利用者:Urusine/sandbox2
日本の性の多様性の歴史では、日本列島とその周辺における LGBTQ+ や、それに似た、近代西欧的な文化によって周辺化されているジェンダー・セクシャリティをもつ人々の歴史について、解説する。
先史
[編集]縄文時代
[編集]性的指向は、考古資料からその痕跡を看取することが容易ではない。しかし、人をかたどった考古資料において、何らかのペアの関係が見いだされる場合、両者の親密な関係性を間接的に推測することが、一般に行われている。たとえば縄文時代の遺跡では、男性器を象徴する石棒と女性器の象徴と解釈される土器や石皿が、同一の住居内で対を成して出土することがある。通常、こうした男女の対からは、異性愛的な関係が解釈されている。一方で、クィア考古学では、男女の性器を象徴するとみられる対に異性愛的な関係を読み取る一般的な解釈が正しいのならば、同性の性器を象徴するとみられる組み合わせからは同性愛あるいは同性間の親密な関係性を読み解くこともまた可能であるということが主張されている[1]。
東京都国立市緑川東遺跡の遺構からは、大小二個でペアとなる大型石棒が出土している。考古学者・光本順は、これがもし、石棒と石皿のペアであれば、誰もが異性愛のペアであると解釈するであろうが、石棒のペアであるときにこれを同性愛のペアであると解釈するかどうかには、社会や研究者個人のジェンダー観に左右される部分があると指摘し、これが同性愛のペアである可能性を示唆している[2]。
弥生時代
[編集]弥生時代の伝統的衣服である貫頭衣には、男女の区別が存在しなかった[3]。
「双性の巫人」
[編集]鹿児島県種子島の広田遺跡は、弥生時代後期から古墳時代にかけての集団墓地であるが、異性装の人骨が出土している。1957年から1959年にかけて最初の3回の発掘調査で、特異な埋葬方法の男性人骨が発見された。国分直一らはこれを「双性の巫人」と解釈した。この男性人骨は、多数の貝製装飾品を身に着けており、男性葬の特徴である再埋葬がされておらず、男性ではあるが女性的な骨格を呈していた。国分直一はこれを、男女両性の能力を体現した特別なシャーマンであったと解釈した[4]。
国分直一の解釈は考古学界を超えて影響を与えてきた。異性装に関する文化史研究を行っている三橋順子は、国分の説を支持する立場から、この事例を、異性装者が男性と女性というカテゴリーを超越し統合する特別な力の事例として挙げている。三橋は、民俗事例や日本書紀を傍証に挙げながら、南西諸島だけでなく日本には古代から「双性原理」(両性具有への畏敬や尊敬の念)が存在していたと論じている[5]。
古墳時代
[編集]人物埴輪
[編集]古墳時代の人物埴輪では、髪型と乳房の有無によってジェンダーが表現されている。頭の両側で髪を結う美豆良をもつ埴輪と、頭頂部で髪をまとめる髷をもつ埴輪があり、後者は普通、乳房表現を伴う。乳房表現の有無から、美豆良は男性、髷は女性と判断されることが通例となっている。しかし、千葉県香取市城山一号墳では、髪型が美豆良であるが、線刻による円弧で乳房を表現している埴輪が出土している。この埴輪は、考古学者・杉山晋作によって男装の人物埴輪であると解釈されている[6]。一方で、考古学者・光本順は、髪型の種類と乳房の有無という恣意的な属性のみを取り上げてジェンダーを解釈している点に、従来の人物埴輪の解釈には現代の研究者の性別二元制的な先入観があると指摘し、彩色や首飾りの種類、持ち物などを組み合わせて総合的にジェンダーを把握する必要があると提唱している[7]。光本によれば、栃木県下野市甲塚古墳の人物埴輪を対象に各個体の特性を総合的に分析すると、男女の区分に髪型や乳房表現の有無を利用する従来の解釈には一定の妥当性があるが、実際には、帽子と髪型の関係、首飾り、上衣の彩色といった属性もジェンダーに関連しており、男女の両性の境界がグラデーションをなしている状況が認められる[8][9]。
人物埴輪においては、とりわけ、高位の人物の埴輪に異性装的な表現が見られると主張される。埴輪における女性ジェンダーの個体は、巫女ではなく食前を供する采女であると考えられているにも拘らず、群馬県太田市塚廻り四号墳の高位の男性ジェンダーの埴輪には、被り物の有無・顔面彩色・首飾りの内容に、女性ジェンダーの埴輪と共通する点がある[10][11]。また、栃木県下野市甲塚古墳では、被葬者を象徴する高位の女性ジェンダーの埴輪が出土しているが、この埴輪には、男性ジェンダーの埴輪と同様の黒色と白色の組み合わせによる上衣の彩色が施されている[12][13]。また、特殊な人物の埴輪にも異性装的な表現が見られる場合もある。琴弾きの埴輪は、通常は男性だと考えられてきたが、奈良県天理市荒蒔古墳では、乳房と解釈される二重の円弧表現が胸部に認められる。この琴弾き埴輪は、通常は男性ジェンダーと相関する帽子状の被り物を有するが美豆良が認められないという特徴がある。加えて、被り物に勾玉一つが付されており、これは極めて珍しいことから、光本は異性装的な表現である可能性が無視できないと主張している[12][14]。以上のように、光本順は、性別二元制による説明が困難な事項にのみジェンダー以外の変数を考慮する考古学的解釈は不健全である(「フェアでない」)と批判し、人物埴輪のジェンダーが、階級や特定の職能と相関して、ときにグラデーションをなしていると解釈している[12]。
古墳の被葬者
[編集]奈良県斑鳩町藤ノ木古墳の石棺からは、解剖学的には男性と推定される二体の人骨が出土している。考古学者・片山一道は、親密な二者を常に異性であると想定することに警鐘を鳴らしている[15]。
古代
[編集]日記
[編集]台記
[編集]中世
[編集]近世
[編集]近代
[編集]現代
[編集]出典
[編集]脚註
[編集]参考文献
[編集]- 光本, 順 著「考古学から見たLGBTQ」、設楽博己 編『日本史の現在1考古』山川出版社、2024年5月20日。ISBN 978-4-634-59138-7。
- 片山, 一道『骨考古学と身体史観――古人骨から探る日本列島の人びとの歴史』敬文舎、2013年。ISBN 9784906822065。
- 武田, 佐知子『古代国家の形成と衣服制』吉川弘文館、1984年。ISBN 4642020160。
- 杉山, 晋作『埴輪こぼれ話』2003年。ISBN 9784916202765。
- Mitsumoto, Jun (2022). “Bodily Representation and Cross-dressing in the Yayoi and Kofun Periods”. Japanese Journal of Archaeology. 9. pp. 193―208.
- 日高, 慎『東国古墳時代の文化と交流』雄山閣、2015年。ISBN 9784639023814。
- 光本, 順『身体表現の考古学』青木書店、2006年。ISBN 978-4250206191。
- 光本, 順 (2013). “人物埴輪から探る古墳時代の思想と社会”. 季刊考古学. 122.
- 國分, 直一 (1963). “日本及びわが南島における葬制上の諸問題”. The Japanese Journal of Ethnology 27 (2): 441–452 .
- 三橋, 順子『女装と日本人 講談社現代新書』講談社、2008年。ISBN 978-4062879606。