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勝川春好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五代目市川團十郎の『』。春好画。

勝川 春好(かつかわ しゅんこう、寛保3年〈1743年〉 - 文化9年10月28日1812年12月1日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師

来歴

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勝川春章の門人。本姓は清川、通称伝次郎。勝川の画姓を称す。『画師冠字類考』(観嵩月編、文政年間の成立)には、通称喜三郎、一度破門されて蘭秀と名乗ったが、春章と和睦して春好に改号したとする異説がある[1]。作画期は明和末年から文化の頃にかけてで、作品は細判の役者絵が最も多く、細判二枚続、三枚続に特色が見られる。役者大首絵のほか相撲絵の作もある。天明8年(1788年)から寛政2年(1790年)頃には、半身像による大首絵をさらにクローズアップさせたブロマイドのような「大顔絵」で五代目市川團十郎の『暫』などを描いた。春好の「大顔絵」は後の東洲斎写楽に影響を与えたといわれる[2]。ほかに黄表紙洒落本挿絵も手がけている。『浮世絵類考』には四十五、六歳の頃に中風を患い、右手が使えなくなったことにより以後は絵を描くことを止め、麻布の善福寺に遁世したが、烏亭焉馬の求めにより市川白猿の像を左筆で描いたとある[3]。享年70。墓所は台東区西浅草の善照寺、法名は釈春好信士。

作品

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脚注

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  1. ^ 神谷勝広「勝川春章伝記小考」 『浮世絵芸術』173号(国際浮世絵学会、2017年)掲載。
  2. ^ 『図説浮世絵入門』46頁。
  3. ^ 仲田勝之助・編校『浮世絵類考』岩波文庫、1982年、127p頁。 

参考文献

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  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
  • 吉田漱 『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年 ※102頁
  • 稲垣進一編 『図説浮世絵入門』〈『ふくろうの本』〉 河出書房新社、1990年
  • 小林忠編 『肉筆浮世絵大観(2) 東京国立博物館Ⅱ』 講談社、1995年 ※185頁
  • 小林忠監修 『浮世絵師列伝』 平凡社<別冊太陽>、2006年1月 ISBN 978-4-5829-4493-8

関連項目

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