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利用者:Toraji Onisawa/sandbox

たけはら せれん
竹原 世連
生年月日 (1972-11-08) 1972年11月8日(52歳)
愛称 セレン
出身地 鳥取県倉吉市
国籍 日本の旗 日本
学歴 墨田工業高等学校
(現:墨田工科高等学校)
職業 ヒップホップダンサー、クリエイター、ディレクター
ジャンル アメリカンブラックカルチャー
スタイル ヒップホップ
活動期間 1988年〜現代
活動内容 ヒップホップダンスの啓発、studio3を通じての社会貢献、各種創作
公式サイト
「studio3」 HP
「studio3」 公式LINE
主な作品
ブロックバスターズ他、studio3の各ダンスチーム

竹原 世連 (たけはら せれん 1972年11月8日 - )は日本のヒップホップダンサー、クリエイター、ディレクター東京都江東区亀戸[注 1]のダンスカンパニー「studio3」(スタジオスリー)の主宰。

略歴

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鳥取県倉吉市出身。幼少期に東京都江東区移住東京都立墨田工業高等学校進学。中学まではオタク気質のインドア派であり運動には興味を示さない少年であったが、進学後間もなくしてヒップホップダンスに傾倒、私立高へ進学したお洒落な同級生を尻目にディスコで夜な夜なダンス修行に勤しむ。足の感覚が無くなるほど昼夜問わずダンス練習の日々を送り、テレビ朝日系列深夜放送のダンス番組「DADA L.M.D.」に出場、第13回大会チャンピオンを獲得する[ - YouTube]。
その後同級生である田中傑幸小笠原秀春(第10代いいとも青年隊)、永田雅規と「れいかんやまかんとんちんかん」を結成し、日本テレビ系列で放映の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の人気コーナー高校生制服対抗ダンス甲子園」に関東代表で出場。第2回全国大会決勝[ - YouTube]はアクロバット技の練習中に腰を打撲[注 2]したため欠場したが、チームは準優勝を果たす。
後頭部に「たけし」の文字や似顔絵の剃り込み[注 3]を施すなどビジュアル面での演出は視聴者から反響を呼び、長身でスピード・キレ・バランス力があり技術に裏打ちされた竹原のダンススタイルは憧れて真似をする若者が続出するなどその後の日本ダンスシーンに少なからず影響を及ぼした。
なお、第3回の大会予選に出場した「アジャコング戸塚ヨットスクールズ」 のリーダー山本太郎(現れいわ新選組代表)は、この大会から自身のグループメンバーが欠員した理由について竹原がアクロバット技の練習中に上から落下した事をたとえにし、勝村政信とやり取りしている[ - YouTube][注 4]

高校卒業後は役者タレントとしての芸能活動ストリートダンス発展に傾注するが、1999年東京都江東区亀戸にダンスカンパニー「studio3」を設立、ダンスチームのプロデュースや後進インストラクター指導育成に奮励する。また、公益財団法人児童育成協会「ダンス交流フェスティバル」の編成や地元でのダンスイベント開催など、当スタジオを通じてヒップホップダンスの普及啓発、 地域活性に取り組む傍ら、クリエイターとして広告(フライヤー[注 5])や飲食店メニュー作成、Tシャツ、バック、キャップのデザイン制作販売などを手掛けている。

2022年10月、「studio3」は東京都江東区から「東京都式典 有明レガシー設置お披露目セレモニー」[ - YouTube]への出演を依頼され、小池都知事山下泰裕日本オリンピック委員会(JOC)会長吉田沙保里山崎江東区長らが見守る中、竹原の教え子数名がダンスを披露した。

人物・エピソード

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経歴

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脚注

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注釈

  1. ^ 〒136-0071 東京都江東区亀戸1丁目31−8 北越ビル2F
  2. ^ 大会の3日前、3人でタワーの形を作るアクロバット技の練習中、一番上にいた竹原がバランスを崩し落下。
  3. ^ 剃り込みは小笠原秀春のアイディア
  4. ^ 山本太郎:アクロバットの練習してたら、上からセレンが落っこってきちゃって...
    勝村政信:セレンはとんちんかんですよ!
  5. ^ フライヤーとは一般的にペラ物(1枚の紙に印刷されたもの)の広告物のことを指す。フライヤーの語源はかつて、広告物を軽飛行機や飛行船からばら撒いて宣伝するといった広告手法が採られたことから「flyer(飛行家)」に由来する。
  6. ^ 山下洋輔が福岡にいたタモリを上京させこの店に呼び、赤塚不二夫の前で密室芸を披露させたことで有名。

出典

外部リンク

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