利用者:YoR
YoRとは1969年に出生した香川県出身の男性のオタク、組み込みプログラマである。なお2023年現在独身である。現在の居住地は千葉県北西部。勤務地は東京都内のいわゆる千葉都民。IQは130弱[要出典]、身長は中背で体格も普通である。血液型はA(遺伝子型はAAまたはAO)Rh+。星座はみずがめ座。家の宗派は浄土真宗東本願寺派であるが、本人は特定の宗教を信仰していない。同様に血液型占いも星座占いも信用していない。
もういい加減な歳ではあるがそれでも恋人募集中である。どうぞお気軽に声をおかけください。
出自[編集]
1969年、四国地方北東部の市に会社従業員の長男として生まれた。姓は西日本では三か所のみに集中しており、そのうちの一か所の出身であるため、由来(先祖)は東日本(おそらく下総国香取郡付近)であると思われる。系図には家系は桓武平氏良文流千葉氏支流白井氏の分流であると記述されている(祖は千葉(白井)八郎胤時とある)[要出典]。系図どおりであるならば平将門の女系子孫ということになる。家紋は「丸に橘」。この紋は徳川幕府の同姓の御家人(三代将軍家光に出仕)~旗本(十代将軍家治に拝褐)と同じ[1]であるが、関わりを示唆する資料(江戸城に仕えていた武士の子孫であるという記述がある)があるため現在調査中である。双方、同祖(良文流)を主張するが証拠はまだ見つかっていない。橘紋は、出生地近くの造田神社の神紋の一つと同じため、本家が神社の入口のすぐ横にあること、一族より代々神主が出ており何らかの関わりを疑わせる。高松松平家の転封とほぼ同時期に突如庄屋として現れた初代より代々名字帯刀を許された牢人(浪人)として地域史[2]に扱われている。父方の曽祖父は出生地の村の三代目村長(明治29年7月4日~明治38年4月3日)[3]。また祖父が分家をしているが、系譜では初代から当人(YoR)まで十代の間、男系で続いている。祖父は軍艦でイギリスへ訪問したことがある。
祖父は終戦後、職と財産を失ったが、妻方の親族(妻方より入嫁)から援助を受け、土地を借り受けて生計を持つに至った。その土地はのちに購入したため現時点も所有している。この経緯の為、その親族の分家筋と見なされていたという伝聞がある。
母方は昼寝城主を先祖に持つという家系伝説を持つ。母方の曽祖父に出生地の村の大正年間(6~7年) の議員[4]。祖父も戦後すぐに農協の理事をしていた[5]。また、母方を含めその先祖の多くが讃岐橘氏の系譜を引くと本人は主張する。これらの氏族は本来は祖先として神櫛皇子(稚武彦命は遠祖への事象のコピーか)を称しており、いわゆる桃太郎の由来となる人物であるため、遠祖は桃太郎と称える。単に名字由来のみでは清和源氏や児島氏流などもいる。
また親族に横綱審議委員会の元委員、元国立大学学部長などがいる。柴野栗山の後裔も親族である。過去の親族(母方の祖母の兄弟)には近衛師団に所属したものや、宮中の女官に上がったものもいる。また、同姓のWikipediaの記事にもなった人物とも系譜上は関わりがある(同祖であることが判明。靖の祖父が本家の養子となっている。おそらく修と靖は又従兄弟である。)が血縁は不明。
ただし本人の社会的ステータスが別に高いわけではない。また親族関係から地元の豪農階級の家柄だと推測される。父方の祖母と母方の祖母の双方の兄弟が結婚したため、両親には共通する従兄弟がいるという系図上は珍しい家系である。
出自を元に、古来の日本人の命名法を用いて、辻堂平四郎左衛門平重将朝臣とも名乗る。
成長[編集]
幼少期に父の転勤に伴い兵庫県に転出。そのまま七年間兵庫県内に居たため兵庫県出身を名乗る権利を手にする。ただし本人は香川県出身のつもりである。
その後、福岡県に転出。四年を過ごして中学を卒業したのち栃木県へ。転勤の決定が栃木県公立高校入試の願書締め切り前日であったため、ろくに調べずに男子校へ願書を出し無事合格。栃木県時代に栃木放送のラジオ番組「ヒポタマランド」の影響を受け、コアなオタクに成長する。
高校卒業すると現役で東京都内の私立大学の理学部I部応用化学科に進学。学校が好きで学部生のまま六年間在籍する。 現在はコリア街として有名な大久保、また地名が都内と紛らわしい川越市霞ヶ関に居住していたことがある。
大学在学中に、アルバイトをしていた会社に正社員として就職。その後転変はあったものの現在もそのまま在籍中。
資格、免許、学位等[編集]
業績[編集]
いくつかの組み込み機器のファームウェア開発に関わる。 かつて模型会社の対戦型ラジオコントロール模型のファームウェア開発を行った。 大手給湯器メーカーの音声発生部のプログラムユニットは多く手掛けている。
某アニメの某キャラクターのモデルであり[要出典]、第57回日本SF大会にて当アニメ企画の司会者として出演した。
2021年に開催された第60回日本SF大会 SF60 の実行委員長。当大会は本会としては四国初の開催。過去に本大会ではないがSFコンベンションは行われたことがある。