利用者:Yamada taichi/sandbox
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くらた しゅうじ 倉田 修次 | |
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本名 | 倉田修二 |
生年月日 | 1954年9月28日(70歳) |
出生地 | 兵庫県 |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
職業 | 撮影技師・撮影監督・照明技師 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ ・テレビCM |
活動期間 | 1977年 - |
主な作品 | |
TVCM 『東洋紡』PV |
倉田 修次(修二)(くらた しゅうじ、1954年9月28日 - )は、日本の撮影技師、撮影監督、照明技師。兵庫県出身。
来歴
[編集]1954年(昭和29年)、兵庫尼崎生まれ。 1974年(昭和49年)、撮影助手(当時リバーサルフィルムでの撮影)のアルバイトで関西TV、競馬ダイジェストを始めるが翌年の桜花賞では4コーナーからの直線撮影を担当する。 1977年(昭和52年)、映像京都撮影部。撮影助手として森田富士郎撮影監督に師事。当時、映像京都は大映京都撮影所を活動拠点として主にTV時代劇の制作をしていた。『[[新・木枯らし紋次郎』にて撮影助手見習い
1978年(昭和53年)、『柳生十兵衛』(原田大二郎主演)、『新・座頭市]]』(勝新太郎主演)で森田富士郎はじめ大映京都の撮影者の撮影助手(フォーカス)を務める。
1980年(昭和56年)、『徳川の女たち』(黒田義之監督)牧浦地志キャメラマンのもとで色彩計測を担当。入社3年目でのチーフである。『悪党狩り』(尾上菊五郎主演)でチーフを担当。
1981年(昭和56年)、同年から始まった時代劇スペシャル(フジテレビ)の数多くの色彩計測を担当、『丹下左膳 剣風!百万両の壺』 1982年(昭和57年)(五社英雄監督)。『地獄の掟』(井上昭監督)。両作品とも森田富士郎撮影監督について色彩計測をする。 1984年(昭和59年)、『旅芝居行進曲』(高橋勝監督)で森田富士郎渡邊貢に色彩計測を担当。 1986年(昭和61年)、『国士無双』( 保坂延彦監督)で村井博撮影監督に付き映画の色彩計測。
1986年(昭和61年)、『犬死にせしもの』(井筒和幸監督)で藤井秀雄の色彩計測を担当。他に『典子は今』(松山善三監督作品)、『里見八犬伝』(深作欣二監督作品)、につく。
1986年(昭和61年)、大映京都撮影所が完全閉鎖。仕事の場を街場に移す。(京都の太秦では大阪で仕事をする事を街場で仕事をすると言われる)「OTVF」のカメラマンに呼ばれTVCMのチーフとなる。その後CMプロダクション『大阪テレコム』や『学研クリエイティブ』でキャメラマンとしてデビュー。
1987年(昭和62年)、なんばcity生誕8周年バーゲンCMでCMキャメラマンとしてのキャリアが始まる。 1990年(平成2年)、情報センター/ジェイワン「履歴ビデオ」篇でACC地域賞、NTT中国/時報CM『秒針かあさん』篇でACC地域賞( ニッポンムービー制作)(すやかずし監督)を撮影。 1992年(平成4年)、近畿日本鉄道名阪特急『ばくざん』篇(創造)で、「ACC奨励賞」の撮影。 1996年(平成8年)、大阪ガス信頼向上CM「ドクトルガス」編(エンジンフィルム)藤田剛監督、ACC賞受賞の撮影担当。 2001年(平成13年)、ポン愛媛みかん100%『ガッツみかん』篇(シースリーフィルム大阪小田良之監督、ACC奨励賞の撮影。 2005年(平成17年)、「蒼のシテン」(富山チューリップTV制作)(鐘江稔監督)全映協デジタルコンテンツ部門最優秀賞「DCA」を受賞。それの撮影監督(撮影・照明)を担当
人物・エピソード
[編集]映像京都入社前は学生アルバイトでありながら、撮影助手(フィルムローダー)としてテレビ局で働いていた。その流れで映像京都に入ってからも時代劇の開いた時は関西テレビ系列のKACや毎日放送系列の放送映画フリー撮影助手として、数年後にはカメラマンとしてテレビ番組を撮影したという。撮影所では異例の3年でチーフ助手(色彩計測)になる。「優秀だったわけではなく、大映京都撮影所は一度倒産し、その後労働組合での運営等で東映労組との協力があり、大映撮影部が東映に行く事はなく、牧浦地志撮影監督が東映京都撮影所での仕事があり、比較的自由な倉田修二が皆に指名され牧浦氏に付いて東映に行ったという。しかしセカンド探しに手間取る。何故なら当時のセカンドさんは自分より一回り年上ばかりであった。仕方なく学生上がりの後輩をセカンドに、しかしフィルムは装填できるが、フォーカスは出来ず倉田が当初は計測とフォーカス両方を兼ねたそうだ。大映京都完全閉鎖と映画「犬死にせしもの」での現場に失望し暫く映画から離れるつもりで街場に行きCM撮影を中心になったという。大阪に出て2年でキャメラマンにさせて貰う。OTVFの大西和司キャメラマンが彼のCM時代の師匠である。師匠の言葉でCMに対する思いが変わったそうだ。「倉田、テレビ映画ではお客さんは大抵一回、再放送があったとしても2回観るのがやっとだ、映画も好きな場合は数回観るかもしれないが、CMは一日数回目にする物だ、だからこそ撮影は確りと撮らないといけないんだ」商品にかかる少しの影でも気になれば絶対に取り除くそれがCMである。京都撮影所では森田氏にキャメラマンは最初の観客で観客の代表として覗かないと駄目、CMではその商品を最初に素敵だと思う所まで高めないと駄目を教わったそうである。フィルムから時代はデジタルへ、そこで当時フィルムガンマに近いカーブを開発したPnasonic Varicamに興味を示しIBCの展示映像「ミステリアルオーシャン」を撮影、またパナソニックSSマーケティングと供にSudio DU大阪を開設、また自身の事務所IDC(映像創作集団)を3人の仲間と供に併設し現在に至る。自身は2014年から京都造形芸術大学の映画学科准教授を拝命し事務所経営は同じくキャメラマンの豊浦氏に預ける。
現在(協)日本映画撮影監督協会 理事 を務める。
参考文献
[編集]国立図書館所蔵 著作物 撮影監督協会機関誌「映画撮影」出版年 2005 年 タイトル:Forum日タイ映画人シンポジウム 著者:石田耕一郎 著者:倉田修二 記事種別:会議・学会報告・シンポジウム 対象利用者:一般 資料の種別:記事・論文 掲載誌情報(ISSN形式):02850346 掲載誌情報(ISSNL形式):02850346 言語(ISO639-2形式):jpn:日本語
京都造形芸術大学 映画学科 記事 http://www.eiga-gakka.org/blog/?tag=倉田修二