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北海道庁爆破事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北海道庁爆破事件
場所 日本の旗 日本北海道札幌市中央区
標的 北海道庁舎
日付 1976年昭和51年)3月2日
午前9時2分頃
攻撃手段 時限爆弾
死亡者 2名
負傷者 80名余
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北海道庁爆破事件(ほっかいどうちょうばくはじけん)とは、1976年昭和51年)に北海道庁舎に仕掛けられた爆弾爆発し、2名の死者を出した事件。

事件の概要

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1976年(昭和51年)3月2日午前9時2分頃、札幌市中央区北海道庁本庁舎1階ロビー西側エレベーター付近で爆発が起こった。ロビーのガラスがことごとく割れ、天井が抜け落ちるほど爆発の規模は大きく、出勤途中の職員2名が殉職、80名余りが重軽傷を負った。その後、爆発したのは時限式消火器爆弾と判明。職員の出勤ラッシュ時間帯を狙った犯行であったと目された。事件後、北海道新聞社東アジア反日武装戦線を名乗る男から「大通りコインロッカーに声明文がある」と電話があり、北海道警察は地下鉄大通駅の指定された場所でテープライターを使って片仮名で打たれた犯行声明文を発見した[1]

犯行声明の内容は以下のようなものであった[1]

すべての友人の皆さんへ。私達日帝本国人は アイヌ 沖縄人民 チョソン人民 台湾人民 部落民 そしてアジアの人民に対する日帝の支配を打ち砕いていかなければならない。カナジミ〔ママ〕からの「反日闘争に呼応していかなければならない。一切の思い上がりを捨て、自己を変革し我々の反日戦線を鍛え上げ、拡大して行こう。同調を中心に群がるアイヌモシリ(北海道はその一部)の占領者共は第一級の帝国主義侵略者である。日帝は国力増強を目的としてアイヌモシリ植民地経営を推し進め モシリのすべてを強奪し墓石 アイヌ絶滅を企てて来た。日帝は戦争遂行のため 北海道 サハリン 千島にも無数のチョソン人、中国人を強制連行し 奴隷労働をさせ 多くを虐殺してきた。道庁はその先頭に立って北方領土返還運動を推進してきているが、アイヌは北海道 サハリン 千島は アイヌ ギリヤーク オロッコの母なるモシリ(大地)である と主張している。侵略占領者である日本とソ連こそが北海道 サハリン 千島の全領域から撤退せねばならないのだ。日本の立場を支持する中国毛沢東一派は大きな犯罪を犯しているのだ。

東アジア反日武装戦線、中日新聞記事より引用

これを受けて「反日闘争」を進めている人物を中心に捜査が進められ、同年9月10日容疑者大森勝久逮捕された。その後の家宅捜索で「反日戦線」との交友関係を示す証拠や自室内にあった工具類が発見されている。

この事件は直接証拠が見つからず、大森は黙秘を貫き、裁判では無罪を主張した。ただし、大森は犯人の残した声明文に含まれる政治思想アイヌ革命論など)については支持するという特異な状況であった。

1983年(昭和58年)3月、第一審の札幌地裁は、事件当日の目撃証言や押収品などといった状況証拠から死刑判決を言い渡した。その後、札幌高裁への控訴最高裁への上告はいずれも棄却され死刑判決が確定した。アムネスティ・インターナショナル日本から「冤罪の可能性が最も高い7名の死刑囚」の1人に指定されている。

近況

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2023年(令和5年)現在、札幌拘置支所収監されている。

大森の思想は、極左から転向し、反共主義となっている。そのため日本の核武装を主張したり、ロシア中華人民共和国を「全体主義国家」であるとして、第二次冷戦を開始すべしと主張している。また外部との通信が制限される死刑囚の立場でありながら、外部協力者によって論文[3]雑誌に掲載しているほか、ウェブサイト新・大森勝久評論集)を運営している。

脚注

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  1. ^ a b “北海道庁内で爆発”. 中日新聞(夕刊): 1. (1976-03-02). 
  2. ^ “道庁爆破、高裁再審認めず 第3次請求、特別抗告”. 産経新聞. (2023年4月6日). https://www.sankei.com/article/20230406-RCQXO2DCAFMJTGNH5XGK3HCWJQ/ 2023年4月6日閲覧。 
  3. ^ 近時のものとしては保守系書籍『撃論ムック 沖縄とアイヌの真実』(オークラ出版)に論文が掲載されている。

出典

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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