千葉県立千葉工業高等学校
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千葉県立千葉工業高等学校 | |
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北緯35度34分16.4秒 東経140度8分28.7秒 / 北緯35.571222度 東経140.141306度座標: 北緯35度34分16.4秒 東経140度8分28.7秒 / 北緯35.571222度 東経140.141306度 | |
過去の名称 |
市立千葉工業学校 千葉県立千葉工業学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 千葉県 |
校訓 | 自主責任・勤労愛好・信義礼譲 |
設立年月日 | 1936年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 |
学年制(全日制) 単位制(定時制) |
設置学科 |
(全日制) 工業化学科 電気科 電子機械科 情報技術科 理数工学科 (定時制) 電気科 機械科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D112210000066 |
高校コード | 12106B |
所在地 | 〒260-0815 |
千葉県千葉市中央区今井町1478 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
千葉県立千葉工業高等学校(ちばけんりつ ちばこうぎょうこうとうがっこう)は、千葉県千葉市中央区今井町に所在する公立の工業高等学校。映画版「スクール☆ウォーズ・HERO」の撮影が行われたことがある。
校舎の屋上には、小型の風力発電機が設置してある。
年表
[編集]- 1936年(昭和11年)5月5日 - 千葉市立千葉工業学校として千葉市寒川町で開校
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 県立移管。千葉県立千葉工業学校に改称。
- 1939年(昭和14年)9月27日 - 検見川校舎に移転(現在の千葉市立花園中学校・小学校の場所)
- 1945年(昭和20年)7月7日 - 千葉空襲で標的となり全焼
- 1946年(昭和21年)1月24日 - 津田沼町の鉄道第2連隊跡北半に移転(南半は後に千葉工大)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により千葉県立千葉工業高等学校となる。
- 1967年(昭和42年)4月8日 - 現在地:蘇我に移転
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 情報技術科1学級設置(新設)。翌年に実習棟を竣工し当時導入されたコンピューターはNECのNEAC3200。
- 1986年(昭和61年)11月5日 - 創立50周年記念式典挙行
- 1990年(平成2年)3月31日 - 全日制課程の機械科を廃止し、電子機械科とする。コンピューターに関する授業は現状、全日制、定時制共にすべての科で行われている。
- 1990年(平成2年)11月30日 - HR棟、特別教室棟大規模改修工事。
- 1992年(平成4年)5月5日 - 校旗新調。
- 1992年(平成4年)9月1日 - 学校5日制 (月1回) 開始。
- 1994年(平成6年)3月31日 - 家庭科実習棟竣工。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 学校5日制 (2回制) 開始。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 制服 (男子・女子) 改定。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 電子機械科 (1学級減)
- 2016年(平成28年)4月1日 - 千葉県初の工業専門学科「理数工学科」を1クラス増設[1]
- 2020年(令和2年)4月1日 - 定時制の機械科と電気科を学科再編成し工業科に[2]
設置学科
[編集]生徒数
[編集]2013年現在の生徒数は男子592名、女子33名である。1学年につき女子11名という比率であるが、1973年頃は全校で女子数は5、6名であったので増えている。女子同士の仲が、学年を問わずとても良いとされている。女子生徒には専用のロッカー室が用意されているが校内が広いため移動に時間がかかり、女子は体育の授業などでは集合時刻に配慮がされることがある。2014年度から女子の同窓会が発足している。[3]また千葉県教育委員会のホームページに「工学女子」として紹介されている。[4]
部活動・同好会
[編集]進路状況
[編集](平成25年度)
著名な卒業生
[編集]アクセス
[編集]JR蘇我駅より徒歩20分、
1972年(昭和47年頃)までは小湊鉄道バスの協力によってJR蘇我駅から、千葉工業高校の敷地内校舎前までの間を、朝夕2便が運行するバスがあったが、その後廃止された。
学校周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ “魅力発見!【県立千葉工業高等学校】平成30年11月13日”. 千葉県. 2021年2月21日閲覧。
- ^ “工業科紹介”. 千葉工業高校公式HP. 2021年2月21日閲覧。
- ^ 千葉工業高校女子会「レディス・ビオラ」
- ^ 千葉県教育委員会【県立千葉工業高等学校】NOW平成25年6月3日