敢えてコメントしたか、其れはみっちさんの利用者ページをT-maruさんよりもむしろこのやり取りを見えている不特定多数の方に知ってほしかった、その内容の啓蒙に尽きるのではないかと。正直頭が下がる思いです。ただ敢えて申せば、今後のWikipediaが現在よりも三大方針に外れる編集について寛容になる可能性は残念ながら極めて低いと言えるでしょう。方針を守る利用者が増えた事は素直に喜んでも良いんじゃないですかね。--Owstn会話2019年8月29日 (木) 10:01 (UTC)[返信]

無期限ブロックのお知らせ[編集]

あなたは無期限ブロックされました。 あなたは無期限ブロックされました。ウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックが自動的に解除されることはありませんのでご留意ください。今後の対話ならびに異議申し立て、解除依頼はあなたの会話ページで受け付けます(投稿ブロック解除依頼作成の手引き投稿ブロックへの異議申し立て参照)。会話ページも編集できないブロックの場合は、IRC#wikipedia-ja-unblock、もしくはメーリングリストで、会話ページの編集許可を求めてください(ヘルプ)。--Kubou会話2019年9月16日 (月) 08:22 (UTC)[返信]

Reminder: Community Insights Survey[編集]

RMaung (WMF) 2019年10月3日 (木) 21:18 (UTC)[返信]