石棒
石棒(せきぼう)は、縄文時代の磨製石器の一つである。男根を模したと考えられる呪術・祭祀に関連した特殊な道具とみられる[1]。
最大の石棒は長野県佐久穂町にある北沢大石棒で、長さは223cm、直径は25cmである。
概要
[編集]石棒は広義には石刀や石剣を含む棒状の石製品を総じて指し、狭義にはいわゆる大型石棒を指す場合が多い[2]。広義の石棒は九州から北海道までほぼ全国に存在する。
男根を模した石製品としては、千葉県大網白里市升形遺跡出土の旧石器時代後期(約24000年前)のものまで遡れる[3]。いわゆる大型石棒は、縄文時代中期に中部高地で出現したと考えられ、その後近畿地方以東を中心に広がったと考えられる[4][5]。ただし、岐阜県の塩屋金清神社遺跡や島遺跡[6][7]など、いくつかの石棒製作遺跡が東日本を中心に確認されている一方で、西日本でも兵庫県見蔵岡遺跡[8]や京都府上里遺跡[9]などの石棒製作遺跡が確認されている。これは決して東日本で製作された製品を西日本の人間が手にしただけではなく、1つの祭祀形態として受容していたことを示している[10]。
住居内の炉の側で出土する事例が見られ、火熱による損壊変色があることから、石棒は火と関連する祭祀で用いられた祭祀具と考えられる[1]。石棒の祭祀では、「勃起→性行為→射精→その後の萎縮」という男性器の一連の状態が「摩擦→叩打→被熱→破壊」として疑似的に見立てていたとされるものもある[1]。このように破損して出土する事例が非常に多いため、そこに意味を求める説があるが、それに懐疑的な意見もある[11]。また、墓に副葬された石棒もあるように、幾通りもの呪術的機能を持っていたことが推定される[12][13]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田中琢・佐原真(編集) 2002 『日本考古学事典』三省堂、487-488頁、
- 田村晃一・合田芳正(監修) 2004 『考古学探訪の基礎用語』山川出版社、74頁
- 山田康弘 2019 『縄文時代の歴史』講談社現代新書
- 鳥居龍蔵 1924 「石棒、石剣」『諏訪史』第1巻 信濃教育会諏訪部会
- 春成秀爾 1996 「性象徴の考古学」『国立歴史民俗博物館研究報告』66号 国立歴史民俗博物館
- 岡田茂弘 1960 「縄文文化の発展の地域性 近畿」『縄文時代』(日本の考古学Ⅱ) 河出書房新社
- 後藤信祐 1999 「遺物研究 石棒・石剣・石刀」『縄文時代』第10号第4分冊 縄文時代文化研究会
- 谷口康浩 2006 「石棒と石皿-象徴的生殖行為のコンテクスト-」『考古学』Ⅳ 安斎正人
- 山本暉久 1979 「石棒祭祀の変遷(上・下)」『古代文化』31巻11・12号 古代学協会
- 早川正一・林直樹2000『岐阜県吉城郡宮川村 塩屋金清神社遺跡(A地点)発掘調査報告書』岐阜県・宮川村教育委員会
- 三好清超・長田友也2012『島遺跡2・塩屋金清神社遺跡3』(飛騨市文化財調査報告書4) 飛騨市教育委員会
- 松井敬代・大下明・田村清一郎1997『見蔵岡遺跡その2』(竹野町文化財調査報告書11) 竹野町教育委員会
- 高橋潔・近藤奈央2010『上里遺跡1-縄文時代晩期集落遺跡の調査-』(京都市埋蔵文化財研究所調査報告第24冊)京都市埋蔵文化財研究センター
- 大下明2001「近畿地方における大型石棒の受容と展開(上)-頭部笠状二段大型石棒の創出-」『縄文・弥生移行期の石製呪術具3』国立歴史民俗博物館春成研究室