新宿 (富山県)
新宿 | |
---|---|
魚津市新宿の街並み | |
北緯36度48分51秒 東経137度23分56秒 / 北緯36.81417度 東経137.39889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 富山県 |
市町村 | 魚津市 |
地域 | 大町地域 |
地区 | 大町地区 |
設置 | 1972年8月1日 |
人口 | |
• 合計 | 221人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
937-0863[2] |
市外局番 | 0765 (魚津MA)[3] |
ナンバープレート | 富山 |
概要
[編集]あいの風とやま鉄道線・富山地方鉄道本線を境に海側に所在する。かつては田方町(幕末の弘化年間に馬場が置かれていた場所に形成された街。1969年(昭和44年)に本江町・東小路の各一部を合併している[4]。)と呼ばれていたが、1972年(昭和47年)8月1日に住居表示が実施される際に、隣接する真成寺町(魚津銀座)に次ぐ繁華街を目指し『新宿』と名付けられた(この際、農地林区画整理により友道町の大部分を編入している)。同町内には新宿商店街の他、NTT西日本魚津ビル(旧魚津電報電話局)、富山県魚津総合庁舎、魚津区検察庁といった公共機関も存在する[5]。
新宿商店街
[編集]同町内を横断する富山県道大海寺新本町線沿いに形成された商店街。電鉄魚津駅から新宿交差点までを結ぶ。この商店街は戦後の闇市を起源としており、電鉄魚津駅の乗降客が主要顧客であった。1955年(昭和30年)頃に任意団体の電鉄魚津駅前商店街が組織され、昭和30年代後半に道幅が拡張された。さらに1968年(昭和43年)から[6]の都市計画事業により、県道拡幅工事が進められ、1971年に馬出町から地鉄高架橋までの290mの拡幅工事(車道幅員9m、歩道左右共に幅員3m)が完成、同年12月15日に東京都の新宿の繁栄にあやかり『新宿商店街』と名付けられた[7]。それと同時期にアーケード設置運動が盛んになり、1972年(昭和47年)8月に魚津新宿商店街振興会が設立[8][9][10]、1973年(昭和48年)3月上旬[11]にはアーケードが完成した。商店街のアーチ(現在は撤去)は、隣接する伏見稲荷魚津大社をモチーフにしたものである。同商店街は電鉄魚津駅と共に発展していたが、電鉄魚津ステーションデパート閉店後は同様に閉店する店舗が相次いである[8][9]。
世帯数と人口
[編集]2022年(令和4年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
新宿 | 111世帯 | 221人 |
小・中学校の校区
[編集]市立小・中学校に通う場合、校区は以下の通りとなる[12]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 魚津市立よつば小学校 | 魚津市立西部中学校 |
交通
[編集]バス
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
道路
[編集]施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “大字別人口統計表”. 魚津市 (2022年8月3日). 2022年8月10日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2021年6月8日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年6月8日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)505ページ。
- ^ 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)986ページ。
- ^ 『広報うおづ No.318』(1972年7月1日、魚津市役所発行)1ページ『電鉄魚津駅前の馬出友道線整備すすむ』より。
- ^ 『北日本新聞』1971年12月16日付朝刊12面(富山新川版)『名も新宿商店街と改める 目抜き通り面目一新 電鉄魚津駅前 都計街路事業が完成』より。
- ^ a b 『魚津市史 続巻現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)281頁。
- ^ a b 『魚津・新宿の歴史』(2004年2月1日、伏見稲荷魚津大社発行)146頁。
- ^ 『TOYAMA SHOPPING STREET 富山県商店街ガイドブック』(1995年3月、財団法人富山県産業情報センター、富山県小売商業支援センター発行)29頁。
- ^ 『広報うおづ No.327』(1973年4月1日、魚津市発行)8頁
- ^ “魚津市立小中学校通学区域設定規則”. 魚津市. 2022年8月10日閲覧。