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利用者:毛抜き/JR福知山線脱線事故

事故で脱線した車両

JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年4月25日兵庫県尼崎市で起こった列車脱線事故西日本旅客鉄道(JR西日本)が運営する福知山線の、塚口駅 - 尼崎駅間で発生し、これにより乗客106名と運転士1名が死亡、555名が負傷した。

概要[編集]

2005年4月25日の午前9時18分頃、○時○分に○○駅を出発した快速列車が、兵庫県尼崎市久々知の半径300mの右カーブ区間(北緯34度44分30秒 東経135度25分35秒 / 北緯34.74167度 東経135.42639度 / 34.74167; 135.42639)、塚口駅の南約1km、尼崎駅の手前約1.4km地点)で脱線し、そのままマンションへ衝突した。


車両は7両編成の207系であったが、


原因[編集]

事故の原因は、事故が発生した直後から国土交通省航空・鉄道事故調査委員会やJR西日本、大学等の研究機関などによって解明が行われたが、原因がいくつも挙げられているため最終的に一つに断定することは難しく、いくつかの条件が複合的に重なって生じたものだとする考えが一般的である。

事故が起きた車両の運行に関して脱線が起こった原因とされているものは、列車の運行速度が制限速度を大きく超過していたことによるものや、走行中に車輪がレールから浮き上がったものと見られることによるもの、横からの強い力によって横転したと見られることによるもの、横揺れを抑える役割を果たす油圧ダンパー(ヨーダンパー)が故障していたのではないかというものなどが挙げられる。この事故が発生した現場は半径300mの非常に急な曲線区間であったことから、とりわけこの路線形状が大きく影響していたという見方が強い。

他にも事故当初から様々な原因が推測されたが、後の調査によって否定されたものもいくつかある。乗用車の衝突や線路の置石、非常ブレーキを掛けたのではとしていたものがこれに当たる。

また、事故へ繋がった背後の原因としても数多くのことが挙げられている。

直接的な原因とされるもの[編集]

列車速度超過説

速度計の記録から、列車が脱線する直前の速度が制限速度の時速70kmを大幅に超過し、時速100kmを超える速度であったことが判明しており、この速度で半径300mの急なカーブを通過しようとしたために脱線したのではないかという考えである。

この列車は、直前の停車駅である伊丹駅で約70mオーバーランしていた。そのため伊丹駅からの発車がダイヤから1分30秒程度遅れていたほか、他の停車駅でも停車位置間違いなどを起こしていたため、運転士がこの遅れを取り戻そうと制限速度を越える運転を余儀なくされたとされる。福知山線は過密なダイヤグラムの元で運営されていたため、わずかな遅れで後の列車にも大きく影響するため、遅れることが許されなかったという背景も関係している。

せり上がり脱線説

運転士が、カーブ手前でそれに気づき非常ブレーキをかけたために(後に否定される)車輪のフランジとレールとの間で非常に強い摩擦力が起き、車輪がせり上がって脱線した「せり上がり脱線」が起こり事故がおきたという見方もある。しかしながら、通常のせり上がり脱線が発生するためには車輪に非常に高い横圧がかかることが必要で、現場の半径300メートルのカーブ程度では通常は考えにくい。

とはいえ、現場の枕木に残された走行痕からせり上がり脱線(乗り上がり脱線)も同時に起きていたのではないかと考えられている。転覆に至る過程において車軸が傾いたことによってレールに対する実効フランジ高が減少し、比較的低い横圧でもせり上がり、それが副次的要因となって脱線に至ったのではないかというものである。

横転脱線説

速度超過の事実が知られていなかった初期の段階では、上記に示したとおり「非常ブレーキ」の作動によって列車のバランスが崩れ、進行方向(尼崎方面)向かって右側の車輪が浮き上がりそのまま左側に倒れ込んだ「横転脱線」ではないかとする見方があった。しかし、前述のとおり、乗務員が使用したのは「常用ブレーキ」であり、「非常ブレーキ」が作動したのは脱線によって連結器が破損した後であると判明している。

その後、非常ブレーキの使用は否定されたが、一方でかなりの速度超過があったことが確実視されるようになり、カーブによる遠心力そのものによって横転が発生したとされるようになった。

油圧ダンパー(ヨーダンパー)故障説

複数の乗客から「油くさい臭いがした」「異常な揺れを感じた」との証言があり、事故発生直前に車掌からも輸送指令に「(揺れがひどく)列車が脱線しそうだ」と無線連絡していたことから、新幹線などの高速車両にも搭載されている横揺れを抑える「油圧ダンパー(ヨーダンパー)」が故障していたのではないかとの説がある。

油圧ダンパーの故障で空気バネをうまく制御できなかった事により、直線区間で異常な揺れが発生し(油圧ダンパーや空気バネが正常であれば高速走行をしても極端な揺れなどは感じない)カーブに入ったときに「空気バネの跳ね返り現象」(油圧ダンパーが故障していたことにより、カーブ突入時に本来内側に傾いたままであるはずの車体がバネの跳ね返りで外側に傾いてしまう現象)が起こり、車体全体が外側に傾いていたときに、たまたま運転士の焦りから通常減速すべきカーブを減速しないで加わった強力な横の重力もあって転覆に至ったのではないかとされている。

油圧ダンパーが故障したとすると、空気バネの制御ができなくなるのと関連してブレーキの制動具合にかなりの影響を与えるという意見がある。つまり、乗客が多い場合と少ない場合で同じ位置に停止させようとすると異なるブレーキ力を働かせなければならないので、その調整を空気バネの制御で行っているのである。今回の事故において空気バネの制御ができなくなっていたとするとブレーキの作動が非常に悪くなっていた可能性があることが専門家から指摘されている。

ただし、本来油圧ダンパーと空気バネは独立したものであり、207系自身、また類似構造の台車を履く221系も当初ヨーダンパーを装備していなかったことから、ブレーキの効き具合にも直接の影響はないといえる。

間接的な原因とされるもの[編集]

JR西日本の経営姿勢が抱える問題[編集]

  • 古くは戦前鉄道省時代、新京阪鉄道P-6形特急電車が東海道本線特急「つばめ」号を併走区間で抜き去った逸話が有名なように、並行する関西私鉄各社との激しい競争に晒されており(全国的に見てもこの地域は競合する区間が特に多い)、その後の日本国有鉄道(国鉄)大阪鉄道管理局時代において新快速列車が登場するなど、競合する私鉄各社への対抗意識が強かったとされ、民営化後はJR西日本社員の間でもその意識が加速したとされる。
  • 私鉄各社との競争に打ち勝つ事を意識する余り、ダイヤ上での余裕を切り詰めてスピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加など、旅客に好感を与えるサービスや目の前の利益を優先した反面、安全対策についてはあまり重要視しなかった面があると考えられる。しかし、会社が収益を追求するというのは当然のことであるのも事実である。
  • また、同社においては、先述の競争の激しさや、長大路線を抱えている点が、ダイヤが乱れた時における乗客かからの苦情殺到をかなり恐れていたとの指摘もある(悪天候などによる、鉄道会社の責任の範囲を超えるダイヤの乱れが発生した時でも、乗客が駅員に文句を並び立てる光景は全国各地で見られる)。しかし、この点については、我々、利用者側の意識の問題であり、我々乗客が今回の事故において、反省・意識改革をすべき問題の一つである。悪天候時には、列車の制動力が低下し、自然と制動距離が長くなるため、通常より低速走行区間が長くなる。そのことによるダイヤの遅延は、むしろ必然的といえよう。我々は、それを「安全運行がゆえの遅れ」だと、しっかり理解しなくてはならない。
  • 同社の安全設備投資に対する動きが鈍かった背景には、先述の私鉄各社とのサービス競争を優先させたほか、阪神・淡路大震災で一部の施設が全壊ないし半壊する等の被害を受けたり山陽新幹線コンクリート崩落問題などで多額の支出を強いられたこと、東日本旅客鉄道(JR東日本)や東海旅客鉄道(JR東海)と比べてドル箱となる路線が少なかったこと(こちらも参照)に加えて、外国人を中心とした一部の株主が、同社の利益に対する配当を優先させる要求に出たこと(これが原因となって、同社の赤字ローカル線において、工事に伴う昼間時運休や、一部区間で極端な低速運転を行なわざるを得なくなるなどの影響が出たのは有名である)などが挙げられる。
  • そもそも国鉄分割民営化に至ったのは、国鉄組織における管理側と一部労組との激しい対立による深刻なまでの機能不全に陥った事が大きな原因の一つとされているが(酷い例になると飲酒乗務による衝突事故なども起こった)、その反動からか、社内の綱紀粛正を徹底させる余りに強権的な労務管理に至った、と言う一面も遠因との見方もある。
  • 一部報道機関などには「この事件の背景にある、日本という国の体制自体が問題である」と述べているものもある。また、上述のようにJRの前身が日本国有鉄道であったことなどから、半ば強引な手段で行われた国鉄分割民営化が利益優先主義を確立させ、赤字路線を多く抱える地域を担当することになったJR西日本が必然的に利益を生み出そうとした結果、安全性が損なわれたとの見解を述べる人もいる。特に動労千葉はこの事を現在も強く主張している。
しかしながら、安全性を確保しながら黒字を計上している日本の民間鉄道事業者も確実に存在し、例えJR西日本以上の赤字経営であっても十分な安全性を確保している事業者もまた確実に存在する。従ってJR西日本の経営姿勢に関する問題については、「民営化自体に問題があるのではなく、誤った方法で利益を上げようとしたJR西日本の体質が問題であり、これを改善していくことが今後の課題である」という見解に落ち着きつつある。

ダイヤ面での問題[編集]

  • 事故発生路線のJR福知山線(JR宝塚線)においても、阪急電鉄の主要な複数の路線(宝塚本線神戸本線伊丹線)と競合しており、他の競合する路線対抗策と同様に、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされる。
  • 元々、全体的に余裕の無いダイヤであった上、停車駅が増加したのにも係わらず、所要時間はダイヤ改正前と同じとなっていた為、制限速度を超えての運行と遅延が常態的であった。特に該当列車においては、他の時間の列車よりも速いダイヤ(時刻表上、宝塚~尼崎間では福知山線の全ての快速列車の中で最速)で、事故発生区間である塚口~尼崎間でそれが顕著であった。また、事故調査委員会による運行データの分析により、宝塚駅を事故列車(宝塚駅9:03発(当時))に先行して発車する新大阪行きの特急「北近畿」6号(列車番号3016M、宝塚駅9:02発(当時))が、平均で約1分恒常的に遅延して運行されていたことが判明している。
  • 事故調委が全国のJR・私鉄・公営鉄道事業者のダイヤを調べたところ、余裕時間の無いダイヤを組んでいたのはJR西日本だけであった。
路線の設備での問題
  • 当該事故発生前は運行本数が多く、速度も比較的高い大都市近郊路線であるにもかかわらず、速度照査用の設備が設置されていなかった。ATS-SW形式でも信号とは独立の速度照査機能を付加して、必要箇所に地上子対を設置すれば、速度超過に対する緊急停止機能が動作する。有名な例としてはJR東海の主要路線でこの形式(ATS-ST)が採用されていることが挙げられる。
  • 過去の線路付け替えで曲線半径が小さくなった。マンション前は軌道敷地内であるが、この場所はもともと下り線のみの区間であり、上り線は現場となったマンションを挟んだ東側にあった。JR東西線との直通に対応した尼崎駅の改良に伴い、下り線に併設されていた尼崎市場への貨物線跡地等を利用する形で現在の上り線が敷設された。この時点でJR東西線区間には新型ATSが設置されたが、福知山線においては付け替え区間を含めて設置されなかった。
  • 事故発生現場の半径300メートルのカーブに脱線防止ガードは設置されていない。国土交通省の定める脱線防止ガードの設置基準にも該当しない。ただし、脱線防止ガードがあったとしても、本事故のように極端な速度超過による転覆脱線を起こした場合はほとんど効果が期待できない。
  • カーブでの高速運転をするためにカントを付けるが現場は緩和曲線長が短くて上限105mmより少ない97mmなのでその分制限速度が5キロ少ない。半径300メートルでカント105mm(上限値)では制限速度は75キロ。従前の「本則」では60km/h~65km/h。

メカニズム面[編集]

  • 207系7両編成の前4両(0番台・Z16編成/日立製作所製)と後3両(1000番台・S18編成/近畿車輛製)では、主電動機(モーター)の出力などの性能に微妙な差異がある(0番台は155kW・1000番台は200kW)。また、制御装置にも違いがあり、前4両のうちのモハ207-31・モハ206-17には三菱電機パワートランジスタ(PTr)素子使用のVVVFインバータ制御装置を、後ろ3両ではクモハ207-1033に東芝GTO素子使用のVVVFインバータ制御装置を搭載していた。ただし、同社の場合、他にも界磁添加励磁制御221系とインバータ制御の223系1000・2000番台との全く異なる制御方式の系列同士の併結運転が行われている事や(新快速系統の223系列への置き換えの過渡期に多々見られ、現在でも稀に見られる)、私鉄各社でも制御方式の全く異なる車両を併結させることは珍しくなく、必ずしもこれが事故原因になるわけではない。
  • 車両によってブレーキの効き方に違いがあり、事故車の先頭車は特に癖のある車両だったとの運転士の証言がある(前4両のZ16編成は、パワートランジスタを搭載していたためブレーキを作動させると他の車両より違和感がある)。ただしこれも上記の通り、ブレーキ読み替え装置を使っての電磁直通ブレーキ・単純発電ブレーキの旧型車と電気指令式空気ブレーキ回生ブレーキの新世代車を連結して高速運転している例は多くあり、各鉄道会社の運転士からは「(特定の編成または複数の編成の組み合わせによっては)癖があって正確に停車させるにも苦労する」という話は多数あれど、それが直接的・間接的要因となって発生した事故は皆無であり、必ずしもこれが直接の事故原因になったわけではない。
  • 「使用している鉄道車両の台車がヨーダンパ付ボルスタレス台車(端梁なし台車DT50・TR235)であって、ねじれに弱い」と鉄道評論家の川島令三などが指摘している。そのねじれによりヨーダンパが跳ね上げ運動を起こし脱線した可能性もある。京成京急京阪・阪急などでは、台車は安全上軽量化すべき箇所ではないという考え方からボルスタアンカ付の台車を採用している。しかし一方で、軟弱地盤を抱えながらも高速運転を行っている東武鉄道では、古くからボルスタレス台車が使用されてきた他、鉄道ジャーナルに鉄道評論家・交通研究家の久保田博による反論文が掲載された。上と同様、ボルスタレス台車が直接的・間接的要因となって発生したとされる重大事故は今のところ皆無であり、必ずしもこれが直接の事故原因になったわけではない。

車体面[編集]

  • もともと事故を起こした207系車両はJR東西線の地下部分に対応できるようステンレス鋼製で、従来の重い普通鋼製と比べると車体前面からの衝撃には強いが側面からの衝撃に弱いと言う報道が相次いだ。しかし、一般的に、長尺物はその材質に関わらず側面方向の衝撃が一点にかかるとそこにエネルギーが集中するので破壊がおきやすい(飲料水などの金属製の缶類がわかり易い例として挙げられる)。ステンレス鋼自体も普通鋼と比べると、鋼板の粘りなどで有利な面もあり、一概に強度が弱いとは言えないと言う反論もある。また、錆が出ないため経年劣化が著しく少ない点でも有利である(例:東急7000系をVVVF改造するときに車体がどれほど劣化しているかを調べたところ、新造当初と比べてほとんど劣化がなかったとさえ言われている)。また、207系車両は従来の車両に近い構造の車体設計となっており、普通鋼製の車両とほとんど強度は変わらないと推測される。また、209系を嚆矢とし、後に登場した同社の223系2000番台や321系において採用された軽量構造についても、製造コスト削減と量産体制の簡素化を図りながら、従来の車両と同等の強度を確保する事を両立させるため、梁を省略する代わりに車体側板の強度を上げる事により、車体全体を支える設計思想に基づく車体構造となっている(これはJR東日本の209系以降の通勤・近郊形車両でも、ほぼ同じ設計思想である)。実際に同年12月25日に発生したJR羽越本線の特急脱線転覆事故でも、国鉄時代に製造された、旧来の普通鋼製車体の485系3000番台車両の一部が『く』の字型に折れ曲がると言う結果からも、このような状況では車体側面強度への批判は殆ど意味をなさない(要はこのような状況を未然に防ぐシステムの構築のほうが遥かに重要)という見解に落ち着きつつある。
  • また、近年の電車系列における、高出力の電動車を少数連結して付随車比率を高めた編成形式が、脱線した編成の先頭車が主電動機を積んでいなかったことや、先述の軽量ステンレス車体と相まって脱線を容易にさせ、その反省として事故後しばらくしてデビューした321系では電動車比率を上げた、との報道も相次いだ。しかし、その321系の設計時点から、電動車比率を上げる代わりに電動車一両あたりの主電動機の数を従来の半分としており、該当事故前に既に製造が開始されていたことや、事故を受けて設計変更を行う時間を考えれば、これらの報道は正確とは言い難いという批判もある。

保守面[編集]

  • 車輌のメンテナンスが大味であるとの指摘もある。ほかの鉄道会社の車両でも日常的におこっている車輪が滑走した際にできる偏磨耗の補修放置が最たる例で、放置すればするほどに車輪が真円でなくなり(「フラット」と呼ばれる)、走行中に非常に耳障りな音と振動がでる。裏を返せばそれだけの負担を車輌にかけなければならない運行体制であるともいえる。但し、この傾向は他のJR各社でも多かれ少なかれ見られる面もある。
  • 4年に1度速度計の精度を検査するよう義務付けられているにもかかわらず、車両メーカーからの納入後1度も検査していなかったことがわかる。2%までの誤差は許容範囲とされているが、事故車輛では3~4%の誤差があった可能性があるという。ただし、仮にそのような誤差があったとしても、事故発生当時の現場の制限速度(70km/h)に4%の誤差を加味してさえ約73km/hに過ぎず、これで事故が発生すれば発生現場での速度制限値自体の問題となり、該当事故の直接的な原因にはならなかったとの見方が強い。
  • 事故車輌と同じ「207系」のブレーキホースを使用期限が過ぎた後も使用し続けていた事が明らかとなった。安全第一・本業(鉄道業)重視を合言葉に組織改革を進めていた最中に、またしてもずさんな管理体制が浮き彫りとなった。(※ホースはゴム製で、劣化により破断してもかつての事故例のようにはならず、非常ブレーキがかかる仕組みになっている)

事故乗務員の問題[編集]

  • 事故を起こした運転士は運転歴11ヵ月で、運転技術や勤務姿勢が未熟であった可能性がある。この背景には、国鉄分割民営化後の人員削減策で、特にJR西日本においては他のJR各社と比べると長期間にわたって職員の新規採用者を絞り、定年退職者がまとまった数になったのを契機に採用者を増やしたため、運転士の年齢構成に偏ったばらつきが出て、運転技術を教える中堅およびベテラン運転士が少なくなったと言われている。
  • 始発である宝塚駅の構内へと進入する際、ATS(自動列車停止装置)が作動し、本来の停車位置より手前に停車。修正しようと進行し、今度は本来の停車位置をオーバーランするなどトラブルを起こしていた。また、同駅で車掌とのコンタクトを取らなかった。
  • その後、伊丹駅で起こした70mのオーバーランについて、運転士が車掌に依頼し、当初は8mのオーバーランと過少申告したとされている。このオーバーランについて、運転士は事故を起こす30秒前に運転指令所と車掌との無線連絡を聞いており、その内容は指令所から「1分以上の遅れについて遅れを取り戻すように」と何度も催促するものであった。この指示が運転士への心理的圧力の一つとなったとも指摘される一方、残された記録によるとカーブ直前であるにも関わらず無線連絡が行なわれていた間に一切の運転操作が行なわれていなかったことから、この無線連絡の内容に運転士が気を取られて運転への集中力が削がれたのではないかとする見方もある。
  • その後、尼崎駅JR神戸線の列車と相互連絡するため、自らのミスによる約2分のダイヤの遅れを取り戻そうとしていた事が、速度制限を大幅に超過する運転行為に繋がったとされる。
日勤教育の問題
  • 目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として、日勤教育と称して再教育などの実務に関連したものではない懲罰的な処置を科していた。これが十分な再発防止の教育効果に繋がらず、却って乗務員のプレッシャーを増大させていたとの指摘も受けている。この日勤教育については、事故が起こる半年前の国会において議員より「重大事故を起こしかねない」として追求されており、事故後は「事故の大きな原因の一つである」と、多くのメディアで取り上げられることになった。事故を起こした当該運転士は過去に運転ミスなどで3回日勤教育を受けていたが、事故直前の行動からみて、何らかの注意障害(ADHDアスペルガー症候群など)を抱えていた可能性があるという心理学上の見地による指摘もある。また、当該運転士が事故前年に受けた日勤教育では「回復運転ができなかった」ことを上司に咎められていたという報道もあり、これが事実であるならば、このことが回復運転を行う意識を当時一層強めていた可能性を否定できない。
  • 会社側としての適切なフォロー(採用時の社員の適性チェックや、業務の適性に合わない者に対する配置換えなど)が欠けていたが為に、過去のミスの事例を詳細に分析する事を怠った結果、事故を未然に防げなかったとの見方もあるが、現在に至るまで、JR西日本の日勤教育が事故の因果関係になったとの明確な立証はされていない。しかし、会社側は世論からの批判を受けて「日勤教育を含めた労務管理の在り方について検討を進める」と表明している。

その他の問題[編集]

  • JR西日本が絡んだ重大な列車事故として、1991年5月に発生した信楽高原鐵道での同社線内列車とJR西日本からの直通列車との正面衝突事故があり、その事故においてJR西日本には直通運転を行なう信楽高原鐵道に全く連絡しないまま同線に関わる信号システムを改変するなどの行為があったとされたが、結局刑事訴追はされないままに終わった。当該事故と性質は大きく異なるものの、先の事故を起こした体質に対する反省がなされぬまま、再び当該事故を招くことになったとの指摘がある。
  • 同電車にJR西日本の運転士が2人乗車していたが、運転区長の業務優先や大阪支社長の講演会への出席の指示により救助活動を行わなかった。ただし、乗務を控えていた運転士については、そのまま出社しなければ該当線区で列車の運休など(それに伴う会社からの処分や乗客からの苦情)が発生していた可能性があり、本人や運転区長らのみの責任を追求するのはやや酷であるとも言える。
  • 事故当日に同社社員が救助や阪神・淡路大震災以来の待機体制である「第1種A体制」を優先せずにボウリング大会などの懇親行事を取りやめずに開催して、時間とともに事故の規模が判明していき犠牲者も増えているのにもかかわらず中止しなかった。この一件は後述のマスコミ各社の報道で大きく取り上げられたが、そのような行事を中止すること(またはそれを促す発言をすること)が「規律を乱す」として処分の理由になるという報道もあり、会社自体の体質に根深い問題があることを伺わせる。
  • 事故後の調査で、JR西日本管内のATSやカーブなどの制限速度の設定を誤っていた箇所が多数確認された。
  • この事故の影響で福知山線内で10編成超の車両が閉じ込められ通勤電車の車両不足が発生した。JR東日本で余剰となっていた103系電車8両を購入することとなった。
  • 同電車の車掌は防護無線を発報させたつもりであったが、装置は正常に作動していなかった。緊急時には常用側から非常側に電源スイッチを切り替えるよう指導は受けていたが、切り替えないと防護無線装置と緊急列車防護装置が働かないことは乗務員に知らされていなかった。なお、車掌がいた乗務員室に設置されていた防護無線装置および緊急列車防護装置に事故による故障はなかった。
路線の周辺環境
  • 電車が激突したマンションは2002年11月下旬に建てられた。
  • 線路とマンション間の距離は6mに満たなかった。海外メディアは事故当初、この点について強く指摘していたが、日本の都会の土地・住宅事情を考慮すればやむを得ないことであり、そのような場所は日本全国に無数に存在している。
  • フランスTGVでは、開業当時の線路と最寄の住居の距離は150mだった。

原因とは考えられなくなったもの[編集]

乗用車衝突説

事故発生当初は、現場に大破した乗用車の存在と列車の脱線の事実のみが伝わったことから、「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そしてJR西日本が当初「踏切内での乗用車との衝突事故」と発表したため、報道各社はこのJR西日本発表を流した。しかし、塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在しておらず、また乗用車が近隣の建造物や立体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから否定される。報道各社はJRが発表しているとの理由で、テロップや配信ニュースでは乗用車との衝突事故との表現が続けられ、乗用車との衝突が否定された後も誤った情報を流しつづけた事をすぐに説明しなかった。

線路置石説

JR西日本は事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で「粉砕痕」の写真を報道機関に見せるなどして、「置石」による事故を示唆した。しかし、事故列車の直前に大阪方面へ向かう特急「北近畿」6号が通過するなど列車の往来が激しい区間であることや、当初「置石」があった証拠として挙げられたレール上の「粉砕痕」は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んで出来たものと考えるのが自然である」との見解が出されたことにより、この説は否定された。また、JR西日本の置石説発表後に国土交通省が置石説を否定する発言を行ったためにJR西日本も置石説を撤回する発言を行う。

なお、この発表による模倣犯も発生している。

なお、粉砕痕そのものへは事故調も関心を寄せており、2006年2月17日茨城県つくば市日本自動車研究所で再現実験を行なっている。

非常ブレーキ説

カーブ通過中に運転士が非常ブレーキをかけて車輪が滑走した場合、車輪フランジの機能が低下して脱線に至る可能性が大きいという説があり、当初、非常ブレーキを掛けなければ脱線および横転の可能性は少なかったといわれた。 のちの解析の結果、運転士はカーブ進入後車体が傾きだしていたにもかかわらず常用ブレーキを使用していたことが判明。非常ブレーキは脱線・衝突の衝撃で連結器が破損したことによって作動していた。(走行中に連結器が開放されると、非常ブレーキが自動的に作動する構造となっている)

また、それ以前に運転士が数回にわたって非常ブレーキを掛けていた原因は、0番台の車両と1000番台の車両のブレーキの掛かり方の違いによるものであるという見方もある。0番台と1000番台ではブレーキの動作が違っているため、207系の運転経験がある運転士は、他系列とは違って20メートルほど手前から転がして微調整をかけるような運転の仕方が必要と話す。

被害[編集]

事故での人的被害は、運転士1名を含む107名が死亡、555名が負傷した。このうち死亡または重症となった者の多くが、大破した列車1両目及び2両目に乗車していた。死亡原因としては多発外傷窒息によるものが多く、他に圧死挫滅症候群(クラッシュ症候群)も見られた。死亡者数の数だけで見ても、日本の鉄道史上では事故発生時で7番目の数であり、鉄道事故として非常に大規模なものであった。

物的被害は、架線や支柱といった鉄道設備が一部損壊したほか、列車が脱線後マンションへ衝突したために衝突したマンションの1階部分のの損壊や、駐車してあった乗用車が大破するなどといった鉄道設備以外の器物の損壊もあった。

事故の後では、事故では負傷しなかった同列車の乗客やマンション住人、救助作業に参加した周辺住民などが心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したほか、事故により負傷した人や、死亡した人の周囲へ多大な影響を与えた。

またこの事故が発生した瞬間から福知山線が運休となったため、事故が発生した日には福知山線の各駅で乗車待ちの人で溢れ、駅は混乱した。列車の運転が再開するまでの間では福知山線を利用していた人は代替の交通機関を使わざるを得なくなり、移動の時間や運賃が多く掛かるようになったほか、これらの人が代替の交通機関に集中したために代替となった交通機関が混雑することとなった。運転再開は事故から2ヶ月近く経ってからであり、その間に人の流れが変化したため福知山線沿線の商店街では利用者が激減し、閉店となった店舗も見られた。

事故直後の対応[編集]

ダイヤ[編集]

路線・車両設備[編集]

事故乗務員[編集]

経営姿勢[編集]

運休から運転再開へ[編集]

この事故により福知山線の宝塚駅~尼崎駅間で運転が休止された。また、同線を経由する形で運行されている特急列車(北近畿、文殊タンゴエクスプローラー)も福知山駅以北の区間のみの運行となった。なお運休による減収は1日約3000万円と見込まれている。

復旧工事は同年5月31日から開始された。その後、同年6月7日から試運転を開始。2006年3月までの暫定的な運転ダイヤを提出し、同年6月19日午前5時、55日ぶりの全線運転再開となった。またこの暫定改正で、ATS-Pに対応していないJR117系と北近畿タンゴ鉄道KTR001形は同線の運用からはずれ、117系は湖西線などに移り、山陽本線や阪和線、湖西線で運用されていた113系が暫定的転属をした。また、KTR001形はタンゴディスカバリー用だったKTR8000形が『タンゴエクスプローラー』と書かれたステッカーをドア横に貼り運用に入っている。

振り替え輸送[編集]

福知山線の運転休止期間中、福知山線沿線である三田宝塚川西伊丹周辺と、大阪神戸周辺を結ぶ経路において、振り替え輸送が実施された。

事故後、福知山線利用者の多くはほぼ並行している阪急電鉄の振り替え輸送を利用し、事故から約1ヶ月後の5月23日には阪急電鉄が1日平均で約12万人の乗客を振り替え輸送していることを発表した。

阪急電鉄を利用する方法で大阪と宝塚の間を移動する場合、所要時間そのものは福知山線を利用した場合に比べて約10分多く要する程度であるが、これに乗車駅や降車駅での乗り換え・乗り継ぎに要する時間がそれぞれ加わることによって、合計で20~30分程度の時間が余分に必要となり、通勤・通学など利用者の大きな障害となる。

また、振り替え輸送を行った路線では、事故以前からの既存利用者にも列車・バスの車内や駅などの混雑という形で影響が及び、大型連休が明けた5月9日からは、混雑緩和のため阪神電気鉄道や同線に至る路線などが新たに追加された。

区間[編集]

  • 阪急バス
    • 尼崎線(56系統):川西バスターミナル~阪神尼崎(2005年5月9日~)
  • 阪神電鉄バス
    • 尼崎宝塚線:宝塚~阪神尼崎(2005年5月9日~)
    • 杭瀬宝塚線:宝塚~阪神尼崎駅北(2005年5月9日~)

不通特約[編集]

振り替え輸送の他にも不通特約の乗車券を発行する措置もした。不通特約乗車券とは、みどりの窓口の駅員が普通の乗車券に赤いペンによる手書きで「不通特約」と記入した乗車券である。この乗車券は福知山線経由と同じ運賃山陰本線神戸線など他の路線を経由して目的地まで向かう事が出来る。主に宝塚~尼崎間をまたぐ長距離の利用客に発行された。

具体例として、山陰本線京都駅経由の新大阪福知山がある。

復旧工事[編集]

復旧工事は5月30日午前8時から始まる予定であった。しかし、周辺の住民の同意を十分に得ないまま工事が行われようとしたとして一部から抗議が寄せられたため、工事は午前9時頃から中断し、30日の工事は中止になった。30日はJR西日本の担当者が周辺の住民を戸別訪問し了解を取る作業を続ける。住民の同意が得られたとして工事が31日午後1時から始まり6月3日に終わる。そして、住民への戸別訪問による工事終了の説明をして完了する。

試験運転[編集]

6月7日以降に行われた。7日には221系網干総合車両所A9編成・201系同所明石品質管理センターC32編成による走行試験、8日には207系同所F1編成によるATS-P作動試験が行われた。

運転再開[編集]

  • 6月19日に宝塚~尼崎間で運転が再開された。しかし一部からは「まだ原因もはっきりしていないのに運転再開とはどういうことか」等といった反発もある。
  • ダイヤは事故前から大きく変更されて快速電車の朝ラッシュ時間帯の所要時間はおよそ1分30秒伸ばされ20分になる。
  • 当面の間宝塚~尼崎間の最高速度は120km/hから95km/hに、また遺族や近隣住民への配慮の点から事故のあったカーブの制限速度は70km/hから60km/hにそれぞれ引き下げられた。実際の列車走行時には更にそれより低い速度で運転される事も珍しくない。
  • 尼崎~新三田間に拠点P方式のATS-Pが導入され、6月19日から運用を開始する。従来のATS-SWも存置されているが、速度照査用地上子が設置され、事故現場に於いてATS-SWでの速度照査も開始された。(詳細はJR西日本の速度照査に記載)
  • 再開翌日の夕方、現場のカーブを通過しようとした特急列車「北近畿15号」が速度超過により緊急停車した。場所が場所、時期が時期なだけに報道陣の目の前での停車となって、皮肉にも速度照査機能が正常に作動した事を証明した形となる。即日のうちに、国交省より注意を受ける。

事故による影響[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]