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千葉敦子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

千葉 敦子(ちば あつこ、1940年11月6日 - 1987年7月9日)は、日本のジャーナリストノンフィクションライター

略歴・人物

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  • 1940年 中国上海生まれ。
  • 1964年 学習院大学政経学部卒業後、東京新聞に入社、経済部記者となる。
  • 1967年 ニーマン基金を得て、ハーバード大学大学院に留学。帰国後、東京新聞を退社し、PR会社勤務、調査会社取締役を経て、
  • 1975年頃からフリーランスジャーナリストとして活動。「アジア・ウォールストリート・ジャーナル」「インスティテューショナル・インヴェスター」「フォーブス」「フォーチュン」「オーストラリアン・フィナンシャル・レヴュー」などに寄稿した。
  • 1981年 乳ガン手術と乳房再建手術を東京都駒込病院で受ける。
  • 1983年 ガンが鎖骨上に再発、放射線治療を受ける。ニューヨークに移住。
  • 1984年 ガン再々発。
  • 1986年 3度目のガン再発。4月、月刊ニューズレター『WOMAN WATCH』発行。アメリカ、世界における女性の動きを日本の読者に伝える。11月、「『死への準備』日記」「朝日ジャーナル」にて連載開始。
  • 1987年7月9日 入院先のスローン・ケッタリング記念病院にてガンのため死去。
  • 1988年 遺言によりニューヨークに財団法人「千葉敦子基金」設立。
  • 1990年2月 ハーバード大学ニーマン基金本部との合意により、同大学内に「千葉・ニーマン基金」が設けられる。

死に至るまで自らのガン闘病記を出版し続けた。そのほかキャリアウーマンとしての生活術・仕事術、日本人論などについての著書もある。

著作

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  • 『アイデア商人』KKベストセラーズ 1969
  • 『乳ガンなんかに敗けられない』文藝春秋 1981、のち文春文庫
  • 『ニュー・ウーマン』文化出版局 1982、のち三笠書房知的生きかた文庫、三笠書房(単行本)
  • 『わたしの乳房再建』朝日新聞社 1982、のち文春文庫
  • 『いのちの手紙』(箙田鶴子(えびらたずこ)との往復書簡)筑摩書房 1983 のちちくま文庫
  • 『千葉敦子のななめ読み日記』同時代社 1983、のち三笠書房知的生きかた文庫
  • 『寄りかかっては生きられない』光風社出版 1983、のち文春文庫
  • 『ちょっとおかしいぞ、日本人』新潮社 1985 のち新潮文庫
  • 『ニューヨークでがんと生きる』朝日新聞社 1986年 のち朝日文庫、文春文庫
  • 『ニューヨークの24時間』彩古書房 1986 のち文春文庫
  • 『アメリカの男と女』彩古書房 1987
  • 『よく死ぬことは、よく生きることだ』文藝春秋 1987 のち文春文庫
  • 『「死への準備」日記』朝日新聞社 1987 のち朝日文庫、文春文庫
  • 『昨日と違う今日を生きる』角川文庫 1988
  • 『母への手紙』千葉富貴子編 意識教育研究所 1994

訳書

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  • 敵視の狭間で 対話/アラブ・イスラエルに愛は甦るか,アモス・エロン、サナ・ハッサン著,TBSブリタニカ 1976

関連項目

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外部リンク

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