コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

北鬼江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 富山県 > 魚津市 > 北鬼江
北鬼江
道下小学校
道下小学校
北鬼江の位置(富山県内)
北鬼江
北鬼江
北鬼江の位置
北緯36度49分45.38秒 東経137度24分35.53秒 / 北緯36.8292722度 東経137.4098694度 / 36.8292722; 137.4098694
日本の旗 日本
都道府県 富山県
市町村 魚津市
地区 道下地区
人口
2018年(平成30年)3月31日現在)[1]
 • 合計 1,424人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
937-0066[2]
市外局番 0765 (魚津MA)[3]
ナンバープレート 富山
ありそドーム

北鬼江(きたおにえ)は富山県魚津市町名。現行行政地名は北鬼江一丁目及び北鬼江二丁目と大字北鬼江。住居表示は一丁目及び二丁目は実施済み、大字は未実施[4]郵便番号は937-0066[2]

地理

[編集]

道下地区に属する。本新本新町釈迦堂一丁目、北中、高畠に接している。また、富山湾に面している。旧魚津町にかつて存在した「鬼江橋」(おんねばし)の人々が移り住んでてきたと考えられており、北鬼江はその北側にあたることから名付けられた[5]。北鬼江一丁目は「北鬼江1区」、北鬼江二丁目は「北鬼江2区」として区分される。また、その他は「北鬼江」とされる。

同地には魚津市立道下小学校ありそドーム北鬼江八幡宮などの建築物が所在する。

歴史

[編集]

新川郡下新川郡道下村時代から大字として存在する。道下村時代は村役場や小学校などが設置され、事実上道下村の中心地となっていた[5]

沿革

[編集]
  • 1661年 - この頃までに本新村と北中村が北鬼江から分立[6]
  • 1889年4月1日 - 町村制施行により、本新村、釈迦堂新村、北鬼江村、北中村、青島村、仏田又新村の全域と仏田村、岡経田村、下村木村の一部を合併して道下村成立[7]。村役場が北鬼江に設置された。[5]
  • 1892年 - 啓達尋常小学校(現在の魚津市立道下小学校)を設置[5]
  • 1907年 - 村を縦貫する浜街道(1885年開通)が県道に指定される[5]
  • 1930年 - この頃の大字は、北鬼江、本新(現在の本新・本新町)、村木、釈迦堂、高畠、北中、青島、仏田、仏又、岡経田の計10[7]
  • 1952年4月1日 - 魚津市に編入。北鬼江を含めて村内の大字は魚津市の大字に継承。その後、大字の表記は使用されなくなる[5]
  • 1969年5月1日 - 一部が区画整理された緑町、本新町の各一部となる[5]
  • 1975年6月1日 - 一部が区画整理された北鬼江一丁目の一部となる[8]
  • 1995年頃 - 北鬼江のうち、魚津駅西地区を北鬼江二丁目に改名。

世帯数と人口

[編集]

2018年(平成30年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字丁目 世帯数 人口
北鬼江 376世帯 832人
北鬼江一丁目 71世帯 132人
北鬼江二丁目 197世帯 460人
644世帯 1,424人

小・中学校の学区

[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

大字・丁目 番・番地等 小学校 中学校
北鬼江 全域 魚津市立道下小学校 魚津市立東部中学校
北鬼江一丁目 全域
北鬼江二丁目 全域

脚注

[編集]
  1. ^ a b 大字別人口統計表”. 魚津市 (2018年4月3日). 2018年4月17日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年4月17日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年4月17日閲覧。
  4. ^ 住居表示について”. 魚津市. 2018年4月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)986ページ。
  6. ^ 『平成二十四年 道下公民館創立六〇周年記念 道下のあゆみを尋ねて』(2012年11月23日、道下公民館発行)26頁。
  7. ^ a b 角川日本地名大辞典 16 富山県(昭和54年10月8日、角川書店発行)829ページ
  8. ^ 角川日本地名大辞典 16 富山県(昭和54年10月8日、角川書店発行)984ページ
  9. ^ 就学指定校と指定校の変更 - 魚津市立小中学校通学区域”. 魚津市 (2016年3月9日). 2018年4月17日閲覧。