利用者:Sinhako/副大統領 (大韓民国)
大韓民国 副大統領 副統領 부통령 | |
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任命 | 直接選挙 |
前身 | 新設 |
創設 | 1948年7月24日 |
初代 | 李始栄 |
最後 | 尹潽善(副大統領代行) |
廃止 | 1960年4月26日 |
継承 | 第1位 |
大韓民国副統領(だいかんみんこくふくとうりょう、朝鮮語: 대한민국의 부통령)は、韓国でかつて設置されていた副大統領ポストである。国家元首である大統領が職務を継続できない事態になった場合に大統領職を自動的に継承することになっていたが、1960年以降の韓国には副大統領が存在しない(後述)。
概要
[編集]大韓民国の副大統領 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 부통령 |
漢字: | 副統領 |
発音: | プトンニョン |
日本語読み: | ふくとうりょう |
アルファベット転写: | Butongnyeong |
建国直後の第一共和国時代には、副統領(ふくとうりょう、부통령、プトンニョン)と呼ばれる副大統領職が設置され、大統領が職務を継続できない事態になった場合に大統領職を自動的に継承することになっていた。
大統領と同様に、当初は国会議員の無記名投票によって選出されていたが、第1次憲法改正(1952年7月7日)によって国民の普通・平等・直接・秘密選挙による選出となった。しかしその際、韓国では選出方式として、アメリカ副大統領のように大統領のペアとして選出される方式を採らず、大統領選挙と同時に行われる副統領選挙の結果で選出する方式を採った。そのため、与党への反発から1952年以降は正副大統領が与野党別々の政党から選出されるというねじれ現象が発生し、高齢の李承晩大統領が職務を継続できなくなったら自動的に与野党が交代する事態が続いていた。1960年の選挙で与党・自由党が大規模な不正行為を起こしたのは、これも一因となっている。
結局、1960年の四月革命で李承晩政権が崩壊すると、第3次憲法改正時に大統領と副大統領の役割が見直され、第二共和国体制の発足時に副統領職は不要な役職として廃止された(韓国憲法の改正については、大韓民国憲法#沿革参照)。これ以降、韓国では副大統領に相当する専門職が設けられず、国務総理(首相)が大統領権限代行(대통령권한대행)を務める形式になっている。
大韓民国臨時政府 (1919年-1948年)
[編集]大統領 | 代数 | 写真 | 氏名 | ハングル表記 | 任期開始日 | 任期終了日 | 所属政党 |
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臨時政府副大統領1 | |||||||
金九 | 1 | 金奎植 | 김규식 | 1940年 | 1948年8月15日 | 無所属 |
大韓民国(第一共和国) (1948年-1960年)
[編集]無所属 民主党 韓国民主党
大統領 | 代数 | 氏名 カタカナ表記 ハングル表記 |
写真 | 任期開始日 | 任期終了日 | 所属政党 |
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李承晩 | 1 | 李始栄 イ・シヨン 이시영 |
1948年7月24日 | 1951年5月9日[1] | 韓国民主党 | |
李承晩 | 2 | 金性洙 キム・ソンス 김성수 |
1951年5月17日 | 1952年5月29日[2] | 韓国民主党 | |
李承晩 | 3 | 咸台永 ハム・テヨン 함태영 |
1952年6月15日[3] | 1956年8月14日 | 無所属 | |
李承晩 | 4 | 張勉 チャン・ミョン 장면 |
1956年8月15日 | 1960年4月23日[4] | 民主党 | |
李承晩 | 副大統領代行 | 尹潽善 ユン・ボソン 윤보선 |
1960年4月23日 | 1960年4月26日[5] | 民主党 |
Notes:
- 大韓民国臨時政府は、中国の上海を拠点とする亡命政府であった。現在の韓国憲法は臨時政府からの法的連続性を認めているが、国際的には臨時政府との法的連続性が認められていない。
- 1960年3月の大統領選挙は、4・19デモの結果、無効となった。
- 1960年以降、副大統領のポストは廃止された。