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南都雄二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なんと ゆうじ
南都 雄二
南都 雄二
朝日放送『ABC』(1956)より南都雄二(上)とミヤコ蝶々(下)
本名 吉村 朝治
別名義 鈴夫
上方トンボ
生年月日 (1924-04-26) 1924年4月26日
没年月日 (1973-03-19) 1973年3月19日(48歳没)
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
職業 俳優漫才師
ジャンル 映画テレビドラマ
配偶者 ミヤコ蝶々(1947年 - 1958年
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南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年大正13年〉4月26日 - 1973年昭和48年〉3月19日)は昭和後期の上方漫才師俳優。本名は吉村 朝治(よしむら ちょうじ)。大阪府大阪市生まれ。大阪電機学校卒業。

ミヤコ蝶々との漫才コンビ「蝶々・雄二」として知られ、「夫婦善哉」の司会で人気を博した。

生涯・来歴

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1941年に大阪電機学校を卒業した。戦後、大阪中央郵便局の電気係を経て、三遊亭柳枝主宰の柳枝劇団に参加し、照明部で裏方をしていた。その後演者側に回り、看板女優だったミヤコ蝶々の弟子となり「鈴夫」と名乗る。

1947年に柳枝と離婚した蝶々と結婚し、1948年柳家三亀松の改名の提案で「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビを結成した。後に夢路いとしに相談して南都雄二に改名した。(漢字があまり読めず周りに「何という字?」とよく尋ねたことからついたと言われる。)

1952年秋田實小林一三宝塚新芸座に参加し、夢路いとし・喜味こいし秋田Aスケ・Bスケ笑福亭松之助らと舞台俳優としても活動する。その後、「漫才学校」「夫婦善哉」(いずれもABCラジオ)の司会などで「男前の雄さん」として人気者となる。

蝶々との夫婦仲や芸名の由来などについては、ミヤコ蝶々の項を参照。

映画俳優として、東映大映の映画に数多く出演した。特に勝新太郎主演の『悪名』や『兵隊やくざ』ではシリーズで出演している。「姉さん女房」の蝶々とのイメージからか、女の尻に敷かれ、少々頼りない男のような役どころが多かった。

夜遊び、夜の豪遊は語り草になっており「キタの雄二(南都雄二)かミナミのまこと(藤田まこと)、東西南北藤山寛美」といわれるほどであった。

1973年に持病の糖尿病がもとで死去した。48歳没。

没後、ミヤコ蝶々・南都雄二として2006年に第11回上方演芸殿堂入りしている。

出演番組

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出演映画

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  • 弥次喜多漫才道中 化け姫騒動の巻(1955年・宝塚映画
  • 同・腰抜け一家の巻(同)
  • 漫才長屋は大騒ぎ(1956年・宝塚映画)
  • 漫才長屋に春が来た(同)
  • 漫才学校シリーズ(1956年・松竹京都
    • 第一部・爆笑八人組
    • 第二部・ガヤガヤホテル
    • 第三部・ゴリラ大暴れ
  • お父さんはお人好し・産児無制限(1956年・大映京都)
  • 漫才提灯(同)
  • 青空娘(1957年・大映京都)
  • 歌う弥次喜多・黄金道中(1957年・松竹京都)
  • 喧嘩も楽し(1958年、東宝配給、宝塚映画)
  • お笑い夫婦読本(1958年・宝塚映画)
  • 大当り狸御殿(同)
  • 野良猫(1958年 東宝配給、宝塚映画)
  • やりくりアパート・びっくり大放送(1959年・宝塚映画)
  • かた破り道中記(1959年・松竹京都)
  • 風雲将棋谷(1960年・大映京都)
  • 河内風土記・続おいろけ説法(1961年・宝塚映画)
  • 喜劇・団地親分(1962年・松竹大船
  • 河内風土記・おいろけ繁盛記(1963年・宝塚映画)
  • 青い目の花嫁はん(1964年・松竹京都)
  • 日本侠客伝(1964年・東映京都)
  • 忍法忠臣蔵(1965年・東映京都)
  • 蝶々・雄二の夫婦善哉(同)
  • 任侠木曽鵜(同)
  • てなもんや東海道(1966年・宝塚映画)
  • スチャラカ社員(1966年・松竹大船)
  • 尼寺(秘)物語(1968年・東映京都)
  • 温泉あんま芸者(同)

演じた俳優

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外部リンク

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