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利用者:Kusamura N/sub1

山田 麗子(やまだ れいこ、1939年12月3日 - 2009年5月12日)は、日本の臨床心理判定員言語聴覚士・研究者。臨床心理の専門職が臨床の現場から実証的な研究発表を行うようになった創生期の草分けのひとりである。[1]

経歴[編集]

1939年12月3日生誕。1962年3月、東京女子大学(文理学部心理学科)卒業。同年4月より警視庁科学警察研究所(交通部交通安全研究室)に勤務。1964年9月より国立聴力言語障害センター(同年春に「国立聾唖者厚生施設」から改名[2]。現・国立障害者リハビリテーションセンター)の言語科・心理判定専門職として勤務。 1970年頃から研究発表(論文や学会発表1)を始める[3]1979年に国立聴力言語障害センターが国立身体障害者リハビリテーションセンターに統合され、同センター厚生訓練所指導部相談判定課に勤務。 1986年10月より、同前センター研究所の障害福祉部(心理実験研究室)室長となる。1993年5月からは同センター更正訓練所の指導部・相談判定課で主任心理判定専門職および病院医療相談開発室長を併任する。2000年3月、定年退職。 2003年4月より帝京平成大学の健康メディカル学部教授に就任。2006年2月に退職。2009年5月12日、病気で逝去。[4]

逝去後[編集]

生前は論文発表(#論文リスト)だけで著作を著さなかった山田であったが、2009年の没後に単著・共同著書が編まれ、それぞれの巻末に山田の業績への評価を寄せる特別寄稿が載せられた。                 S・S法

2006年に退官した山田は2007年から2009年にかけて、能智正博(東京大学教授/臨床心理学者[5])のインタビュー(「枠組みの緩い半構造化面接[6]」)を6回にわたって受けている。山田の逝去後、能智はそれらをカテゴリー分析[7]的手法で整理し[補 1]2014年に出版された山田麗子・鳥居修晃・望月登志子・能智正博の共同研究書 (『認知世界の崩壊と再形成』)の最後に、山田に関する書き下ろし文を載せた。

山田麗子の心理臨床研究[編集]

山田の研究は経歴と論文履歴を見ればわかるとおり初期には言語障害・失語症・聴覚障害といった聾唖関連の臨床現場にいた。勤務先センターの統合によって対象者(児)の幅も拡がり、脳障害(脳性まひや脳損傷など)、視覚認知障害などのリハビリテーション療育[8]、研究を行うようになった。この間、東京大学教養学部心理学研究室のスタッフ、大学院生らのグループと連携して、言語発達障害児や脳に損傷を負って国立障害者リハビリセンターを訪れる人びとの機能回復・療育を目指す実践研究を推進した[9]

以下、能智正博執筆の「心理臨床実践とその研究を支えるもの」[10]を元に山田麗子の臨床心理の実践と研究の姿勢についての概要を示す。
(註:「」は能智正博の地文、青枠内はインタビューでの山田麗子自身の言葉、「*」印は引用者補)

心理臨床実践と研究 [編集]

臨床の現場では、反証可能性[11]をもつ「体系的な情報収集と分析」より、具体的・個別的な眼前のクライエント/患者の問題解明(可能であれば解決)への探求が最優先である。従って心理臨床の報告は症例報告(事例研究)が主であったしその重要性は今も変わらない。理論家が動物を使って計画的に行うデータ収集や学会の最先端課題の探求といったものと心理臨床の実践は在りかたが異なるが、そうした臨床実践の場でデータ(質的データ[12])収集をするばあい、「既存の理論的な概念や枠組みを押しつけるのではなく」「クライエント/患者に則した仮説生成・モデル生成」の工夫が必要であり、クライエントの問題探求を置きざりにして「情収収集だけを勝手にやっていけばよい」といった臨床からの逸脱に陥ることなく「クライエント/患者、その他関係者の理解」を丁寧に得ることが重要である。山田は学者との共同研究でそういった配慮の部分を担当することも多く、共同研究をした能智正博は山田に「長年の経験のなかで培われた心理臨床実践と臨床研究の両方にまたがる、「臨床の知」とでも呼ぶべきものの存在」を感じたと記している。[13]
(節名は原文踏襲 *但し小見出し部分は一部改変)

1.「わからなさ」とつきあう[編集]

1-Ⅰ. 対象へのまなざし

クライエント/患者やその家族が心理専門職を訪れるのは、問題や状況の「わからなさ」を抱えているからである。専門職は先行する様々な理論・知識によって問題の枠組みの方向づけを行うこともできるが「施設には、定型の発達からはずれているように見える子どもが紹介されてくる」ことも多く、また「脳損傷を抱えた大人の場合、定型的な障害などというものはなかなかお目にかかること」ができないことから専門職の間では「1人として同じ障害をもつ患者はいない」と言われている。そういったとき経験の浅い心理職が陥りがちなのは「事前情報や教科書的な知識・概念」だけで対象者(児)の行動を理解しようとすることである。しかし枠組みの適用が通用しないときにこそ「心理職の力量」が問われる。山田はインタビューの中で「まず対象者の言葉を慎重に聴き、行動を丁寧に見ながら、従来の常識にとらわれない理解を試みていくこと」を強調し「無理をして一般化したり、慌てて解釈したりすること」への注意・警戒を再三語ったと能智は記している。[14]

1-II. わからなさを許容する環境

解釈を急がず「その手前で立ち止ま」って「わからなさ」に留まりそれを「抱え込む」には制度的な余裕が必要で、そういった土壌が「プログラム化された臨床」などによって現場から失われつつあることを山田は危惧していた。

"クリニカルパス[15]"とかありますでしょう。あの-、要するに、「うちだったら、盲腸の手術は5万円でやりますよ」式の。外国ではずっと前からそうですよね。(略) 一昔前には、やってみなくちゃわからないとか、やりながら患者さんと相談して工夫しながらやってみるとかっていうふうな、ちょっとのんびりしたものがありましたけれども、今はもう(ないですね)。                            (『認知世界の崩壊と再形成』<心理臨床実践とその研究を支えるもの> p.347)_以下、山田の言葉は全て同論より</ref>


医療現場が抱える実情や標準医療の質の向上・効率化などの時代的要請が背景にあり「単純に過去を理想化するこはできない」ことを山田は十分に認めつつ、「リハビリテーションや心理臨床においてすらそうした傾向が強まって」いることに山田は「アンビバレントな思い」をもっていた、と能智は回想している。「「わからない」に踏みとどまること」を許容する「ちょっとのんびりしたもの」に、「患者・患児に対する働きかけのペース」や「ケースに応じた」柔軟な決定ができる余地を生む条件があったのではないか、と能智は分析する。

その、わかんないことを抱えていくゆとりがあるかないかっていうのもすごくあるんだと思うんですよね。時間的なものとか、それからそういうことを話す仲間-「こういうことなんだけど」って言ったら、「いや、こういう同じようなケースがあって、こうだった」とか(返ってくる)-。そういった仲間とか、先輩とか、上司の方とか、そういう方がいて、そこでまた、「そういう場合にはこうしたらいいんじゃないか」とか、「こういう教材使ってみたら」とか(いった結論が生まれる)。  (同前(以下略)。p.348)


「わからない」に立ち留まることによって生まれる同僚との対話のなかから「新たな発想が生まれ」たり、「わからない」が共同化されることで「わからなさ」を維持する姿勢に対する支えも生まれたりするのではないかと能智は読解するのである。


1-III. 実践者としての自分と対象者(児)を信頼すること

山田は「臨床家としての力量」が話題になったとき次のように答えている。


経験のないときは、「とんでもない人が来た」と思っておびえちゃうっていうことがあったけど、ある時からは、「一緒に考えていけばいいんだわ」というふうな、居直り的な(構えをとれるようになった)。今は分からなくても、「おかしいな」とか「これどうしてだろう」と思ったら、そのまま変な解釈もしない、変な断定もしないでひきずっていく。(略)その子とつきあっていると、「ああ、そういったことだったのか」というのが分かってくるんですね。     (同上)


能智は山田のこういう姿勢に「臨床家としての力量」をみると共に、そこにある「いつかは「わかるはず」である」という自分への信頼、「わからない」がずっと続くのではなくいずれ「わかる」方向が見えるという展望をもっていることが、臨床家としてだけの力量ではなく臨床研究者として欠かせない要素なのだと評している。


1-IV.「わからなさ」を共有する関係性をつくる

しかし、たとえば“大脳性色覚喪失”や“右半側視空間無視傾向からの回復”“複視の改善”“変形視を伴う相貌の失認”といった具体的・個別的な問題状況の変化・改善・回復を求めて訪れてくる家族・本人にとってみれば、専門職が「わからない」では済まされない。経験値の低い専門職なら「わからない」ことを隠したり「わかる」部分のみに集中するかもしれないが、山田は「むしろ「わからない」をひとりでかかえこまず、特に対象者が子どもの場合には、それ(*わからなさ)を家族と共有するという空気を作り出していこうとする」のである。


私がわからなくても、そういう(=「わからなさ」を共有してくれる)お母さんは、許してくれる -というと変なんですけど、「まあ、一緒に考えましょうや」っていうふうなところがあって。こっちが何かへんてこりんなことをやっても、べつに目くじら立てたりしないわけよね。      (p.350)


「わからなさ」を受けとめてくれる家族には「受動的ではない自発的な取り組み」への構えに向かう可能性をもち、問題状況に対し「(*専門職と)共動して対処することが可能になる」と能智は分析し、「多くのご両親は山田先生との臨床のなかで「成長された」という」話を記している。 山田も仕事をはじめたころは学術的な学びに熱心だったのが、経験を積むにつれ学会の動向から距離をとって「わからなさ」の前にとどまることで「より自然に対象者から学ぶ」という態度を身につけていったのだ、と能智は賛意を込めて述懐している。「「わからなさ」にとどまるという方法は、心理職の発達や成熟の、一つの側面」であり「「わからない」を意識し、そこにじっととどまることができるのは、実は心を扱う専門職にとって必須の技能だという指摘もある」として、精神医学者・土井健郎が『方法としての面接』(1992)の中で、"面接技法のテキストにおいて「わからない」という感覚を育てていくことの重要性を強調した" ことを紹介している。  

2.「わからない」から踏み出す方法[編集]

死後5年目に刊行された『認知世界の崩壊と再形成』にまとめられた8つの研究のすべてに山田は関わっている。その臨床研究での心理職は、対象者を理解するため実験的場面では「自然科学の研究者」のように行動・刺激反応などの冷静な観察者となるが、<わからない>から<わかる>への一歩は、距離を置いたシステマティックな観察だけがもたらすのではなく、臨床実践での対象者(児)とのやりとりを積み重ねていくなかで、見方を新たにし、観察の新たな方法を考え、対象の行動や状況を解釈するための足場を得るため、山田はさまざまな機会を増やすのである。[16]

2-I. 教材

対象者(児)の問題の解消の方向-<できない>状態から <できる>状態へ-の足場を築くため山田が積極的に行ったことに「教材作り」がある。山田はインタビューで、盲聾児に空間的な位置の違いを教えるとき対象児が押すボタンの位置をどこにするか工夫したという話をしたあと、教材の意義を能智に語った。


教材が勝負でしょ。ああいう(盲聾の)子どもたち、教材が合っていればやるんです。だから合わない教材つきつけて「やれ」ったって絶対やらない。(・・・・) その教材がうまく合って、乗り越えたときにはね、もううれしくてうれしくてね(笑)。(略) 子どももそういうときってね、「あ、分かった」っていうときって、一瞬にやーっと笑ったり、にかっと笑ったり、げらげら笑ったりするのよ。「なんだ、これか」って感じで。   (p.352)


「教材が合う」ということは問題の解決を当事者が自力で可能な領域と、援助や協働が必要とされる領域との境界レベルを探り当てたということであり、対象者のつまずきがどこで起き、そのつまずきを「解消する可能性がどこにあるか」を見いだすことによって「わかる」契機を見いだしたことともなる。リハビリ・療育を行う現場で働いている山田だからこそ、一般のカウンセリングでは導入が難しい「教材」を媒介にした問題解消へのアプローチの重要性を強調し「療育活動に不可欠の要素」として大事にした。山田の恩師の1人である梅津八三の教えと自らの実践活動による学びから、山田にとって教材作りは「とりわけ重要な技能」として位置づけられた、と能智は汲みとっている。 

2-II. 記録すること

対象者(児)への「わかり」の端緒を得るための<教材による働きかけ>と共にもうひとつ山田が重要視していたのが「実践の経過に関する詳細な記録」である。


間違ったことをやっても、考えの足りないことをやったとしても、それがちゃんと記録として残ってれば、後で考える資料になるわけだから、それはやっぱり記録を、ある程度、大変だけれどもきちっととっておくと、後付けができるんですよね。    (p.353)


教材が、直接的な関わりの中から「わかり」を見いだす方途であるとすれば、記録を残しておくことは、患者(児)の言動を時間系列で振り返ることで俯瞰的な見直しを可能にするもうひとつの方途である。この記録の重要性もまた山田は恩師・梅津八三から教わったとインタビューで語っている。

「記録を握るものはケースを制す」って言うと妙な言い方ですけれど、その書いた記録を振り返って、それなりに考えをまとめるっていうことに関しては、もう(しっかり教わった)。それから、当然その次に何をやるとか、かにをやるとかいうふうなことも。   (*「かに」原文ママ。その前の句読点は引用者) (p.352)


心理職にとって記録は、「実践を内省し対象化して」対象を「わかる」ようになるための基本ツールであるが、単に作業として記録するだけでは『その子(*患児)自体の何か、全体的な何かをつかみ忘れて記録だけ書いてる』(山田)に過ぎなくなり『あとから見たときに、" これどういうことかな "と』なってしまう。 かといって事実をもれなく記録することは不可能であり、観察者の解釈に基づいた記録では(それは時として避けられないが)その時得た直感が的外れであったとき肝心なことが記録から漏れてしまっている可能性も排除できない。そこで山田はできるだけ映像の記録を残すことを実践した。


(紙の記録は)自分が気が付いて書くんだから、そこで主観的に-、記録を取るというのは取捨選択してますでしょ。だから「えーっ、これは-」と思うときには、例えばVTR見てみる。すると「こうだったんだわね」っていうふうなことだってあるわけだから-。・・・・そういう意味で、時間的なゆとりがあればVTRを見たり、それから書いた記録を見たりして後付けをやるわけ。    (pp.353-354)


山田の言を受けたインタビュアー能智も、映像記録は「肉眼での観察だけに頼っていては」見落とされる情報を拾い直すツールとして「これからの心理臨床現場では、許可が得られる限りVTRを利用することが求められる。」と全面的な賛意を示している。

2-III. 他者とともに考える

「わかる」を推し進めるため、山田はクライエント/患者自身の視点やその家族・関係者の視点を尊重し学ぶ姿勢を積極的に取ることで、硬直した専門的視点を外部の視点から見直す柔軟性を保持した。 『認知世界の崩壊と再形成』に何度か登場するST(火事によるCO中毒に伴う高次視機能障害:発症時38才[17])について、山田が相手の視点を受け入れる姿勢をもっていることで、当事者自身が臨床実践や療育研究に積極的に関わってきた例である。


STさんなんかはね、「まだね、(視野の)右っかわ(の検査)をやってないですからね」とか(笑)、「○メートル(*の検査は)やったけど、△メートルのはまだやっていないですよ、いいんですかね」とかね。(略) 「僕が写真を撮りました。こんなふうにずれちゃうんです」とか言って写真を持って見えるとかね。   (p.354)


能智はこうした関係性を「患者」と「心理職」が「問題」に同時にまなざしを向ける「一種の“三項関係”」の形成とし、「患者はもはや受動的なサービスの受け手ではなく、「問題」の共同研究者であり、より積極的な臨床の担い手」となって「仮想の共同体」が生まれることによりクライエント/患者の心理的な問題解決に必要な自発的姿勢が促進される、と解説している。
しかし対象が幼児・児童のとき、当事者との三項関係の形成が困難な場合も多い。そういったとき山田は患児と毎日暮らし様子を見ている親の経験や視点を尊重する。


よく見てれば、お母さんがすごいですよね。子どもの予測力、行動に対する予測力が。(略) 障害児を持ったお母さんで、もうすごく成長するお母さん。それでこっちがものすごく教えられる。    (p.355)
「自分は先生だから」とか、「自分はここで何かいいこと言ってあげなくちゃいけない」とか、あんまりそういうに考えないで、親御さんに「ああ、これはどういうことか一緒に考えたいんですが、私にはちょっとわかりません」でいいんじゃないかと思うんですよね。結局、親御さんが一緒にやっていこうって気になればいいわけですから。(略)「私はこういうことも分かんないし、こういうことも『はてな』と思うんだけれども、そのことについて一生懸命考えるから、お母さんも一緒に」っていう気持ちがあれば、親御さんも、「だからもう」っていうんじゃなくて、「一緒に考えましょう」っていう態度とか(になってもらえる)。      p.356


心理職の初心者が山田と同じことを言っても、家族と「わからない」を共有する関係の構築はむずかしいだろう、と能智は釘をさした上で、山田の姿勢は「最近の心理療法の文献のなかでしばしば見かける「無知のアプローチ」[18]」とでも呼ぶべき態度」と評している。山田の姿勢が成功するのは、山田には“「わかる」ということに対する明確な構え”があって、それが親にも感得されることで、親は山田に“「わかる」に至りうる可能性”を感じ取るからではないか、と能智は推定している。

3.「わかる」とはどういうことか[編集]

3-I. 全体を時間軸のなかで捉える

「わかる」という状態を明快に言語化することは容易ではない。山田はインタビューの中でしばしば「全体」を用いたと能智は記している。

やっぱりこう、今の(だけ)では分からないことが多いですよね。結局流れの中で、ものごとは見ていかないとならないから、それを1回の「今」ですべて分かろうたってそれは無理。だからやっぱり変化していく中でも(ものごとを見ていく。そうすると、大体予測がついてくる。(略)「今」が孤立してるわけじゃないでしょ。 p.358


対象者の言動を時間軸(「流れ」)の中で検討することは、山田のいう「全体」の重要な側面である、と能智はいう。「流れ」という時間軸の視点を含めたとらえ方は「文脈(コンテクスト)」[19]という能智の専門である質的研究法の柱のひとつとなる概念と対応する、と能智は解説している。もうひとつインタビューで山田が語った『(患児のことが)記録を見たときに、リアルに』想起できる、『そうすると、後付けの、マイルストーンみたいなものをどういう取り出すかっていうふうなことが(重要になる)。』[20]という言葉を引き、質的研究の分野で重要視される「物語」[補 2] のプロットづくりに似た役割をもつ時間的な転回点を山田の『マイルストーン』に感じ取っている。

3-2. 事例から全体へ 山田は自分の経験データを『引き出し』と表現し、患児ごとにAちゃんならAちゃんから得た引き出し、Bちゃんが来れば引き出しBというものが頭の中につくられ、その引き出しが他の患児C,D,E…に対するときも『この子はBの引き出しからやってみて、Cはとんで、Bでやってるうちにとんで、「C,D,E・・・・次はEに行けるわとかって、その間を細分化していくというのをやってたわけです』と語っている。 能智は山田が「こうしたプロセスを経て」「いわゆる障害の種別を超えた発達・学習の一般理論とでも言うべきもの」を志向していたという。[21] それは山田が論文発表(事例研究)を始めた頃の、臨床場面でのSS法の研究(開発)によって失語症の言語発達の査定を行った論文以来一貫して志向されていたとみていい[22]


学習の階層とか構造とか、そういうものを自分なりに-。自閉症の子だったらこういう配慮も必要だとか、知恵遅れの子だったらこうだとか、そういう個別のものがあるんだけれども、'それ全体を通しての何か、構造とかそういうものがあるんだと思うんです。                 360頁

しかし山田にとってそれは「十分に納得のいく形」になる前の「未完成の状態」で「まだやり残したと感じられること」だと能智に語っていた。 それぞれのケースで得られる経験データの中の細分化された何かが他のケースとも関係づけられ、個別ケースでの時間軸内で見えてくるそのケースの「全体」とは違ったレベルの「全体」が現れるとき、「わかる」ということが一般性と結びついた現場の個別レベルからのボトムアップ(既成理論から演繹的におりてきて「あてはめ」されるのがトップダウン)によってモデルが生成されるとき、それは「研究実践に近い」と能智は山田の姿勢を解している[20]。ただそのボトムアップ的なモデル生成に込められた山田の願いは「自然科学的な研究」のような客観的な証明や理論化というものとはすこしベクトルが違い、そういった臨床知の「全体」を次の臨床実践者に伝えることだったのではないか、と能智は忖度している。


「こういう問題があるよ」って、興味深いデータだけ集めても、すこんすこん抜けていってる感じがあって。それが何かなんとなく、・・・・次の世代にも受け継がれるような、受け継がれないような感じがするから。・・・・結局、わたしの宝物が、ほかの方にはゴミってなる。    (p.361)

このインタビューは晩年、病と闘っていた山田のものであり、当時山田は力を傾けて作成した教材の保管者を探していたという。しかし経験知の継承はなかなかむずかしいところがある。能智はインタビューの質的整理の最後に「ともすれば人に伝わらないままに消えてしまう経験知を、いかたにして「ゴミ」にならないようにするかということは、すべての心理職にとって大きな課題」であるとともに「研究という手段を通じてそれ(*臨床実践の経験知)を継承できる形に整えていくことは今後ますます重要になってくるだろう」と締めくくっている。


著書[編集]

  • 山田麗子 著、(編)小寺富子、倉井成子、佐竹恒夫 編『山田麗子 言語発達遅滞論文集』エスコアール出版部、2012年。ISBN 978-4900851627 
  • 山田麗子、鳥居修晃、能智正博、望月登志子『認知世界の崩壊と再形成』エスコアール出版部、2014年6月16日。ISBN 978-4900851757 

論文リスト[編集]

<発表順> (「」は単独論文・発表)

参考文献[編集]

  • 能智正博『臨床心理学をまなぶ6:質的研究法』東京大学出版会、2011年。ISBN 4130151363 
  • (編)やまだれいこ[24]・麻生武・サトウタツヤ・能智正博・秋田喜代美・矢守克也 編『質的心理学ハンドブック』新曜社、2013年9月。ISBN 978-4-7885-1354-9 

脚注[編集]

  1. ^ (『認知世界の崩壊と再形成』, 2014年 & エスコアール出版部)<おわりに>能智正博、342頁
  2. ^ (山田麗子 & 言語発達遅滞論文集 2012)<おわりに>小寺富子、pp.261-263
  3. ^ cinii<山田麗子>検索(但し同姓同名の別研究者3名と混在) 閲覧.2015-11-1
  4. ^ (『認知世界の崩壊と再形成』, 2014年 & エスコアール出版部)<おわりに>能智正博、341頁
  5. ^ research map jp<能智正博>2015年10月23日更新 閲覧.2015-11-1
  6. ^ 1.専門性のある定義. ・<第7 回 質的研究方法論 ~質的データを科学的に分析するために~>(PDF)寺下貴美(北海道大学学大学院保健科学研究院) p.414、 ・ <医療の研究における質的面接法(1)> by NICKY BRITTEN訳:大滝純司(北大医学部附属病院綜合診療部),用語翻訳指導:藤崎和彦(奈良医大衛生学)(医学書院) ・「調査的面接法 ~心理学~」金子有紗
    2.一般向け解説. ・社会調査の基礎 第4回講義レジュメ3 非構造化・半構造化面接調査とは(社会福祉士受験支援講座・教員日記)(注:個人ブログ) ・面接法(心理学用語サイコタム)(注:個人サイト) すべて閲覧2015-11-5
  7. ^ 名古屋大学教育学部教育方法学講義II -授業分析と教育の科学化-<1.量的な手法の一例としてのカテゴリー分析> 閲覧.2015-11-1
  8. ^ <療育>コトバンク
  9. ^ (『認知世界の崩壊と再形成』 & 2014年)<はじめに>鳥居修晃. pp.7-8
  10. ^ (『認知世界の崩壊と再形成』 & 2014年, pp. 341–366)<おわりに> 以下「能智正博 2014」と略す.
  11. ^ K.R.ポパー「科学的発展の論理」1962年
  12. ^ 寺下貴美 (2011年). “第7回 質的研究方法論 : 質的データを科学的に分析するために”. 北海道大学学術成果コレクション. 2015年11月5日閲覧。
  13. ^ (能智正博 2014)pp.343-344
  14. ^ (能智正博 2014)pp.345-346
  15. ^ 日本クリニカルパス学会 (定義の項), クリニカルパスって何?(PDF)(ゼリア新薬) 閲覧.2015-11-5
  16. ^ 能智正博 2014, p. 351.
  17. ^ 火事のあと半月意識不明。一酸化炭素中毒による脳損傷部位は、両側後頭葉皮質・両眼基底部・海馬・舌状回など。視野障害・同時知覚障害・色、形の認知障害(『認知世界の崩壊と再形成』, pp. 10–11, 55)
  18. ^ 1.原註:マクナミー,S.,ガーゲン,K.J(1997)『ナラティブ・セラピー』(東京金剛出版)、
    2. 「ナラティブ・セラピーとケア」早川正祐(2009年)東京大学哲学研究室 <無知の姿勢> pp.89-90
  19. ^ 『質的心理学ハンドブック』(2013年)やまだようこ・麻生武・能智正博ほか(編)新曜社。<(3)普遍性性と文脈> p.12-13
  20. ^ a b (能智正博 2014) p.359
  21. ^ (能智正博 2014) p.360
  22. ^ #論文、(山田麗子 言語発達遅滞論文集)参照
  23. ^ 症例1に山田は加わっていない。文字を媒介とする言語行動の形成 : 発達性失語症を伴うと推定される聴力障害児の症例1(200 認知と学習)井野朝二,鹿取広人,高橋澪子
  24. ^ 同姓同名の別学者

[編集]

  1. ^ 質的データ(この場合山田への6回のインタビュー)の (『臨床心理学をまなぶ6:質的研究法』 & 能智正博)<カテゴリー分析の特徴>p.250-260
  2. ^ 「(White & Epston, 1990/1992)によれば、経験とは人が世界を語る語り方であり、ストーリーこそが、人々の生々しい経験を秩序立てて理解するための枠組みを提供する」.「現実とはこうした物語やストーリーを通して解釈されたものであり、物語の真実は「事実」の中にあるのではなく、物語の意味の中にこそある」(Bruner,2002/2007){{harv|質的心理学ハンドブック|2013|page=158}]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]