利用者:伊勢志摩ライナー/sandbox

丸物[編集]

東京丸物[編集]

開業時のフロア構成[編集]

フロア概要[1]
8階 工事中
7階 工事中
6階 大食堂・文化催場(4月開場)
5階 家庭文化用品・玩具
4階 きもの・婦人子供服・寝具
3階 婦人・子供身廻り用品・靴
2階 紳士用品・紳士服・文具・貴金属・時計
中2階 大和証券池袋支店・丸物スナック不二家
1階 池袋駅コンコース・旅行案内所
地下1階 お菓子・食料品
地下2階 大特売場・日用品・丸物食堂


丸物
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関連人物[編集]

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歴代社長[編集]

橋本達吉が1977年5月に京都近鉄百貨店として初の社長に就任して以降、現在の近鉄百貨店社長・秋田拓士に至るまで、4年ごとに交代する場合が多い。

  • カッコ内は就任期間。代数は丸物創業時より現在の近鉄百貨店社長まで通しで数える。

丸物社長[編集]

  • 初代:中林仁一郎(創業 - 1960年4月) - 他に丸栄社長などを務めた
  • 2代:中林仁良(1960年4月 - 1977年5月)- 丸物として最後の社長。

京都近鉄百貨店社長[編集]

  • 3代:橋本達吉(1977年5月 - 1981年5月) - 京都近鉄初代社長。大阪電気軌道出身で、中林仁良と二人三脚で丸物の再建に取り組んだ。
  • 4代:佐藤 恕(1981年5月 - 1985年5月) - 東京近鉄百貨店の初代社長
  • 5代:若林誠郎(1985年5月 - 1989年5月)- 中林仁良以来、久々に丸物生え抜きの人材となる。
  • 6代:井上素夫(1989年5月 - 1993年5月)-
  • 7代:髙田多喜男(1993年5月 - 1997年5月) - 近鉄百貨店阿倍野店リニューアルオープンの立役者として業界では山中鏆(伊勢丹・松屋東武百貨店)と並ぶ存在ともいわれた。
  • 8代:稲垣繁男(1993年5月 - 1997年5月) - 1957(昭和32)年近畿日本鉄道入社、85年に近鉄百貨店取締役、常務、専務、副社長を経て、96年から副社長。
  • 9代:小山禎三(1999年5月 - 2001年2月) - 岐阜店の閉鎖が決定後、近鉄百貨店副社長から京都近鉄百貨店最後の社長に就任した。

近鉄百貨店社長[編集]

逆さ合併であり、京都近鉄百貨店は運営上近鉄百貨店の傘下でもあったため、近鉄百貨店の社長がそのまま務めている。

  • 10代:田中太郎(旧・近鉄百貨店社長)
  • 11代:中川文雄
  • 12代:飯田圭児
  • 13代:高松啓二
  • 14代:秋田拓士(2019年 - 現在)

その他の主な出身者[編集]

  • 鈴木貞夫 - 一橋大学出身で元・東京丸物社員。近鉄グループ入りする前の1964年に退社し、サンチェーン(ローソンの前身の一つ)設立にかかわった。
  • 野田順弘 - オービック代表取締役・中央競馬馬主、元・近畿日本鉄道百貨店部(当社の前身)OB。
  • 佐野正幸 - 東京近鉄百貨店→近鉄百貨店東京店に勤務していた。元近鉄バファローズ応援団長として知られる。
  • Ms.OOJA - 高校卒業後、メジャーデビューまで10年間ほど中部近鉄百貨店四日市店に勤務していた。

近鉄会館[編集]

和歌山近鉄会館
店舗概要
所在地 640-8546
和歌山県和歌山市友田町5丁目46番地
座標 北緯34度13分58.4秒 東経135度11分25.5秒 / 北緯34.232889度 東経135.190417度 / 34.232889; 135.190417 (伊勢志摩ライナー/sandbox)座標: 北緯34度13分58.4秒 東経135度11分25.5秒 / 北緯34.232889度 東経135.190417度 / 34.232889; 135.190417 (伊勢志摩ライナー/sandbox)
開業日 1960年(昭和35年)4月(和歌山近鉄ストア)
1987年(昭和62年)10月(近鉄会館)
閉業日 1987年(昭和62年)4月(和歌山近鉄百貨店 旧店舗)
2011年平成23年)9月30日(近鉄会館)
建物名称 和歌山近鉄会館
施設所有者 株式会社近鉄百貨店
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
延床面積 8,526.81 m²
商業施設面積 (和歌山近鉄百貨店 旧店舗)7,000 m²
前身 和歌山近鉄ストア
和歌山近鉄百貨店(旧店舗)
後身 シャルマンフジ和歌山駅前グランピーク
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近鉄会館(きんてつかいかん)は近鉄百貨店が所有していたテナントビル。 和歌山ターミナルビルに移転する前の旧店舗を改装し、移転から5か月後の1987年(昭和62年)9月に近鉄会館として再オープンした。3、4階に和歌山近鉄百貨店の本社事務所があったほか、2階には近鉄文化センター和歌山(後述)が設置されていた。

近鉄文化センター和歌山[編集]

受講者らには個別に近隣のカルチャーセンターを案内し、近鉄百貨店の店内へは移転しなかった。

フロア構成[編集]

フロア概要
4階 事務所
3階 事務所
2階 近鉄文化センター和歌山
1階 飲食店

近鉄のいま[編集]

フランチャイズ事業の展開[編集]

百貨店業界では業績不振への対応や百貨店を利用しない人の取り込みを図るため、大丸松坂屋百貨店など直営売場を廃止・縮小してテナント収入型の店舗に切り替える例は多く、近鉄百貨店でもジュンク堂書店エディオンについては外部テナントの誘致という形を取っている。しかし、独自の取り組みとして近鉄百貨店では自社によるフランチャイズ事業を行っている。単なる外部専門店の誘致に比べ、社員に店舗運営ノウハウの習得とスキルの向上を図ることができるのが特徴となっている。 第一陣の天王寺公園の茶臼山エリアでのファミリーマート2016年3月19日開業)を皮切りに、東急ハンズ、ベーカリー「ブロッドン」(マーメイドベーカリーパートナーズと立ち上げた新ブランド)、成城石井などを展開していった。

フランチャイズ事業[編集]

以下のブランドを運営している。


あべのハルカス近鉄本店(あべのはるかす きんてつほんてん)は、大阪府大阪市阿倍野区にある近鉄百貨店の本店で、日本の百貨店のひとつである。 かつて、大鉄百貨店(だいてつひゃっかてん)として開業したあと、何度か改称し、2013年まで近鉄百貨店 阿倍野店(きんてつひゃっかてん あべのてん)を名乗っていたほか、近鉄百貨店阿倍野本店(きんてつひゃっかてん あべのほんてん)とも呼ばれていた時代についてもここで述べる。

本館(タワー館) ウィング館
14F レストラン街「あべのハルカスダイニング」(古今東西) ×
13F レストラン街「あべのハルカスダイニング」(集い)
12F レストラン街「あべのハルカスダイニング」(行きつけ)
11F 宝石/時計/めがね/呉服/美術工芸品
10F 神農生活/食習(台湾家庭料理)/ウーロンマーケット茶市場

【近鉄リビング】インテリア/寝装品/タオル・バス用品||ハルカスウイングガーデン・あべのハルカスファーム

9F 【近鉄リビング】家庭用品/生活雑貨・食材専門店/キッチンスタジオ 催会場/結納用品/お客さま相談室/KIPSカウンター
8F 【kodomoの街】ベビー・こども服/こどもくつ・雑貨/マタニティ用品/育児用品・知育玩具/まなぼスタジオ 【kodomoの街】ベビー・こども服・専門店ゾーン・近鉄アート館/小室歯科
7F 生活用品・食器 手芸用品
6F 呉服 子供服
5F 婦人服 婦人服
4F 婦人服(キャリア・インナーウエアー) 【サイズワールド】婦人服/【ブライダルゲート】/家具/第2催会場/ギフトサロン・商品券・たばこなど
3F 紳士服・雑貨
2F 化粧品/アクセサリー/北海道どさんこプラザ
1F 特選ブティック/アクセサリー 時計(オメガ) 近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅施設
B1F 【あべのフードシティ】洋菓子/和菓子/ベーカリー サービスセンター/リラクゼーションサロン「ティヨール」
B2F 【あべのフードシティ】生鮮食品/グロサリー(成城石井)/あべの市場食堂(リンガーハット北極星がんこ<回転寿司>など) 【あべのフードシティ】和洋酒/惣菜/ギフト・名店食品/ベーカリー/健康食品/漢方

近鉄百貨店いろいろ[編集]

髙島屋大阪店[編集]

南海電気鉄道が所有する[2] 難波駅の南海ビルディングに出店するターミナルデパートで、目抜き通り御堂筋の南端に位置する。髙島屋では「本店」との呼称がないが、登記上の本店及び登記上の本社所在地である。開店当時は南海難波駅も同じ建物内に入居していたが、戦後の改装時に難波駅自体が和歌山方にずらされ[3]、現在は髙島屋のみが入居している。

概要[編集]

当店は髙島屋の大阪進出時から2度の移転によって現在地に所在している。

心斎橋店[編集]

京都発祥の髙島屋の大阪進出は飯田新七が行っていた行商がスタートであった。 明治20年(1887年)には仮事務所を設け、大阪での店舗進出を計画していたが、大阪の実業家・藤田伝三郎の紹介で丸亀屋(田村太郎兵衛呉服店)の店舗を譲り受けた。同店の三代目が大阪市初代の市長選挙に立候補するためである。髙島屋として開店するにあたり、新聞広告を出したところ、未明から多くの客が集まり、早朝5時半に開店した。 1919年(大正8年)5月20日午後4時30分には2階天井から出火し、建物や商品ばかりか店舗周辺まで焼き尽くす。不可抗力といわれていた漏電が原因であった。店舗周辺の板囲いを行い、周囲に詫びに回った。6月1日からは南海難波駅前の南地演舞場で焼け残り品や処分品の大売り出しを行ったところ、同情した客が集まって好評だった。9月には心斎橋筋に新店舗を開業し、火災からちょうど4か月後の9月19日より大売出しを行うと、こちらも盛況で、翌日の新聞に御礼広告を出すほどとなった。

長堀店[編集]

このころ、既に三越、松坂屋、白木屋、十合(そごう)などは百貨店を営業しており、髙島屋も百貨店への転換を図った。大阪のメインストリートであった堺筋に面する長堀橋南詰に土地を取得し、中央公会堂を設計した岡田信一郎の設計によって大正11年10月1日、本館地下1階・地上7階の大阪長堀店が開業。換気・暖房装置やエレベーター5基も設置していた。直前の9月20日に心斎橋店は閉鎖している。

南海店の開店へ[編集]

しかし、大阪市が御堂筋の拡幅を進め、メインストリートは御堂筋へ移っていった。これに合わせ、南海ビルディングが建築され、その大部分を賃貸するという情報を得た髙島屋は、長堀店の開店からたった5年半ではあったものの、この計画に参加して大型店舗を建設すると決断した。1930年(昭和5年)12月に中央部が開店し、1932年(昭和7年)7月15日には地上7階・地下2階建てで関西最大級の売場面積をもつ百貨店として髙島屋大阪南海店(通称・南海髙島屋)がオープンした。他店には無かった冷房装置を完備しており、夜10時の閉店まで避暑地代わりに使う客もいてにぎわった。

既に1926年に長堀店5階に10銭均一売場を展開していたが、南海店でも1階正面に常設しており、開店日にはこのコーナーに10万人が押し寄せたとの報道もあった。2年間で57店舗となったのちに丸髙均一店として分社化し、最盛期には106店舗を誇ったが、戦時中の混乱で商品補充が困難になり、終戦時には17店舗にまで減少していた。

大阪南海店の開店から9年後、本店だった長堀店は閉鎖して大阪店に統合している。

空襲から復興へ[編集]

東京店が空襲を受けた3日後に大空襲を受け、大食堂街(なんばダイニングメゾンの前身)が消失したものの、本館は一部の焼失で済んだ。周囲は焼け野原となったため、大阪駅や大阪港からも当店の入居する南海ビルディングが見え、戦後復員したり、外地から引き揚げた人は当店の姿を見て涙したと言われている。(古文書が語る髙島屋の歴史 VOL7 髙島屋資料館 2016年4月 高井多佳子)

焼失した大食堂街は生バンドでダンスする「ボールルーム」を経て、近代的な設備を持つ「ニューブロードフロア」と呼ばれる新しい売場になった。

1957年には新館が完成し、全館を新装。

高度経済成長期以降[編集]

当時、南区やその周辺には当店や心斎橋の大丸・そごうのほか、日本橋に松坂屋大阪店があった。しかし、先述のようなメインストリートの変遷にこたえられず、業績が悪化し、京阪天満橋駅へ移転して再起を図った。その旧店舗を取得し、1968年11月に東別館をオープンした。大阪万博を控えた1970年には増築新装開店し、東別館には髙島屋資料館をオープン。

1972年から1980年にかけて行われた改装工事により駅舎が南側へ移動してスペースが空いたため、1980年にはその跡地へ増床を実施した。

この頃には本社事務所は店舗周辺にあったが、平成になってから多くの機能は東京店周辺へ移転している。大阪にも本社機能は残っているが、それも東別館などに移っている。それでも重要な地であり、株主総会は当店横のスイスホテル南海大阪で行われている。

2000年代のリニューアル[編集]

売上高[編集]

売上高においては、1952年(昭和27年)2月期を最後に日本橋店や横浜店の後塵を拝してきた。しかし、近年の旺盛なインバウンド消費に合わせて売上高が伸長している。その結果、2018年(平成30年)2月期の売上高は年間売上高1,414億円となり、66年ぶりに全店舗(ジェイアール名古屋タカシマヤを除く)の中で首位に立った[4]。これは対前年比+8.8%。店舗別売上高は業界全体で全国6位。大丸心斎橋店も上回り、心斎橋を含めてミナミにおける地域一番店である。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 1957年11月23日「朝日新聞」 東京 夕刊 4P(全面広告)
  2. ^ 南海電気鉄道「第102期 有価証券報告書」27頁
  3. ^ 南海電気鉄道車両部・諸河久・岩堀春夫『日本の私鉄 南海』(保育社カラーブックス 811、1991年)pp.149-150
  4. ^ 高島屋店舗別売上高、66年ぶりに大阪店がトップ 訪日消費が押し上げ - 財経新聞(2018年4月11日)