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目梨泊駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目梨泊駅
めなしどまり
Menashidomari
斜内 (5.3 km)
(2.1 km) 山臼仮乗降場
所在地 北海道枝幸郡枝幸町字目梨泊
北緯45度2分7.6秒 東経142度30分37秒 / 北緯45.035444度 東経142.51028度 / 45.035444; 142.51028
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜北線
キロ程 17.7 km(浜頓別起点)
電報略号 メト
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年昭和11年)7月10日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)7月1日[1]
備考 興浜北線廃線に伴い廃駅
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1977年の目梨泊駅と周囲約500m範囲。下が北見枝幸方面。豊牛駅同様ホームが枝幸側にずれている。かつては駅舎横の北見枝幸側に貨物積卸場があり、駅舎とホーム間には貨物積卸線が敷かれていたが、既に撤去されて棒線化されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

目梨泊駅(めなしどまりえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡枝幸町字目梨泊にあった日本国有鉄道(国鉄)興浜北線廃駅)である。電報略号メト事務管理コードは▲122003[2]

歴史

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駅名の由来

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所在地名より。アイヌ語の「メナㇱトマリ(menas-tomari)」(東風〔のとき〕の・泊地)に由来する[11][4][12]。周辺の海岸部には防波堤のように突き出た岬(現在、目梨泊岬と呼ばれている岬)があり[11]、かつて東南風の際は、船が避難したという[12]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した[13]分岐器を持たない棒線駅となっていた。

無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の北東側に位置しホームから少し離れていた。この駅舎は老朽化が激しかった[13]。駅自体は完全無人であるが、駅前の個人宅で乗車券を販売している簡易委託駅となっていた[14]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1945年(昭和20年) 2,712 (7.4) [15] 12月5日から営業再開
1946年(昭和21年) 14,592 (40.0)
1947年(昭和22年) 21,306 (58.2) [16]
1948年(昭和23年) 27,454 (75.2)
1949年(昭和24年) 26,437 (72.4)
1950年(昭和25年) 25,840 (70.8)
1951年(昭和26年) 29,445 (80.5)
1952年(昭和27年) 30,827 (84.4)
1953年(昭和28年) 25,764 (70.6)
1954年(昭和29年) 23,624 (64.7)
1955年(昭和30年) 21,270 (58.3)
1956年(昭和31年) 20,853 (57.0)
1957年(昭和32年) 22,051 (60.4)
1961年(昭和36年) 19,678 (53.8)
1962年(昭和37年) 19,327 (53.0)
1963年(昭和38年) 23,641 (64.6)
1964年(昭和39年) 20,585 (56.4)
1966年(昭和41年) 27,988 (76.7)
1967年(昭和42年) 24,136 (66.1)
1978年(昭和53年) 25 [17]

駅周辺

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駅跡

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2000年(平成12年)時点では空き地になっており、駅舎右隣にあった立ち木のみが残っていた[19]2010年(平成22年)時点でも引き続き空き地になっている[20]

隣の駅

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日本国有鉄道
興浜北線
斜内駅- 目梨泊駅 - <山臼仮乗降場> - 問牧駅

脚注

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  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、908頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ 内閣印刷局, ed (1932-10-26). “鉄道省告示 第199号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2850). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959331/4. 
  4. ^ a b c d 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、191頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ 大蔵省印刷局, ed (1944-10-05). “運輸通信省告示 第483号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5319). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2961821/4. 
  6. ^ 大蔵省印刷局, ed (1945-12-05). “運輸省告示 第175号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5670). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962175/1. 
  7. ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日) 
  8. ^ 北海道鉄道百年史 下巻 日本国有鉄道北海道総局
  9. ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
  10. ^ 高浜博隆『国鉄駅名全百科』 36巻、鉄道友の会東京支部(56.4訂補版)、小学館〈コロタン文庫〉、1981年10月、22頁。 
  11. ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  12. ^ a b アイヌ語地名リスト ホロナ~モオ P121-130”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月26日閲覧。
  13. ^ a b c 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、193頁。ISBN 978-4093951012 
  14. ^ 田中和夫 編『写真で見る北海道の鉄道』 下、北海道新聞社、2002年11月、274頁。ISBN 978-4894532373 
  15. ^ 枝幸町史編纂委員会 編『枝幸町史 下巻』枝幸町、1971年、884頁。doi:10.11501/2992384https://doi.org/10.11501/29923842022年8月13日閲覧 
  16. ^ 枝幸町史編纂委員会 編『枝幸町史 下巻』枝幸町、1971年、888頁。doi:10.11501/2992384https://doi.org/10.11501/29923842022年8月13日閲覧 
  17. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、895頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  18. ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。 
  19. ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、1999年12月、31頁。ISBN 978-4533033766 
  20. ^ 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、22頁。ISBN 978-4533078583 

外部リンク

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関連項目

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