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北川公一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北川 公一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県西宮市
生年月日 (1941-06-29) 1941年6月29日(83歳)
身長
体重
178 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1964年
初出場 1964年
最終出場 1974年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

北川 公一(きたがわ こういち、1941年6月29日 - )は、兵庫県西宮市[1]出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

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甲陽学院高校卒業後の1960年慶應義塾大学へ進学し、東京六大学リーグでは藤悟郎(日本石油)・渡辺泰輔の両エースを擁し、3年次の1962年秋季で6年振りの優勝を飾る。4年次の1963年春季でも連続優勝に貢献し、ベストナイン(外野手)に選出された。同年の全日本大学野球選手権大会は、決勝で新宅洋志松村正晴らのいた駒大を降し優勝。リーグ通算63試合に出場し、187打数51安打、打率.273、0本塁打、25打点を記録。大学同期に一塁手西岡浩史遊撃手石黒和弘がいる。

卒業後の1964年近鉄バファローズへ入団[1]し、2年目の1965年のシーズン後半から一軍に定着。3年目の1966年は開幕当初は代打での出場が主だったが、7月以降は山本八郎に代わり右翼の定位置を獲得し、78試合に先発出場。規定打席には到達しなかったものの主に俊足の2番打者として、安井智規小玉明利と共にチャンスメーカーとしての役割を担う。1967年は正右翼手として123試合に出場、主に6番を任され初めて規定打席に到達する(22位、打率.250)。1968年も開幕から正右翼手として出場するが打撃不振に陥り、シーズン後半は新人の永淵洋三に定位置を譲るようになる。

1969年以降は自身の故障に加え前出の永淵や若手の小川亨らが外野のレギュラーに定着したため、出場がほぼ代打に限られるようになったが、1972年には規定打席不足ながら打率.302をマークするなど勝負強い打撃で長くチームに貢献した。同年7月2日阪急戦(日生)では0-1とリードされた9回裏二死一塁の場面で児玉弘義の代打で起用され、足立光宏から3号逆転サヨナラ2ラン本塁打を放つ。試合は近鉄が2-1で勝利し、連敗を6で止めた。北川は試合後、「負けていたがチームの雰囲気は良かったから打てたんです」と喜んでいた[2]。なおこの本塁打が現役最後の本塁打となった。1974年限りで現役を引退[1]

引退後はサラリーマン生活をしていたが、1994年より神戸製鋼コーチに就任[3]。その後はクラブチーム「全播磨硬式野球団」コーチ[4]→アドバイザーを務め、アドバイザーと並行して2009年には関西独立リーグ明石レッドソルジャーズ監督にも就任したが、2010年8月20日に同年5月から体調を崩していた影響から休養が決定した。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1964 近鉄 72 61 56 7 10 2 0 0 12 2 0 2 0 1 4 0 0 5 1 .179 .233 .214 .448
1965 108 126 120 4 20 2 0 0 22 2 2 1 2 0 4 0 0 10 3 .167 .194 .183 .377
1966 114 339 323 31 82 15 3 5 118 22 6 7 7 0 9 0 0 25 6 .254 .274 .365 .639
1967 123 425 388 45 97 8 2 5 124 36 5 9 5 3 23 2 6 26 3 .250 .302 .320 .622
1968 113 272 248 15 55 7 0 3 71 21 7 6 5 2 15 3 2 18 4 .222 .272 .286 .558
1969 32 34 32 1 9 1 0 1 13 6 0 0 0 0 1 0 1 2 0 .281 .324 .406 .730
1970 78 123 103 3 29 3 1 0 34 17 0 0 6 3 11 1 0 7 4 .282 .351 .330 .681
1971 74 93 83 4 19 3 0 1 25 14 0 0 0 1 6 1 3 4 5 .229 .304 .301 .606
1972 68 95 86 5 26 2 0 3 37 18 0 0 0 1 8 2 0 6 1 .302 .362 .430 .792
1973 66 67 61 0 14 0 0 0 14 16 0 0 1 1 3 0 1 8 5 .230 .277 .230 .506
1974 27 28 23 1 5 0 0 0 5 4 0 0 0 2 3 0 0 1 0 .217 .308 .217 .525
通算:11年 875 1663 1523 116 366 43 6 18 475 158 20 25 26 14 87 9 13 112 32 .240 .287 .312 .599

背番号

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  • 28(1964年 - 1965年)
  • 25(1966年 - 1974年、2009年 - 2010年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、183ページ
  2. ^ 日刊スポーツ1972年7月3日北川(代打)が逆転サヨナラ2ラン
  3. ^ スポーツコミュニケーションズ 第1回 明石・北川公一「NPBに一番近い右腕・百合」
  4. ^ チーム情報 2006年 登録・変更情報 日本野球連盟(JABA)

関連項目

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外部リンク

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