利用者:Siyajkak/過去ログ5

はじめまして[編集]

こんにちは、Samudiranと申します。主にタミル関係の記事に投稿しています。Siyajkakさんの記事は、私は歴史の知識が手薄なので、いつも非常に興味深く拝読しております。また、私がおそるおそる立ち上げる記事をより良いものにしてくださることも少なからず、とても嬉しく思っております。

投稿記事について提案というか相談というか、お話したいことがあります。

まず、パラヴァ朝なのですが、これはタミルの古典文学の頃から、発音が一貫してパッラヴァです。パラヴァ朝の記事を、パッラヴァ朝に移すことは、かないませんでしょうか。

タンジャーヴールなどの記事は、良いものなのですが、私は県と都市の記事を分けて作るつもりでおりました。東京都東京が別記事であるように、タミルの県についても同様にしたいのですが、お書きいただいた記事はそれぞれの都市名の記事を立ち上げて、移しても構わないでしょうか。

お返事いただければ幸いです。これからもよろしくお願いいたします。Samudiran 2006年6月10日 (土) 09:47 (UTC)

Samudiranです。早速のお返事、ありがとうございました。不愉快な思いなどぜんぜんしておりません。むしろ世間ではあまり知られていないタミルなどの南インドについて、興味を持って投稿をなさる方がいること自体が、私にとっては嬉しいし楽しいです。

シャンガム文学 / サンガム文学については、en:Sangam literatureに書いてありますが、あまり詳しくはないですね。そのうち時間があれば日本語の項目を立ち上げたいと思いますが、もし参考になさるなら、日本語であれば『ティルックラル 古代タミルの箴言集』(東洋文庫)の巻末に、東京大学の高橋孝信教授によるタミル文学史概説があり、その中に多少書いてあります。(英語であれば、K.V.Zvelebil の Tamil Literature という本が二つありますが、かなり専門的です。)

とにかく、これからもよろしくお願いいたします。タミル関係で気になることがありましたら、お互いに遠慮なく話し合いましょう。Samudiran 2006年6月10日 (土) 11:25 (UTC)


管理者立候補依頼[編集]

こんにちは。KMTです。Siyajkak様にお願いがあります。管理者に立候補して頂けないでしょうか?未処理案件の増加に現状の管理者の人数では対応できません。もう無理です。どうかご検討頂けますよう、宜しくお願い申し上げます。KMT 2006年6月17日 (土) 15:28 (UTC)

Portal:歴史学へのおさそい[編集]

こんにちは、(もしかしたらはじめまして。)S kitahashiと申します。わけあって勢いでPortal:歴史学を立ててしまいました。ここから良質な歴史記事が生まれたらいいなと思っています。今後のありかたなど含め、Siyajkakさんのお知恵を拝借できたらと思って来ました。よかったら覗いてみてやってください。S kitahashi(Plé)2006年6月17日 (土) 21:13 (UTC)


カーヴィリ川[編集]

こんにちは、Samudiranです。プラーナ (気息)は延び延びですいません。

カーヴィリ川の簡単な記事を書きましたが、それに伴ってカーヴェリー川という英語式発音を勝手に元に戻しました。すいません。カーヴィリ川の名称については、カーヴィリ川の項目を参照してください。もしもカーヴェリー川が根拠ある名称でしたら、ご教示ください。よろしくお願いいたします。

パーンディヤ朝の記事は、勉強になります。これからもお時間おありでしたら、いろいろお教えください。Samudiran 2006年7月25日 (火) 12:18 (UTC)

反省・・・[編集]

こんにちは、Samudiranです。ケーララ州の地名を巡って、こちら(9. はじめまして)のような議論をまたまた引き起こしてしまいました。

そこで今になって考えたのですが、ウィキの性格からして、やはり表題よりも中身で勝負するのが正当なのかなあ、と思いました。私はタミル語やマラヤーラム語の読者として、読み進めるうちに出てくる地名などがカタカナ表記やローマ字表記のものにぜんぜん合わないものに数多く出会い、そのたびに同一であるか確かめるという作業が大変苦になっておりました。そこで、できるだけ現地の発音を有する現地語に忠実に、と思ってこれまでやってきましたが、その議論をするのもなんだか私がうるさいようでやりにくく、疲れてきました・・・(苦笑)。このケーララ州の件では、現地語とヒンディー語英語主流政府との完全な葛藤となっており、政府発行の大義名分を現地語の知識というマイナーな分野の知識の威光で覆すのは、大変つらいものがあると思い知りました。どうするのがいいのでしょうか?あくまで現地の人を思いやって頑張り続けるのがいいのでしょうか、やはり中身で勝負ということで捨て置くのがいいでしょうか?うーん・・・ウィキをしっかりした学的知識の集成にしようという意気込みは強かったのですが、今回のケーララ州のやりとりでは限界を感じます。

すいません、泣き言を書き込んでしまいましたが、お聞きながしください。では・・・ Samudiran 2006年7月28日 (金) 12:27 (UTC)

こんにちは。お返事ありがとうございました。ノート:ナバラ王国を読みましたが、やはりこの手の問題は大変だと改めて痛感しました。インド系はまだ関わる人口が少ないですから(特に私が関わっている南インドは、ですが)、今のうちは個々の対話で対応することでなんとかなりますが、だんだん面倒になる可能性がありますね。ポータルというのでしょうか、それみたいなものを作って、議論の場がつくれたらな、と思いました。このあたりはよく知らないので、ちょっと検討してみます。

当面は現地語がどうだとか面倒な言葉をかけるかもしれませんが、大目に見てください。Samudiran 2006年7月29日 (土) 19:24 (UTC)

デッサンをありがとう[編集]

Mesoamericanのstelaeのデッサンをありがとう。 私は公有地にこれらの多数をアップロードした。 私の日本語を許しなさい。 (Thank you for the drawings of Mesoamerican stelae. I have uploaded many of these to the Commons. Please excuse my Japanese.) User:Madman2001 (from [commons.wikipedia.org|Commons] and from [en-two.iwiki.icu|English Wikipedia]) 71.201.207.128 2006年9月23日 (土) 22:48 (UTC)

Template:Boxboxtopの使用に関するお願い[編集]

現在、Template:Boxboxtopを使用したページをSafari,Konqueror等のKHTML系ブラウザで閲覧した場合、ユーザーボックスの表示が崩れる問題が発生しています。この問題が解決するまでTemplate:Boxboxtopの使用を控えるようお願いいたします。なお、この問題に関しては、Template‐ノート:Boxboxtop#Safariで正しく表示されない件についてで議論をしたいと思うので議論への参加のほうよろしくお願いします。-- Command827 2006年10月24日 (火) 09:29 (UTC)


Wikipedia:ウィキプロジェクト イスラームへのお誘い[編集]

どうも、はじめまして。Tantalと申します。

Siyajkak様の利用者ページを読みまして、お誘いにあがりました。

いま、Wikipedia:ウィキプロジェクト イスラームを立ち上げ、準備中です。まだ、参加者、記事が少ない分野ですが、ぜひ、参加していただければ幸いです。--Tantal 2006年11月22日 (水) 11:57 (UTC)

早速のご返事ありがとうございました。WikiPJイスラームの参加者メンバーは、それぞれの得意領域をカバーすることで、包括的なPJにしていくことを志しているメンバーがそろっています。参加の意思表明ありがとうございます。
11/25を持って、準備中から、正式にPJに移行しました。あとは、チルダ4つで署名していただければ幸いです。
私も、専門は、マレーシアとインドネシアですから、パキスタンやインドのこととなるとちょっと不安ですけど、それぞれの欠点を互いに補完し合えるそういうPJになればいいなと思っています。--Tantal 2006年11月27日 (月) 12:58 (UTC)


Hoysala Empire map[編集]

画像:463px-HoysalaEmpire VB.jpg has been replaced by Image:Hoysala Empire extent.svg. Please nominate for deletion. Thanks! 2006年12月10日 (日) 09:30 (UTC)

お願い[編集]

お世話になっております。実は本日はお願いがあって参りました。

実はEstéfano Viuという項目を見つけたのですが、これは人物の項目名に日本語表記を付けるというWikipedia:記事名の付け方#日本語を使うことWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)規定に違反しております。ところが、スペインの人らしい事は判明したものの、日本語における表記法が全く判明しなかったために、項目名を移動させたくても移動させる事が出来ません。そこでノート:ナバラ王国でのあなたの事を思い出して相談にお伺いした次第です。

もし、ご都合が宜しければ、私の代わりにEstéfano Viuを適切な日本語表記の項目名に改めて戴く事は出来ないでしょうか? 勝手なお願いである事は承知しておりますが、是非ともご協力をお願いいたします。--水野白楓 2007年1月18日 (木) 00:18 (UTC)

お世話になっております。実は件の記事は悪戯っぽいというので各国語版で削除されて日本語版でもWikipedia:削除依頼/Estéfano Viuで審議中になっているようです。--水野白楓 2007年1月24日 (水) 17:46 (UTC)

参考文献の列挙に関するおせっかい[編集]

はじめまして。エル=オペーニョ文化を読ませていただきました。良い記事をありがとうございます。参考文献の列挙についてですが、Template:Cite bookなどを使うとスタイルを統一できて便利ですよ。ぜひ使ってみてください。

今後もご活躍を期待しております。--fryed-peach 2007年1月22日 (月) 07:40 (UTC)

レコンキスタの記事に関して[編集]

Wikipedia:記事名の付け方のルールにより、記事名に括弧を用いる場合は半角スペースを空けて半角括弧を使用するように決められています。レコンキスタ(国土回復運動)はそのルールに反しているため、削除されてもとのレコンキスタに移動しなおされる予定です。今後同様な移動をされることもあるかと思いますが、以降はWikipediaのルールに則った記事名を付けられるようお願いします。--五斗米道評定|戦歴 2007年1月30日 (火) 14:46 (UTC)

おしらせ[編集]

Portal:イスラームを作成しました。とはいえ、ドラフト段階ですので、何をどう加えていくか、いろいろとご助言してください。ガッツさんがメインデザイナーとして、今回はご協力いただきました。--Tantal 2007年2月17日 (土) 05:26 (UTC)

ニザム藩王の一覧について。[編集]

はじめまして。霧木諒二です。いつも執筆活動おつかれさまです。

突然で申し訳ありませんが、今日は相談させていただきたいことがあってうかがいました。歴代のニザム家当主歴代のニザーム家当主という重複した一覧があるのですが、ノートで「重複しているのでニザムニザームのどちらかに一本化したらどうか」とコメントしたもののどなたからも反応がなく困っております。Siyajkakさんはインド史にお詳しいようですので、よろしければご意見をいただけないでしょうか。―霧木諒二 2007年2月17日 (土) 11:14 (UTC)

第参回執筆コンテストへのお誘い[編集]

Siyajkakさん。ご無沙汰しております。Yosemiteです。今回も懲りずに、3月に第参回執筆コンテストを実施する予定です。もしお手すきであれば、参加のご検討をしていただけませんでしょうか?。特に審査員が不足しています(どなたか別の方を推薦してもらっても構いません)。よろしくお願いします。--Yosemite 2007年2月19日 (月) 14:03 (UTC)

ご連絡ありがとうございます。一応、審査員はエントリの全記事に目を通すこととなっています。しかし、Siyajkakさんのように興味を持った幾つかの記事にコメントを寄せるという考え方もあるなと思います。ので現在、Wikipedia‐ノート:執筆コンテスト/第参回執筆コンテストコメンテータという役割を提案しております。もしよければコメンテータ枠でも構いません(もちろん記事を書いて参加でも)。また負担が大きいようであれば、見送ってもらっても大丈夫です。よろしくおねがいします。--Yosemite 2007年2月22日 (木) 14:24 (UTC)
こんにちは。執筆コンテスト関連の記事を確認しているうちにこちらを拝見しました。自分に関してはどう考えても専門力に問題を抱えていますが「記事を執筆する側と審査する側を比べて審査側が専門力で劣る例なんていっぱいあるし、気負うことは無いよねぇ?」と思っていたりします。TVチャンピオンの審査とか・・・自分自身は「わかる」「わかんない」を基準に大雑把なコメントをするネタ系審査員なので、コメンテータの方の専門力(=フォローともいう)に期待しています。よろしくおねがいします。Elthy 2007年3月3日 (土) 05:41 (UTC)
Siyajkakさん。コメントありがとうございます。エントリ件数は減りましたが、質が大幅に上がった点は私も同感です。全部の項目を印刷したらA4で200枚を越えていました。審査へのプレッシャーも大きいです。お忙しいと思いますが、Siyajkakさんのコメントも参考にさせてください。よろしくお願いします。--Yosemite 2007年4月2日 (月) 14:30 (UTC)

はじめまして[編集]

はじめまして。メッセージ&加筆ありがとうございました。切り合い関係については遺構を加筆させていただいたときに言及する必要があると感じ、新規に執筆しましたが、Siyajkakさんの詳細な層位学的研究法の記事があることはその時点では知らず、あとで知り、私もどうしようかと思いつつ、そのままにしておいてしまいました。ごめんなさい。一般読者の利便も考えると、とりあえずは、この項目は必要だとは思っています。私は以前、縁あって発掘調査にたずさわった経験がありますが、なにぶん、そちらから遠ざかって久しいので記憶違いや不充分な点が多いと思います。何とぞ、これからも御教示、また、記事の加筆、修正お願いいたします。さしあたって、「切り合い関係」のうち、遺構に関することには「層位学的研究法を参照」というメッセージを貼ろうかと思いますがいかがでしょうか。ぶしつけながら「層位学的研究法」の方もリンクの変更など若干手を入れさせていただきました。御確認のうえ、御意見くだされば幸いです。Greenland4 2007年3月9日 (金) 09:50 (UTC)

  • ところで。考古学ですが、この説明文のなかに「救出考古学」という用語があります。「レスキューアーケオロジー」の訳語が付されていますが、寡聞にして「救出考古学」なる言葉は聞いたことがありません。もしかしたら「緊急調査」のことを指しているのかなと思いましたが、Siyajkakさんはどうお考えですか。続きは「考古学」のノートページで。Greenland4 2007年3月10日 (土) 01:16 (UTC)

お礼[編集]

どうもこんにちは。いろいろな所でお世話になっております、あなんです。

先日の「ブルネイの歴史」では感動のあまり稚拙なコメントをしてしまい、Siyajkakさんがされたフォローには感謝感激です。また、先ほどドヴァーラヴァティー王国におけるSiyajkakさんの加筆に気づき拝見しまして、我が稚拙な文章に大幅に加筆頂き、感謝の言葉を述べずにはおれなくなり、こちらへ書き込みをさせて頂きました。どうもありがとうございます。

私ごとですが実生活の方がちと忙しく、現在やや散発的にしかウィキペディアには来ることができませんが、これからもよろしおくお願い致します。--あなん 2007年4月18日 (水) 14:24 (UTC)

Thank you[編集]

Thank you for yesterday's uploads in Commons for Oxtotitlan!! They were definitely needed. I expanded the English Wikipedia article and I also added them to the Spanish Wikipedia article.

Do you have drawings of paintings A-3, 1-C, and 1-E that you could upload??

Again, thank you very much for all your drawings. I have put more than a dozen of them into the English and other Wikipedias! (Madman2001) 2007年4月19日 (木) 01:22 (UTC)

Your Oxtotitlan drawing is on the Main Page of English Wikipedia right now, as part of the "Did you know . . ." section on new articles. As I said above, after I saw your drawings, I expanded the Oxtotitlan English Wikipedia article. Thank you again, Madman2001 2007年4月27日 (金) 09:45 (UTC)


Tantalカラのメッセージ[編集]

第3回執筆コンテストでご迷惑をかけています。審査員Tantalです。

一応、暫定ルールを作成しましたので、コメントお願いします。--Tantal 2007年5月12日 (土) 03:49 (UTC)

本当に、腰が重くて申し訳ございません。
Wikipedia‐ノート:執筆コンテスト/第参回執筆コンテストの末尾に私とKa aka 98さんが作成した素案があるので、そちらを参照してください。--Tantal 2007年5月12日 (土) 09:14 (UTC)
どうも、いつもお世話になります。第3回執筆コンテストもいよいよ大詰めです。ほぼ大勢も決したかとは思いますが。来週はみんなで反省会ですね。
さて、Template:メキシコの世界遺産を追加してみました。私もぼちぼち、イスラーム方面(たぶん、最初は、ヘネラリーフェ宮殿とイスラーム建築の加筆になるかと思います)に手を出す時間ができそうですので、メキシコ方面は任せました(笑)。 --Tantal 2007年5月19日 (土) 11:29 (UTC)

名君について[編集]

こんにちは、はじめまして。名君の例として足利義満から徳川家康に独断で変更したユーザーがおりました。ノート:名君にお名前がありましたので議論への参加を呼びかけさせていただきました。--Tiyoringo 2007年5月15日 (火) 19:49 (UTC)

第参回執筆コンテストについて、お願い[編集]

こんにちは。第参回執筆コンテストについて、お願いにあがりました。現在、審査の決選投票が行われているのですが、一次審査から間が空いてしまい、一部審査員の方で、最近編集を行った記録が見られない方が数名いらっしゃいます。彼らの一次審査の票について、どのように扱うのがよいかについて、ご意見を頂けますでしょうか。場合によっては、この扱いで順位が入れ替わる可能性もあるため、比較的中立な位置にいると思われるコメンテーターの方々に判断をお願いしたいと思っております。審査員の投票がすすむと、やはり、結果を見ての判断が下される可能性があり、急を要するお願いで恐縮なのですが、18日2:00(JST)以後、審査員票が2票入った時点で終了、2票が入らなければ20日0:00を期限とするという形で区切らせてください。Wikipedia‐ノート:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト#決選投票に来なかった場合の扱いをご一読の上、投票所で意見表明/投票をお願いします。--Ks aka 98 2007年5月17日 (木) 17:28 (UTC)

第3回執筆コンテストの講評/反省会のお知らせ[編集]

いつもお世話になります。Tantalです。

Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト/反省会Wikipedia:執筆コンテスト/第参回執筆コンテスト/講評において、皆様の意見を募っていますので、ご連絡まで。--Tantal 2007年5月26日 (土) 00:55 (UTC)

こんにちは[編集]

 日本へ戻りました。 ご連絡いただけますでしょうか。 5月27,28日現在、横浜の実家にいます。 kamuy

書き込み見ました。 ご連絡ありがとうございます。メールは・・・、残念ながら届いておりません・・・ もしかして、@以下をお間違えということはないでしょうか。@mail.goo.ne.jpです。

名君の項について[編集]

はじめまして、Annogooといいます。名君のノートにコメントを書きました。古くから名君の編集に携わっておられるSiyajkakさん、ぜひコメントお願いします。--Annogoo 2007年6月19日 (火) 14:19 (UTC)

コメントありがとうございます。これからの議論は名君の項で。よりよい記事になりますように。では。--Annogoo 2007年6月20日 (水) 20:37 (UTC)

エホバの証人の記事について[編集]

すみませんが。「偽りの宗教の世界帝国」なる記述は本文にありませんし、私は記述した覚えがありません。また「いわゆるブルックリンの本部の「統治体」や日本支部で和訳された印刷物は絶対であり、信者は教理問答(カテキズム)の徹底した訓練を受け、…」と言う記述は事実に反している(出版物は不謬ではないと何度も雑誌に載せられましたし、教理問答などはない)ので削除願います。125.196.96.168

再度確認しましたが、ご指摘の文は自分と同じIPの他人の作のようです。いぜれにしても、エホバの証人は「教理問答」などというものはしませんし、「ブルックリンの本部の『統治体』や日本支部で和訳された印刷物は絶対であ」ると主張したこともありません。

奴隷級は「忠実で思慮深い」とされていますが,イエスは,奴隷級が不謬であると言われたわけではありません。忠実な油そそがれた兄弟たちのこの一団も,やはり不完全なクリスチャンから成っています。最善の意図をもって事に当たっても,間違いをする場合はあります。それは,1世紀のそのような人たちも間違いをしたことがあったのと同じです。(使徒 10:9‐15。ガラテア 2:8,11‐14)―「ものみの塔」2002年12月1日号17ページ。125.196.96.168 2007年6月20日 (水) 14:59 (UTC)

「ブルックリンの本部の「統治体」や日本支部で和訳された印刷物は絶対であり、信者は教理問答(カテキズム)の徹底した訓練を受け」と言う記述の、具体的な証拠を挙げていただけなければ、こちらも反証しようがありませんが。多重アカウント云々は濡れ衣です。125.195.29.225 2007年6月22日 (金) 02:46 (UTC)

ノート:エホバの証人に書きましたのでそちらをお読みください。Siyajkak 2007年6月22日 (金) 12:02 (UTC)
多重アカウントについて:私は無線LANを使っているので、LAN機によりIPが作成されています。それで、IPが自動変更されているようです。別に悪意はないのでご容赦を。
「新世界訳聖書を絶対基準としている」と言う点は間違いないようです。「宣教訓練学校で家庭訪問して相手を説得し論破するための教理問答を訓練している」と言う点ですが、確かにエホバの証人でない人の中にはそう考えておられる方がいるようです。
エホバの証人が家々を訪問するのはいわゆる「論破」や「改宗」が目的ではなく、あくまで「神と隣人への愛」に基づいています。(マタイ 22:36-40)神がイエスを通して与えられた命令は「良いたよりをまず宣べ伝える」ことでした。(マルコ 13:10)このおきてを守ることが神への愛だと聖書は説いています。(ヨハネ第一 5:3)神のご意思はあらゆる人が救われて、真理の正確な知識にいたることでした。(テモテ第二 2:4)「宣べ伝える者がいなければ」、聞くことはできません。(ローマ10:14)
エホバの証人はこの活動には人の命が懸かっていると考えています。望む者は命の水を価なくして受けますが(啓示22:17)、神の記憶にない者は永遠の滅びを被るからです。(啓示 20:15)
また、エホバの証人には良いたよりを宣明する必要が課せられています。(コリント第一 9:16)そうしなければ、証言しなかった相手の「血の罪」を負うことになります。(エゼキエル 3:17-21)
ですから、エホバの証人は論破などをやる必要はないのです。目的は「音信」を伝えることです。
さらに気になったのですが、「エホバの証人の見解は~」、「部外者の見解は~」と言っておられますが、そもそもWikipediaは「百科事典」だと言うことをご理解いただいているのでしょうか?百科事典は見解を書くところではないと思いますが、いかがでしょう?125.195.29.225 2007年6月22日 (金) 13:52 (UTC)

↑聞き捨てならないと思いましたのでノートにコメントさせていただいています。Siyajkak


先ほどノートにコメントしたのですが、その際、コメントするのを忘れた部分がありましたので、こちらで説明させて頂きます。「カルト論者」とはカルトそのものではなく、カルトの定義について論じ、他人にカルトとのレッテルを貼る人のことを指してそう表現しました。もし気分を害されたのでしたなら、いくらでもお詫び致します。申し訳ございませんでした。それから、問題の根幹は「原典」という表現にあったものと思われます。Rigel 2007年6月25日 (月) 12:37 (UTC)

拝読させていただきました。わざわざこちらへメッセージくださりお気遣いありがとうございます。Siyajkak 2007年6月25日 (月) 17:22 (UTC)


名君と暗君[編集]

いただいたメッセージへの返信です。(222.225.191.145 2007年6月30日 (土) 07:51 (UTC))

あなた(222.225.191.145 2007年6月30日 (土) 07:51 (UTC))がリンクをつけた後藤基巳、駒田信二、常石茂他『新十八史略』、わたしは、厚手の新書版「地の巻」(河出書房新社,1978年)でもっていますが、「精神薄弱児のもっとも強度なもの」(p.224)とは書かれていますが暗君とは書かれていませんが... 改訂版で書かれているのならそのページを示すべきですし、あなた自身が主張しているように「あまたの文学作品や歴史書、思想書がかかれてきてる」ことを根拠に暗君リストを丁寧につくって提示すべきでしょう。Siyajkak 2007年6月28日 (木) 12:56 (UTC) (以上、222.225.191.145へのメッセージとして投稿されたもの。わたし(222.225.191.145 2007年6月30日 (土) 07:51 (UTC))はIPユーザのため、今後の議論のために転載しました。)

わたしが所持しているのも同じ版です。記憶違いのようで、大変申し訳ないです。ただし、わたしが重ねて言いたいのは「責任能力が無いゆえに『暗君』とは呼ばない」というような非常に近代的な論理を、近代以前から存在し用いられてきた語である「暗君」に持ち込むのはオカシイということです。わたしは「暗君リスト」に誰を加え、誰をはずすかという個別の議論は、それぞれの人物に相応の思い入れがあって詳しい知識のあるかたにお任せしたいと思っています(たとえばSiyajkakさんのように)。ただ「暗君とは何か」という定義についてはそれなりにコミットしていくべきかなと思っています。たとえばSiyajkakさんのような深い知識をお持ちの方でもややもすると、暗君、名君を客観的、倫理的、学問的、法的、論理的、法的に定義づけようとしがちです(今回のSiyajkakさんの投稿はその危険があるものだったと思います)。そうではなくて「暗君」「名君」というのは文学的、美的、主観的(でありながら普遍的)な概念として整理したほうがこの項目が発展していくと思っています。
(補足)「根拠なく削除された記述をrv」とのことですが、「責任能力がないものは「暗君」とは呼ばない」という記述について、典拠はあるのでしょうか?--222.225.191.145 2007年6月30日 (土) 08:32 (UTC)

後漢の時代や東晋の時代にはご存知のように幼帝がかなり即位しました。後漢の質帝については、聡明で外戚梁冀に対して跋扈将軍と風刺したこともあったようですが、名君とされてもいないし、ほかの幼君も特に暗君ともされていません。考えてみればあたりまえのことで、具体的にどのような治績があったか、儒教的な価値基準やあなたのおっしゃるように「あまたの文学作品や歴史書、思想書がかかれてきてる」ことが背景にあってきまってくるものなので、評価のしようもないものは名君とも暗君とも呼ばれません。あなたは、あなた自身が言うように「あまたの文学作品や歴史書、思想書」といった典拠に基づいて削除したのではなく「そもそも知的障害があるから責任能力がないなんていう近代的概念を突然持ち込むのってどうなの?」という発言が象徴するように気分のみで削除しています。それがはっきりしているのでrvしたわけです。その証拠に履歴ノート:暗君についても私は不愉快でしたがrvはしませんでした。一定の妥当性があると判断したからです。 ですから
>今回のSiyajkakさんの投稿はその危険があるものだったと思います は、まったくの杞憂というものです。気分で削除するのではなく、「近代的概念を突然持ち込むのってどうなの」と決め付けるのではなく、どうして責任能力のないように思われる君主は暗君と評されえないのかということを考えないと議論が発展しません。

話はかわりますがたまに前漢の恵帝を掲示板で「ぼんくら」と評しているのを見かけたことがあリますが、そういうものは避けて「あまたの文学作品や歴史書、思想書がかかれてきてる」ことを前提としていちいち典拠を挙げず議論をしてきましたが、どうやら、いちいち書かなければ記事が発展しないことがはっきりしてきました。実は『晋書』安帝紀を確認しましたが、はっきりと暗君を思わせる記述を発見できませんでした。Siyajkak 2007年6月30日 (土) 18:53 (UTC)

チャタル・ヒュユク再投票[編集]

Wikipedia:メインページ新着投票所での投票ミス、ご指摘いただきありがとうございました。先ほど再投票を行い、チャタル・ヒュユクに一票加えさせていただきました。--江戸ラー 2007年7月16日 (月) 14:33 (UTC)

新着投票所より[編集]

Siyajkakさん、こんにちは。いつも新着投票所にご推薦、ご投票ありがとうございます。さて、ご推薦いただいた米英戦争の大西洋戦線ですが、初稿投稿から3日以上を経過してのご推薦でしたので、失格として除去させていただきました。約2時間というギリギリのラインで、そのご投票も何票か入っていて心苦しい限りですが、ご了承下さい。これに懲りず、今後ともご推薦、ご投票下さいますようお願い申し上げます。--汲平 2007年7月18日 (水) 06:08 (UTC)

登り窯[編集]

丁寧なご挨拶にお礼申し上げる。登り窯自体の出典が相変わらず無いことに加え、須恵器の4C後半が確定したように誤解されることを恐れて手を入れさせて戴いた。一般素人ながらゴッドハンド以来何も信用しておらず、正直市教委の発表も個人的には全く信用していない。材は伐採後長期間寝かしてから最終加工するのが一般的で、更にそれを使用した何物かが廃棄されるのは更に後のことになるのが普通。ならば廃棄部材の伐採年が389年だったとしても、須恵器の年代を4世紀後期と考えるのはかなり勇気ある判断ではないかと感じる。例えば物のサイクルが早かった2007年に一括廃棄されたと見られる住宅廃棄物を発掘すれば、1989年どころか1950年代かそれ以前に伐採された部材と2007年当時に中国で製造された皿が共伴することも稀ではない筈。そもそも当の光谷氏でさえ「年輪数が少なく断定的な結論としない」[1]と言っており、何をか言わんや、か。長文失礼。--出典凡 2007年7月27日 (金) 00:04 (UTC)

>出典凡さん
いいえ、文面から見てよく勉強されているなあと頭が下がります。Siyajkak 2007年7月27日 (金) 09:26 (UTC)

月間感謝賞の投票[編集]

日々のご活躍、ありがとうございます。さて今月のWikipedia:月間感謝賞/投票なのですが、 Siyajkakさんからの投票のうち2票は、投票期間を過ぎていたため、申し訳ありませんが無効とさせていただきました。ご了承ください。また来月の投票も、よろしくお願い致します。--Bellcricket 2007年7月27日 (金) 23:26 (UTC)

画像再アップロードについて[編集]

こんにちは。

画像:ランダの誤表記.JPGですが、画像ページ下部にある「このファイルの新しいバージョンをアップロードする」でアップロードすれば、新しい画像に入れ替えられるとおもいます。あと、もしも再アップロードの予定があるならcommonsにアップロードしたほうが多くのひとが利用できるとおもいます (日本語版でアップしといていただければ転載をしてもかまいませんが)。 --Hatukanezumi 2007年8月10日 (金) 15:40 (UTC)

秋の加筆コンクール[編集]

どうも、ご無沙汰しております。Tantalです。ここのところ、半強制的にブレイク気味でしたが、ようやく、インターネットと接続できる環境に戻ってこられたので、そろそろと活動を再開します。

さて、春の間、少し、話題になっていた加筆コンクールをやるのであれば、ぼちぼち準備したほうがよかろうと私の利用者ページのサブページ(利用者:Tantal/秋の加筆コンクール準備室)を設け、素案を作ってみました。ある程度、まとまった段階で、ページ移動を実施して、告知したいと思っていますがいかがでしょうか。

このサブページのノートに忌憚なき意見を述べていただければと思います。

あと、勝手なお願いで恐縮ですが、第3回の運営に携わってくださったので、ぜひ、運営委員になっていただければ幸いです。--Tantal 2007年8月25日 (土) 05:15 (UTC)

今、ぼちぼちとルールを策定している途中ですので、ぜひ、意見を述べていただければ幸いです。--Tantal 2007年8月29日 (水) 06:04 (UTC)

セネガンビアの環状列石[編集]

月間強化記事賞、おめでとうございます。考古学に入る前に、3万9000平方kmという面積にまず驚きました。硬いラテライトをどうやって加工したのかも気になります。Hareno 2007年8月27日 (月) 19:09 (UTC)

強化記事賞には時期尚早かも、とエントリー後しばらくしてから後悔しましたが、皆さんが私の一方ならぬ「労苦」をご理解くださり受賞することができました。祝福してくださりありがとうございます。Harenoさんにお話したとおりあんのじょうフランス語と格闘するはめになりました。Siyajkak 2007年8月28日 (火) 15:25 (UTC)

感謝賞のお礼[編集]

Siyajkakさん、こんにちは。Beagleです。月間感謝賞にご投票くださいまして、本当にありがとうございました。考古学や歴史分野におけるSiyajkakさんの渾身の記事、いつも拝見させていただいております。(以前の月間新記事賞では、僭越ながらオシュトティトラン洞穴に投票させていただきました。受賞おめでとうございます。)膨大な文献調査のみならず、適切な図版をひとつひとつ丹念に用意なさるなど、毎回頭が下がります。そんなSiyajkakさんからこの度投票メッセージを頂戴し、とてもうれしく存じます。

これからもSiyajkakさんの新作を楽しみにしております。もっと早くお礼をお伝えするべきところ、遅い時期に参上し、本当に申し訳ありません。今後ともよろしくお願いいたします。--Beagle 2007年8月31日 (金) 09:04 (UTC)