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藤原有相

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原有相
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 延喜8年(908年
死没 天徳3年5月9日959年6月17日
官位 正四位下参議
主君 醍醐天皇朱雀天皇村上天皇
氏族 藤原北家冬嗣流
父母 父:藤原恒佐、母:源定有の娘
兄弟 有相、有時、有章、真忠、陳忠、則忠、懐忠、国忠、常明親王
藤原伊衡の娘
方儀、藤原遠量
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藤原 有相(ふじわら の ありすけ)は、平安時代中期の公卿藤原北家右大臣藤原恒佐の長男。官位正四位下参議

経歴

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醍醐朝にて、左兵衛少尉左近将監と武官を歴任する。

朱雀朝即位に伴って六位蔵人になると、承平2年(932年従五位下叙爵し、翌承平3年(933年侍従に任ぜられる。承平5年(935年摂津守として地方官に転ずるが、任期中の承平8年(938年)正月に従五位上に叙され、同年7月に摂津守に再任している。天慶3年(940年)正月に右衛門権佐として京官に復すが、同年12月に右少弁に遷ると、天慶4年(941年)左少弁、天慶8年(945年正五位下・右中弁と朱雀朝後半は弁官を歴任した。

天慶9年(946年村上天皇が即位すると従四位下に叙され、天暦2年(948年蔵人頭(頭弁)に任官する。その後も、天暦5年(951年)従四位上・右大弁、天暦8年(954年)左大弁と引き続き弁官を歴任し、天暦9年(955年)に参議に任じられ公卿に列す。議政官として左大弁や讃岐権守播磨権守を兼ね、天徳2年(958年)には正四位下に叙せられている。

天徳3年(959年)5月9日薨去享年52。最終官位は参議正四位下左大弁。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

出典

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  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年