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北見枝幸駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北見枝幸駅
駅跡に建てられた石碑(2017年10月)
きたみえさし
Kitami-Esashi
問牧 (7.3 km)
所在地 北海道枝幸郡枝幸町字栄町
北緯44度56分21.7秒 東経142度34分38.5秒 / 北緯44.939361度 東経142.577361度 / 44.939361; 142.577361
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜北線
キロ程 30.4 km(浜頓別起点)
電報略号 エサ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年昭和11年)7月10日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)7月1日[1]
備考 興浜北線廃線に伴い廃駅
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1977年の北見枝幸駅と周囲約1km範囲。上が浜頓別方面。単式ホーム1面1線、駅舎横に貨物ホームと引込み線、駅裏に2本の副本線を有する。かつては小さな機関区を持っていて、転車台の跡が残っている。南側雄武方面へ未成線区間が伸びていて、高架部分が見える。駅裏は広いストックヤードになっていて木工所があり、構内南端の引上げ線が未成線区間の陸橋手前まで伸ばされて木工所土場の貨物積卸線として使用されている。この未成線区間の陸橋には、かつての殖民軌道枝幸線がS字カーブを描いて当市街道路へ乗り込んでいた軌道跡が小道に転用されて接する。軌道は写真右中央の交差点手前へ伸びていた[2]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

北見枝幸駅(きたみえさしえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡枝幸町字栄町にあった日本国有鉄道(国鉄)興浜北線廃駅)である。電報略号エサ事務管理コードは▲122005[3]

歴史

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当駅から南に向かい、興浜南線の終端駅である雄武駅との間50キロ強が鉄道で結ばれる計画があり(興浜線)、路盤や施設などは一部が建設されていたが、同区間は未成線のまま開通することなく、興浜北線・南線も廃止された。また、当駅は宗谷本線美深駅を起点とする美幸線の終点ともなる予定であったが、同線は「日本一の赤字線」となるほど経営環境が悪く、やはり路盤や施設などの一部が建設されていた仁宇布駅から先の未成区間も建設工事が凍結された上で廃止された。

年表

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駅名の由来

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開業時の自治体名・地名(枝幸村エサシ)より[5]。同音の江差線江差駅との区別の為、旧国名「北見」を冠している[9]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、興浜北線の終端駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した。また貨物用などの側線を2線有し、そのほか駅舎側本線の延長上から浜頓別方の駅舎側に分岐し、駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[10]

職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接していた。開業から5年目に改築された白壁の[10]駅舎であった。尚、1981年(昭和56年)6月時点では駅舎正面中央辺りに「興浜北線 終着駅 北見枝幸駅」の看板が建っていた[11]

構内には興浜線美幸線未成区間の路盤が完成しており、レールの敷設が行われればすぐにでも列車が走行可能な状態であった[10]

当駅の南側には美幸線・興浜線の高架橋(延長367m)が完成していたが、列車が通ることはなく、1991年(平成3年)に解体撤去された。高架橋の跡地は町道となっている[12][13]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1936年(昭和11年) 51 [14]
1937年(昭和12年) 55
1938年(昭和13年) 53
1939年(昭和14年) 73
1940年(昭和15年) 90
1941年(昭和16年) 84
1942年(昭和17年) 140 この後1944年から営業休止
1945年(昭和20年) 8,770 (24.0) [15] 12月5日から営業再開
1946年(昭和21年) 52,271 (143.2)
1947年(昭和22年) 55,815 (152.5) [16]
1948年(昭和23年) 67,112 (183.9)
1949年(昭和24年) 75,286 (206,3)
1950年(昭和25年) 73,038 (200.1)
1951年(昭和26年) 77,141 (210.8)
1952年(昭和27年) 79,307 (217.3)
1953年(昭和28年) 69,556 (190.6)
1954年(昭和29年) 67,969 (186.2)
1955年(昭和30年) 68,178 (186.3)
1956年(昭和31年) 86,773 (237.7)
1957年(昭和32年) 88,872 (243.5)
1958年(昭和33年) 91,615 (251.0)
1959年(昭和34年) 93,075 (254.3)
1960年(昭和35年) 93,440 (256.0)
1961年(昭和36年) 94,323 (258.4)
1962年(昭和37年) 94,908 (260.0)
1963年(昭和38年) 89,696 (245.1)
1964年(昭和39年) 88,367 (242.1)
1966年(昭和41年) 88,960 (243.7)
1967年(昭和42年) 87,222 (239.0)
1978年(昭和53年) 108 [17]
1981年(昭和56年) (50.0) [10] 1日当たりの乗降客数100人

駅周辺

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宗谷支庁内では2番目に大きい町。西條百貨店などがある。

バス路線

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駅跡がバスターミナルとなっている。

駅跡

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2000年(平成12年)時点で、駅舎跡地は交通公園として整備されており[20]「北見枝幸駅跡」の記念碑が建立されている[21]。その向かいに建つバスターミナルも駅跡である[11]駅名標行先標乗車券、備品など、興浜北線の資料が、バスターミナル2階に開設された「交通記念館」に展示されていた[19]が、バスターミナルの1階に移された後、2012年(平成24年)の時点ではバスターミナルからオホーツクミュージアム枝幸に移され、その一部のみ常設展示されている。資料の多くは収蔵庫に保管され通常は公開されていないが、収蔵庫公開の折に見る事が出来る。以前は同施設の2階に置かれていただけであったが[22]現在は整理された形での展示となっている。また、交通公園の周囲は駅前の雰囲気が残り「駅前食堂」という名の食堂や駅前旅館も残っていた[20]。この食堂は2010年(平成22年)時点でも営業中である[23]。線路跡は町道「興浜線通」に転用されており[11]、末端部分は国道の跨線橋下まで続いている[23]

隣の駅

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日本国有鉄道
興浜北線
問牧駅 - 北見枝幸駅 - (未成区間) <南枝幸信号場(計画・仮称)> [23] - 岡島駅(計画・仮称)[23]
美幸線(未成区間)
下幌別駅(計画・仮称)[23] - <南枝幸信号場(計画・仮称)>[23] - 北見枝幸駅

殖民軌道枝幸線

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歌登町営軌道の前身である殖民軌道枝幸線が、当駅附近の枝幸駅(初名・枝幸港駅)まで開通していた。1930年(昭和5年)9月開業。1951年(昭和26年)廃止[24][注 1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 別説として1949年(昭和24年)8月廃止説あり[25]

出典

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  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、908頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  4. ^ 内閣印刷局, ed (1932-10-26). “鉄道省告示 第199号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2850). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959331/4. 
  5. ^ a b c d 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、190頁。ASIN B000J9RBUY 
  6. ^ 『終着駅 国鉄全132』雄鶏社、1980年10月、20頁。ASIN B000J83NES 
  7. ^ 大蔵省印刷局, ed (1944-10-05). “運輸通信省告示 第483号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5319). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2961821/4. 
  8. ^ 大蔵省印刷局, ed (1945-12-05). “運輸省告示 第175号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5670). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962175/1. 
  9. ^ a b 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 153. ISBN 4-89391-549-5 
  10. ^ a b c d e 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、193頁。ISBN 978-4093951012 
  11. ^ a b c 三宅俊彦『廃線終着駅を訪ねる 国鉄・JR編』JTBパブリッシング、2010年3月、38-39頁。ISBN 978-4533078637 
  12. ^ 『枝幸町史第4巻』枝幸町、2010年3月、346-351頁。 
  13. ^ “姿消す“鉄路の夢の跡” 枝幸高架橋撤去工事始まる”. 北海道新聞. (1990年12月18日) 
  14. ^ 枝幸町史編纂委員会 編『枝幸町史 下巻』枝幸町、1971年、556-557頁。doi:10.11501/2992384https://doi.org/10.11501/29923842022年8月13日閲覧 
  15. ^ 枝幸町史編纂委員会 編『枝幸町史 下巻』枝幸町、1971年。doi:10.11501/2992384https://doi.org/10.11501/29923842022年8月13日閲覧 
  16. ^ 枝幸町史編纂委員会 編『枝幸町史 下巻』枝幸町、1971年。doi:10.11501/2992384https://doi.org/10.11501/29923842022年8月13日閲覧 
  17. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、895頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  18. ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。 
  19. ^ a b 白川淳 編『全国保存鉄道III 東日本編』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1998年10月、46頁。ISBN 978-4533030963 
  20. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、226頁。ISBN 978-4894536128 
  21. ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1999年12月、31頁。ISBN 978-4533033766 
  22. ^ オホーツク沿岸...枝幸町”. 自転車旅行、輪行併用で北海道全市町村サイクリング紀行. 2006年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月10日閲覧。
  23. ^ a b c d e f 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、22頁。ISBN 978-4533078583 
  24. ^ 田中和夫『写真で見る北海道の鉄道』 下、北海道新聞社、2002年11月、268-269頁。ISBN 978-4894532373 
  25. ^ 今尾恵介 編『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年5月、49頁。ISBN 978-4107900197 

関連項目

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