利用者:阿部信二/sandbox
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東京慈恵会医科大学葛飾医療センター | |
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ファイル:Jikei University Katsushika Medical Center.JPG | |
情報 | |
英語名称 | Jikei University Katsushika Medical Center |
前身 |
大島病院中川診療所 東京慈恵会医科大学附属中川堤診療所 東京慈恵会医科大学附属東京病院分院青砥病院 東京慈恵会医科大学附属病院青戸分院 |
標榜診療科 | 内科、消化器科、循環器科、呼吸器科、神経内科、精神科、小児科、外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、放射線科、麻酔科、リハビリテーション科 |
許可病床数 |
365床 一般病床:365床 |
職員数 | 675 |
管理者 | 伊藤洋(病院長) |
開設年月日 | 1943年 |
所在地 |
〒125-8506 |
位置 | 北緯35度45分8.5秒 東経139度51分29.5秒 / 北緯35.752361度 東経139.858194度 |
二次医療圏 | 区東北部 |
PJ 医療機関 |
東京慈恵会医科大学葛飾医療センター (とうきょうじけいかいいかだいがくかつしかいりょうせんたー)は、東京都葛飾区青戸6-41-2にある東京慈恵会医科大学の附属病院である。略称は、慈恵医大葛飾医療センター。2012年1月に旧青戸病院から名称が変更になった。病院の基本理念は、「『病気を診ずして、病人を診よ』の教えに基づき、質の高い医療を実践し、医療人を育成することにより、社会に貢献し、患者さんや家族から信頼される病院をめざす」。
歴史
[編集]- 1938年3月 大島貫一が、結核の入院治療を目的とする大島病院中川診療所を開院。
- 1943年10月 東京慈恵会医科大学の附属病院となり、東京慈恵会医科大学附属中川堤診療所と改称。
- 1946年7月 総合病院化を行い、東京慈恵会医科大学附属東京病院分院青砥病院と改称。
- 1946年10月19日 東京慈恵会医科大学附属東京病院分院青砥病院「開院式」挙行。
- 1963年12月 東京慈恵会医科大学附属病院青戸分院と改称。
- 1986年4月 東京慈恵会医科大学附属青戸病院と改称。
- 2002年11月 慈恵医大青戸病院事件。
- 2012年1月 東京慈恵会医科大学葛飾医療センターと改称
診療科
[編集]医療機関の指定等
[編集]- 保険医療機関
- 救急告示医療機関
- 休日・全夜間診療事業実施医療機関(内科系、小児科、外科系)
- 労災保険指定医療機関
- 指定自立支援医療機関(更生医療・育成医療・精神通院医療)
- 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関
- 精神保健指定医の配置されている医療機関
- 生活保護法指定医療機関
- 結核指定医療機関
- 戦傷病者特別援護法指定医療機関
- 原子爆弾被害者一般疾病医療取扱医療機関
- 公害医療機関
- 母体保護法指定医の配置されている医療機関
- 災害拠点病院
- 臨床研修指定病院
- 臨床修練指定病院
- DPC対象病院
その他
[編集]東京慈恵会医科大学の創設者である高木兼寛は、「脚気」の予防策として白米に麦を混合する「麦ごはん」を考案したことで知られる。入院をすると週1回程度「麦ごはん」が出される。