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アーベル圏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加法圏から転送)
数学 > ホモロジー代数圏論 > アーベル圏

アーベル圏(アーベルけん、: abelian category[注 1])とは(コ)チェイン複体ホモロジー/コホモロジー層のコホモロジーの双方を展開するのに十分な構造を備えたである。

アーベル圏となる圏の具体例としてはアーベル群の圏環上の加群の圏、アーベル圏上の(コ)チェイン複体の圏、およびアーベル圏に値を取る前層や層の圏が挙げられる。

アーベル圏の著しい性質として加法圏になる事、すなわちアーベル圏の対象間の射のクラスがアーベル群になる(事に加え、いくつかのよい性質を満たす)事が挙げられる。

アーベル圏が小さい圏であればアーベル圏は加群の圏に埋め込める(ミッチェルの埋め込み定理)。よって特に加群の圏で成立する事実、例えば5項補題蛇の補題のようにホモロジー代数を展開する上で必須となる補題を満たす。


マックレーン[1]グロタンディークが1958年の論文[2]でアーベル圏を定義したとするが、別の文献[3]によれば、アイレンベルグの弟子の[3][4]デイビット・バックズバウム[訳語疑問点]が1955年の博士論文[5]で「exact category」の名称でこの概念を提案し、これを知ったグロタンディークが「アーベル圏」という名前でこの概念を広めた。

加法圏

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上述のようにアーベル圏の著しい性質として加法圏になる事が挙げられるので、本節ではアーベル圏を導入する準備として、加法圏の定義とその性質を述べる。

定義

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加法圏は以下のように定義される:

定義 ― 前加法圏: preadditive category: Ab-category)であるとは、の任意の対象ABに対し、には2項演算子「」が定義されており、「」に関してアーベル群になり、さらに任意の射に対し、射の結合は下記の双線型性を満たす事を言う[6]

定義 ― 前加法圏加法圏英語版: additive category)であるとは、以下を満たす事を言う[7][8][9][10][11][注 2]

  1. 零対象を持つ
  2. の任意の対象ABに対し、ABが常に存在する。

特徴づけ

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加法圏の1番目の条件は以下のようにも言い換えられる:

定理 ― を前加法圏とし、Zの対象とするとき、以下の4条件は同値である[7]

  • Z始対象である。
  • Z終対象である。
  • のアーベル群としての単位元をと表すと、
  • は単位元のみからなる群である。

加法圏の2番目の条件は以下のようにも言い換えられる:

定理 ― を零対象Zが存在する前加法圏とするとき、以下は同値である[12]

  • の任意の対象ABに対し、ABの積が常に存在する。
  • の任意の対象ABに対し、AB余積が常に存在する。
  • の任意の対象ABに対し、AB複積英語版(後述)が常に存在する。

ここで複積とは以下のように定義される概念である:

定義 ― ABを前加法圏の対象とするとき、

AB複積: biproduct)であるとは、以下を満たす事を言う[12]

実は次が成立する:

定理 ― を加法圏とし、AB対象とするとき、ABの積、余積、複積は一致する[12]

アーベル圏

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本節ではまずアーベル圏の定義を述べ、次にアーベル圏が加法圏になる事を見る。そしてアーベル圏上のホモロジー代数について述べ、最後にアーベル圏が小さい圏であれば加群の圏に埋め込める事を見る。

定義

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アーベル圏は以下のように定義される。

定義 ― が以下の4つの性質をみたすとき、アーベル圏であるという[13]

  1. 零対象が存在する。
  2. の任意の対象ABに対し、ABおよび余積が常に存在する。
  3. の任意の射には余核が存在する。
  4. 任意のモニック射に対しある射が存在し、gの核である。また任意のエピック射に対しある射が存在し、hの余核である。

Rをfixするとき、R-加群の圏R-Modはアーベル圏である[14]。よって特に-加群の圏、すなわちアーベル群の圏Abはアーベル圏である[14]。それ以外の具体例は後述する。

像と余像

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アーベル圏では射の射の核と余核の存在が保証されているので、以下の定義ができる:

定義 ― アーベル圏の射の余核の核f: image)という[15][16]

R-加群の圏の場合はfの余核Cなので、の核は通常の意味でのfに一致する。一般のアーベル圏の場合も、像k圏論的な意味での像の定義を満たす[15]

像と双対的に余像も定義できる:

定義 ― アーベル圏の射の核の余核f余像: coimage)という[16]

「核の余核」という定義より、R-加群の圏の場合、余像は通常の意味での余像に一致する。一般のアーベル圏の場合も圏論的な意味での余像の定義も満たす。

単射と全射

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アーベル圏では単射と全射を定義でき、これらはそれぞれモニック射、エピック射に一致する:

定義 ― をアーベル圏とし、の射とする。このとき

  • f単射: injective)であるとは、となる事をいう[17]
  • f全射: surjective)であるとは、となる事をいう[17]

定理 ― をアーベル圏とし、の射とする。このとき、

  • fが単射である必要十分条件はfがモニック射である事である[17]
  • fが全射である必要十分条件はfがエピック射である事である[17]

アーベル圏は加法圏

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アーベル圏の重要な性質として、アーベル圏が加法圏になる事が挙げられる:

定理 ― アーベル圏は加法圏である[18]

アーベル圏の定義から、零対象の存在性と積の存在性は明らかに従うので、にアーベル群の構造が入ることのみ示せば良い。ここでは上の加法の定義を述べるにとどめ、加法がアーベル群の公理を満たすことの証明は略す。

準備

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に加法を定義するためにいくつか記号を定義する。アーベル圏の対象CAに対し、AA自身との積をとし、を2つの射とするとき、

such that ,

となるものが積の普遍性から一意に存在する。同様に余積と2つの射に対し、射

such that ,

となるものが余積の普遍性から一意に存在する。

加法の定義

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ABをアーベル圏の2つの対象とすると、自然な写像

は同等射になる[19]。そこでこれら二つを同一視し、2つの射に対し、

とすると[注 3]、以下が成立する:

定理 ― 記号を上と同様に取るとき、任意のに対し、

が成立する[19]。そこで「」と「」を区別せず単に「」と書くと、は「」に関してアーベル群であり[19]、しかも「」は射の結合に関して双線形性を満たす[19]

上記の定理からアーベル圏は加法圏である事が従う。

ホモロジー代数

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アーベル圏には零対象0があり、しかも像、核、および余核を定義できるので、アーベル圏上のチェイン複体

such that for

により定義でき、さらにその完全性

for

を定義できるなど、ホモロジー代数を展開するに十分な性質を満たしている。

特にホモロジー代数で必須となる以下の補題はアーベル圏でも成り立つ:

R-加群の圏への埋め込み

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アーベル圏は具体圏英語版とは限らないので、一般的にはアーベル圏の対象Aに対して「Aの元」という言葉は意味を持たない。しかしアーベル圏が小さい圏であれば、アーベル圏はR-加群の圏に埋め込むことができ、したがって埋め込み先で「Aの元」を考える事ができる[24]

定理 (ミッチェルの埋め込み定理) ― アーベル圏小さい圏であれば、ある環Rが存在してから左R-加群の圏R-Modへの共変関手

充満かつ忠実でしかも完全(後述)なものが存在する[25][注 4]

ここで「完全」は以下のように定義する:

定義 ― アーベル圏からアーベル圏への(共変)関手完全: exact)であるとは、の対象からなる任意の3項完全列

に対し、

も完全列になる事を言う[26]

なお、関手が完全であれば、3項のみならず任意の長さの完全系列に対して同様の事が成り立つ事を容易に示せる。


上記の定理からわかるように、アーベル圏の図式に関する定理を示したい場合はR-加群に埋め込んだ上でその定理を証明する事ができる[25]。よってR-加群の図式に対して成り立つ性質、例えば前述の5項補題や蛇の補題は任意のアーベル圏で成立する。

具体例

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前述のようにRに対しR-加群の圏R-Modはアーベル圏であり[14]、特にアーベル群の圏Abはアーベル圏である[14]。また有限生成なアーベル群の圏や捩れアーベル群の圏もアーベル圏であるが[14]、捩れなしのアーベル群の圏は(余核は捩れなしとは限らないので)アーベル圏ではない[14]。よってアーベル圏の充満部分圏はアーベル圏とは限らない[14]

アーベル圏の定義は射の向きを反対にしても不変なので、以下が成立する:

定理 ― をアーベル圏とすると、双対圏はアーベル圏である[27]

前述のように左R-加群の圏R-Modはアーベル圏なので、上記の定理から右R-加群の圏Mod-Rもアーベル圏である。


アーベル圏上でチェイン複体を定義できる事をすでに見たが、チェイン複体のなす圏はアーベル圏になる:

定理 ― をアーベル圏とすると、上のチェイン複体の圏はアーベル圏である[28]

アーベル圏の双対もアーベル圏になる事から上のコチェイン複体の圏もアーベル圏になる。以上の事からR-加群上のホモロジーコホモロジーをアーベル圏に一般化できる。


アーベル圏上の前層や層もアーベル圏になるので、層係数のコホモロジーもアーベル圏上で展開できる:

定理 ― Xを位相空間とし、をアーベル圏とすると、に値を取るX上の前層の圏およびの圏はいずれもアーベル圏である[29]

アーベル圏の前層がアーベル圏になるのは下記の事実から従う:

定理 ― をアーベル圏、を小さい圏とするとからへの関手の圏はアーベル圏である[30]

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出典

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  1. ^ #MacLane p.205.
  2. ^ Grothendieck (1957)
  3. ^ a b David Eisenbud and Jerzy Weyman. “MEMORIAL TRIBUTE Remembering David Buchsbaum”. American Mathematical Society. 2023年12月22日閲覧。
  4. ^ David Buchsbaum”. nLab. 2023年12月22日閲覧。
  5. ^ Buchsbaum (1955)
  6. ^ #MacLane p.28, 194.
  7. ^ a b #MacLane p.194.
  8. ^ #河田 p.177.
  9. ^ additive category”. nLab. 2023年12月19日閲覧。
  10. ^ additive category”. Encyclopedia of Mathematics. 2023年12月19日閲覧。
  11. ^ #Rotman p.303.
  12. ^ a b c #河田 p.178.
  13. ^ #河田 p,168,
  14. ^ a b c d e f g #Rotman p. 308.
  15. ^ a b #Rotman p.309
  16. ^ a b #河田 pp.174-177.
  17. ^ a b c d 12.5 Abelian categories”. The Stacks project. Columbia University. 2024年1月9日閲覧。
  18. ^ #河田 p.180.
  19. ^ a b c d #河田 pp.193-194.
  20. ^ #河田 p.193
  21. ^ #河田 p.189
  22. ^ 12.13 Complexes”. The Stacks project. Columbia University. 2024年1月9日閲覧。
  23. ^ #Rotman p.349.
  24. ^ #玉木
  25. ^ a b #Mitchell p.151.
  26. ^ #Rotman p.315.
  27. ^ #Rotman p. 307.
  28. ^ #Rotman p.319.
  29. ^ #Rotman pp. 309-311.
  30. ^ #Rotman p.310.

注釈

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  1. ^ アーベルの名にちなむが、「abelian」の語頭は小文字を用いる。本項執筆者が確認した範囲では、#Rotman p.303、#Mitchell p.33. #MacLane p.198で小文字であった。
  2. ^ #河田のみ2番めの条件が「2つの対象の積」ではなく単に「積」になっているが、「2つの対象の積」の意味であると判断。実際その直後に2つの積が余積や複積と等しいことを示している。
  3. ^ 対角射は双対対角射である。
  4. ^ 本項では#Mitchellに基づいてステートメントを書いたが、#Rotman p.316.では本項の「R-Mod」の部分がアーベル群の圏「Ab」になっている。これはR-加群をアーベル群と解釈できる事による。

文献

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参考文献

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  • 河田敬義『ホモロジー代数』岩波書店〈岩波基礎数学選書〉、1990年11月8日。ISBN 978-4000078047 
  • Saunders Mac Lane (2013/4/17). Categories for the Working Mathematician. Graduate Texts in Mathematics. 5 (second ed.). Springer Science+Business Media. ISBN 978-1-4757-4721-8 
  • Joseph J. Rotman (2008/12/10). An Introduction to Homological Algebra. Universitext (second ed.). Springer-Verlag (Originally published by Academic Press, 1979). ISBN 978-0-387-68324-9 
  • 玉木大(信州大学教授). “Abel圏でのホモロジー代数”. Algebraic Topology: A guide to literature. 2023年12月20日閲覧。

原論文

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その他の文献

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関連項目

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