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利用者:Asturio Cantabrio/sandbox

四辻
八幡神社
八幡神社
日本の旗 日本
都道府県 京都府
市町村 与謝野町
大字 四辻
人口
(2015年国勢調査)
 • 合計 1,236人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
629-2312

四辻(よつつじ)は、京都府与謝郡与謝野町大字。2015年(平成27年)時点の人口は1236人。

地理[編集]

四辻がある加悦谷

野田川が形成した加悦谷の北西部に位置する[1]野田川町の中央部に位置し、大宮町と接している[2]

西には幾地が、南には三河内がある。集落の東側を南北に野田川が流れており、北側には鳶ケ尾山地がある[2]。かつて野田川の川岸には川船の発着所があった[2]

河川

歴史[編集]

近世[編集]

江戸時代には丹後国与謝郡四辻村であり、当初は宮津藩領だったが、寛文6年(1666年)に幕府領、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に幕府領、天和元年(1681年)に宮津藩領と遷移した[1]。村高は『慶長郷村帳』や『延宝郷村帳』によると738石余、『天和村々高帳』や『宝永村々辻高帳』や『享保郷村帳』や『天保郷帳』や『旧高旧領』によると1009石余だった[1]。天明年間(1781年~1789年)には亀山橋に野田川舟運の積出場があった[1]

江戸時代の加悦谷は機業が盛んだった。寛政元年(1789年)の『四ツ辻村差出帳』によると、戸数は106戸、人口は440人であり、うち百姓43軒、縮緬屋17軒、小商人10軒、小宿屋5軒、鍛冶屋4軒などだった[3]。天保年間(1830年~1844年)の戸数は139戸、人口は536人であり、うち百姓54軒、医者1軒、酒造家1軒、縮緬屋25軒、小商人4軒、筬屋2軒、小宿屋3軒、大工2軒、木枕1軒、桶屋2軒などだった[3]

近代[編集]

1927年の北丹後地震における四辻の被害

幕末の戸数は115戸であり、人口は557人だった。1869年(明治2年)の戸数は114戸であり、人口は550人だった[1]。1871年(明治4年)には宮津県に属し、その後豊岡県を経て、1876年(明治9年)に京都府の所属で落ち着いた[1]。1874年(明治7年)には宝泉寺に学校が設立され、1880年(明治13年)には幾地小学校となった[1]

1888年(明治21年)の戸数は150戸だった。1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、四辻村・幾地村・岩屋村が合併して与謝郡市場村が発足した[1]。市場村の大字として四辻が置かれている[1]

1896年(明治29年)には丹後銀行が開設されたが、1921年(大正10年)には宮津銀行と合併した[1]。1926年(大正15年)には加悦鉄道が開業し、四辻には丹後四辻駅が開設された[1]。1927年(昭和2年)3月7日に発生した北丹後地震では、四辻の多くの民家が焼失した[1]

現代[編集]

1955年(昭和30年)3月1日、市場村・三河内村岩屋村山田村石川村が合併して野田川町が発足した。野田川町の大字として四辻が置かれている。戦前から昭和40年代初頭にかけて、四辻には劇場・映画館の市場劇場があった[4][5][6]。1964年(昭和39年)の『映画便覧』によると経営者は矢野豊雲であり、木造2階建で定員350の映画館だった[7]。『映画便覧』には1967年(昭和42年)版まで掲載されている。

1982年(昭和57年)時点の世帯数は398世帯、人口は1547人[2]。1985年(昭和60年)5月1日には加悦鉄道が廃止された[8]。2006年(平成18年)3月1日、野田川町・加悦町岩滝町の3町が合併して与謝野町が発足した。与謝野町の大字として四辻が置かれている。

交通[編集]

丹後四辻駅跡(1992年)

道路[編集]

南北に通る宮津街道と東西に通る出石街道(但馬街道)の交差部にあることが地名の由来である[1]

鉄道[編集]

かつては京都府道2号に沿って加悦鉄道が走り、四辻には丹後四辻駅があった[2]。加悦鉄道は1926年(大正15年)に開業し、1985年(昭和60年)に廃線となった。

施設[編集]

与謝野町立江陽中学校

名所・旧跡・観光スポット[編集]

八幡神社の狛鯛と恵比須社
  • 愛宕山古墳 - 竪穴式石室を有する円墳
  • 八幡神社 - 社格は旧村社。祭神は誉田別命[3]。江戸時代には八幡菩薩と称しており、宝泉寺が別当職にあった[3]。社殿向かって右側にある総高2.48メートルの石灯籠が重要文化財[9]南北朝時代の永和4年(1378年)の銘があり、丹後型八角石灯籠の典型例とされる。境内末社の恵比須社の本殿は与謝野町指定文化財。恵比須社の前には鯛の狛犬である狛鯛がある。小字上谷の丘陵上にある[3]
  • 宝泉寺 - 曹洞宗の寺院[1]。山号は八幡山[3]。本尊は千手観音菩薩[3]。江戸時代までは八幡神社の別当職にあった[3]
  • 四辻城址 - 中世の山城。赤井五郎や赤井平治の城跡と伝わる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年、p.1477
  2. ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年、p.703
  3. ^ a b c d e f g h 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年、pp.720-721
  4. ^ 中村留蔵『与謝年鑑 昭和二十八年版』橋立新聞社、1953年、pp.159-160
  5. ^ 山添輝一『四辻郷土史』八幡神社社務所、1956年、p.254
  6. ^ 文献において市場劇場は四辻にあったとされるが、現在の幾地にあった。
  7. ^ 『映画年鑑 1964年版 別冊 映画便覧 1964』時事通信社、1964年。
  8. ^ 「加悦鉄道 30日限りで廃止」『交通新聞』1985年4月19日
  9. ^ 石燈籠 国指定文化財等データベース

参考文献[編集]

  • 『与謝郡誌』与謝郡小学校長会、1936年
  • 山添輝一『四辻郷土史』八幡神社社務所、1956年
  • 野田川町誌編集委員会『野田川町誌』 野田川町、1969年
  • 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年

外部リンク[編集]

{{DEFAULTSORT:よつつし}} [[Category:与謝野町の地理]]