千代櫻輝夫
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基礎情報 | ||||
四股名 | 斉藤 輝夫 → 千代桜 輝夫 → 北輝 輝夫 → 千代桜 輝夫 → 千代櫻 輝夫 → 千代桜 輝夫 | |||
本名 | 斎藤 輝夫(のち藤岡 輝夫) | |||
生年月日 | 1950年4月14日(74歳) | |||
出身 | 北海道瀬棚郡今金町 | |||
身長 | 182cm | |||
体重 | 107kg | |||
BMI | 32.3 | |||
所属部屋 | 九重部屋(入門時は出羽海部屋) | |||
得意技 | 左四つ、突っ張り、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭5枚目 | |||
生涯戦歴 | 383勝369敗7休 (73場所) | |||
幕内戦歴 | 42勝63敗 (7場所) | |||
優勝 |
十両優勝2回 三段目優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1966年3月場所 | |||
入幕 | 1976年9月場所 | |||
引退 | 1978年5月場所 | |||
備考 | ||||
2019年7月22日現在 |
千代櫻 輝夫(ちよざくら てるお、1950年4月14日 - )は、北海道瀬棚郡今金町出身で、九重部屋(入門時は出羽海部屋)に所属した元大相撲力士。本名は斎藤 輝夫(さいとう てるお)→藤岡 輝夫(ふじおか -)、最高位は東前頭5枚目(1977年3月場所)。現役時代の体格は182cm、107kg。得意手は左四つ、突っ張り、上手投げ。
来歴・人物
[編集]中学卒業後、若狭龍太郎氏(地元で、中学校の校長などを務めていた)の紹介で出羽海部屋へ入門し、1966年3月場所にて初土俵を踏んだ。なお、当初の四股名は、本名を少し弄った「斉藤」であった。
その後、部屋付きの九重親方(元横綱・千代の山)の独立に同行し、1967年3月より九重部屋に移籍。
1969年1月場所で幕下に昇進したが、ここで壁にぶつかり、1973年1月場所まで約4年に亘る幕下暮らしを強いられた(その間、三段目に落ちていた時期もあったが、全勝優勝ですぐに幕下へ復帰している)。
1973年3月場所にて新十両に進み、以後はこの地位に定着するも、十両上位では苦戦が続いた。しかし、十両在位21場所目・東十両3枚目で迎えた1976年7月場所では上位の壁を物ともせず、10勝5敗と大勝。この好成績により、翌9月場所にて、26歳で新入幕を果たした。
きびきびした取り口を身上としていたが、勝ち身が速くなかった事もあって幕内では活躍できず、幕内在位は通算7場所に終わっている。
現役晩年は内臓疾患によって満足に相撲も取れなくなり、最後は幕下10枚目まで陥落して、1978年5月場所を以って引退。
引退後は日本相撲協会に残り、年寄・君ヶ濱として後輩達を指導していたが、1979年3月場所限りで角界を去った(その後、君ヶ濱の名跡は、同部屋の先輩で同郷でもあった元関脇・北瀬海が取得)。
主な戦績
[編集]- 通算成績:383勝369敗7休 勝率.509
- 幕内成績:42勝63敗 勝率.400
- 現役在位:73場所
- 幕内在位:7場所
- 連続出場:752番(序ノ口以来、1966年5月場所-1978年3月場所)
- 各段優勝
- 十両優勝:2回(1974年1月場所、1977年9月場所)
- 三段目優勝:1回(1969年5月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1966年 (昭和41年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口21枚目 4–3 |
西序二段68枚目 4–3 |
東序二段28枚目 3–4 |
東序二段40枚目 3–4 |
1967年 (昭和42年) |
東序二段51枚目 4–3 |
東序二段14枚目 6–1 |
東序二段16枚目 3–4 |
西序二段29枚目 2–5 |
西序二段65枚目 4–3 |
西序二段37枚目 6–1 |
1968年 (昭和43年) |
西三段目91枚目 4–3 |
東三段目76枚目 4–3 |
東三段目56枚目 5–2 |
東三段目30枚目 3–4 |
西三段目43枚目 5–2 |
東三段目12枚目 5–2 |
1969年 (昭和44年) |
西幕下49枚目 3–4 |
東幕下54枚目 3–4 |
西三段目2枚目 優勝 7–0 |
東幕下15枚目 3–4 |
西幕下20枚目 3–4 |
東幕下26枚目 2–5 |
1970年 (昭和45年) |
東幕下41枚目 3–4 |
東幕下47枚目 6–1 |
東幕下27枚目 4–3 |
西幕下21枚目 2–5 |
東幕下35枚目 6–1 |
西幕下15枚目 3–4 |
1971年 (昭和46年) |
東幕下21枚目 3–4 |
東幕下27枚目 4–3 |
西幕下22枚目 5–2 |
西幕下9枚目 1–6 |
西幕下34枚目 3–4 |
西幕下41枚目 6–1 |
1972年 (昭和47年) |
東幕下21枚目 5–2 |
西幕下8枚目 4–3 |
東幕下6枚目 3–4 |
西幕下8枚目 4–3 |
西幕下5枚目 4–3 |
西幕下3枚目 4–3 |
1973年 (昭和48年) |
西幕下2枚目 5–2 |
東十両12枚目 8–7 |
西十両10枚目 8–7 |
東十両8枚目 7–8 |
西十両9枚目 8–7 |
東十両8枚目 6–9 |
1974年 (昭和49年) |
西十両12枚目 優勝 11–4 |
東十両3枚目 5–10 |
西十両8枚目 8–7 |
東十両7枚目 6–9 |
東十両11枚目 8–7 |
西十両9枚目 8–7 |
1975年 (昭和50年) |
東十両7枚目 6–9 |
西十両12枚目 9–6 |
西十両8枚目 8–7 |
東十両5枚目 8–7 |
西十両2枚目 7–8 |
西十両3枚目 6–9 |
1976年 (昭和51年) |
西十両6枚目 7–8 |
西十両8枚目 8–7 |
西十両5枚目 8–7 |
東十両3枚目 10–5 |
西前頭13枚目 8–7 |
西前頭9枚目 7–8 |
1977年 (昭和52年) |
東前頭10枚目 8–7 |
東前頭5枚目 4–11 |
東前頭12枚目 4–11 |
西十両5枚目 8–7 |
東十両2枚目 優勝 11–4 |
東前頭10枚目 6–9 |
1978年 (昭和53年) |
西前頭12枚目 5–10 |
東十両5枚目 1–14 |
西幕下10枚目 引退 0–0–7 |
x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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青葉城 | 1 | 3 | 青葉山 | 1 | 0 | 岩下 | 0 | 1 | 大潮 | 2 | 3 | |||
大錦 | 0 | 4 | 大ノ海 | 0 | 2 | 大鷲 | 1 | 0 | 魁輝 | 1 | 3 | |||
蔵間 | 1 | 0 | 琴風 | 1 | 0 | 蔵玉錦 | 3 | 0 | 大旺 | 0 | 1 | |||
大豪 | 1 | 0 | 大受 | 3 | 0 | 大登 | 2 | 1 | 大竜川 | 1 | 0 | |||
隆ノ里 | 1 | 2 | 高見山 | 0 | 2 | 玉輝山 | 1 | 2 | 玉ノ富士 | 0 | 1 | |||
出羽の花 | 0 | 2 | 天龍 | 1 | 0 | 栃赤城 | 2 | 1 | 栃東 | 2 | 1 | |||
金城 | 0 | 2 | 羽黒岩 | 2 | 2 | 播竜山 | 2 | 4 | 富士櫻 | 1 | 2 | |||
双津竜 | 1 | 1 | 増位山 | 0 | 4 | 舛田山 | 2 | 4 | 三杉磯 | 1 | 0 | |||
豊山 | 0 | 3 | 若獅子 | 3 | 2 | 若ノ海 | 0 | 3 | 鷲羽山 | 0 | 1 |
改名歴
[編集]- 斉藤 輝夫(さいとう てるお、1966年5月場所-1967年1月場所)
- 千代桜 輝夫(ちよざくら -、1967年3月場所-1970年7月場所・1971年11月場所-1973年1月場所・1978年5月場所(引退))
- 北輝 輝夫(きたひかり -、1970年9月場所-1971年9月場所)
- 千代櫻 輝夫(ちよざくら -、1973年3月場所-1978年3月場所)
年寄遍歴
[編集]- 君ヶ濱 輝夫(きみがはま てるお、1978年5月-1979年3月(廃業))
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第4巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1993年)p160-p164