コンテンツにスキップ

利用者:Nickeldime/作業中7

マセラティ・250F
ドニントンパークにて撮影(2007年)
ドニントンパークにて撮影(2007年)
カテゴリー F1
コンストラクター マセラティ
デザイナー ジョアッキーノ・コロンボ
先代 マセラティ・A6GCM英語版
主要諸元
シャシー 鋼管スペースフレーム
エンジン マセラティ 2.5 L 直列6気筒 (or V型12気筒) NA FR
トランスミッション マセラティ 4速 / 5速 MT
タイヤ ピレリ
主要成績
チーム オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ
ドライバー ファン・マヌエル・ファンジオ
スターリング・モス
オノフレ・マリモン
ハリー・シェル
ジャン・ベーラ
ルイジ・ムッソ ほか
出走時期 1954年 - 1960年
コンストラクターズタイトル -(制定前)
ドライバーズタイトル 1(1957年)
初戦 1954年アルゼンチンGP
初勝利 1954年アルゼンチンGP
最終戦 1960年アメリカGP
出走優勝表彰台ポールFラップ
46828810
テンプレートを表示

en:Maserati 250F マセラティ・250F (Maserati 250F) は、イタリアの自動車メーカー、マセラティが開発したフォーミュラ1カーF1世界選手権では1954年から1960年まで使用され、1957年ファン・マヌエル・ファンジオがドライバーズチャンピオンを獲得した。また、合計30台以上が製造・販売され、プライベーターたちにも愛用された。

概要[編集]

ワークスチームの250F(1957年イギリスGP)

1954年シーズンより非過給エンジン2.5 L(過給0.75 L)という新規定が導入されるのに合わせて、マセラティは新車250Fを開発した。設計者としてアルファロメオ・158”アルフェッタ”やフェラーリV型12気筒エンジンを手がけたジョアッキーノ・コロンボを招聘し、ルイジ・ベレンタリーニが作業を補佐した。ふたりがマセラティを去ると、チーフエンジニアに昇格したジュリオ・アルフィエーリ英語版が改良作業を受け持った。

250Fのベースとなったのは、前年にコロンボがモディファイしたフォーミュラ2カーA6GCM/53」であった[注 1]ワークス専用ではなく市販もされたので、同じ1954年にデビューしたメルセデス・ベンツ W196ランチア・D50のような革新的なメカニズムは備えていない。それでも、基本設計の良さに加えて、車体の軽量化やエンジン出力向上などの継続的なバージョンアップにより競争力を保ち続けた。1957年一杯でマセラティがワークス活動を停止してからも、プライベーターが愛用し、2.5 Lフォーミュラ時代の開幕(1954年アルゼンチンGP)から最後(1960年アメリカGP)まで7年間グランプリに出場した息の長いマシンとなった。

イギリスの名ドライバー、スターリング・モスは最初プライベーターとして250Fを購入し、活躍が認められマセラティ・ワークスのマシンをドライブした。モスは250Fについて「私が買えるなかで、もっともバランスのよいマシンでした」「ひとことで言うと、とても運転しやすくてパワフル」と語っている[1]ミッドシップフォーミュラカーが普及する前の、フロントエンジン時代の最高傑作という評価もある[2][3]

メカニズム[編集]

車体[編集]

エンジン[編集]

バリエーション[編集]

ティーポ1 (T1)
グループ1
1954年シーズン開幕に準備が間に合わなかったため、F2マシンであるA6GCMのシャーシに2.5 Lエンジンを搭載した暫定型。
グループ2
標準型
グループ3
1956年イタリアGP用に製作されたスペシャル。ドライバーの着座位置を下げるため、ドライブシャフトを斜めにオフセットしている。
ティーポ2 (T2)
1957年シーズンに投入された軽量(ライトウェイト)。
ティーポ3 (T3)
1958年シーズンに使用された軽量・ショートホイールベース仕様。通称ピッコロ

おもな戦績[編集]

フェラーリのコリンズを追走するマセラティのファンジオ(1947年ドイツGP)

派生モデル[編集]

420M/58 エルドラド[編集]

マセラティ・エルドラド (420/M/58)

1958年6月、モンツァ・サーキットで行われた第2回「トロフェオ・ディ・ドゥエ・モンディ(Trofeo dei Due Mondi, Race of Two World, 通称モンツァ500マイル)」に出場するため、250Fのシャーシをベースに製作されたシングルシーターが420M/58、通称「マセラティ・エルドラド」である。

「エルドラド (Eldorado) 」はイタリアのアイスクリームメーカーの名前で、オーナーのジーノ・ザネッティが宣伝効果を期待して、マセラティに製作を依頼した。

現在はチーズ会社「オンブレ(Hombre)」のオーナー、ウンベルト・パニーニのプライベートコレクション[1]に収蔵されている。

テクメク・マセラティ[編集]

テクメク・F415

テクメク (Tec-Mec

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1952年1953年はエンジン排気量2 LのF2マシンによって世界選手権が争われた。

出典[編集]

  1. ^ スターリング・モス、マセラティについて語る|Maserati”. OPENERS. スマートメディア (2015年4月2日). 2019年9月6日閲覧。
  2. ^ 徳大寺有恒 (2018年3月1日). “フェラーリと並ぶ名門が放ったスーパーカー マセラティ・ギブリ試乗 【徳大寺有恒のリバイバル試乗記】”. ベストカー. 2019年9月6日閲覧。
  3. ^ 手束毅 (2017年5月26日). “長距離ドライブを謳歌するために”. octane. 2019年9月6日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]