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南部広矛

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南部 広矛(なんぶ ひろほこ、1823年12月24日(文政6年11月23日) - 1912年大正元年)8月6日[1])は、幕末福井藩士明治期の官僚静岡県参事。通称・退蔵[1]、彦助[2]

経歴

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越前国足羽郡福井(現:福井県福井市)で、福井藩下士・南部彦助の息子として生まれる[1]嘉永3年10月5日1850年11月8日)父が病身のため家督を相続[1]。主計吏を務め[2]安政3年(1856年)御勝手役見習に登用され、さらに新番格となる[1]。安政6年(1859年江戸勤務となり、大坂京都へも出張した[1]元治元年10月1864年11月)第一次長州征討に従軍した[1]

戊辰戦争が始まり、慶応4年2月1868年新政府の北陸道鎮撫使・会計方御用取扱として従軍。同年4月、奥羽征討越後口進撃軍の会計方として従軍し、翌月、民政掛を兼務した[1][3]。以後、徴士・越後府権判事、民部官庶務司判事・出納取締雑事掛、関八州迎察、民部大録・出納庶務掛などを歴任[1]

明治2年8月28日1869年10月3日)柏崎県大参事に就任[1]。明治5年9月18日1872年10月20日)静岡県参事に転任し、1874年1月13日まで在任[4]。同年1月28日、大蔵省検査助に就任。1877年10月11日、検査寮が廃止され退官した[1]

人物

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橘曙覧、河津直入に学び和歌を嗜んだ[1]

親族

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伝記

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  • 芳賀矢一編『南部広矛翁 : 伝記及び紀行』芳賀矢一、1914年。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『福井人物風土記 : ふくい百年の群像 続』295-300頁。
  2. ^ a b 『幕末維新大人名事典』下巻、237頁。
  3. ^ 「南部広矛特旨叙位ノ件」
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』101頁。

参考文献

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