コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

讃岐国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
讃岐から転送)
讃岐国

-讃岐国
-南海道
別称 讃州(さんしゅう)
所属 南海道
相当領域 香川県[注 1]
諸元
国力 上国
距離 中国
11郡90郷
国内主要施設
讃岐国府 香川県坂出市
讃岐国分寺 香川県高松市讃岐国分寺跡
讃岐国分尼寺 香川県高松市(讃岐国分尼寺跡
一宮 田村神社(香川県高松市)
テンプレートを表示

讃岐国(さぬきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。現在の香川県上国

国名

[編集]

古事記に見る神代の呼称は「飯依比古」と云い、伊予之二名島の顔の一つとされた。 国名の表記として、「讃岐」のほか「讃伎」「賛支」とも表記されたことが木簡から分かっている[1]

高松藩藩儒、中山城山[注 2]によってまとめられた地誌である『全讃史』(1828年(文政11年)に成立)には「四国内の他の国よりも緯[注 3]が狭いために『狭緯(さぬき)』と称した」とされ、この名称と文字が時を経るに転じて『讃岐』となったと記されている[2][3]

現在でも香川県の地域区分として「東讃」「中讃」「西讃」という名称が使用されている。

沿革

[編集]

律令制において、讃岐国造の領域であった現在の香川県四国部分と、おそらく塩飽諸島を範囲として成立した。江戸時代に小豆島と直島諸島が備前国から譲られた。

平安時代初期には真言密教を興すことになる空海が讃岐国那珂郡に生まれた。平安末期には瀬戸内海水運を握っていた平家が屋島を根拠地の一つとしていたが、源義経の奇襲に敗れて滅んだ。室町時代には細川氏が讃岐に根を張る南朝方を白峰合戦で破ると、讃岐阿波を中心として細川一族が四国を管轄した。

近代以降の沿革

[編集]

国内の施設

[編集]
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

国府

[編集]
讃岐国府跡碑(香川県坂出市

国府阿野郡に存在した。現在の坂出市府中町(北緯34度17分36.97秒 東経133度55分06.25秒 / 北緯34.2936028度 東経133.9184028度 / 34.2936028; 133.9184028 (讃岐国府跡))において、2012年度(平成24年度)に中心施設が見つかっている[4]

  • 国分寺・国分尼寺

神社

[編集]
延喜式内社
延喜式神名帳』には、大社3座3社・小社21座の計24座が記載されている(「讃岐国の式内社一覧」参照)。大社3社は以下に示すもので、いずれも名神大社である。
総社一宮以下
『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[5]

三宮以下は不詳[6]。一説に、多和神社(さぬき市志度、北緯34度19分17.97秒 東経134度09分54.49秒 / 北緯34.3216583度 東経134.1651361度 / 34.3216583; 134.1651361 (多和神社(一説に讃岐国三宮)))では讃岐国三宮であると伝える。

要塞

[編集]
  • 屋島城(高松市屋島東町、北緯34度21分14.76秒 東経134度6分19.21秒)

白鳳7年(667年白村江の戦い新羅連合軍に敗れた大和朝廷日本本土防衛のため築いた。

地域

[編集]

[編集]

和名抄』には、小豆郡を抜いた11郡(刈田郡含む)が掲げられている。

江戸時代の藩

[編集]

人物

[編集]

国司

[編集]

※日付=旧暦

讃岐守

[編集]

讃岐介

[編集]
  • 紀長谷雄(892年(寛平4年)5月23日-897年(寛平9年)5月25日)従五位上→従四位下
  • (権介)源頼家(1198年(建久9年)1月13日-1199年(建久10年)1月20日)従五位上→正五位下

守護

[編集]

鎌倉幕府

[編集]

室町幕府

[編集]

戦国時代

[編集]

戦国大名

[編集]
  • 十河氏:在地の土豪で、阿波の三好氏と結び、勢力を拡大した。三好氏没落後、長宗我部元親に領土を奪われるが、豊臣秀吉により十河城周辺のみを安堵された。
  • 讃岐香川氏:讃岐守護代。鎌倉景正の子孫で讃岐西半分を支配したが、長宗我部元親に降伏し従ったため、秀吉により改易された。
  • 長宗我部元親:土佐の戦国大名。香川氏を従えさせ、1580年頃には讃岐の大半を平定、1584年には十河城を落とし讃岐を完全に平定(離島部を除く)(異論あり)したが、翌年の豊臣秀吉の四国侵攻により土佐一国のみ安堵される。

豊臣政権

[編集]

武家官位としての讃岐守

[編集]

江戸時代以前

[編集]

江戸時代

[編集]

讃岐国の合戦

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 成立当初の領域には、小豆島直島諸島は含まれていない。
  2. ^ 江戸後期の儒学者高松藩が召し抱えた藩儒のひとり。1763年 - 1837年
  3. ^ ぬき。東西の距離のこと。

出典

[編集]
  1. ^ 讃伎国那珂郡調備頭打○二斗」、「賛支国□」(奈良文化財研究所木簡データベース)。
  2. ^ 中山城山著・青井常太郎訳『国譯 全讃史』藤田書房、1937年6月20日原本初版発行、1972年8月1日復刻初版発行。P.18
  3. ^ 中山城山著・桑田明訳『口訳 全讃史』城山会・美巧社、1991年2月24日初版発行。P.15
  4. ^ 讃岐国府跡探索事業(香川県埋蔵文化財センター)。
  5. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 546-547。
  6. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)p. -547。

参考文献

[編集]

関連書籍

[編集]
  • 木原溥幸 『近世讃岐地域の歴史点描』 美巧社、2016年7月初版。ISBN 978-4-86387-074-1
  • 木原溥幸 『地域にみる讃岐の近世』 美巧社、2016年12月第2版。ISBN 978-4-86387-079-6
  • 唐木裕志・橋詰茂・大山真充・渋谷啓一・古野徳久・萩野憲司(著,編集),芳地智子・石井信雄・森格也・松本和彦・松田朝由・片桐孝浩・乗松真也・山内譲・久葉裕可・土居聡朋・山内治朋・福家清司・長谷川賢二・市村高男(著) 『中世の讃岐』 美巧社、2016年11月第2版。ISBN 978-4-86387-078-9
  • 木原溥幸(著,編集),井上勝之・植村正治・岡俊二・小山泰弘・千葉幸伸・平井忠志・眞井孝征・丸尾寛・溝渕利博・渡部明夫(著) 『近世の讃岐』 美巧社、2013年12月第2版。ISBN 978-4-86387-042-0
  • 木原溥幸(著,編集),安藤文良・井上勝之・大山真充・坂田知己・長町博・渡辺昭夫(著) 『古代の讃岐』 美巧社、2013年11月第2版。ISBN 978-4-86387-040-6
  • 武田和昭 『讃岐の仏像 下』 美巧社、2014年1月第2版。ISBN 978-4-86387-051-2
  • 武田和昭 『讃岐の仏像 上』 美巧社、2013年11月第2版。ISBN 978-4-86387-043-7
  • 小林良生 『讃岐の紙』 美巧社、2013年7月初版。ISBN 978-4-86387-032-1
  • 木原溥幸 『近世後期讃岐の地域と社会』 美巧社、2012年11月初版。ISBN 978-4-86387-027-7
  • 木原溥幸 『史料にみる讃岐の近世』 美巧社、2010年11月初版。ISBN 978-4-86387-009-3
  • 木原溥幸 『藩政にみる讃岐の近世』 美巧社、2007年4月初版。ISBN 978-4-938236-14-4
  • 阿津秋良(津森明) 『讃岐おもしろ人物図鑑パートⅢ』 美巧社、2009年7月初版。ISBN 978-4-938236-15-1
  • 阿津秋良(津森明) 『讃岐おもしろ人物図鑑パートⅡ』 美巧社、2003年2月初版。ISBN 978-4-938236-82-3
  • 阿津秋良(津森明) 『讃岐おもしろ人物図鑑』 美巧社、1997年11月初版。
  • さぬきうどん研究会 『新 讃岐うどん入門』 美巧社、2006年10月改訂第4版。ISBN 978-4-938236-81-6
  • 津森 明 『古典に見る讃岐路』 美巧社、2006年4月初版。ISBN 978-4-938236-95-3
  • 津森 明 『義経 讃岐を駆ける』 美巧社、2005年1月初版。ISBN 978-4-938236-90-8

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]