南部信依
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 延享4年2月10日(1747年3月20日) |
死没 | 天明元年6月7日(1781年7月27日) |
墓所 | 東京都港区芝の金地院 |
官位 | 従五位下甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 陸奥八戸藩主 |
氏族 | 南部氏 |
父母 | 父:南部信興、母:織田長亮の娘 |
兄弟 | 信依、信充、興長、興春ら |
妻 |
正室:伊達村信の娘・慶 側室:鈴木幸右衛門の娘・織瀬 |
子 | 信房、依晴、信真、織田長孺正室 |
南部 信依(なんぶ のぶより)は、江戸時代中期の大名。陸奥国八戸藩の第6代藩主。官位は従五位下・甲斐守。
略歴
[編集]明和2年(1765年)、父の隠居により跡を継いだ。明和4年(1767年)から正木太郎太夫に兵学を学んだ影響から、明和7年(1770年)に武芸練習所を設置して武芸を大いに奨励した。藩政においては安永4年(1775年)に凶作・大飢饉に見舞われるなど、多難を極めた。
天明(1781年)2月9日、かねてからの病気により、家督を長男・信房に譲って隠居する。同年6月7日に35歳で死去した。墓所は東京都港区芝の金地院。
系譜
[編集]父母
正室
- 慶 ー 伊達村信の娘
側室
- 織瀬 ー 鈴木幸右衛門の娘
子女