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利用者:Iso10970/sandbox

碧血碑
材質
寸法高さ約7メートル
製作1875年
所蔵函館市谷地頭町1Lua エラー モジュール:Mapframe 内、361 行目: bad argument #1 to 'isValidEntityId' (string expected, got nil)

碧血碑(へきけつひ、へっけつひ[1])は、北海道函館市函館山の麓に明治8年(1875年)5月に建立された戊辰戦争、特に箱館戦争における旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑土方歳三中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っている。

「碧血」とは、『荘子』外物篇の記述「萇弘は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして、化して碧と為る」(萇弘死于蜀,藏其血三年而化為碧)から来ており、忠義を貫いて死んだ者の流した血は、三年経てば地中で宝石の碧玉と化すという伝説にちなむ。

構造

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高さは約7メートル。上部はオベリスク型の石碑で表側に銅製の文字で「碧血碑」と記され、下部は約2メートル四方の石室、台座からなる[2]。裏側には「明治辰巳実有此事 立石山上以厥志(明治元、二年にこの事あり、石を立ててささやかな気持ちを表す)」との文字が刻まれている[3]

石室内には、木製の「霊璽」、おそらく経典が入っていたと思われる箱、過去の慰霊祭で使用した卒塔婆が置かれており、かつては戦死者の遺品の武具なども納められていた模様だが、ほとんどが盗難にあったと言われる[4]。霊璽には「戊辰以来戦死者之霊璽」と記され、箱館戦争だけでなく東北など各地での戦死者を慰霊するものとなっている[5]

およそ6mほどある。碑石は伊豆産の石を使い、東京霊岸島で造り、海路運搬されたものである。碑石の文字は大鳥圭介のものだと言われるが定かではない。

歴史

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柳川熊吉翁之寿碑

箱館・五稜郭の防衛戦で、賊軍とされた旧幕府軍戦死者の遺体は戦闘終結後も埋葬が許されず、斃れた場所に腐敗するまま放置された。哀れに思った箱館の侠客柳川熊吉は遺体を回収して埋葬しようとした。実行寺住職・松尾日隆、大工棟梁・大岡助右衛門と相談し、子分たちに遺体を回収させ、実行寺・称名寺・浄玄寺に仮埋葬した。柳川熊吉は安政3年(1856年)に江戸から箱館へ渡り、請負(人材派遣)業を営み、五稜郭築造工事の際には労働者の供給に貢献した人物。榎本武揚ら幕臣とも交流を持っていた。

賊軍の慰霊を行ってはならないとの明治政府からの命令に反した熊吉は追及を受けたが、熊吉の堂々とした態度に官吏は埋葬を黙認したという。また、新政府軍の薩摩藩士・田島圭蔵は、「これからの日本のために、こういう男を死なせてはならない」と考え、熊吉への打ち首を取り止めさせ、熊吉は無罪釈放となった。

明治4年(1871年)、熊吉は函館山の土地を買い、そこに箱館戦争戦死者を実行寺より改葬した。明治7年(1874年)8月18日に、明治政府が正式に賊軍の汚名を負った者の祭祀を許可すると、箱館戦争の生き残りである榎本武揚、大鳥圭介らが熊吉と協力して、明治8年5月、この碧血碑を建立した。

晩年の熊吉は、碧血碑の傍で余生を過ごしながら、大正2年に89歳で生涯を閉じた。同年、熊吉88歳の米寿に際し、有志らはその義挙を伝えるため、碧血碑の側に碑を建てている。

現代においては、箱館五稜郭祭などに際して碑前で慰霊祭が行われている[1]

アクセス

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函館市電「谷地頭」電停下車、徒歩15分[1]または函館バス「谷地頭」停留所[6]

もう一つの「碧血碑」

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旧幕府軍と松前藩が1868年11月12日に交戦した厚沢部町稲倉石古戦場跡にも、同名の碑が1919年に旧松前藩士により建立されている(ただし鶉ダム建設により古戦場が湖底に沈んだため移設)[7]

脚注

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  1. ^ a b c はこぶら スポット情報 観光スポット「史跡・碑(市内)」碧血碑 へっけつひ(2019年5月19日閲覧)。
  2. ^ 碧血碑物語, pp. 194–195.
  3. ^ 碧血碑物語, p. 201.
  4. ^ 碧血碑物語, p. 195.
  5. ^ 碧血碑物語, p. 193.
  6. ^ 停留場名:Y26 谷地頭 YACHIGASHIRA函館市ホームページ(2019年5月19日閲覧)。
  7. ^ 古戦場稲倉石・碧血碑 - 北海道檜山振興局 2014年4月19日閲覧

参考文献

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  • 西野治敏 著「柳川熊吉」、好川之範、近江幸雄編 編『箱館戦争銘々伝』、287-301頁。ISBN 978-4-404-03471-7 
  • 木村裕俊編 編『復刻版 碧血碑物語』函館碧血会、2018年。 

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯41度45分5.6秒 東経140度42分31.6秒 / 北緯41.751556度 東経140.708778度 / 41.751556; 140.708778

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