利用者:Shizuka Naito/sandbox
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苅部 俊雄(かりべ としお、1978年8月9日 - )は、神奈川県中郡大磯町出身の起業家。
NPO法人日本PR[1]創業者兼理事長[2]、ジュエルコンシェルジュ株式会社創業者兼代表取締役社長、KARIBE(THAILAND)CO.,LTD.相談役、一般社団法人全国龍馬社中[3]第189番加盟タイ龍馬会[4]創設者兼会長[5]、プーケット日本語補習授業校[6]校長[7]。その他教育系YouTuberとしてYouTubeチャンネル『CURLY UNIVERSITY』[8]を運営している。
趣味はバイク旅[9]、読書、あるいは「自分の常識を覆すこと」である。下積み時代(2001年~2015年)には27回の転職、26回の引越、5ヵ国に居住、5社起業している。2015年にはチェンライの山岳少数民族アカ族出身・村長の娘と結婚。2022年、『変人ポーの人間力』『変人ポーの平和論』(共に幻冬舎)[10]を二冊同時出版。
経歴
[編集]1978年8月9日神奈川県に生まれる。地元の公立高校卒業後、神田外語学院(東京都千代田区)国際ホテル科の専門課程を修了した専門士。
1999年4月、旧横浜プリンスホテル(神奈川県横浜市磯子区)に入社、宿泊部に配属。2001年に同社を退社。退社理由は当時の不景気で人員削減がなされており「ベルボーイがチェックインの案内もできないなんてビジネスホテルと同じではないか」と言っていた。[11]同ホテルは5年後の2006年に閉館している。
以降14年間に渡り転々とする。この下積み時代には主にタイ、ベルギー、イスラエル等々を行き来し、宝飾産業やダイヤモンドに関する仕事・ビジネスに携わる。なお、世界に道が開かれたのはダイヤモンド事業の第一人者とされる小宮久と出会ってからである。
2003年、在住していたバンコクに友人が司馬遼太郎著『竜馬がゆく』を持ってくる。これがきっかけで坂本龍馬をリスペクトすることとなり、後年タイ龍馬会を発足するに至る。[12]また、イスラエルに移住した際には現地の事情と相まって日本人としてのアイデンティティーを強烈に感じることになるのも、元はと言えばこの時の『竜馬がゆく』であるとされる。
2010年、NPO法人日本PR(東京都台東区)を設立、理事長に就任。[13]2017年、タイ龍馬会を発足。一般社団法人全国龍馬社中に加盟(第189番)、会長に就任。[14]2023年、プーケット移住に伴い隠居。[15]2024年、プーケット日本語補習授業校の校長に就任。[16]
事業
[編集]当人にとっての隠居とは「家督をゆずり、定職をはなれること」であり「閑居すること」ではない。営利活動から退くことを意味し、以下事業を通じて自身の志を全うすることにある。
日本のおもてなしの心を広めることにより、人間味の存続、公平なるチャンスの創出、世界平和への貢献を志す事業である。「人間味の存続」では、ありがとうの反対語はあたりまえであることを引用し、テクノロジーの発達によって人間が本来もつ有難み・感謝の心が薄れて代わりに「あたりまえ」が増えていると警鐘を鳴らす。「公平なるチャンスの創出」では、人間社会における商売のすべてはサービス業であるとし、おもてなしの心やサービス精神を普及させることにより貧困問題に対し金銭的支援以外の観点から寄与する。「世界平和への貢献」では、本当の意味で相手を思いやることのできる人が、他人(ひと)を傷つけますか? と呼びかけている。
具体的にはおもてなし・思いやりに関するテストの開催、貧困層へのセミナーを開催していく事業内容となり、非営利活動として無料で行われる。[18]
2017年9月17日にバンコクにて各々の「志を実現する場」としてタイ龍馬会を発足。[20]発会初期から毎月バンコクにて「龍馬村塾」なる勉強会を開催。[21]2024年11月には第一回タイ龍馬杯よさこいコンテストを主催。[22]
2025年11月には母体となる(一社)全国龍馬社中、同社高知ブロックと共に龍馬World東アジア大会を共催(バンコクと高知の二会場同時開催)。[23]同大会は年一回行われる龍馬会における全国大会であり2025年は第37回目にして史上初となる海外開催でもある。龍馬World東アジア大会海外実行委員長に就任。
2023年5月、通算で15年在住していたバンコクからプーケットに移住。子どもを同校に通わせる成り行きで2024年4月より同校の校長に就任。就任後は主に同校の協会登録(NPO化)としての組織改革に取り組んでいる。
人物・エピソード
[編集]感情を制する者は人生を制す
[編集]中学生のある日、授業中に隣の席にいた友人に消しゴムを借りた。使用後、返そうとしたときに誤って消しゴムを落としてしまった。すると友人は瞬間湯沸かし器のように激怒した。それを受け、自分でも信じられないほど冷静に、且つ客観的に「なんでそんなに怒っているんだろう。怒ることでどんなメリットがあるんだろう」と真剣に考えるも答えは出ない。出ないどころかデメリットしかないという考えに至り、当時流行っていた漫画『スラムダンク』の名台詞を用いて「感情を制する者は人生を制す」と考えるようになる。[25]
恋の五箇条
[編集]中高生を通しての友人とはよく語り合っていた。主に恋愛がテーマだったが、その友人が恋の五箇条なるものについて言及し激励してくれた。友人曰く。
一、自分で自分を励ます事
二、プライドを捨てる事
三、思い立ったらすぐ行動
四、相手の立場になって考える事
五、人とは違うことをする事
この五箇条はその後の人生を一変させるほどの影響があり、これを以て人格が形成され、そのまま「人生の五箇条」としていまもなお、信条として生き続けている。[26]この時期、哲学に目覚めるのもこうした友人の影響によるところが大きい。
読書好き
[編集]同じく人生を一変させるほど影響を受けた本として次の三冊を挙げている。[27]
イスラエル
[編集]2002年で渡タイしてまだ間もないころ、よく人に質問をしていたことがあった。「人生のターニングポイントは何でしたか?」この質問に某アパレルブランドの創業者はこう答えた。「ユダヤ人とつき合うようになってからだ」この回答を得て以降、同じ質問をすることはなくなった。
2006年にイスラエルに赴く案件が舞い込み、二つ返事でこれを引き受けて渡イスラエルを果たす。ミッションを完遂したあと、キブツ・バラムを訪れてボランティア生活を数か月間送る。この滞在期間中にレバノン侵攻 (2006年)が起こり、上空をミサイルが飛び交うなか、キブツ内にあるシェルターに避難した。
その後、期間を空けてダイヤモンド事業を立ち上げるために再度イスラエルに渡航。二回目は一年間の居住であったがこうしたイスラエルの経験は後年、OMTEST™事業を通じた志に直結することになる。
バイク旅
[編集]バイク旅が好きで日本全国一周、タイ全国一周、その他にもミャンマー、マレーシア、ラオス、カンボジア、ネパール、デンマーク、スウェーデン等々をバイク旅で回る。婚約10周年(2024年)、結婚10周年(2025年)には感謝の気持ちを込めてそれぞれ39日間(サンキュー)をかけて、夫婦水入らずで日本全国一周のバイク旅に出かける。[28]
タイ全国一周の様子はタイ情報ポータルサイト&ニュースサイトであるタイランドハイパーリンクス『バイクで周るタイ全国一周男二人旅!』にて連載している。[29]
出版
[編集]幻冬舎より出版した『変人ポーの人間力』『変人ポーの平和論』の著書は、当時5歳であった長男を著者として見立て、中学、高校と成長する著者(未来の長男)との対話形式となっている。この長男を著者に見立てている点においてはフィクションだが、その他の内容はほぼ自身が体験した実話、もしくは現在進行形、或いは将来的に実行しようと考えている内容である。
『変人ポーの人間力』の物語は著者が中学生のある日、授業中に友人から借りた消しゴムを落としてしまい、友人が激怒するところから始まる。『変人ポーの平和論』は著者がイスラエルからタイに戻ったところからはじまる物語である。
タイ情報ポータルサイト&ニュースサイトであるタイランドハイパーリンクス『タイの変人ポーにインタビュー』にて自身の哲学を変人ポーとして連載している。[30]
著書
[編集]・『変人ポーの人間力』(著者:苅部俊正)(2022年3月18日、幻冬舎)ISBN 9784344939318
・『変人ポーの平和論』(著者:苅部俊正)(2022年3月18日、幻冬舎)ISBN 9784344939325
脚注
[編集]- ^ “日本PR|東京都生活文化局”. www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp. 2025年1月4日閲覧。
- ^ “日本PR|東京都生活文化局”. www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp. 2025年1月4日閲覧。
- ^ “一般社団法人 全国龍馬社中”. 一般社団法人 全国龍馬社中 (2024年12月15日). 2025年1月4日閲覧。
- ^ admin_thairyoma (2024年10月31日). “タイ龍馬会”. タイ龍馬会. 2025年1月4日閲覧。
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- ^ admin_pjss (2024年10月31日). “プーケット日本語補習授業校”. プーケット日本語補習授業校. 2025年1月4日閲覧。
- ^ admin_pjss (2024年11月1日). “ごあいさつ”. プーケット日本語補習授業校. 2025年1月4日閲覧。
- ^ “CURLY UNIVERSITY”. YouTube. 2025年1月4日閲覧。
- ^ タイランドハイパーリンクス. “バイクで周るタイ全国一周男二人旅! | タイランドハイパーリンクス:Thai Hyper”. 2025年1月4日閲覧。
- ^ “変人ポーの人間力|ゴールドライフオンライン”. ゴールドライフオンライン (2022年12月6日). 2025年1月4日閲覧。
- ^ “変人ポーの人間力|ゴールドライフオンライン”. ゴールドライフオンライン (2022年12月6日). 2025年1月4日閲覧。
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- ^ “日本PR|東京都生活文化局”. www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp. 2025年1月4日閲覧。
- ^ admin_thairyoma (2024年11月3日). “会概要”. タイ龍馬会. 2025年1月4日閲覧。
- ^ CURLY UNIVERSITY (2023-07-08), 【ย้ายไปภูเก็ต ใช้ชีวิตบั้นปลาย ประกาศเกาียณ/プーケット移住、リタイアメント宣言、隠居】เริ่มใช้ชีวิตที่ภูเก็ต [#011] 2025年1月4日閲覧。
- ^ admin_pjss (2024年11月1日). “ごあいさつ”. プーケット日本語補習授業校. 2025年1月4日閲覧。
- ^ admin_omotest (2024年10月28日). “omotest.org”. omotest.org. 2025年1月4日閲覧。
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- ^ admin_thairyoma (2024年11月3日). “龍馬村塾”. タイ龍馬会. 2025年1月4日閲覧。
- ^ admin_thairyoma (2024年11月3日). “よさこいバンコク良処”. タイ龍馬会. 2025年1月4日閲覧。
- ^ admin_thairyoma (2024年10月31日). “タイ龍馬会”. タイ龍馬会. 2025年1月4日閲覧。
- ^ admin_pjss (2024年10月31日). “プーケット日本語補習授業校”. プーケット日本語補習授業校. 2025年1月4日閲覧。
- ^ “変人ポーの人間力|ゴールドライフオンライン”. ゴールドライフオンライン (2022年12月6日). 2025年1月4日閲覧。
- ^ “変人ポーの人間力|ゴールドライフオンライン”. ゴールドライフオンライン (2022年12月6日). 2025年1月4日閲覧。
- ^ “変人ポーの人間力|ゴールドライフオンライン”. ゴールドライフオンライン (2022年12月6日). 2025年1月4日閲覧。
- ^ タイランドハイパーリンクス. “バイクで周るタイ全国一周男二人旅! | タイランドハイパーリンクス:Thai Hyper”. 2025年1月4日閲覧。
- ^ タイランドハイパーリンクス. “バイクで周るタイ全国一周男二人旅! | タイランドハイパーリンクス:Thai Hyper”. 2025年1月4日閲覧。
- ^ タイランドハイパーリンクス. “変人ポーの『人間力』『平和論』 | タイランドハイパーリンクス:Thai Hyper”. 2025年1月4日閲覧。