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利重孝夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
利重 孝夫
名前
カタカナ トシシゲ タカオ
ラテン文字 TOSHISHIGE Takao
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-04-21) 1965年4月21日(59歳)[1]
ユース
チーム
読売クラブユース
1984-1987 東京大学
監督歴
チーム
2013- 東京大学
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

利重 孝夫(とししげ たかお、1965年4月21日 - )は、日本実業家、元サッカー選手およびサッカー指導者。

人物

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高校時代は読売サッカークラブのユースに所属[2]。1984年に東京大学へ入学し、在学中はア式蹴球部に在籍した。1988年に東大教養学部を卒業して日本興業銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)に入行[1]。その後、コロンビア大学に留学して1994年6月に同大学経営大学院修士号を修得した[1]

2001年9月、楽天に入社[1]。2005年5月に執行役員、2007年3月に取締役、同年4月に常務執行役員、2008年1月にコンテンツ事業部長を歴任した[1]。また、この間にショウタイム(現:楽天ショウタイム)の副社長やクリムゾンフットボールクラブ(日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴィッセル神戸の運営会社)の取締役も務めた[3]。2002年に楽天が東京ヴェルディ1969のユニフォームスポンサーとなり[4]、楽天がサッカービジネスに参画するきっかけを作ったのは、同社代表の三木谷浩史の指示でサッカー経験のある利重が担当となり、読売クラブの後身であるヴェルディとの契約にこぎつけたことだったと利重自身が振り返っている[5]。2012年3月、楽天の取締役を退任した[6]

その後はフットボリスタなどを発行する出版会社のソル・メディアの代表取締役を務める他、2013年度より母校の東京大学運動会ア式蹴球部の監督に就任。2014年11月にシティ フットボール グループ(CFG)日本代表のマネージング・ディレクターに就任、2015年1月にLB-BRB TOKYOの理事に就任した[2]

2016年4月、CFGが株主となっていた横浜F・マリノスの運営企業、横浜マリノス株式会社のエグゼクティブ・アドバイザーとなり、同年6月には同社取締役に就任。7月からはF・マリノスのチーム統括本部長も兼任し、強化と経営の両面を担当して、日産自動車出身の長谷川亨社長らの日本側経営陣とCFGとの間の調整、およびチームの中核選手だった中村俊輔の退団を含むチーム体制変革に従事した[7]。2017年2月からはスポーティング・ダイレクターのアイザック・ドルに強化部門の職務を譲って自身は取締役専念となり[8]、2019年にF・マリノスがJ1リーグで15年ぶりの優勝を果たす一翼となった。

脚注

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  1. ^ a b c d e 楽天株式会社 第14期有価証券報告書、2014年10月3日閲覧
  2. ^ a b 「シティ・フットボール・グループの世界戦略」セミナーが福岡・東京・大阪で開催”. サッカーキング (2015年5月1日). 2015年5月8日閲覧。
  3. ^ スピーカー略歴”. 日本経済新聞. 2014年10月3日閲覧。
  4. ^ ユニフォームの胸部分に「楽天 ICHIBA」のロゴを掲載。
  5. ^ 「サッカービジネスとの出会いは楽天時代」シティ・フットボール・ジャパンの代表が語るスポーツ業界の可能性/前編”. サッカーキング (2015年12月1日). 2022年6月13日閲覧。
  6. ^ 取締役の異動について”. 楽天 (2012年2月20日). 2014年10月3日閲覧。
  7. ^ マリノス優勝を「必然」にした改革5年間の知られざる真実 シティ・フットボール・グループ利重孝夫の独白”. REAL SPORTS (2020年2月2日). 2022年6月13日閲覧。
  8. ^ 横浜FM、利重チーム総括本部長が取締役に専念…ドル氏が職責引継へ”. サッカーキング (2017年2月23日). 2022年6月13日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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